第32話 寒い夜だから・・・④

「じゃ、起こすよ。せーの!・・・」


天幕の両端にある支柱を武村と平本がグイっと下から突き上げるように立てる。天幕はまだ張りがないが、あとは天幕から伸びるロープを引っ張って調整する。

通常は杭をしっかり打ち付けてロープを引っ掛けるのだが、林の中の場合は手近な木に縛着ばくちゃくする事もある。これは建前としては【杭の紛失】を防ぐためだが、本音としては『この方が楽』なのだ。

杭の紛失防止は勿論、杭の打ち込み作業省略や帰隊後の整備緩和等、利点は多い。

「武村士長、こっちロープ届かないっす」

平本が目一杯伸ばしたロープの先端を木に括りつけようとするが届かないようだ。

武村はロープと他の木の間合いを見比べる。

「そしたらこっちの木でいいよ。まだこっちの方が近いだろ」

りょうかーい、と平本は武村が指をさす木にぐるりとロープを回し、ギュッときつく縛った。

「ふう、なんとか終わったな」

「そっすね」

「あ、悪い平本。今から小隊本部行って明日の飯受領してきてよ。ストーブとかは私が中に入れとくからさ」

「わっかりました」


天幕を建て終え、武村が中にストーブと毛布や個人携行品を持ち込んだ頃には辺りはすっかり暗くなっていた。

ライターを取り出し、ストーブに火を灯すと一酸化炭素が混ざった灯油の臭いがしたかと思うと、すぐにダイヤルを回して火の高さを調整する。

自衛隊が訓練で使うストーブは、安全のため鉄の柵で囲ってあり色は当然OD色(オリーブドラブ)で塗装されている。

天幕の中は狭いから当然暖かいんだろうな・・・と思ったらそれは大きな間違い。

ストーブから発される熱は横ではなく上へと広がるので、立っていなければそこまで暖かくは感じない。それでも無いよりは全然マシなので、ストーブの上にヤカンを載せてお湯を作ったりと何かと重宝するのだ。


武村は早々に毛布とスリーピング(寝袋)を敷いて寝床を確保し、雑嚢からラーメンの袋、私物の迷彩バックから携帯式コンロを取り出した。この携帯式コンロは武村が

2小隊の先輩士長から譲ってもらったもので、ゴトクとガスカートリッジがゴムパイプを通して別体となっている。

一体式の小型ガスバーナーコンロではガスカートリッジの上にゴトクが付いているので、使用するとき鍋は高い位置にあってイマイチ安定感に掛けるのだが、この携帯式コンロはゴトク部分を地面に置くことが出来、接地面も広く確保されてるので安心して湯を沸かせるのだ。


携帯式コンロのバルブを回すと、シューっというガスの出る音がし、着火ボタンを押す。すると、ボッと青白い炎がつき、武村は水を入れた鍋をゴトクの上に置く。

ストーブに火を入れて間もない天幕の中はまだまだ寒い。武村は携帯式コンロの炎から発せられる熱に冷え切った手をかざし温める。

「あ~、あったけぇ」

武村がわずかな暖を取っていると、明日の朝食を受領した平本が戻って来た。

「戻りました~って、めちゃくつろいでるし!」

「おぉ~お帰り。さあ銃を置いて暖まりなさい」

「・・・はぁ」

平本は若干引きながらも小銃を置いて寝床を作る。ぐつぐつと鍋からお湯が沸く音が漏れだすと、武村は袋から麺を取り出して鍋に投入した。

まだスープの素は入れてないが、麺から出る食欲をそそる匂いが天幕の中を包み込む。「やべぇっす武村士長、チョー腹減りました」「待機だ平本。待機だ」「あ、そうだ武村士長。これも入れていいっすか?」

平本が雑嚢から出したのは、野外演習の定番【魚肉ソーセージ】。

「・・うむ、許可する」

偉そうな武村から許可が出ると平本は袋を開け、ビニール先端の留め具をねじり切るとソーセージをビニール越しに指で強くつまみちぎっていく。

具の無いラーメンからソーセージラーメンへと昇華した。

「もう頃合いだろ」と武村はスープの素(味噌味)を入れると、香ばしい匂いが更に食欲を増進させた。それにつられる様に「お、なんだラーメンか?」と分隊長が天幕に入って来る。そして「おう、これから俺にも分けてくれよ」との携行袋から魚肉ソーセージ・・ではなく、魚肉を出して武村に放り投げた。

「2人前しか作ってないんで私と平本と3人で割りますけど、良いです?」

「あぁいいよいいよ、お前らの後で。俺は身体を温めたいだけだから。そうそう、ここへ来たのは決して匂いに誘われたわけじゃなくてな・・」

え、違うの?と武村と平本が顔を見合わす。

「明日の行動を下達しに来たんだ。今から言うから、しっかり聞けよ?明日の0300起床。天幕を速やかに撤収した後0415ここ宿営地を離脱。事後は各隊員はそれぞれの陣地に入り待機。状況開始は0500とする。なお、この間の合言葉。本日2400まで『クロキ・オジカ』。翌0000から1200の間は『ホサカ・レッドアイ』とする・・・」

麺を茹で始めて既に3分は経過してるが、まだ命令下達は終わりそうにない。

合言葉の『ホサカ・レッドアイ』に突っ込みたい武村だったが、それをすると更に時間が延びそうなので我慢する。

「・・以上、各隊員は速やかに就寝し状況に備えよ!っと。ここまでで質問は?」

「「な~し!!」」

二人して痺れを切らすように言うと、分隊長は「あぁ、すまん。長引いてしまったな。ラーメン伸びちゃってたらごめん」と謝罪。

「いえ、命令下達の方が大事っすから」

なぁ?と武村が同意を求めると平本もうんうんと大きく頷く。


「じゃ、すいませんがお先にいただきます」

武村は分隊長にペコっと軽く頭を下げると、気にするなというように分隊長は手で制した。

割り箸をパキっと割り、鍋の取っ手を握る。そして湯気が漂う麺を箸で掴み、2、3回ふ~ふ~して口の中に。

ずぞぞぞぞぞ。・・ずぞ、ずぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。

味噌スープが麺と絡み、食道へと流れ込む。身体がだんだんポカポカしだすのを感じながら鍋に浮いているちぎれた魚肉ソーセージを頬張る。分隊長が時間を稼いでくれたで、よく温められていた。もう2口ほど食べた所で鍋を平本に渡した。

待ってましたとばかりに平本は鍋の取っ手を掴み、熱さをものともせず麺を吸い込んでいく。

「・・お前、熱くないの?」

「熱いっちゃ熱いっすけど、それより腹減ったんで!」

「あぁ、そう。陣地構築大変だったもんなお前」

「ん?なんかあったんか?」

「それがですね・・・」


平本がラーメンを食べている間に武村が顛末を分隊長に話した。

「そうか。運がなかったな」

とても同情してるとは思えない含み笑いする分隊長。

「まぁ、気の毒だったんで、私のラーメンを分けたんですよ・・っておい!食いすぎやろ!」

「は、はひ、ふみまへん(は、はい、すいません)」

まったく、と言って平本から奪い返したラーメンは随分と減り、1/3の量になっていた。

「はぁ・・。分隊長、どうぞです」

「ん?まだ麺が残ってるけどいいのか?」

「えぇ、私は他にも持ってるので・・」

「そうか、じゃ、いただくよ」

分隊長は平本に負けないくらいの食いっぷりでラーメンを流し込み、あっという間に平らげてしまった。

「ごっそさん!じゃあお前ら、俺は自分の天幕に戻るけどしっかりあったかい恰好して寝ろよ」

分隊長は小銃を片手に天幕の出入り口の裾をめくり、外に出る。


「そうそう、さっき言い忘れてたけど、雪、降り出したから」

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