第7話 行けなかった者【前編】
3月。暦の上では春になるが、それでも朝晩は寒い日が続く。
現在時0835。この時間の首都高はどこを通っても渋滞にハマってしまう。
これから目的地に行く人間にとって渋滞はイラつく原因になるが、これから帰る人間は気持ちに多少の余裕がある。
「これなら昼あたりには家に帰れそうだな」
大黒ふ頭で積み荷を降ろし、会社からの集荷連絡も来てないのでこのまま帰社できそうだ。
明日は土曜日で会社も休み。なので金曜の夜勤明けは3連休の感覚となり、少し得した気分になるのだ。
「今年度の訓練出頭は先週で消化したし、残りの土日はゆっくり休めるな」
【訓練出頭】とは、即応予備自衛官の年間30日の訓練に参加する際の呼び方。
ゴールデンウィークや夏期、冬期休暇、土日に合わせて担当中隊は訓練を割り振って調整している。
もちろん、土日休みの隊員ばかりではないので平日の訓練もある。
10tトラックを走らせること3時間。ようやく会社に到着した。
時刻は1135、予定通りだ。
今日は週末なので、走行距離の関係なしにトラックの給油と洗車が義務付けられている。私は給油した後に、洗車場にトラックを回した。
【赤ホット】と呼ばれるこの洗浄機は、頑固な泥汚れでもお湯による強力な射出力によってキレイに洗い流せるので、大変気に入っている。
板バネやフェンダー、足廻りを入念に洗うが、グリスの部分は軽めで。
一通り洗い終わったので、一息つけようとタバコに火を灯す。
すると、会社の先輩がニヤニヤしながら近づいて来た。
「お、武村。ひょっとして、もう上がり?」
「あ、はい。今日は早出だったんで、山梨から大黒で終わりっす」
「マジか?いいなあ。俺はこれから東京3往復だぜ」
「あ~・・・、お疲れさまっす。でも、私も昨日は四日市2往復だったんで」
「それも鬼畜だな。まぁ、ゆっくり休んでくれや」
「はい!先輩もお気を付けて!」
先輩は自分のトラックに乗り込み、出発の準備をはじめた。
私はトラックを駐車場に停めた後、事務所へ向かった。
「お疲れさまで~す」
外はいささか冷えていて寒かったが、事務所の中はストーブが焚かれていて暖かかい。これだけ暖かいと、逆にボーっとしてこないのだろうか?
などといらぬ心配をしながら、デジタコ(デジタル式運行記録計)をカードリーダーに挿し込み、パソコンに読み取らせる。
このデジタコは、そのドライバーが時速何キロで走行し、エンジンをどのくらいの回転数まで回したか分かってしまう(スグレモノ)なのだ。
【エコドライブ】が運送業界の常識となりつつある昨今、必要以上のエンジン回転数はデジタコによって管理され、ある回転数を過ぎると「ピコピコピコ!」というウザったい電子音とともに、デジタコにも記録されるので後に会社の車両管理者に怒られてしまうのだ。
デジタコを読み取ったパソコンのモニターに、今回の走行距離と速度、それにエンジン回転数などがグラフとなって映し出されている。
「確認をお願いします」
車両管理者の横田さんに声を掛け、運行に問題がなかった事を確認してもらう。
「よし、特に異状はないね。夜中からお疲れさま。気を付けて帰ってね」
横田さんの優しい言葉に「お疲れさまでした!お先に失礼します!」と返事をし、会社を後にした。
家に着くと、当然誰もいなかった。かみさんはパート先、子供二人は小学校と保育園だ。
テーブルの上には、私の昼食の準備がされていた。とはいっても、昨晩の残りだが、全くないよりはありがたい。
「いただきます」
お昼のニュースを見ながら昼飯を食う。
特段目新しい出来事もなく、食欲が満たされ今度は睡眠欲が襲ってきた。
別に争う気がなかったので、睡魔に身を任せることにした。
1446。
ガタガタガタ。家が揺れ始めた。
我が家は築30年の借家なので、震度2でもかなり揺れる。
私は目が覚めたが、いつもの小さい揺れだと思い、再び眠りに就こうとした。
しかし・・。
ガタ・・ガタガタ・・・ガタガタガタガタガタ!!!
明らかに普段とは違う揺れ方に思わず飛び起きてしまった。
まずい!家が潰れてしまう!
身の危険を感じた私は、猛ダッシュで靴も履かずに外へ飛び出た。
唐突だが、みなさんは(新世紀エヴァンゲリオン)を観た事があるだろうか?
ヱヴァの第1話、使途(サキエルだったかな?)が現れる場面で、電線がヒュンヒュンと音を立てて揺れるシーンがあるのだが、家の庭先から見える電線が、まさに同じように激しく揺れていたのだ。
「これは・・・地震か?」
近所で飼われている犬たちは、巨大な力に恐れるように悲鳴にちかい鳴き声を発している。
ガチャン!ガチャン!
家の中からは、何かが落下して壊れる音がする。
成す術もないまま、私は揺れが収まるのを待つしかなかった。
1分ほどだろうか。
ようやく揺れが収まり、私は家の中に戻る事にした。幸いにも食器棚などは倒れておらず、損害は皿やコップなどが数個落ちただけで済んだようだ。
これだけの地震なら、速報が出てるだろうと思い、TVを付けようとするが画面は黒いままだった。停電か?
仕方なくiPhoneでネットに接続しようとするも、アンテナのマークは×になっていた。どういう事だ?
当然、固定電話は停電により使用不可。
連絡手段が完全に断たれてしまったからには、もうどうしようもない。
仕方がないので、電気以外のライフラインの確認をすることにした。
キッチンにある蛇口を捻ると、透明な水が出て来た。水道管の破裂はなさそうだ。
次に、ガスコンロのつまみを回してみる。チッチッチという音とともに火が灯った。これも問題なく使えそうだ。
あとは食料だが・・・。
幸い、我が家にはカップ麺や、即自の訓練出頭で残った携行食なんかも備蓄してあったので、とりあえず糧食の心配はなかった。が、数日分しかないので、もう少し欲しいところでもある。
近くのスーパーは歩いて10~15分ほどの所にあるが、まだかみさん達が帰ってきてないので、家を空ける訳にもいかない。
考えてもしょうがないので、落ち着くためにコーヒーを淹れることにした。
コンロに火を付けて、しばらくするとヤカンがシュンシュンとお湯が沸いたことを知らせる。お湯をマグカップに注ぎ、インスタントコーヒーと砂糖、ミルクをスプーンでかき混ぜる。
マグカップを口まで持っていき、一口飲む。・・・あったかい。
コーヒーの匂いにはリラックス効果がある、とは聞いていたが、確かにそうかも知れない。マグカップを片手に、外に出てみた。
今のところ、サイレンの音は聞こえない。同時に、少し離れた所を通る国道からは、車の走行する音も聞こえない。一体、何がどうなっているのだろう?
外気の寒さが身に染みる前に、早々に家へと戻る。
暖を取りたいところだが、ストーブの燃料が残り少ないので、点けるわけにはいかない。
コーヒーで熱されたマグカップをホッカイロ替わりに手を温めた。
暫くすると、庭先からセモセモと石を踏みしめる音が聞こえて来た。
かみさんが帰って来たのだ。
「あんた、何やってるの?」
帰って来るなり、かみさんは開口一番わたしに呆れたように言い放った。
地震の後、かみさんは職場で点呼のため足止めを食ったらしい。
子供たちの安否も分からず不安になり、点呼が終わって真っ先に小学校と保育園に迎えに行ったそうだ。私が早く帰っている事を知っていたので、私が先に子供たちを迎えに行っている可能性も考えていたが、小学校にも保育園にも私が行っていない事もあり、何かあったのでは?と心配しながら帰ってきたそうだ。
「それをあんたは呑気にコーヒーなんか飲んで、子供が心配じゃないの!?」
「いや、心配だったけどさ・・・」
そう、私は心配してない訳じゃなかった。しかし、小学校や保育園より耐震性の低い我が家は倒壊してないし、有事の際は避難所に指定される公共の建物の方が遥かに安全だと分かっていたので、慌てる事はなかったのだ。
そう説明しても、「信じられない!」と受け付けてもらえないので、
「ごめん」と謝っておくことにした。
きっとかみさんも、突然の事態で動揺しているだけだろうから。
時刻は1603。そろそろ日が陰ってくる頃だ。
私は上着を羽織り、買い出しの準備をした。
「これからコンビニ行くけど、何か欲しいものある?」
「食料はあるから、子供たち用のお菓子とジュースをお願い。あと、あったらロウソクも」
「了解、行ってくるよ」
通りに出ると、車は走っているが、どこかぎこちない感じがした。
少し歩いて交差点に差し掛かると、ぎこちない走行の原因が分かった。信号機が機能しておらず、交通を統制する警察官もいないからだ。
しかし、徐行ながらもお互い譲り合って右左折している様子を見ると、さすが落ち着いてるなと感心してしまう。
コンビニに着くと、駐車場は満車状態で停める場所もなかった。
「徒歩で来て正解だったな」
店内に入ると、パンや弁当なんかはゴッソリ無くなっていた。
お菓子やジュース、それにタバコは全然残っていたので楽々とカゴに入れる事ができた。しかし、ロウソクは売り切れていた。
レジに並ぼうとしたが、どこが最後尾か分からない。
停電でレジが使用できず、電卓で手打ち計算する店員に最後尾を聞くと、忙しそうにしながらも入口の方を指さした。
なんと、壁沿いに並んでいるのだった。
「どこの壁サークルですか?」
一人でそうツッコみながら、列に並んだ。
買い物客のカゴの中を見ると、カップ麺やミネラルウォーター、弁当なんかを大量に買い込んでいた。
「普段から備蓄していれば、こんなに買い漁る必要もないのにな」
「ただいま」
コンビニで買ってきた商品をかみさんに手渡し、ロウソクが売り切れていた事も伝えた。「そう。じゃあ明かりは懐中電灯で点けるしかないわね」
懐中電灯は確かに明るいが、いつ電力が復旧するか分からない状況では、あまり電池を消耗したくないのだ。
「とりあえず、お湯を沸かして晩御飯の準備をするね」
かみさんがキッチンへと戻る。冷蔵庫の中身はクーラーボックスに保管されており、外に置かれていた。
晩飯のメニューは、カップ麺にボイルした戦闘糧食。
「いただきます!」
子供たちは、初めて見る携行食に興味深々だった。
「お父さん、いつもコレ食べてるの?」
「おいしいの?」
普段よりテンションが高めの子供たち。
普段とは違う状況を楽しんでいるようにも見える。
しかし、かみさんが迎えに行った時、次男はワンワン泣いていたというから家族と一緒にいれて安心したのかもしれない。
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