第二話 銀と金と雷雲

 A day ago


 ピーッ

 試合終了のホイッスルが響く。今は二時間目、授業は体育で種目はバスケだ。

 一試合終えコートから出る。すると、ヘロヘロの足取りで同じチームだった乾がこちらにやって来た。

「お疲れさん……」

「ああ」

「……なあ、こおりはん」

「ん?」

「今試合終わったばっかやっちゅうのに汗一つ掻いてないっちゅうのはどういうことでっしゃろ?」

「汗くらいはかいてる」

「いやそこが論点やなく! どんな体力しとんねん! ……ぜえぜえ」

 息切れ起こしてまで突っ込みたいのかお前は。

 別に体力が化け物みたいにあるわけじゃない(いや俺は『化け物』だけどそういう事とは関係無しに)。体力に限らず足の速さやその他体力測定において測る様々な数値において十人並みの能力しかない。要するに動いてないのだ。とはいえ授業を疎かにしていた訳ではなく、必要最低限しか動かなかったのである。あとは小手先の技術でどうにかしているのだ。

「まあええけど。こおりはんがボールブンブン投げるの追っとったらなんか勝ってもうたし」

「一敗毎にスクワット五十回とか聞かされたんだ。容赦なく勝ちにいって当然だろ」

 こういった体育の集団競技では俺はかなり自分勝手に行動している。他人のペースに合わせるより自分のペースでやる方が楽だから自然と司令塔のような役割をしていることもしばしば。協調性が無いと言われようが事実としてこれで上手くいってるのでこれからも変えるつもりはない。

「へぶうっ!」

 と、体育館の反対側から潰されたカエルのような声が聞こえてきた。いや、カエルが潰れるとき本当にあんな声を出すのかは知らんけど。

 とにかくそちらに目を向けてみると、そちらでは女子がバレーボールをしていた。そして声の元はコートの中、一人顔面にボールの跡を付けたまま倒れている女子と推定。……あのアホ毛は藤田か。

 そしてボールはコートの上空でまだ生きている模様。それに跳び付く一人の女子。周りの人間よりも小さいくらいの背なのに、その跳躍、その打点は誰よりも高い。

「はっ!」

 そして打たれたスパイクはブロックを抜け相手コートに突き刺さる。鳴り響くホイッスル。着地した女子生徒は銀の尻尾をさらりとなびかせた。

「すごーい、明野さん!」

「当然よ」

 集まってくるチームメイトとハイタッチ。そして倒れたままの藤田に笑顔で手を差し出す。

「ナイスレシーブ、藤田さん」

「おー! こころんもな!」

「その呼び方は止めて欲しいんだけれど……」

 苦笑しつつも手を掴んで引き起こした。

「…………」

 明野心。キョウの言によれば頭脳明晰、スポーツ万能の優等生。自信家で高飛車な物言いはあるが決して自分勝手という訳ではなくむしろ面倒見のいい性格で男子、女子に関わらず人気者との事。

 ふと、視線が絡んだ。

 睨まれた。

 ……とてもキョウの言葉と一致しないなあ。俺に対してだけ。

 正直、彼女がどんな人間かなんて俺にはどうでもいい。ただ、何故俺が目の敵にされているのか、それだけが知りたかった。

 クラスの人間は俺が彼女に睨まれているのは前回のテストが原因だと思っているみたいだが、それはあくまで追加要因でしかないと俺は知っている。何故なら、俺は最初の接触の時点で彼女に睨まれていたからだ。

 そもそもその最初の接触というのが教室の中ではない。その前、登校時学園に至る坂を上りきったところで後ろにいた明野に気付いたのがそれだ。転校当初学園に流れていた俺の悪評すら聞いているはずも無いタイミングで一体何が彼女の気に障ったのやら。

 別に彼女との仲を改善したい訳じゃない。結局俺と彼女は他人であり最終的に俺が嫌われていようがいまいが知った事じゃない。いっその事避けるようになってくれれば労力が一つ減って大助かり、とまで思っている。

 しかしあの時俺の何らかの行動が彼女にとって不快であり。それが俺自身も認める人間として至極真っ当なものであるなら。

 俺は謝るべきなのである。他人だから迷惑をかけても放置したままでいいなんてことは決してないんだから。……はあ、なんかこの街に来てすぐにもこんな事あったな。あの時は原因が分かってたけど。

 そう、今回は原因不明。然るに本当に俺が謝るような事が理由なのかもはっきりしていないのだ。当人に訊くのが確実というかそれ以外の手段は無いだろうが、それが地雷を踏む行為である事くらいいくら俺でも分かる。

 よって保留。そもそも積極的に解決しようなんて社交性は俺には皆無なのだ。そのうち機会があれば分かるだろう、と所詮他人事に向ける意識なんてその程度のものなのである。

 ――ところが、その機会は思いの外早く訪れる事になる。



「こおりはんは……容赦ない……」

 体育館から教室への帰り道、耳元で恨み言を呟く乾がウザい。しかし言葉にこそしないものの俺のチームメイトは皆、目でそう訴えていた。

「ドリブルで切り込むような技術がないんだから周りを使うのは当然だろ。あと疲れるの嫌いだし」

「絶対本音は後のやろ! そんなんわいだって嫌いや! つかこおりはん上手いやん! シュート落としたトコなんて見てないで!? げほげほっ」

 むせるくらいなら突っ込むな。

「集団競技なんだから一人で頑張ったところで意味無いだろ。事実負けたし」

 それに二戦目はチームメイトの動きが目に見えて悪くなってきたからこっちもそれなりに動いてたんだけどな。

「せやからて極端とちゃうか……」

 ぶちぶち文句を呟きながら歩いていく乾。その姿がすうっと消えた。

「…………」

 気が付けば他のクラスメイトどころか人の姿一つ見つからない。その代わりに現れていたものは、

 霧。

「またこれか……」

 深い溜め息が出た。この霧はある特殊な人間が異世界より呼び出したものだ。この霧の内部は本来俺たち人間が住む世界とは別空間であり、霧を呼び出した人間とその人間が指定した人間だけを取り込む。この際霧の外の元の世界はどうなっているか知らないが、少なくとも霧の中で破壊された物や傷ついた生物は霧が解かれると同時に元の状態へ修復される。……ただし、死者はどうやっても蘇らないが。そして一定時間が経過するまで霧が晴れる事は無い。それまでは誰も霧から出る事は出来ないのだ。

 そのシステム上この霧が張られる時、大抵その使用目的は、

 『決戦場』。

 ……また厄介で面倒極まりない状況になったもんだ。俺としてはこんな事に関わらず静かに生活したいというのに。それもこれもこの街に引っ越してきたのが原因なのだが、それを今愚痴っても仕方ない。

 牙を剥く者がいれば潰す。それだって今まで通りの事なのだ。

 廊下の真ん中に立ったまま、一度だけ

 ……いるな。誰もいないはずの世界ですぐ目の前の教室から人の気配がする。霧を張った人間で間違いない。そいつが他の人間を巻き込んで囮に使うような奴でなければの話だが。まあその可能性は低いか。普通の人間ならこの状況に困惑してとっくに廊下まで出てきているだろうし。

 第一、こうもはっきりと攻撃の意思を感じられるのだから疑うのも馬鹿らしい。

 その教室の扉は開け放たれている。霧が張られる前から開いていたのかもしれないが、誘いを掛けられてるのは間違いないので迂闊には近寄らない。この規模、この外膜の密度の霧なら散開まで十五分程度か。その間睨み合いを続けていても構いやしない。

 ……これもあの人から聞いた事だったな。

『いいかい少年。霧に囲まれたなら脱出は不可能、すぐに頭を戦闘態勢に切り替えること。そして霧は相手の力を知る重要なファクターだ、ざっと見でいいから観察しておくことだよ』

 霧の規模×外膜の密度で大体の力の大きさが分かる。屋内で正確な大きさが分からなかったり複数人で張る事もあるそうだし、そもそも今回の場合どう考えても短時間で散開するよう調節してる。その程度の技術があるってことだが、まあ参考程度にしかなるまい。

 それよりはっきりわかるのは色だ。張った奴の系統・種別により霧の色が変わる。この間と同じ金色……だがまたキョウの悪ノリってわけじゃなさそうだ。……確か、この色は十系の一つで、

 キィンッ!

 金属が打ち合わされる音が鳴り響く。

 背後から飛び掛かってきた生物の硬質の角。受け止めたのは俺の手に逆手に握られた白い刃の鎌。二つの刃がカチカチと拮抗する。

「ふっ!」

 呼気とともに吐き出し鎌を払う。宙空にいた生物はその力に逆らわず距離を取って着地するとそのまま地を蹴って角を突き立て突進。鎌を立てて角を受け後ろに逸らし、その擦れ違い様に鎌を振り抜き斬り裂くが、手応えは無い。

 鎌を振るった勢いのままに半回転し振り向く。そこにはさっきの生物――大型犬ほどの大きさの羊、ただし本来ある二つの角の他にもう一本額からまっすぐ伸びる角があり、その下にジグザグのマーク? 傷? がある――が反転し距離を取ってこちらを向いていた。さっきの斬撃はやはり体毛を斬り裂いただけに留まったようだ、出血している気配も無い。

 武器化を解除する。鎌がほどけ、俺の足元に一匹の生物が現れる。一抱えほどの大きさの球根。目があり根のような四本の足が生え、額には大きな氷の葉っぱがある。名前はレリーフ、俺の唯一の家族だ。

 どちらも本来この世界にはいない生き物。この霧で満たされた異世界に棲む生物たち。彼らは総称して『ミスティ』と呼ばれているらしい。

 そして羊のようなミスティの傍には、さっきの交錯の間に教室から出たのだろう、一人の人間が立っていた。

 ミスティと共生関係を結び異世界から呼び出す事が出来る人間。『オーナー』。

 そのオーナーには対立関係になる二つの組織が存在するらしい。そしてここ霧群学園は、その片方の、オーナー保護施設の一つだそうだ。俺も保護の名目の元連れてこられた一人だがそれにしちゃあいろいろおかしなことを要求されそうな雰囲気なのは今は割愛するとして。

 そうか、なるほど。

 そういう組織の人間なら転入前から俺の事を知っていても不思議ではないわけだ。

 藍色と白のセーラー服。小柄な背にさらりと揺れる二房の銀髪。こちらへ向けられる視線はすっと鋭い。

 その口が開かれる。


「『教会』所属オーナー、『修道騎士』明野心。契約ミスティ、アライエス」


 彼女は胸を張り、立ち塞がるかのように立っていた。

「見極めてあげるわ、周防君」

 たんっと足を踏み鳴らす。すると羊型のミスティ――アライエスの体毛が一気に膨張した。その体積は先程までの二倍以上。

「見せなさい、あなたの全力を!」

 その言葉と共に体毛が弾ける。もこもこの毛の塊がいくつも宙にばらまかれて滞空する。その様子を見ながら俺は、


 思いっきり溜め息を吐いた。


「……何よ、その溜め息は」

 不審そうな、咎めるような声だったが気にせず話す事にした。

「いや、あんたさ、初めて会ったときから俺のこと睨んでただろ? てっきりその時俺何かしたのかと思ってたんだけど、この様子だと何か違いそうじゃない」

 もう一度溜め息を吐く。

「考えるだけ時間の無駄だったなあ、って」

「…………へえ」

 それは、どこか危険な響きのある声だった。

「言うじゃない、この状況で。余程危機意識に欠けてるのかしら」

 宙に浮く毛玉からパリッという音が聞こえた。

 ――違う、これは毛玉じゃなくて、

「舐めてんじゃないわよっ、サンダークラウドォッ!」

 金の霧のミスティは、雷系。

 毛玉、いや雷雲が放電した。

 ドシャアアアアンッ!

「……かふ」

 落雷を受けばたりと倒れる。その俺に荒い息を上げながら明野が叫ぶ。

「何が『最高のオーナー』よ、何が『最強のミスティ』よ! いつまでも調子に乗らない事ね! すぐにこのあたしが化けの皮剥いであげるわ!!」

「……どっちも自分で名乗った記憶は無い。ここに来てから周りの奴が勝手に言ってるだけだ、欲しけりゃ持ってけ」

 むくりと上半身を起こす。同時に身体のチェック。身から上がっていた煙は治まり電撃の痺れはもう取れた。我が身体ながら呆れる耐久性だな。

「いずれは手に入れる予定よ。でもとりあえず今はあなたがそれ程の人間じゃないと確かめるのが目的かしら。さあ、そうと分かったら見せなさい、あなたの全力を」

「断る」

 速攻で拒否した。明野の眉が跳ね上がる。

「そう、あたしには全力を出すほどの価値も無いってこと」

「いちいち訂正したくもない。どう思おうが自由だ。ただし、その結論から出た如何なる感情にも巻き込んでくれるな。そんな他人事に付き合うつもりはない」

 立ち上がる。と共に後ろへ跳びわずかに距離を広げた。

「そのくらいで雲から抜け出せると思わないでよっ!」

 わかっているさ。形を成しているものだけじゃない、あれはあくまで発生源。今俺は山の中で雲の中に入ったのと同じ状態だ。その中にいる限りどこにいても雷は当たる。

「サンダー――」

「レリ、スノウブレス」

 両腕で抱えたレリーフに指示する。レリーフの口から雪混じりの寒波が吹き出される。

「!」

 それを続けさせたままその場で一回転。それだけで周囲の雲は拡散していく。さらにそのまま二人へ向けて固定。ミスティには効かなくても人間は堪えるだろう。

「……確かにやるようね、一回見ただけでサンダークラウドの能力から弱点まで看破するなんて。一応、あたしの経歴に傷をつけただけのことはあるわ」

「!?」

 しかし予想に反して明野の声がはっきりと発せられたことに驚く。震えによる声の乱れ一つない。

「けど、それだけであたしとアライエスを攻略したと思ったら大間違いよ!」

 氷雪の向こうで電光が煌く。

FAフィニッシュアーツ発動、サンダードライブ!」

 ズバッと音がしたかと思う間もなく電撃が地面を走り迫ってくる。俺は跳躍と同時に寒波を吐き続けるレリの口を床に向けた。跳躍の高さを少しでも上げる為だ。

 しかしそれは結論から言うと無意味な行為だった。何故なら、地を走った電撃は俺が先程まで立っていた場所まで到達すると急に跳ね上がり俺へ一直線に迫ってきたからだ。

 空中。速度。回避不可。レリーフの技では迎撃不可。威力は先程の広域電撃以上!

 バチィイイイン!!

 電撃との衝突。奔る閃光。舞い上がる黒煙。

「…………」

 固唾を呑みこちらを探る明野。

「――“枝葉しよう氷柱つらら”」

 大鎌を横薙ぎ、黒煙を斬り裂いた。

 煙の中より現す俺の姿は、右腕と顔の右面が氷と化している。そして右手に握られるのはやはり氷の、しかし白銀の大鎌。

「レリーフ」

 名乗り上げと姿を認め、明野が確認するように訊いてきた。

「それは限定同調融合リミテッドシンクロシフトね」

「ああ」

 『シフト』。ミスティの中にはそう呼ばれる進化変身を遂げ、全く別の姿となる種が存在する。そのシフトには二種類あり、成長に因る一方通行の通常シフトと、器具や融合といった手段を用いた一時的なシフトが存在する。今俺たちが行ったのは後者、ミスティとオーナーの融合だ。

「……そうか。あの時、霧の中にいたもう一人はお前か」

「……気付いてたの」

 わずかに目を瞠る明野。こちらへの警戒心が少々高くなったように感じる。

「ええ、その通りよ。そこまではもう確認してるわ。見せなさい。その先、完全同調融合シンクロシフトを」

「断ると言った。他人の思い通りにされるの嫌なんだよ、俺は」

 駆けた。鎌を振り下ろす。角で応じるアライエス。二合、三合と打ち合い、ガキッと噛み合い再び拮抗。

「じゃあ無理矢理にでも引き出すわ。そして貴方たちを見極める。それが修道騎士たるあたしの使命よ」

「……使命とやらが何か知らないが、ストレス解消にかこつけるのはどうかと思うぞ?」

「!」

 ぼそっと呟いただけだったんだが、どうやらしっかり耳に届いたようだ。顔が紅潮しているのは羞恥か、怒りか。

 アライエスの体毛が膨れる。角が帯電する。

 先程の電撃は十分致命傷になり得るものだった。本気の攻撃、ならこちらが遠慮してやることもない。これ以上のお喋りは無用。痛いのも嫌いなんだよ。

 牙を剥く者は、潰す。

「“我が手には白銀の鎌”」

「!?」

 明野の表情が驚きに包まれる。しかしそれを問い質す気はない。今の俺にとってそれはただの隙だ。

「“下すは死神の裁き、そして――”」

「おっと、そこまでだ」

 チュインッ

 その声と音にうたは遮られた。示し合わせたように鎌と角を離し距離を取る。

 さっきまで俺が立っていた場所の真横、その床に黒い穴が開いていた。……パラボラレーザーか。

「やれやれ君たち、まだ授業中だっていうのに何をやっているんだい」

 振り向いた先に立っていたのはやはりキョウ。そいつの口調と表情は咎めているものではなくむしろ楽しささえ感じられる。

「ほら、生徒会長の目の前でいつまで喧嘩腰でいる気だい、明野クン?」

「周防こおりの力を見極めるというのは教会の意向です。先輩に邪魔される謂われはありません」

「ならば僕は学園側より学内のオーナーの統括を任された人間だ。ここで君が僕の警告を聞かずまだ学園の保護対象に攻撃を加えるというなら、上から教会側に抗議してもらう事になるな」

「…………」

 沈黙を了解としたのか、アライエスが帯びていた電気が沈静していく。それを確認して俺も融合を解いた。

「今回はこれで退きます。けどこれで諦めたわけじゃありませんから。特に周防君、ちゃんと覚えておきなさいよ」

「随分とややこしいことになってるみたいだな。ややこしいついでに一つ聞いていいか」

「どうもその自分には関係ありませんって感じの言い方が気になるけど、何よ」

「最早どうでもいいことなんだが一応はっきりさせとこうと思って。あんた、結局どうして俺の事敵視してるんだ?」

「……これでもね、はじめは敬意を払ってたのよ」

 ぽつりと苦々しそうに、恥部を暴露するかのような口振りで話し出した。言いたくないなら別にいいんだけど……まあいいか。

「七年前、当時『最高のオーナー』と呼ばれていた人間を破りその座を奪ったオーナーはその時まだ小学生だった。そんな人間に会えるというんだもの、期待しない方がおかしいってものでしょ」

 ところが、と続ける。

「転校初日に寝坊して遅刻しかけた上、学園では痴漢だのの噂が流れているわ、その真っ只中当人は半日寝こけているわ! あたしの『最高のオーナー』のイメージをグチャグチャにしてくれたのよあんたは!」

 THE・言い掛かりだ! 正当性の欠片もねえ!

「あっはっは、なるほどなるほど。だがこおりちゃんは前回の実力テストで君より上の点数を出しただろう。それなりに評価出来るのではないかね?」

 こおりちゃんヤメロ。

「だからムカつくんでしょうがっ! あたしはこんなのより劣ってるっていうの!?」

 こんなの呼ばわり来ましたー。

「ああ、思い出したらイライラしてきたわ。やっぱりここで決着つけましょう周防君」

「コラコラ、止めに来たと言っているだろう。さあ、早く教室に戻って遅刻しましたと素直に怒られるがいい」

「……キョウこそサボってるじゃないか、生徒会長の癖に」

「生徒会長だからこそ、堂々と宣言して抜けてきたのだよ」

 ああ、また獅子堂が怒り狂うな。

 と、視線を離した間に明野の姿は消えていた。気付けば霧も引いている。

「結局何だったんだ、あいつは。お前と同じ組織の奴か?」

「いや。彼女の所属しているのは『教会』という組織でね、この学園が所属する組織とは協力関係にはあるが、見ての通り一枚岩というわけでもないのさ」

 まあ俺の知った事じゃないな。それより俺も早く教室に戻らないと。

「授業、ちゃんと受けてるのかい」

 と、歩き出そうとしたところで話しかけられた。

「ああ。不真面目にしてて居候先に迷惑かける訳にもいかないからな」

「転校初日から爆睡してた人間のセリフとは思えないねえ」

「ほっとけ」

 今度こそ歩き出す。まったく、幼馴染みってのは何かと面倒だ。特にコイツには昔からいいようにされてきたからなあ、出来るだけ関わらないのがベストなのかもしれないけど……

「それこそ無駄な努力だな」

 疲れたような口振りで、けどどこか明るい声が出た。



 Return now


 入り廊下から屋上、非常階段まで手元の資料と見比べながらときに写真を撮りつつ見回っていく。ちなみにカメラマンは杏李先輩に任せた。

 すれ違う女子生徒から不審な目で見られた――と思うのは果たして被害妄想だろうか。隣に先輩がいるとはいえかなり肩身が狭い。

「女子寮になんてこれからも入ることはない、でしたっけ? 舌の根も乾かないうちに、とは正にこの事ですね」

「うるさい」

 あっ、もうひとりいたか。周りから見えてるかは怪しいが。

「何か不穏なことを考えなかったかしら、ヘンタイ」

「別に何も」

 背が低いっつーただの事実を……って足踏むな、痛い痛い。

「つーかなんで着いて来るんだ、お前」

「決まってるでしょう。女子寮に入り込んだ不埒な輩を監視するためよ」

仕事し・ご・とだっつの。誰が好き好んでこんなトコ来るか」

「どうだか。そもそも男子を女子寮に寄越すなんて……なに考えてんのよ、霧学ウチの会長は」

 それは俺も知りたい。「終わったら帰ってよし」の一言で了承した数分前の自分を出来るなら止めに行きたいくらいだ。ここまで精神的負担がかかると思わなかった……そのうち慣れるにしても、いや慣れたいと思わないが。

「石崎先輩ひとりでよかったんじゃないですか?」

 またも同意。

「いえ、私はただの付き添いです。ここの調査は全部こーりんにお任せします」

 途端、明野が胡散臭そうに俺を見た。

「警備システムを見直すだけだ、女子部屋に入るわけじゃない」

「こーりんってばつまらないのです。折角男子生徒にとって禁断の園である女子寮へ足を踏み入れたというのに浮き足立った様子一つ無いのです」

「仕事で入っただけだってのに何を期待する事があるっていうんですか」

「夏場ですと薄着の女の子が無防備に廊下を歩いていたりするのですよ」

「……ふうん」

 間に意味は無い。本当だぞ。

「このムッツリ」

「ムッツリ野郎さんですね」

「うるさいっ」

 別にいいだろ、俺だって男なんだし。

「こんなのに任せて二次災害が起きなきゃいいけどね」

「こころん、そう簡単に成果なんて出ませんよ。エッチなこーりんが女の子の秘密の園を公的に観賞なさってこのお仕事はおしまいです」

 ……キョウよ。お前の人選は実に適切だ。これで何も仕事せず終わったらからかうネタを一つ提供することになるわけだ。誹謗中傷なんかで負うダメージなんて欠片ほどもないが、わかっててからかわれるというのはそれなりにストレスが溜まる。

 結局またキョウの思惑通りか、くそ。



 自分の適応力の高さはつくづく異常だと思う。いや耐性、あるいは鈍感力か。

 調査が終わる頃には女子寮の空気なぞ欠片も気にならなくなっていたんだから。

「こんなとこ、かね」

 結局不審者が入り込めるような死角は見つからなかった。まあ、真面目にやろうがやるまいが無いものが出てくることはないってことだ。

「侵入経路は分からずじまいですか」

「文句があるなら自分で探してください」

「いえいえ。となるとやはり内部犯でしょうか。談話室までは男子がお入りになるのも許可されていますし」

「あとは業者とか、か」

 まあ、そこから先を考えるのは俺の仕事じゃない。

「あたしはもう帰るわ、これ以上いてもやれることもなさそうだし」

 そう言って外に出ようとする明野にあれ、と思う。

「オーナーは寮暮らしなんじゃないのか?」

「それは『ブリッジ』の管理下にいるオーナーの話よ。あたしは別組織。寮入りなんてしたら行動に支障が出るだけだわ。今日は友達から話聞いて来ただけよ」

「ブリッジ?」

 そういやさっきもそんな名前出てたが。

「この学園の所属する組織の名称ですよ。『人間とミスティの架け橋』です」

 そんな説明を聞いてる間に明野は出て行った。ガラス戸から見える背筋をぴんと伸ばして歩く後姿が遠ざかって消えていく。

「姫さんとはまた違うタイプでこーりんに厳しいですね」

 その言葉は無視して先輩に書類を押し付けた。

「っと」

「調査も終わったし帰ります。気付いた事とかそこに書き込んでおきましたので持ってってください」

「はい、構いませんよ。どうせ生徒会室に戻るところでしたから」

 二つ返事の了承を受け玄関の扉へ向かう。

「こーりん」

 その背中に声をかけられた。無言で振り向く。めくった書類で隠れ表情は見えなかった。

「こーりんには皆が期待しています。私やキョウさんだけでなく、本当に皆が、です。彼女もきっと、『最高のオーナー』という者に期待を持っていた一人だということ、覚えておいてください」

「他人の期待に応える気はありません」

 すらりと、まるで条件反射のようにその言葉が出た。遥香さんら、その『ブリッジ』とやらがどんな理由で俺をこの街に連れてきたか知らないが、目の前にいる先輩が言ってもこの反応だ、何処の誰とも知れない『皆』の期待なんて知った事ではない。

「……そうですか」

 彼女は顔を隠したまま、静かにそう言うのみだった。

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