エピローグ

 Another eye


 深夜の学校。本来ならとうに誰もいなくなってるはずの校舎に動く影が一つ。幽鬼のような足取りで荒い呼吸を立てながら歩いている。

「くそ、どいつもこいつも馬鹿にしやがって、俺はこんなもんじゃねえぞ!」

 目は血走りセットした髪は崩れ鼻血を拭く事もしない。

「力だ。もっと強い力だ。それがありゃああんなガキに舐められる事も――」

 ――くすくす。

「誰だあ、笑ったのは!」

 怒鳴り声が無人の廊下に響く。ぜえはあ、と息を切らす音が響く。

「そりゃ、だってさあ」

「ねえ」

 いつの間にか、それはそこにいた。

 髪から靴まで白い少年と、

 髪から靴まで黒い少女が、

 手を繋いで影の後ろに。

「あまりの無能っぷりなんだもん、仕方ないよ」

「おまけに危うく『光竜』を殺しそうになるんだもん、救えないよね」

「なんでこんなのにミスティあげちゃったんだろ?」

「ほんと、無駄にしちゃったよね」

 罵倒されている。貶されている。見下されている。なのに、

 影は呻き声一つ出す事ができない。汗の落ちる音を聞いたとき、初めて震えることを思い出した。

 気付いたときには、世界は白い霧に包まれていた。

「これはお仕置きが必要だよね」

「ダメだよ、そんなこと言っちゃ。怖がって震えてるよ」

「じゃあお仕置き、しないの?」

「まさか」

 くすくすくす。

 ずっ、と、空間を割り裂くように巨大な剣が突き出てくる。

「「サヨウナラ、大根役者さん」」

 影と神々しき剣が重なり、影は二つに分かたれた。



 霧群学園学生寮。女子寮の談話室にあるソファに獅子堂優姫はどっかと腰を下ろした。

「ふう」

「あら、姫さんじゃないですか」

 眼鏡を掛け直してから声の方へ振り向くとそこには普段着姿の石崎杏李がいた。飲み物を手に優姫の向かいに腰掛ける。

「……姫は止めてと言ってるでしょ」

「どうしましたそんな格好で、姫さんらしくもないですよ」

 憮然とした文句をさらりと聞き流す杏李。対して問われた優姫の格好はノースリーブにタンクトップといったラフな格好で、肩に掛かっているバスタオル、濡れた前髪、曇り気味の眼鏡から風呂上りということは一目でわかる。

「……何かおかしいかしら? 暖房が効いてるから特に寒くはないけれど」

「おかしいですよ。いつもの姫さんなら他の人がそんな格好しているのを見たら間違いなく「だらしない」って注意していますよ」

「……そこまで四角四面ではないつもりだけれど」

 そう言いつつもなお、はあと溜め息を吐く優姫。

「お疲れのようですね」

 先輩に対する敬語も忘れるくらいに、と思ったが指摘しない。

「……そうね。寮に帰ってからも一騒動あったし……それでなくても最近は心労が増えてるっていうのに」

 同時に二人の頭に転入生の姿が上る。

 眉間に皺を寄せる優姫。

 クスクスと微笑わらう杏李。

「キョウさんといい、お守りご苦労様です」

「本当……いつも真面目にやってくれればどっちも苦労しないのに」

 その言葉に杏李は「あら?」と思う。

「何ですか?」

「いえ。姫さんは、こーりんの能力に疑問がお有りで、生徒会入りを反対されていたのではなかったのですか?」

 その問いに優姫はぴくりと表情筋を強張らせる。が、すぐにそれを治め、

「あの実力テストの結果を見て考え直しただけよ。会長の気まぐれは思わぬ拾い物だった……とは思えないわね」

 と話の矛先を別の人物へ移した。それに気付いていながら、杏李も乗る。

「そんなに勘繰るのでしたら霧群学園最強の武力を以って問い質してみればいいじゃないですか」

 こおりと京之介が幼馴染みである事を知っている杏李がいけしゃあしゃあとそんなことをのたまった。

「……どうしてこう、うちの学園って優秀な人に限って人格に問題があったりするのかしらね」

 そして三度溜め息を吐く。

 私立霧群学園二年、生徒会副会長獅子堂優姫。またの名を霧学一の苦労人。



「お疲れ様です、遥香さん」

「うん、もぉくたくたよぉ」

 事務員からコーヒーを受け取った桜井遥香は休憩室のソファに深々と座り込む。

「またしばらくここに拘束されるのかぁ。改めて思うわぁ、職場間違えたって」

「お給料はいいですけど」

「今はお金なんかより青春の方が大事! 二十台なんてあっという間に過ぎていくんだからぁ!」

 泣きべそをかきながらテーブルを引き寄せ、弁当の蓋を開けた。

「ぐすん、いただきまぁす」

 もぐもぐと咀嚼する事数口。

「……お弁当の味、落ちた?」

「いいえ、変わらないと思いますけど」

「……そっか」

 寂しげな瞳をしたかと思うと、その表情をきりりと引き締めた。

「残存個体数は?」

「本日0時時点での105体から98体まで減少しました」

「百切ったんだ。シフトした個体も増えてるはず。しばらくは減少が早くなるかも」

「塀川部長もそう仰ってました」

 そして二人は同じ方向を見る。その先、何枚もの厚い壁で区切られた先にそれはいる。

 何体もの念系ミスティで創り出した空間に隔離幽閉した、それ。

 『最悪のミスティ』。

「……早く、毎日こおりくんのご飯を食べたいな」

 呟いて、弁当の続きを食べ始めた。


 Another eye end



『今日は大変だったねこおりちゃん』

 その言葉で今すぐ電話の向こうの男を殴りに行きたくなった。

「いい度胸してるな、キョウ。高みの見物は楽しかったか?」

 そもそも、あの『霧』の中は一種の異世界だ、携帯が通じるわけがない。特殊な手段で、何者かが中継しない限り。

『はっはっは。しかしだよ、こおりちゃん。輝燐クンはいの一番にキミへエマージェンシー・コールを送ったんだ。ならば、本人の意思を尊重すべきだろう?』

「……もっともらしいことを」

 溜め息。同時に確信。やはり、こいつらはまともに俺を『守る』気はないらしい。むしろ……

「……そういや、その輝燐だが。お前、あいつになんか喋った?」

『ああ、こおりちゃんの昔のことを少々』

 他人のプライバシーを漏らしたってのに悪びれもせず肯定か。別にいいけど。

『自分の口から話すよりはよかっただろう。どうだい、お節介の甲斐はあったかな?』

「どうでもいいよ。ただの事実だし」

『……ふむ。まあいいか。僕としてはこおりちゃんが生徒会の仕事をしてくれるだけで満足さ』

「生徒会の仕事? そんなに人手不足には見えなかったが?」

『オーナーの護衛に決まってるじゃないか』

「は!? やらないっつってるだろ」

『やったじゃないか。今日、牧野教諭の魔の手から、輝燐クンを見事守ってくれただろう』

「ありゃ成り行き上、」

『今後その成り行き上がどれだけ積みあがっていくのだろうねえ、はっはっは』

「ふっ、ざけ」

 ツーツーツー

 笑い声を耳に残して切りやがった。怒りをぶつけるように携帯をベッドへ叩きつける。

「ったく」

 部屋からリビングに戻りながら、ふと、あのメイドの素性については、結局話題にも上らなかったなと思案する。

 キョウも霧の中で起きた事の詳細は把握してないのか。全く想定外で、本当に知らないヤツなのか。それとも、知ってて黙ってるのか。

 ……どうでもいいか。

 皿を洗って、それからアイスでも食べよう。



 ……石崎先輩との会話は、疲れる。あるいは、会長の相手をする以上に。

 本当に意地が悪い。言葉の端々に平気で毒を混ぜてくるし、姫はやめろと言っても聞かないし、さりげに自分のスタイルを強調してくるし。

 撤退のタイミングも完璧。こちらの青筋が切れそうになる直前でそそくさと部屋に戻っていった。わざと走って戻ったのは、怒りのまま大声で注意させて、多少のガス抜きを図るためだったというのは、怒鳴った後で思い至った。

 物腰穏やかな表の性格。

 毒吐き腹黒な裏の性格。

 これが石崎杏李。

 でも、ときどき思う。

 これが、石崎杏李なのか、などという根拠もない疑問を。

 …………。

 ただの直感。答えを出す気もない。そこまであの人に踏み込む気は、私にはない。私があの人と関わるようになったのは去年(今年度)生徒会に入ってからの約三ヶ月、しかも偶に顔を出される程度であり、そこまでの関係性を築いてはいない。少々辛辣な言い方をすれば、

 他人に過ぎない。

 ――あの転校生も、そのはずなのだけど。

 周防の能力が高いなんてことは、に『理解わか』っていた。

 わかっていて、反対した。

 今、周防に関わるのは、単に生徒会役員や問題児という理由だけじゃないという自覚がある。

 そこまで思考したところで、部屋の前に帰りついた。自然な動作ルーチンワークで鍵を差し込んで、

 開いていることに気付く。

「…………」

 思考を正常に戻すのに半秒。集中して中の気配を探る。

 ……一息吐く。勢いよくドアノブを回して扉を開く。

「勝手に来るなと言ってるでしょ、サフィエル!」

「あっ♪」

 いきなりの怒声にも、部屋の中にいた人物は驚くどころか満面の笑みを浮かべる。

 褐色の肌、エメラルドの瞳。しかし、世俗一般に照らして真っ先に注目が行くのはその格好だろう。……私の実家では珍しくもない格好なのだけど。

 メイド服。

「お帰りナさいマセ、オネーサマ」

 礼儀正しく礼をする従者を半眼に、まず不法侵入の説教だな、と眉を吊り上げた。



 閉じかけた扉に足を挟んで押さえた。

「ひゃうっ? こ、こおりちゃん?」

 慌てて扉から離れる輝燐を追って部屋の中に侵入。

「輝燐――」

 そして、出来るだけ優しく、言った。

「あの馬鹿、出せ」

「は、はいっ!」

「――!?」

 輝燐はとても素直に、ベッドの下に潜り込んでたレリを引きずり出してくれた。いい子だ。

「レ・リ?」

 ぷるぷる震えるレリを両手で受け取る。そして、

「ま・た・お・ま・え・は・ひ・と・の・ア・イ・ス・ま・で、食いやがってぇっ!!」

 ぎゅーーっと、おもいっきり左右に引き伸ばした。

「――! ――、――!!」

 ギブ? 知るかっ!

 それから約一分、解放されたレリは涙目で陽炎の中へ逃げていった。

「……ったく。匿うなよお前も」

「いや、なんか慌ててたからつい……って、こおりちゃんも女の子の部屋勝手に入ってこないでよ!」

「んぐ。悪い」

 また鉄拳制裁されちゃたまったもんじゃない。とっとと退散しよう。

 ――あんまり邪魔するのも悪いし。

 と踵を返す、その前に、

「こおりちゃん」

 呼び止められる」

「ん?」

「ありがとね、助けてくれて」

 と微笑んで言った。

「ああ、気にすんな。俺のとばっちりみたいなもんだし」

「だけじゃなくて、こないだの事」

「?」

「ありがとね、ボクのこと止めてくれて。大事なもの、失わないで済んだよ」

 そう言ってベッドに座っていたそいつの頭に手を置く。そして俺は遥香さんの言葉を思い出した。


『うん。もう大丈夫だよ。こおりくんがしっかり守ってくれたから』


 ……ああ、そういうことか。

「あれこそ気にすんな。それこそただのお節介だ」

「もう」

 苦笑する輝燐。さらに溜め息を吐く。

「でも情けないなぁ。助けられてばかりじゃない。ボクの方がお姉さんなのに」

「ああ……それなら本当に気にする必要ないな」

「え?」

 そう、本当にどうでもいいこと。だから今まで言わなかったけど。

「キョウから聞いたな? 『事件』のこと」

 数日前の二人の会話を思い出す。あの時、輝燐はどんな表情をしてたっけ。

「えっと……」

「その直後俺は半年以上眠っててな。その間当然学校には行けなくて、一年遅れてんだよ、俺は。つまり」

 偉そうな態度で、

「俺の方が一つ歳上って事だ」

 笑っていたっけ。

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