第七話 後味の悪い後始末

『こおりくんってば朝弱いから起こしてあげてね。情け無用なのです』

 そのメールを受け取ったのは寝る直前だった。

 この時点で気付くべきだった。遥香さんからのメールの癖に『優しくキスして起こしてあげてね❤』とかそんな甘ったるい言葉が使われていない時点で、この任務の過酷さミッション・インポッシブルに。

 翌朝、部屋の中から響いてくる目覚まし時計の大合唱はもはや公害の域に達していた。いや、これはもう起きてるでしょ……と思いつつも、そっとドアを開けてみると、

 ――レリーフがこおりちゃんにのしかかっている……!?

「!」

 バッと部屋の中に踏み込み、球根へと手を伸ばす。しかし、額の透き通る葉はそれより速く動き――

 ぺちーん

「…………」

 ぺちーん、ぺちーん

「――! ――! ――!」

 往復ビンタをかましていた。ヒュー、ヒューと聞こえてくる風の吹くような鳴き声を良心に従って解釈するなら、「起きろー! 寝坊するぞー! 遅刻するぞー!」かなぁ。

 とりあえず、このクソやかましい目覚まし時計を一個一個止めていく。そのうちにボクの姿に気付いたのか、レリーフがボクを潤んだ目で見上げていた。

「――、――!」

 アテレコするなら、「おお、あなたが救世主メシアか!」……流石に大袈裟かなぁ。

 レリーフがこおりちゃんの上から飛び降り、場所を空ける。そんな外野のやり取りも知らず、すやすやと寝こけているこおりちゃんにボクはメールの通り、情けも容赦も一欠けらすら含まない踵落としを鳩尾に叩き込んだ!

 ドゴオオオンッ!

「…………」

「…………」

「……………………ぐう」

「呻き声すらナシ!? ちょっとこおりちゃん起きてよ!」

「――」

 レリーフは言う、「神は死んだ」……って、アテレコやってる場合じゃない!

 それから格闘する事二十分後の事だった、こおりちゃんが寝ぼけ眼で起き出したのは。……遥香さん、どうやって起こしたんだろう。きっと『情け無用』っていうのはいろいろ恨み辛みが込められた言葉だったんだろうなあ……。

 っていうかボクこれから毎日こんなのなの!?



 三日目にしてはじめてこおりちゃんと一緒に家を出た。駆け足気味で学園に向かう――みたいなポーズを取る。

「ちこくちこくー」

「いや、まだ十分間に合うって」

「ちこくちこくー」

「って言いながら走ってもいないじゃん。遅刻なんてしないって」

「こおりちゃんが寝坊してちこくー」

「……ごめんなさい」

 不快そうに眉を顰めつつも謝ってくる。んむ、当て付けはくらいにしとこうか。

「……こおりちゃん、今までどうやって起きてたの?」

 でもこれは訊いときたい、今後のためにも。ところがこおりちゃんはあからさまにこちらと視線を合わせようとしない。

「……あの?」

「耐性ってわかるか?」

「……えっと?」

「はじめのうちは半分くらいだったんだよ……目覚まし」

「…………」

 もうなんて言ったらいいのか、言葉が出なかった。もはや朝の格闘は避けられないらしい。

「……いい運動になるよ」

「早起きなんてする奴は気が触れてる」

「ボク毎朝早起きしてランニングしてる」

 有り得ないモノを見る目された。そっくりそのままお返ししたいけど泥沼になるだけだし、堪える。

「なんていうか、昨日のこおりちゃんと比べて……みっともない」

「そりゃ昨日のお前が相当みっともなかっただけのことだろ」

「……おっしゃるとおりデス」

 ……話題の振り間違えた。ちょっと気まずい沈黙が流れる。学園に着くまでこの空気のままってのは、ちょっといたたまれない。

「………………誕生日は!?」

「……んあ?」

 唐突な振りに間の抜けた声が返ってきたけど構わずもう一度訊く。

「誕生日は!? 何月!?」

「十二月だけど」

「ふふんっ、ボクは八月だよ!」

 偉そうにのけぞったボクを不審そうに見てくる。ううっ、怯むな、ボク。

「それがどう――」

「つまり、ボクの方がこおりちゃんより早く生まれたの! 遥香さんはキミのこと『お兄さん』だなんて言ったけど、ボクの方が『お姉さん』なんだからねっ!」

「そう」

 すっごいどうでもよさそうな返事が来た。ちょっとくじけそう。

「……お前さ」

 と思ってたら向こうのほうから話振ってきたよ。

「うんうん、何?」

「昨日まで蛇蝎のごとく嫌ってた相手に対して、少し変わり身早過ぎないか?」

「…………」

 今一番言われたくないことをピンポイントで……

「初対面からそうだったけどさ、こおりちゃん、人の地雷踏むクセなんとかした方がいいよ。いつか逆ギレされるから」

「よく言われる。で、答えたくないなら別にいいけど。結局他人事だし」

「……それもなんかムカつくなぁ」

 クールと根暗って紙一重だと思うよ、こおりちゃん。

「……憑き物が落ちたっていうのかな」

 それでも、話さないという選択肢はなかった。

「こおりちゃんに散々打ちのめされて、憎悪みたいなものがどっかいっちゃった。だからって今までのことをすぐ割り切れるもんじゃないけど、少なくともあいつのことを前向きには考えれるようになったカンジ」

「……で? それと今俺と普通に話してることがどう繋がる?」

「そりゃ、一応こおりちゃんは恩人ってことになるんだし、邪険な態度取れないよ」

「マゾか、お前」

「違うよっ! ……わかってて言ってる?」

「と言われてもな。実際俺がやったことってお前を罵倒しただけだろ。感謝される謂われが無い」

「そう言われると確かに腹立つけど……ねえ、もっとスマートなやり方なかったの?」

「そもそも俺はお前の事情にまで介入する気はなかったんだ。それを逃げ道塞いだのはお前自身だろうが」

 そうでした。

「運が悪かったな。俺の嗜好に強制的に合わせられたようなもんだろ、お前」

「そういう風に言うのはどうかと思うよ。ボクにはキミの理屈なんて全部無視して続ける選択肢もちゃんとあったんだし」

 そう言っても処置なし、と言いたげに肩を竦めるだけ。こおりちゃんの頑固さはそれこそ昨日の件でよくわかってる。しょうがない、ここはボクが折れることにしよう。

「……じゃいいよ、別の理由で」

「うん?」

「ご飯が美味しい。それじゃダメ?」

「いいや、納得」

 肩を竦めたのは同じ。でも雰囲気はさっきよりずっと軽かった。



 そんな感じでわりと久しぶりの清々しい朝。長年心にあったトゲが抜けて、まだ違和感があるけど時間が経てば消えていくもの――そう思える。今なら優姫先輩にも勝てるかもしれない。百パーセント錯覚だけど。

 そんな感覚は教室に入った途端、いっぺんに消え去った。

 昨日戦った痕跡は何処にもない。学校側が隠蔽工作をしたのだろう。けどそんな非日常(こと)はどうでもよく、今問題なのは日常でも十分起こりうる出来事。

「…………」

 机に書き殴られた罵詈雑言の数々。そして、

「んー」

 机の主は机の中を覗いただけでその後は何事も無かったかのように席に着いた。

「……こおりちゃん」

「ん?」

 反応したこおりちゃんの表情はボーッとしている。別にショックを受けてのものじゃない。普段とまったく変わらない、そう、まるで目の前のこと全てがどうでもいいことであるような――

「怒らないの?」

「何を?」

 その答えに、逆に、全く理不尽にボクの方がこおりちゃんに怒りをぶつけていた。

「見ればわかるでしょ! こんなことされて怒らないの!? 悔しいとか悲しいとか思わないわけ!?」

 平手で机をばんっと叩いた。その音と怒鳴り声に教室中の視線を感じたけどそんなの気にしてらんない。

「ああ。別に机の模様が変わった位で叫ぶ事もないだろ」

 さらりと。本当にたいしたことではないと。

 頭が冷や水をぶっかけられたようになって、

「異臭のするものが入ってたわけでもなし、誰の迷惑になることもないだろ」

 震える唇から出た言葉は、

「……どうして」

 理解できないものへの問いだった。

「どうして何も言わないの」

「何を言えって?」

「わかってるんでしょ、誰があの噂流したかなんて!」

 わかんない、なんでボクがこおりちゃんを責めてるの?

「誰のせいでこんな事になってるか、わかるでしょ! こんな酷いことしたヤツが目の前にいるんだよ、怒りなよ!! 殴りなよ!!」

 リフレインするのは幼少の記憶。化け物と蔑まれた頃。

 あんな噂を流せばどんな結果が訪れるか、身を以って知っていたはずだった。わかっていたはずだった。それを知らない振りして自分の憤りだけを晴らそうとした、その罰。ボクにはそれが与えられて然るべきなのに。

「それか」

 目の前の少年の口からはまったく理解の及ばない言葉だけが響く。

「いい人払いになって好都合だった」

 むしろそれこそが罰なのかもしれない。

 地に足がついていない感覚がして、よろめいて机に手を着いた。顔を上げるとこおりちゃんの顔をまっすぐ捉えてしまった。その目が、話し相手であるボクを見ているのは間違いないはずなのに、思ってしまった。


 この人の、一体どこを見てるんだろう?


 ぞくり、とした。

 ああ、そっか。

 初めから、この瞳が気に入らなかったんだ。

「これから、もっとエスカレートしたら、とか考えない?」

 声量は抑えられたが、今度は強張っていた。

「まあ、誰かに迷惑が掛からない範囲なら。所詮俺の事だし」

 まるで他人事のように――いや、他人事なんだ。

 他人に興味がないとかいうレベルじゃない。こおりちゃんにとっては何もかもが他人事で、自分の事すら、もしかするとそれが一番他人事なんだ。

「…………」

 言っても無駄だ。少なくとも今は。

 ガラガラ、バンッ! ……ガラガラッ、バンッ!!

 一度教室を出て速攻で戻ってきた。手には濡らした雑巾を持って。

 机を拭き始める。こおりちゃんは何も言わない。ただボクの邪魔にならないように席から離れただけ。申し訳ないような顔も迷惑そうな顔もしていない。そもそも興味すら持っていない。

「おはー! ん、どうしたー! ……わ」

「おいおい、こりゃ穏やかやないで」

 登校してきた伊緒と啓吾が驚きの声を上げた後、すぐに手伝ってくれた。本当にいい友達だ。

 拭きながらその顔を親の敵のように睨む。そして宣言した。

「ボクがこおりちゃんを変えてやる。その見事な他人事っぷり、絶対に矯正してやるんだから!」

 こおりちゃんがボクの憎しみを否定したように、ボクもこおりちゃんを否定してやる。その瞳にボクを映してやる!

「りん、ツンデレかー?」

「ぶっ!?」

 ちょ、この娘はまたなんて発言を!

「ほう、これが流行の……。いや、輝燐はんはきっとそうだろうと思っとったわ」

「ちっがーーうっ!」

「あぶしっ!?」

 顔面への正拳突きに啓吾が倒れる様子も、その煽りを喰って机が倒れる騒音も、こおりちゃんには他人事のようだった。



「というわけで、何とかしてください」

 しかし、そう決意した一番初めにやることが人頼みっていうのは、我ながら情けない気がする。

「まあ、困ったことがあれば頼ってくれと昨日言ったばかりだしな」

「これ以上大事になる前に収拾をつけたほうがよろしいですものね」

 という訳で休み時間、遠見会長と杏李先輩に連絡をつけたところ、生徒会室にて秘密の相談と相成りました。

「うむ。怖い副会長が介入する前に片を付けたい」

「ですが、既に一人歩きしている噂をお止めになるのは、到底不可能だと思われるのですが……」

 その辺は一応考えてある。やっぱり人任せだけど。

「あれでどうにかならないですか? ほら、会長のミスティのす、すぺ……」

「スペシャルアビリティ――SA。ミスティ一体につき保有する三つの力のうち、二つのアーツとは異なる、所謂特殊能力だな」

「……ボクのミスティ、一つしか使ったことないケド」

「それはノーマルアーツ――NAだろう。人間と共生しているミスティが、唯一オーナーの指示無しで使用できるアーツだからな」

「え? でも」

「ミスティと話せるなら残る二つのアーツがどんなものか自然と把握できる。そういうものなんだよ」

 質問を先取りされた。確かに、ボクはまだ自分のミスティと話せていない。だから名前も知らない。当然能力のことなんて知るはずもない。あいつが、どんなヤツかってことも。

 ……向き合わなきゃ、だよね。

「……気持ちは分かる。自分のミスティを拒絶する人間というのは決して少なくない」

 会長のその言葉からはどことなく哀愁が漂ってきた。そんな空気を払うように、杏李先輩がパンパンと手を叩く。

「お二人とも、今お考えになることはそれではないと思われますが?」

「……うむ、すまないな杏李女史」

「構いませんよ、わたくしはお二人の先輩なのですから。それで、どうでしょうキョウさん?」

「ふむ、意識結界か。確かに噂を一つの流行と考えれば、立ち消えさせるよう誘導するのは難しいことじゃないな」

 その言葉にほっと一息。しかし、

「だが、それで万事解決といくかな?」

 すぐに雲行きが怪しくなる。

「……どういう意味?」

「段階が早過ぎる。輝燐クン、確認だが……キミが流した噂はなんだね?」

「……そこを疑われるのは心外なんだけど」

「輝燐クン。キミが流した噂も誹謗中傷であることに変わりないんだよ?」

 うぐ。その通りです。

「彼の幼馴染みとしては大本の原因であるキミに正直呆れているが……それでもまだ僕で良かったと思うよ。これが『彼女』の耳に入ったらと思うと、胃が痛くなりそうだ」

 その言葉に瞠目する。あの優姫先輩相手ですら飄々としているという噂の会長が、そこまで苦手意識を持つ相手!?

「その人、いったいどんな――」

「おおっと、また話が大幅にズレているじゃないか! いやぁすまない!」

 うわっ、強引だなぁ。

「あらあら、気を付けないといけませんよ?」

 杏李先輩が口元を隠してクスクスと微笑わらう。暗に「退いて」ってことだろう。会長のハハハという笑いもどこか乾いてる。黒いなあ……。

 そのやり取りの直後、二人ともすぐに切り替えたのは流石だ。

「キリンさんが噂を流されて、次の日にエスカレート、三日目には中傷の落書き……確かに早過ぎますね」

「ああ。これは……所謂愉快犯ではないのかもしれない。特定個人を対象とした悪意、つまり」

「こおりちゃんに何か恨みがある、とか? 引っ越して来たばかりなのに?」

「昔の恨みというセンがあるだろう。ここは彼の地元だ。しかも敵が多いタイプ――」

「キョウさん。私の『友人』を疑っていらっしゃるのですか」

 ビックリした。杏李先輩のこんな厳しい声をボクは聞いたことがない。いや、全校生徒の殆どがないはずだ。

「――いや、失礼。誤解を招く言動だった。謝罪しよう」

 それは長いこと生徒会で一緒に活動してたはずの会長も同じだったみたいだ。

「……別に構いません。『例の事件』の関係者を真っ先に疑うのは当然ですから」

 誰のこと、なんて聞ける雰囲気じゃもちろんなかった。

 そして今さら、ミス研繋がりで伊緒を通じて知り合ったこの先輩のことを全くと言っていいほど知らないことに気付いた。

「……どうだろう。ここは当面の噂を消すことだけに留めるというのは」

「え、でもそれじゃ」

「落書きの犯人は見つからないな。火種を残したままにするのは確かに不安だ。しかし噂に便乗したような人間だ、果たして噂が立ち消えた後でもそんな目立つ行動を取るかな?」

「……うぅん」

「そうですね。少々楽観的ですが、どちらにせよ今出来ることはそれくらいしかないのではないでしょうか」

「……うん。ボクもそれでいいと思います」

 目的を履き違えちゃいけない。落書きの犯人を見つけるよりこれ以上の被害を食い止めるのが優先だ。……当のこおりちゃんは被害とすら思ってないけど。

 どこの誰だか知らないけど。せめて姿を現さないとこおりちゃんの心に細波さざなみひとつ立てられないみたいだよ?


 翌日、テレムスの能力が効果を発し、噂がピタリと止まると同時に犯人を追及する手立てもなくなった。

 だが、この事件は後に新たな形で再燃することになるのだが、それは今は別の話である。

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