第六話 対決――あるいはただのコント――と戦後処理

 カツン……コツン……

 黄昏時の校舎。元々無人の場所が、さらに『霧』によって外界と遮断され、今や完全な異界。その中でただひとつ、まるきり無警戒の調子で堂々と靴音を立てて歩いていく。無人に見えてもこの場には他の人間が存在し、さらにその人間に標的ターゲットにされていると理解した上で。

『つくづく唯我独尊だよね、こおりって』

 腕の中から半分呆れたという声が投げられる。

「そう見えるんだろうけどさ。逆に言うけどわざわざ潜んで行動する意味ないだろ? さっきの挑発は完全にこっちの位置を掴んだ攻撃だったし」

『じゃなくてね、あの娘の事』

「……うん?」

『向こうの事情に頓着しないでこっちの意思ばっかり押し付けて――』

「しかも一般的に正しい……かはともかくとして、多数派なのはあいつのほうだろうな」

『それでもこおりは自分の正しさを押し付ける、と』

「押し付けねえよ。あいつの考えがどうだろうが、どうなろうがどうでもいい。ただ意思と意思がぶつかったから、俺は俺の正しいほうを貫いた、それだけだ」

 『人間』、そして『化け物』周防こおりの意思。それを俺自身が正しいと認識している限り、俺は絶対に意志を曲げることも、折れることもない。……まあ、唯我独尊とか自己中とかいう類だわな。

『どうするんだろうね、あの娘』

「さあ。二度と俺たちにこんな真似しないならどうでもいいよ」

 同居してるんでなきゃこんな説教の真似事なんてしていない。所詮他人事、あいつがどうするかなんて知った事じゃない。

 そんなことより状況への対処が最優先だ。そろそろさっきの波で感知したポイント。仕掛けてくるならこの辺りか――

 キラッ

 と、思った矢先、前方に光源。

 チュインッ

 今度は正確に、さっきまで俺がいた空間を貫通する光線。光が見えた瞬間、反射的に飛び退いていた。

 しかし、その行動は予測されていたようで、暗闇の中から小型の物体が飛び出し、

「プフウッ!」

 放射状に糸が吐き出された。被れば絡め取られて身動きが取れなくなることは容易に想像できた。

 が、予測していたのはあちらだけじゃない。既にこちらは敵の数を把握している。にかかったのは三人――そして二体。うち一人は傍観を決め込んでいた。つまり、相手は二組。それがわかっていれば、闇に紛れてもう一体が奇襲を仕掛けてくる、というのは簡単に予測がつく。

「スノウブレス」

 鎌から元の姿に戻っていたレリーフの口から雪風が吹き出された。それは糸を覆い、撥ね退け、その寒波は向こうにいる生き物――ぬいぐるみみたいなイモムシにもダメージを与えた。

「ピュイッ!」

 怯んだイモムシが戻っていく闇の先。そこから、

「あら、読まれていたみたいです」

 声と共に女性的なシルエットが静々と進み出てきた。

 闇に溶け込むような黒髪。場違いなほどに穏やかな笑みを浮かべたその女性の名前を、俺は知っていた。

「石崎先輩」

 ついさっき会ったばかりだからか、俺にしては珍しく名前がすんなり出てきた。まあ、インパクトも強かったしな。

「はい、こんばんはですこーりん」

「何の用ですか、こんな時間にこんな場所で」

「酷いです、こーりん。またお話しましょうとつい先程言ったばかりではないですか。それと、下の名前で呼んでくださって結構ですよ」

「いや、別に苗字でいいんで」

「名前で呼んでくださって結構ですよ」

「いや、だから」

「名前で呼んでくださって結構ですよ」

「…………」

「名前で」

「はいはい、杏李先輩。これでいいんでしょう」

 上品な笑みを崩さず頷いた。見た目に寄らず押しが強い。いや、元生徒会長で元ミス研部員とかいう変人を外見で判断するってのがそもそもの間違いなのか。

「そこの君たち、場の雰囲気を無視し過ぎだ」

 パンパンと手を叩きながら登場したもう一人の人間は――

「と言われてもだな、キョウ。無意味に場を緊迫させる理由もないんだが」

 遠見京之介。幼馴染みで生徒会長。そして、

「おや、いったい何故だね? 感動の再会を果たした幼馴染みに突然攻撃されるなんて、裏切りという世界の無情さに悔し涙を流すとともに敵意を剥き出しにするシーンだと僕は思うのだが」

 不敵に三日月のような笑みを浮かべるキョウ。その背後の闇からぬろっと現れた、人ほどの全長があるそいつの体型は手の生えたオタマジャクシ。ただし顔はモニター、頭の上にはアンテナがあり、背びれが生え、手の形、尻尾の先はスパナの様だ。そいつが宙に浮いている。

 俺や輝燐、それからそこにいる杏李先輩と同じ。陽炎の扉から生物を呼び出し共生する人間の一人だ。

「……悪いが、俺がそんなことをするシーンがまったく思い浮かばない」

「非常に残念ですが、わたくしもです」

「妄想力が足りないぞ、二人とも」

 いらない、そんな力はいらない。

「わかりました。是非その力を上げる特訓法を教えてくださいませ」

 ……今ここに腐女子が誕生する予感が。

「つーかな、裏切りとか演出したいならせめて殺気くらいはまともに放ってくれ。正直、こっちのやる気がだだ下がる」

 ぴたり、とキョウの笑顔が固まった。

「……難しいものだな。衝撃的な展開というものを心がけたつもりだったのだが、演出がむしろ逆効果になるとは」

 と、顔を伏せたのも一間、次の瞬間には、眼光の鋭さが若干増していた。

「テレムス」

 空中をウナギのように泳ぐそいつの名を告げるキョウ。その途端、アンテナの先にパチパチと電気が弾ける音と共に光が収束し始めた。こちらも若干気を引き締め、いつでも動けるよう身構える。さっきまでより近くなったこの距離で放出する瞬間を見極めて回避、なおかつ杏李先輩側にも注意を払うというのはなかなかに厳しい条件だが――

 と、その辺りに注意を払っていたから、予期せぬ行動への対応が遅れた。

 テレムスがぬるっと、空中を滑るように俺へと一直線に泳いできた!

 こちらに向けられているのはあくまでアンテナ。角のような硬さも鋭さも本来なら期待すべくではない。しかし、今はレーザーの発射前。収束されたエネルギーを身に宿したアンテナは、いわば高熱の槍に他ならない。そんなもので刺されるのは御免被る。

 迎撃か、回避か。

 回避を選択。この距離でアーツを撃ち合うのは危険だ。クリアカッター、スノウブレス、どちらも威力という点で決定打に欠ける。攻撃の為にレリーフを前面に出すのは、あのレーザーの威力と双方の距離を考えると避けたい。

 後退しつつ、アンテナの直線上から逃れるよう横にずれる。それでもこちらの後退速度よりテレムスが迫ってくるほうがわずかに速い。それにこのままどこまでも下がっていくわけにもいかない。

 反撃のタイミングを計る。右手には既にレリーフの鎌。狙いはアンテナそのもの。熱量を放射せず溜め込む、なんてのはアレの本来の役割じゃない。なら、今の状態は相当無理があるはず。おそらく、今なら容易に破壊できるはずだ。

 3、2、1――前傾姿勢で飛び込む!

 一気に距離が詰まる。アンテナがこちらへ向きを修正する前に斬り上げ――

 テレムスの背中から、俺の真上に飛び出す影。

 あれは、杏李先輩のイモムシ!?

「プファア!」

 糸――粘性の糸が降り注ぐ。今度は迎撃も回避も出来ず、絡め取られる。当然、存分に腕を振り上げることも出来ない。そして、こちらを捉えるアンテナ。

「パラポラレーザー」

 キョウの無情な声と共に、光線が俺の胸に突き刺さった。

「……!」

 熱さと衝撃に歯を食いしばる。糸は熱と威力で焼き切れ引きちぎられ、俺が吹っ飛ばされ転がる障害にはならなかった。

「……げほっげほっ」

 咳き込んで、痛みを覚えながら立ち上がる。制服の撃たれた場所が黒焦げになって穴が開いてるが、肝心の身体のほうは軽い火傷のみの軽傷だ。

「……確か、あの光線って鉄板を貫通しておられましたよね?」

 杏李先輩が頬に手を当てて驚き眼でこちらを見ている。おいこら、そこで驚くくらいなら止めろよ。死んでたらどうする気だ。

「本当にデタラメな力ですね、『異質』というのは」

「まあ、それ以上に『ミスティ』がデタラメなのだがね」

「……で、満足したのか? だったらさっさと帰りたいんだが。そろそろ買い物に行かないと、安売り品を買い損ねる」

「済まないが、今日は諦めて付き合ってくれたまえ。君だって、いろいろ聞きたいことがあるだろう?」

 ふむ。まあ、確かに今の面倒な状況について説明が欲しいとは思っていたが。

「悪いんだが、優先順位はこっちが上だ。時間が惜しい、さっさと終わらせよう」

 くいっと、挑発するように手招きした。キョウはそれを見て笑みを浮かべ、

「遠見京之介、“情報鰻”テレムス。行くぞ?」

「石崎杏李、“幼念虫”ワーミン。お手合わせ願います」

 二人揃って礼儀正しく名乗り上げ、杏李先輩が何か液晶画面の機械を取り出した。

「……周防こおり。“六花りっかの種子”レリーフ」

 こちらも同様に名乗り、逆手に持った鎌を突き出す。向こうには殺意も敵意もないが、戦意だけはある。そして、こちらを値踏みするような意思も。

 ……俺を試す、か。まったく、面倒な事をしてくれるもんだ。それなら、

限定融合リミテッドシンクロ

 に、見せつけてやるまでだ――



「…………」

 彼が去ってぽつんと一人になって。遠くで何かが壊れる音が聞こえて、でもここは寒いくらい静かで。

 ボクにはまだ、立ち上がる意思すらなくて。

 ぐっちゃぐちゃにかき回された頭の中。さっきまで確かに憎悪みたいなもので満たされてたそこには、今はぽっかり大穴が空いたみたい。

 考えが纏まんない。ていうか、まともな思考をしようとしてもすぐさまぼやけて霧散してしまう。

 ただ、ひとつ。焼きついたみたいに鮮明に残ってるのは、

 ボクを精神的にフルボッコにしてくれた当の本人の、後ろ姿――

「……きいぃ」

 か細い鳴き声。引き寄せられるように振り向いた。

 青い、ぬいぐるみみたいな生き物。こちらを心配するような顔で鳴いている。

「…………」

 見るたびに嫌悪と憎悪が浮かんできた、そのはずだった。でも、今は何も浮かんでこない。どういう感情を持てばいいのか、わからない。憎悪が消えたからといって簡単に割り切れるほど、ボクらの時間は短くはなかった。

 ただ、ボクはもしかしたら、

「……いいよ、心配しないで。大丈夫だから」

 初めて、こいつの顔をのかもしれない。

 ……本当に、なんとなく。何も考えず。

 ゆっくりと、手が伸びて、

 ――ドカンッ!

「ふひゃあっ!?」

 身が竦んで手が引っ込んだ。な、何? おっきな音と同時に校舎が揺れて、向こうから何かが――

「飛んできたあっ!?」

 しかもまっすぐボク!?

「とうっ」

 横っ跳びで躱すとソレは廊下に叩きつけられさらにゴロゴロと転がった。……うわぁ、痛そう。

 そのままピクリとも動かない。生きてる、よね?

「……痛い」

 あ、生きてた。うつぶせの状態から顔だけ上げる。って、

「……キミ、何やってんの?」

 よく見るとそばに目を回したおっきな球根――レリーフだっけ? が転がってた。どうやら一緒に吹っ飛ばされてきたらしい。

 と、背後でザッと足音。反射的に振り返る。

「……会長に、杏李先輩?」

 二人が――いや。二人と二匹が姿を現す。と同時にこの状況を理解して、咄嗟に身構え――

「ギブー。もーやめたー。俺の負けー」

 まったく緊迫感のない声で力が抜けてしまった。

「はい。意外と簡単に勝てました。びっくりです」

「ははは、まあこんなものだろう」

 ……なに、この和やかムード?

「ええと……キミたち、殺しあってたんじゃないの?」

「なんでそんな物騒な単語が唐突に出てくるんだ。こんなもん、ちょっとじゃれてただけだろーが」

「……そーゆーもん?」

「こーりんのじゃれあいは随分過激なのですね」

「もう少し危機感を持って欲しかったんだが……正直、喧嘩にすらなっていなかったなぁ」

「…………」

 ぐにっ

「おい、何故踏む」

「んー、なんかね。えらそーなことを散々言ってくれたクセにあっさり負けて帰ってきた誰かさんがムカついて」

 立ち上がろうとする動きを見せたのでさらに体重をかけてやる。うーん、なんかいいかも、コレ。

「ははは、なかなか屈辱的な光景じゃないか、こおりちゃん」

「……いや、俺としては今の格好よりその呼び方――」

「……いいかも」

「へっ?」

「うん! その『こおりちゃん』ってのしっくりくる! それ、貰うね!」

「伝染した!? 屈辱的だからヤメロって言おうとしたのに!?」

「うむ。特許は取得していない。存分に呼びたまえ」

「勝手に認めるなっ! ……いや待てそこの外面大和撫子、何をしとる」

 杏李先輩が携帯片手にこちらを眺めていた。

「はい、記念撮影です」

 その言葉と同時にフラッシュが焚かれる。液晶画面に、顔面を踏みつけられたこおりちゃんがバッチリ写されていた。直後、

「……もうどうでもいいから、さっさと帰らせろ……」

 何もかも諦めたように呟いて、床に突っ伏すこおりちゃんの姿があった。



「……というわけで、僕とこおりちゃんは運命的な再会を果たしたというわけさ」

「へえ、そうなんですか」

「キョウさん、その話はもう三回目ですよ」

「はっはっは、良い話は何度話しても良いではないか、杏李女史」

「ああ、そうですね」

 輝燐は話には上の空でただ相槌を打っている。その意識はリビングにはなく、俺がいるキッチンへと向けられていた。どうにもやりにくいが九十パーセント誇張で占められたキョウの話を全く覚えていないだろうことは幸いだ。

「ほら、出来たぞ」

 まずお盆に人数分のご飯、取り皿、ポン酢と大根おろし、柚子を乗せてテーブルに運ぶ。

「……ゴクリ」

 それだけでもう生唾を飲み込んでいる奴が一人。

「熱いから気をつけろー」

 そう言いながら今日買ったばかりの土鍋を鍋敷きの上に置いた。蓋を開けるとむわっと湯気が立ち昇る。中身はオーソドックスに水炊きだ。

 エプロンを外しながら席に着くと隣から声が掛かった。

「こおりちゃん……これ、食べていいのかな?」

「どうぞお好きに」

「いただきますっ!」

 言うが早いか具を片っ端から取り皿へと確保していく輝燐。ふーふーと冷ましながらポン酢につけた鶏肉を口の中へと放り込んだ。

「……美味しい。美味しいよこおりちゃんっ!」

「どうも」

 他の三名はがっつくこともなく普通に適量とって食べていく。

「ふぅむ、こおりちゃんが料理できるようになってるとは、意外だな」

「居候の身で家事もしないなんて迷惑者なだけだろう」

「それにしてもそこらのお弁当屋やファミレスよりずっと美味しいですよ」

「その手の食生活がどうにも気に入らないもので。となるとそれらより美味さで負けるわけにはいかないじゃないですか」

「……こーりんも難儀な性格していますね」

「こおりちゃん、ご飯おかわり」

「自分で行って来い」

 その後、具の少なくなった鍋にうどんを入れて鍋を最後まで味わった。

「こおりちゃん、明日お弁当――」

「朝弱いから無理。味の保障しないなら可」

「ぐすん」

 血が繋がってなくても姉妹って似るんだな。

「ふう。こおりちゃんの料理も堪能したことだし帰るとするか」

「そうですね」

「待てボケ会長コンビ」

 しなきゃならない話を何もせぬまま帰る気か。何のために飯まで食わせたと思っとる。

「ははは、軽い冗談だよ。では、何が聞きたいのかな?」

「俺を生徒会に入れた本当の理由は何だ?」

「うむ、話すのは構わないが、物事は順序立てるべきだ。まずこおりちゃんがどこまで知ってるのかわからないといろいろ混乱が生じやすい」

「わかった。といっても、俺が輝燐から聞いた話は霧群学園に俺たちみたいな『霧に棲む生き物』を連れた人間が集められていることくらいだ。あとは生徒会が学園の下請けなんだろうってとこだが、間違いないか」

「うむ、相違無い。輝燐クン、その話は遥香女史から?」

「私です」

 意外なところから手が上がったのにはキョウも驚いたようだった。

「成程、今回輝燐に手を貸してたのはあんたか」

「どうもいろいろと思い悩んでいらしたようなので、何かの役に立てばと思いこっそりと」

 とか言ってるが、要するに扇動したんだろ。甚だ迷惑な。

「杏李女史の暗躍はともかく、それならば一から説明したほうがいいな。まず君たち二人もよく知っている、この世界とは違う場所にある霧に棲む生き物たち。それらは総称で『ミスティ』、その世界とこちらの世界を繋ぐ陽炎の扉を開けミスティを呼び出せる人間を『オーナー』と呼ばれている。個人情報であるからどの生徒がオーナーなのかは教えられんが」

「興味もない」

「そう言うと思っていたよ」

「それより、そんなに一箇所にそのオーナーを集めて大丈夫なのか? 多分野良が出やすくなると思うんだけど?」

「野良?」

 輝燐が首を傾げた。

「遭ったことないのか。オーナーなしでこの世界に出てきちゃったミスティのことだよ」

「はい、確かにオーナーの密集地では扉が開きやすくなり野良ミスティが現れる確率が増加しますが、よくご存知でしたね? こーりんのミスティの性質上、『霧』のこと自体ご存知なくても不思議でないと思うのですけど」

「昔会ったオーナーからいろいろとね。もっとも、あの人はミスティやらオーナーやらそういう言葉は教えてくれなかったけど」

 自分の名前すら教えてくれなかったが、それでもあの人から教わったことは大きい。

「そのリスクを負ってでも僕らには保護と監視が必要というわけさ。特に生徒会に在籍させたような者はね」

「つまりはそれが理由か」

「君は特にね。転入後すぐテレムスの力を使って生徒会入りを承諾させたのも、本来生徒の意思を、たとえそれがオーナーであっても尊重するところを強引に納得させたのも、君がどれほどのレベルで危険かを考えれば当然の措置と言えよう?」

「それはそっちの理由だろう。危険性は自覚してる、俺たちが化け物ということも含めてな。監視するなら勝手にすればいい、だが縛られる気は無い」

「しかしですね、こーりん。現在の環境が貴方にとって都合のいいものであるのは確かなはずですよ。家庭においても社会においても、ミスティの隠蔽がずいぶん楽になるはずです。その見返りという程度に考えていただけばよいのではないでしょうか」

「もう一つ。何故今なんだ。もっと早い時期、それこそ四月のうちに俺を入学させるべきじゃなかったのか。それをしなかった理由は?」

「それは……」

「簡単だよ。今までは外部に置いたほうが良く、これからは手元に置いたほうが良い。大人の事情というヤツらしい」

 言い淀んだ杏李先輩と対して、キョウはすらすらとのたまった。

「つまり、俺を利用して何かやろうと?」

「うむ。当面僕に知らされているのは、こおりちゃんにオーナーを守ってもらいたいということだ」

「守るって、その野良からですか?」

 尋ねた輝燐に対しキョウは首を横に振る。

「それは学園側でやってくれる。特別に要請されない限りは僕らの仕事じゃないさ」

「それじゃ一体誰から」

「人間だろ」

 先取りして答えた。少し考えりゃわかる。

「この子たち――ミスティは高レベルのものになると十分生物兵器として活用できる。オーナーを誘致する為に学校へ送り込まれてくる工作員が相手、そんなとこか」

「うむ。当然学園側でも対応に動くが、出現予測がついてきた野良と違ってこちらは後手に回らざるを得ない。現場に近い生徒たちのほうが迅速に動けるというわけだ」

「その対策にこおりちゃんを?」

「……最近、その組織の動きが活発になってきてるそうでな。各地で学園の所属する組織との衝突が頻発したり、ここのような保護施設が襲撃されたりしているそうだ。それに、確かにこおりちゃんを戦力として加えたいということもあるが、放置したままで万が一という事態もありえた」

 確保はむしろ火に油じゃ、とか理由としちゃ弱い、とか思ったがあえて突っ込まないことにした。

「……戦力、か。もしかして」

「おそらく考えている通りだ。周りに民家の無い広大な敷地。被害を縮小し迅速な隠蔽工作を行う。私立霧群学園はオーナー及びミスティの『守り場であり戦場』だ」

 オーナーっつってもそれ以外はただの学生。それをプロの工作員相手に戦地へ送り出すってのは無駄駒もいいとこだと思うが、その辺はまあ、他人事だ。

 ふと全員の湯飲みが空になっているのに気付いたのでおかわりを注ぎ始めた。

「いろいろ事情や思惑があるみたいだな。けどだからって俺の考えは変わりないよ。俺とレリの生活を守るだけだ」

「その為に僕たちの思惑に乗ってみる気はないかね?」

「自分から下手に藪を突く気は無い」

「強情だね、こおりちゃん。まあ、すぐにここを出て行く気は無さそうだし、今は普通に学園生活をエンジョイしてくれればそれでいいさ。しかし君はきっとやるよ。そして今日みたいに成果を出すはずさ」

「小細工で追い込んどいてよく言う。言っとくが俺を生徒会入りさせたアビリティ、俺には効かないからな」

「え?」

「……説明もしていないのに一度使って見せただけでもう効果を把握しているのか?」

「無意識下に働きかける誘導、だろ。前情報が無いからこそ俺を生徒会入りさせるのにほぼ全員を賛成させられた。もしかしたら今日の放課後も学校から人を遠ざける為に使ってたかもな。どうだ?」

「……その通りだよ。それがテレムスのSA意識結界の効果だ」

 本心から脱帽、というように両手を上げるキョウ。これは貴重かもしれない。

「本来一定の場所に入る気を無くさせるよう誘導する、という力なのだがね、応用すれば逆に一箇所に誘導することも出来る。もっとも余程はっきりとした意思があっては通用しないのだが。……ふむ、そうか。そういえばちゃんとした自己紹介はまだじゃないか。杏李女史」

「今頃気付いたのですか。ワーちゃんはもう待ちくたびれていましたよ」

 頬杖を着いて溜め息を吐く杏李先輩。と、二人の周囲に世界のゆらめき、陽炎が発生した。

 そこから勢いよく飛び出してテーブルの上に飛び乗ったのは、一抱えくらいの大きさの、耳(触角?)が生えたぬいぐるみのようなイモムシだった。

「改めてご紹介します。この子が私のミスティ、ワーミンです。私はワーちゃんと呼んでいます。可愛いでしょう」

 自らのミスティをその豊かな胸が潰れるくらいぎゅっと抱く杏李先輩。……昨今の女子はイモムシを可愛いと呼ぶのだろうか。

 ワーミンに遅れてキョウのミスティも陽炎よりぬっ、と顔を出した。

 モニターづらのでかいオタマジャクシ……いや、胴の短いウナギという方が近いか。

「こおりちゃんもこの姿の彼と会うのは初めてだったね。今の名はテレムスという」

「この姿?」

 まだミスティに抵抗があるらしい輝燐が複雑な顔をしながらも疑問に思ったところを訊いてきた。

「『シフト』っていってな、ミスティの中には成長して姿形が変わる奴がいるんだよ。以前の名前はビジョムスっていって、電波妨害や盗聴なんかが出来たっけ」

「今も出来るぞ」

「というわけだから今度から秘密にしたい話は電話でしない方が身の為だぞ」

「わ、わかった」

「とっくに気を付けています」

「そんなに信用が無かったのか僕は。残念で仕方が無いよ」

 と言いながら芝居がかった仕草で頭を押さえるキョウ。こいつにとってみればある程度警戒されているほうが面白いのだろう。

「というわけで、困ったことがあればなんなりと生徒会室まで足を運んでくれたまえ」

「突然入れられた生徒会を辞めたいのですがどうすればいいでしょう」

「却下だ。次の生徒会は明後日だから忘れず来てくれたまえ」

 明後日の放課後は全力で回避行動を取らなければならないようだった。

「いい加減観念したまえよ。悪いところではないぞ」

「集団行動する気はねえんだよ」

「でも部活には入るのですよね?」

「……それは何の冗談ですか」

「ミス研に加わってくれるのでしょう? 伊緒さんが面白い新人が入ったと仰っていましたよ?」

 あのスピーカー女め。

「入りません、それでなくてもそんな怪しげな部活」

「今なら幽霊の姿が映るペンライトが付きますよ」

「そんな胡散臭いモン誰が欲しがるかっ!」

「うう、春頃散々勧誘されたっけなあ、ボクも。結局名前だけ貸すってことで落ち着いたけど」

 当時の光景を思い出したのか輝燐が唸る。あれに四六時中付き纏われれば根負けもするだろうなぁ。……二の舞にはなるまい。

「ほら、こうして輝燐さんも勧めていることですし」

「「勧めてない勧めてない」」

 この後杏李先輩による勧誘はキョウが帰宅を切り出すまで続くのだった。



 話も済み二人を送り出して自室に戻った後、ポケットから電子音が鳴り出した。

「う、まだ慣れないな」

 苦虫を噛み潰したような顔で携帯を開く。画面に表示された名前は『桜井遥香』。

「……もしもし」

『元気かなこおりくん~』

「大筋の話はキョウから聞きましたよ」

『う、いきなり本題に入っちゃうの? もう少しこう、雰囲気を和らげてからでもいいと思わないかなぁ?』

「その様子だと今日起きたことはもう知ってるんですね」

『うん。ごめんね輝燐ちゃんが迷惑掛けて』

 まったくだ。まさか「守ってほしい」と言われた人間に襲われるとは。

『本当はちゃんとわたしたちのこと話して引き取るべきだったんだろうけど、多分こおりくんはそれじゃ来ないと思ったから。わたしたちには絶対にこおりくんの力が必要だから、とにかく騙してでも『わたしたちの場所』に引きずり込まないといけなかったの。ごめんね』

「その理由ってヤツは?」

『それもまだ言えないの』

「秘密ばかりですか。そんな状況で俺が協力するとでも?」

『どうせ話したところでこおりくんは協力してくれないよぉ』

 よくわかってるみたいで。キョウから聞いたイメージか?

『今はフツーの学園生活をめいっぱい楽しんでて。学生のうちほど自由な時間はないんだから、こおりくんはもっと楽しまないと損だよぉ』

 ……いや、違うな。おそらくこの人は今の俺の考え方を自分の頭で理解している。一昨日の学校帰りでの遣り取りを思い返してそう結論付けた。

「それじゃああと聞きたいことは一つです」

『えー、もっとおしゃべりしようよぉ』

「明日も早いんで。それで、輝燐を守ってほしいってのはどういう意味? あいつに――あいつのミスティに狙われるだけの理由があると?」

 キョウや杏李先輩のように寮に入れるわけでもなく、遥香さんが直接引き取って育てているということから考えても、輝燐のミスティが重要か貴重であるというのは間違いないことであった。

『んー、今は心配ないかな。そういうことじゃなくてね、うん。もう大丈夫だよ。こおりくんがしっかり守ってくれたから』

「……?」

 守って……くれた? 過去形?

「どういう意味――」

『じゃあおやすみこおりくん。もう遅いんだから夜更かししたらダメだよ。輝燐ちゃんと仲良くねぇ、むふふ』

「待てなんですかその不気味な笑いは――」

 ツーツー

 切られた。まったく難儀な人だ。基本思考は天然なのに計算高い考え方も出来ると来た。初めて会ったときからずっとスタンスを崩されっぱなしということを考えるとキョウ以上に厄介な人間と思っていいだろう。獅子堂のほうがまだ分かりやすい。

 とにかく厄介事が一つ片付いた。確かに生活環境としては悪くない。特にレリーフの事が漏れる心配がないというのが一番大きい。あとは向こうの要求をどこまで受け流せるか。

 とりあえず、明日からはようやく普通に過ごす事が出来そうだった。



 Another eye


「久しぶりに美味しいご飯でした」

 桜井家のあるマンションを辞して学生寮へ帰る道中、杏李女史が不意に口を開いた。

 時刻は午後九時を回っている。門限をとうに過ぎているが、当然寮監は事情を把握しているので問題ない。むしろこの場合注意すべきは副会長閣下か。うむ、怖い人だ。

「寮の食事が不味いというわけではないのですけどね、こーりんのご飯はまた一味違いましたね。細かいところに手間暇かけていらっしゃるようでした」

「うむ。細かい作業は割と苦手だった様に記憶しているから正直意外だったがね」

 振り返る。建物の狭間から彼らのマンションが見えた。

「……『最強』と仰っても、シフトできなければどうしようもない、ということでしょうか」

「…………」

 夕方の事を言っているのだろう。結局、あの後終始こちらが押したまま終わってしまったのだ。

「それは確かにシフトには驚きましたけれど……善戦されたというわけでもありませんし……いえ、同クラスで二対一なのですからそうなって当然なのですが」

「今一つ信用できない、と?」

 目を伏せただけで返答はないが、肯定だろう。

「『上の指示』に背くのは私としても本意でありませんが、やはりこーりんにはちゃんとした護衛を――」

「必要ないな」

 おざなりに手を振って遮ると杏李女史はきょとんとした表情を見せた。

「そもそも、今日の戦闘は何の判断基準にもならんさ。君も気付いていただろう? まるでやる気なかったじゃないか、こおりちゃんは」

 『最強』なんて肩書きは他人が勝手に付けたもの。そんなものに固執して常に勝利し続けるなど、それこそ周防こおりという人間に似合わない。

「気分屋というのもそれはそれで困りますけどね。では、キョウさんはこう仰るのですね? もしこーりんが戦う気でいらしたなら――」

「相手にもならんさ、僕ら二人程度。ただの協力者である僕は言わずもがな、『組織』の正規メンバーであるキミだろうと、ね」

「……断言しますか」

「断言するさ」

 彼女がどんな切り札を隠しているか、詳しい事は知らない。しかし、それを差し引いても彼が本当に負けるところなど、僕には到底想像できそうもない。それほどに彼は、

「格が違う」

 『化け物』なのだから。


 Another eye end

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