第五話 対決――あるいはただの癇癪
A few hours ago
「ウツってるよなー、キリン」
昼食時の食堂にて。勝手に俺の両隣りに陣取った例の(と言うほど二日目にして馴染みになりつつあることに溜め息を吐きたい)二人組のうち、藤田が唐突に切り出した。
「……
「輝燐」のイントネーションがおかしいことには突っ込まない。
「沈んでる、っちゅーことや」
「そーうつのけ、ってやつだぞ」
躁鬱の気、ね。そりゃまためんどくさいことで。
ちなみに話題の当人は食堂に来てもいない。購買に行ったか登校前に買っておいたか、まあ別にどうでもいい。
「浮き沈みが激しいんや、輝燐はん。あーゆー不機嫌な時には誰も近づけへん。なんせ霧学三強のひとりやし」
なにその恥ずかしい呼称。
「……お前ら普通に話してなかった?」
「普通に話せるのなんて伊緒だけや。ワイはおまけ」
「成程、確かにおまけっぽい」
「ちょ!? 今わいの存在そのものが伊緒のおまけにされた!?」
しかしな、下着姿を見られたって程度でそこまで後に引くタイプには見えなかったんだけどね。まあ、人なんて見た目じゃ分からんもんだけど。
「つーか、そんな頻繁に鬱になったりするわけ、あいつ」
「んー、たまにな。ウツってなんかなやんでる。いつもなら姫のでばんだなー」
「……意外と繊細なタイプだったか」
あえて「姫」には触れない。
「ま、触らぬ神に祟りなし、っちゅーことでしばらくそっとしとくのがベストやで。一緒に住んどるこおりはんは窮屈かもしれへんけどな」
返答せず茶を
「つーわけだ、こーりん! キリンのことはまかせたぞ!」
「そや! ……ってわいのセリフ全否定!?」
「…………」
藤田に言われずとも関わらない訳にはいかなかった。今回は事情が事情、面倒でも避けたらいけないだろう。が、
「何で俺?」
それはあくまで俺の理由。藤田が俺を推す理由にはならない。
「んー、なんとなくー?」
「…………」
ま、いっか。どうせ他人事だ。
……さて。うまく話をするタイミングがあればいいんだが……。
Return now
ガアアアンッ
「……」
背中で破砕音が響く。扉を開け放ち転がるように廊下へと逃れた。
危ない。陽炎に気付いてなかったら喰らってた。
「いきなりかよ、随分キレた真似しやがるな」
至極冷めた口調で、反対側のドアから出てきた輝燐を見遣る。
彼女の傍、足元に一匹の小さな生き物がいた。
彼女の膝丈までの大きさ。額から後方にかけて逆立つ毛の生えた丸っこい青色のぬいぐるみに目と口が付いている。口からは犬歯のような牙。明らかにこの世界の生物じゃない。
「ただ攻撃しろ、と言ってあっただけだから。こいつがせっかちなだけ」
「監督不行き届きっていうんだぞ、それ」
輝燐の睨み方が鋭くなった気がする。
「名前は?」
「名前? キミ、そんなの付けてるの? この化け物に」
……この化け物、か。言い方が刺々しい。どうやら俺と彼女では随分温度差があるようだ。
「……どうしたの? 早く出しなよ」
次の攻撃が来ないと思えば、そんなことを言ってきた。
「キミにもいるんでしょ? こいつみたいな化け物が」
――俺の隣で陽炎が揺らめいた。
まだだ。出て来るな。
静止の意味を込めて腕を横に広げる。躊躇いがちに陽炎が消えていった。
「……早く出さないと死んじゃうかもよ」
「殺し合いじゃなかったのか」
「化け物同士の、に決まってるじゃない」
やれやれ。
とにもかくにも野良相手じゃないんだ。聞いておかなきゃいけないことは山とある。
「どうしてこの子のことを知ってる?」
「だって遥香さんが引き取ってきたんだもん。ボクと同じっていうのはわかるよ」
ボクと同じ。
「やっぱりお前、遥香さんと本当の姉妹じゃないんだな」
成り行き上だが、結局お前という呼び方になってしまった。
「そうだよ。聞いてなかったの?」
「実の両親はどうした?」
「……聞くかな、そういうこと」
その言葉とともに横にいる生き物に目を向けた。その目に宿る感情は憎しみ。
「放り出されたよ、こいつのせいで。キミだって似たようなもんなんでしょ」
「……どうだろ。少なくとも俺は誰かが悪いと考えたことはないがね」
話を続けながら教室の中をちらりと見た。壁に出来た窪みから判断するに熱量より衝撃による破壊か。見かけだけで判断すると低レベルっぽいのになかなか威力がある。とはいえ、やろうと思えばどちらも秒殺出来るレベルだが……
「でも少なくともこいつがいなけりゃボクは――」
「お前以外にもこの子たちみたいのを連れてるのはこの辺りにいるのか?」
くだらない愚痴を聞かされるのは御免なので質問で言葉を遮った。彼女は不満そうに、それでも質問には答えてくれた。
「……いるみたいだよ。この学校にはたくさんね」
「……もしかして意図的に集められてる?」
「保護とかそういう名目らしいよ。生徒会長はそういう人から学園が選ぶらしいし、もしかすると役員にも結構いるかも」
何をやらせてるか知らないけど、要するに学園経営部……いや、理事会の下請け組織ってとこか。
「そんなにいて何で俺に喧嘩売るんだよ?」
「だって誰がそうなのか知らないんだもん。遠見会長や杏李先輩は一人のところを見つける機会がないし、寮に戻ったら手出しできないから」
「それで俺たちと殺し合いかよ。迷惑な話だ」
「別にいいでしょ、こんな奴らいたって迷惑なだけなんだから。それともキミはこいつら利用してるクチ? それならそれで別に非難しないよ、ただこいつを殺してさえくれれば」
「頼みを聞いたら出て行かなきゃいけない、ってのは?」
「ボクたちが引き取られたのはこいつらがいたからだもん。いなくなったらどうなるかなんて分からないよ」
なるほどね。向こうの事情はだいたいわかった。あと確かめることは二つくらいか。
「その子、名前はないって言ってたけどもしかして話したこととかない?」
「話す? それって犬や猫にするみたいに呼びかけるかってこと? そんなことするわけないじゃない」
やっぱりか。
「わかった。もういい」
聞きたいことは全部聞いた。
「そう。じゃ、こんなこととっとと済ませよう」
「ああ、そうだな。ただし――」
俺は勢いよく輝燐に背を向け、
「お前の思うとおりに終わらせてやる気はないけどなっ!」
ダッと走り出した。
「なっ!」
そんな馬鹿馬鹿しい真似に誰が付き合ってやるものか。
「待てえっ!」
待てと言われて誰が待つか。輝燐は呆気にとられた後追いかけてきたがそのタイムロスは大きい。しかも飛び跳ねて移動する隣の生き物はさらに遅れ気味になる。
「何やってるの! 撃って!」
その言葉に後ろを見ると生き物の口からさっきの光球が撃ち出された。
「甘いっ!」
横に移動して余裕でかわす。これだけの距離、しかも直進弾なら簡単だ。
その間ずっとあの生き物の方を見ていたが、二発目を撃つまでに一呼吸分の間がある。連射はない。
俺は三発目が放たれた直後、制服のポケットから既に取り出していた『それ』を輝燐へと投げつけた。
「!?」
「きっ!」
その生き物は一声挙げると輝燐の前へ飛び出し、自分から『それ』にぶつかった。
がしゃっ、と携帯電話が廊下に落ちる。
……なるほど。
それを確認して俺は階段を飛び降りるように下りていった。
……階段を駆け降りる二人分の足音。その姿が完全に消えたのを確認して、彼らは姿を現した。
「ふぅむ、これはなかなか面白い事態になったものだ」
うちひとり、長身の少年が身をかがめ、そこに落ちていた携帯電話を拾い上げた。
「……いいんですか、彼らを放置して。貴方たちの役目は彼の監視なのでしょう」
うちひとり、最も小柄な少女は一同の後ろで壁に寄りかかりつつ眺めていた。
「はい、構わないですよ。ちょうどどんな劇的な方法で彼に私たちの事を打ち明けましょうかと悩んでいたところでしたので。キリンさんの行動は渡りに船というものなのです」
最後のひとり、黒髪の少女は二人の間で微笑んでいた。
「……ほんっとーに、あれで間違いないのかしら。いきなり逃げ出しましたけど」
小柄な少女が半眼で視線を階下へ向ける。
「……えーっと、流石に私もそれは予想していませんでした。『最強のミスティ』や『死神』などのように仰るからもっと好戦的な方だと思っていたのですが」
苦笑する黒髪の少女。携帯電話を弄びつつ少年が答えた。
「平和主義者ではないがね。言われるまま戦うのが馬鹿馬鹿しいとでも思ったんだろう」
ここに集まった三名は全員馬鹿ではない。既に全員の頭の中にこおりの方策は予想されていた。そして、その目論見が失敗に終わる事も。ならば、その後は――
「結果は見えているが……イマイチ盛り上がりに欠ける展開になりそうだな」
ひとり頷きつつ、彼は次の準備をすることにした。
いわゆる、劇的な方法というヤツを。
俺が取ろうとした作戦は難しいことではなかった。
ただ職員室へ駆け込むだけ。時刻はまだ完全下校時刻を少し回ったばかり、何人か、少なくとも宿直の職員は残っているだろう。第三者が現れればその人が事情を知っていようがいるまいが、輝燐は手が出せないはずだ。
校外に出ればおおっぴらに手は出せないはず。その後キョウに連絡して向こうの知っている事情を全て聞きだした後、この二人のことをどうにかする、
つもりだった。
開けようとした職員室のドアは鍵がかかっており誰もいないことを表していた。
だったら宿直室、いや、ここで大きな騒ぎを起こせば直接行かなくても聞きつけてくるはず――
「無駄だよ」
声のほうには階段を下りたばかりの輝燐がいた。
「ある人が手を回してくれてね。もう校舎には誰も残ってないんだよ。生徒だけじゃなく、先生も。残ってるのはボクたち二人だけ」
「んなっ」
「正直ボク自身も半信半疑だったんだけど……いい先輩を持ってよかったよ」
言葉の終わりと同時に飛んできた光球を職員用のトイレへ飛び込んで逃れる。……はあ、空振りって精神的にダメージ喰うなあ。
「ついでに言うとこの辺、周りは皆学校の敷地だから、少しくらい逃げても無駄だし、騒ぎ起こしても誰も来ないよ」
「学園自体が馬鹿みたいにデカイしな……自分から男と二人きりだなんて大胆なことですね」
後半はすごい棒読みだったからか、フンと鼻を鳴らす以外に大袈裟な反応は無し。
「邪魔が入られたら困るでしょ。さすがに自分から助けを求めに走るとは思わなかったけど。ちょっと情けなくない?」
「しょうがないだろ、それが今この場で最良の方法だと思ったんだから」
この後冷静に第三者も交えて話す気だったんだが、これはもうこの場で決着を着けるしかなさそうだ。
「……いい加減出しなよ、ほんとに死んじゃうよ」
「殺す気? 俺を」
「嫌なら殺せばいいだけでしょ、コイツを。……それに、万が一死んじゃっても、殺したのはコイツでボクじゃない」
やれやれ。一度だけ波を広げた。予想通り、余裕ゼロ。目的で頭一杯で他を考える余地なし。それどころか目的の為なら全てを正当化しそうな感じか。
正直こんな他人事に付き合うのも馬鹿らし過ぎるんだが、流石にこれを放ったまま同居というのは難しいよな。
「……あー、聞くことがまだあったんだが、お前、この街に来て何年だ?」
「三年だよ。それがどうかした?」
「いや」
脅しは効かないな。
こちらへじりじりと迫ってくる。タイムリミットまでそうない。
出来れば説明だけで理解してもらいたかったが、仕方ない。
「最後の質問だ。お前……」
一度言葉を切った後、言い直した。
「輝燐さ、悲しくない?」
「何が?」
「そんな小さな子供を罵っていたぶって押し付けて、悲しくならねえのかって訊いてんだよ、このメスゴリラ」
足音が止まった。が、どうでもいい。
ここに誰もいないと分かった時点で既に
だとしたらおめでたい。俺に喧嘩売った時点で、追い詰められてるのは最初からお前のほうだ。
恨むなら逃げ道を塞いだ自分自身を恨め。
陽炎の扉が開く。俺の心とシンクロするかのように。
やるぞ。
レリーフ。
「お前の最大の誤算を教えてやる。俺の意思は――」
「お前ごときが折れるほど脆くないんだよ!」
言葉の意味を図りかねて、足が止まってしまった。
子供。小さな子供。
誰の……いや、何のことを指してるかはボクでもわかった。
隣を見た。ボクが立ち止まると同時に立ち止まったこの生き物。
この化け物が……子供?
「馬鹿じゃない」
そう吐き捨てて――気付いた。トイレの前に何かが浮かんでいる。
透明な……ガラス? 水晶? の葉っぱ? それが何枚も、くるくると回りながら宙に留まっている。
手裏剣とか、ジグソーとかの類の刃物だと直感した。
……そう、ようやく出してきたってこと。
膨れ上がるのは歓喜か敵意か。正直もうどっちでも構わない。まるでボクのそんな感情に呼応するかのように化け物が光球を放つ――タイミングを読んでいたかのように。
トイレの入り口から腕が真横にすっ、と伸ばされた。
「GO!」
腕がこちらへと振るわれると同時にその葉っぱがこちらへと飛んできた!
「!」
それぞれが様々な軌道をもってこちらに飛んでくる。殺傷範囲が広い。化け物だけじゃなくてボクにも当たる範囲――いや、まさか。この軌道。
狙いはほとんど……ボク!?
「くっ!」
全部は避けられない。そう思った瞬間、
僕に当たる軌道の手裏剣は絶妙の
砕けた欠片が降りかかった。これは氷?
ホッと息を吐く。その間隙、
「――どうした。自分が狙われるなんて考えもしなかったか?」
冷や水を浴びせるようなタイミングで声が飛んできた。
「それとも、狙われても何とかなるとでも思ってたか? なら、まずその認識を改めろ。頭に上った血を落とせ。お前のいる場所が安全地帯だなんて思うなよ」
「こ、の」
カッとなる頭のまま反論しようとするのを堪えて深呼吸、次いで構えを取る。中学の間習った空手。教えてくれる先輩も優秀だったおかげでそこそこ強くなれた。何より、加減の仕方を覚えることが出来た。
「キミの相手は、そこの化け物だよ」
「うるさいメスゴリラ。自分で殺す度胸も無いヘタレが。自分でやりたくねえ事を人にやらせようっていう、まずその魂胆が気に入らねえ」
なっ、メス!? ヘタレ!?
「ばっ、馬鹿言わないでよ! ボクにこんな化け物殺せるわけ――」
「包丁で滅多刺しにでもすりゃ終わりだろ。化け物化け物連呼してるけど、そいつくらいならまだその程度で殺せるし。いや、もしかしてそんなものなくてもお前の身一つで殺せるのか?」
「――!?」
「あれ、図星か? ま、殺し方なんてどうでもいいけど」
第二陣。氷の葉の群れが浮遊する。
「間違っても俺はその子を殺してやらねえから。理解したら刻まれろ
射出される、瞬間。
光の球でその大半を破壊した。
「ふんっ、油断してるからだ! 前口上が長いんだよ!」
もういい。こいつは役に立たない。それにムカつく。
そんなに言うなら、やってやろうじゃん。ただし、殴られるのはお前の顔だけどね!
駆け抜ける、その一歩目で、
ヒュンッ
光を切り裂いて何かが飛んできた!?
「!?」
その正体を見極める間もなく、
どん、と横からの衝撃。
不意を打たれよろめいたボクの身体は横に倒れる。
「あいたっ」
床に尻餅をついた。カッ、とさっき飛んできたものが床に――ボクの足が次に踏んでいただろう場所に突き刺さる。
鎌だ。
刃が極端に大きく、柄が握る部分しかない程短いが、形状は鎌で間違いない。刃は全て真っ白。たとえ血に塗れてもまだ白さを保ち続けるんじゃないか、そんな幻想を抱く。
思わず血の気が引く。何考えてるんだ、こんなのを人に向かって投げるなんて。けど、こんなものをどこに持っていたんだろう。と、そこで閃く。もしかして、あいつのは生き物じゃなくて、武器なんじゃない?
壊してやりたい、そんな衝動が膨らむ。けどそれを実行に移す前に、ダッ、と地面を蹴る音がした。
トイレから飛び出した周防こおりがこちらに駆けてくる。
「……! 上等じゃない」
立ち上がり、構えるまでの間に、
「きっ!」
化け物がボクと彼の間に入った。
あの子が俺から輝燐を守る位置に入った。
息を吸うあの子の口に光球が形成されているはず。なかなか撃たないのは外れないようギリギリまで引き付ける気か。
予想通り、だな。
桜井輝燐。お前には戦う価値もねえよ。
敵も味方も分かってねえ、そんな奴に余計な手間も力も掛ける気はねえ。お前程度にはこれで十分だ。
「レリ!」
つーわけで、邪魔だからちょっと寝てろ。
鎌が
一匹の生き物へと姿を変える。
一抱えほどの球根に目と短い根のような四本の足が生え、額には大きな氷の葉。
俺の家族、レリーフ。
「なっ!?」
輝燐が気付いた。だがもう遅い。
「
あの子が光球を放とうとした直前、レリーフが氷の葉を地面に突き立てた。凍気が地面に広がり、輝燐の足、あの子の口までが氷で覆われた。
それほど強くもない、少し足止めできる程度の凍結能力だが、急に発射口を塞がれたあの子は――
ポンッ!
「きいいいっ!?」
口の中で光球が弾け、そのまま気絶してしまった。
よし、次。
「レリ!」
こちらに跳ねてきたレリーフに手を伸ばす。キンッ、と銀光とともに再び鎌へと変わったレリーフを逆手に持ち、
「チェック」
氷を破って立ち上がろうとしていた輝燐の眼前へ突き付けた。
「…………」
睨まれてもねぇ。
「いい加減、冷静に話が出来る程度には頭が冷えてると思うが? まだ足りないなら今度はその脳天氷漬けにしてもいーけど」
「……どうして」
……あー、自分から話をするっつっといてなんだが、あんまりにも今さらなこと聞かれそうな感じだし、今すぐ帰ってメシにしちゃ駄目かなー。駄目だろーなー、やっぱり。
「ボクばっかり」
ほーらーみーろー。
すっごい溜め息が出た。睨まれた。
「決まってる。お前の思い通りにさせるのが嫌だったからだよ」
輝燐の表情が唖然となった。
「……そ、んな理由で、ボクの長年の望みを邪魔したの?」
「長いこと望んだからって願いが優遇されて叶えられるなんてあるわけないだろ。それにさっき言っただろうが、俺の意思をお前ごときが折れるかって。「そんな理由」っつうけどな、結局人と人とのぶつかり合いってのは意思と意思とのぶつかり合いだろうか」
「……まさか、もうボクの意思を折ったつもり?」
「折れた奴がそんな目してるか。大体折れるほど形保ってるのか? 熟成されすぎて腐ってるくせに」
「……」
黙ったか。ま、話も微妙にずれてるし、戻そうか。
「こんな馬鹿馬鹿しいことに巻き込まれる方の身にもなれ。そんな馬鹿馬鹿しくて下らない願いを叶えてやる義理がどこにある。それなら馬鹿馬鹿しくて下らないヘタレを叩きのめすほうがまだ有意義かなと思ったけど、馬鹿馬鹿しくて下らないヘタレの雑魚キャラ相手に余計な力や手間を掛けるのも馬鹿らしい上にめんどくさいしで適当に済ませた結果が今の状況でございます」
「……こっちが黙ってもそっちの毒舌は変わらないんだね……」
「あとな、俺の意思を差し引いてもお前を狙った根本的な理由がある」
「根本的……ボクの方が弱いと踏んだわけだ」
「んなもん関係ない。お前を狙ったほうがあの子の動きが縛れる。そしてそんなことにも気付いてない人間様が相手だったってことだ」
「?」
輝燐はまるでわからないという顔をする。
「一つ話してほしいんだが、あの子に初めて会ったときどんな状況だった?」
「?」
変な質問をするなぁ、という顔をしている。
「小学校のとき……バイクを弾き飛ばしたの」
下校中だったという。赤信号で突っ込んできたバイクのライダーに、例の光球をぶつけて転倒させたと。それからしばらくの間、あの子はずっと輝燐に付き纏っていたらしい。
「それ以来、ボクは化け物女扱いだよ。友達は離れてくし、嫌がらせだって」
「で、遥香さんに引き取られた、か。陽炎の扉の開け方も、遥香さんから?」
「そうだよ。で、それがどうしたっていうの」
「むしろどうしてわからないかな。あの子はいつだってお前を助けようとしてただけじゃない」
そのバイク事故だって、今だって輝燐の盾になるように動いていた。
「…………」
「……その顔だと、薄々気付いてた、って感じだな」
「ボクが頼んでるわけじゃない」
「随分と子供の理屈だな」
「ふざけないでよ! こいつ、クラスメイトにもあれ撃ったんだよ! そんな危ないヤツ、助けてくれてるなんて感じられる!?」
「そりゃお前が悪い」
考えるまでもなく即答してやった。しかし輝燐には思ってもみなかった言葉だったのだろう、絶句してしまう。
「ちゃんとそれはしちゃいけない、それは悪いことだと教えないお前が悪い」
「な……なに、それ……」
「子供なんだ。『お前を守る』ってそれしか知らない子供なんだよ。そんな何も知らない子供相手に、お前は全部責任を擦り付けてるんだ」
「何だよそれっ! ボクがこいつに何も言わなかったと思ってるの!」
「どうせヒステリックに文句言ってただけだろ。それじゃ怒ってるのは伝わっても何を怒ってるかはわからないよ。この子らはね、ちゃんと話そうと思えば応えてくれるんだ。俺にはレリの声がちゃんと聞こえる。名前だってこの子自身から聞いたんだ。まあ、他の人には風が吹く音にしか聞こえないらしいけどね」
そう言って苦笑する。が、すぐに真剣な顔に戻した。
「ま、よーするに育児放棄したママさんが擦り寄ってくる子供の言葉を聞かずに足蹴にした、ってところか」
「……勝手なことばかりっ、ボクはこんなヤツ望んでないっ!」
「今度は望まれない子供、ですか。あーやだやだ、なんか昨今の家庭問題見てるみたい」
大仰に溜め息を吐いてみせる。
ぱんっと手が払われた。パリン、と氷の砕ける音がした。
「さっきから勝手なことばかりっ!」
ズドン、と。
腹部から背中へ突き抜ける痛み。足が、身体が浮き上がる。
そのまま、何メートルも吹っ飛んで、背中から地面に叩きつけられて、バウンドし、ごろごろと転がってようやく止まった。
こつこつと、近づいてくる足音。すぐ傍でぴたりと止まる。
「……本気で殴ったの、いつ振りだろ」
自分の拳を睨んで、顔が悔やみで歪み、こちらに背を向けようとする。
「……まあ、全力で殴るわけにはいかんわな」
「!」
驚愕の表情でこちらを振り向いた。
「複雑骨折に内臓破裂、ってとこかな。即死でもおかしくないな。普通なら」
立ち上がって伸びをする。痛たた、こりゃ久々に痣でも残るかもな。
「……は、はは。そっか、キミもおかしいんだ。ボクと同じで」
乾いた笑いを漏らす輝燐。ぺたり、とその場に座り込んだ。
「運が良かった、のかな。人殺しにならなくて、済んで」
「まあ、そうだな。自分の意思の外でいつの間にか人殺しになってた、ってのは最悪だ」
覚悟も決断も、納得だってしてない。現実味すら乏しい。なのに、現実だけ突然背負うことになる。しかもやたら重い。そのくせ無価値だ。誰にとっても、な。
「……あいつが現れた後、いつの間にかこんな身体になってた。力が強いわけじゃないのに、何故か攻撃力だけが上がるなんて、化け物にさ」
「……その程度で化け物、ねえ」
「その程度って何さ!」
がばっと顔を上げる。
「その程度の力も自分の意思でどうこう出来なかった未熟者ってことだけど何か?」
「……もう、大丈夫だし」
「そう。なら今さら愚痴る必要もないだろ。誰も殺してないんだろ?」
「そんなの結果論じゃない! それに、化け物呼ばわりされたことは変わりないよ!」
「……さっきその程度っつったけど、俺に言わせりゃそれこそその程度の事がなんだっつーハナシなんだけど?」
「……なっ」
「正直紛れもない過大評価なんだが、それでも自分で化け物って自覚があるなら化け物って呼ばれた程度で騒ぐな。ただの事実だろうが」
「………………なにさ、それ」
がばりと立ち上がった。すぐ目の前まで詰め寄られる。
「事実だったら何言われても気にするなっての!? それこそありえないでしょ!」
「だから、気にするほどの事じゃないだろ。馬鹿とかへタレとか言われて反発するのならわかるけどな、こんなもん人間が「お前は人間だ」と言われて怒るのと何が違うってんだ?」
あ、絶句した。
「もっとも、俺から見りゃお前が化け物とか笑い話にしかならんし。お前、自分がそれほど大きな存在だと思ってんの? あの子すらまともに受け入れられない体たらくでさ。むしろその器の小ささであの子と共生してることにこそびっくりだ」
「……ふざけんな……ふざけないでよ! なにさ、さっきから無茶苦茶ばっかり! ……そうか、あんたずっと隠し通してきたんでしょ? だからそんな、気楽なことばっかり――」
「初めに引き取られたところで、刺されそうになったのを刺し返して、傷口を凍らせてから転居先だけ決めさせた」
ぴた、と、まるで一人だけ時間が止まったみたいに硬直した。
「ばれていじめだったか。それなら何度かあったぞ。居候先にまで迷惑がかかりそうになった時点で引っ越した」
なんでもないように言う。実際、なんでもないことだ。
「極めつけは一番始め、この街での事か。数十人殺してる」
あ、青くなった。いや、白か?
「……ひ、ひとごろ、」
「そうだよ。人殺し。レリの力を暴走させて辺り一帯を破壊した。誰かさんと同じ、未熟者の不始末って奴だ。ちなみに、そのことでレリを責めたことは一度もないけどね」
「……ど、どうして? 人を、人を……殺してるのに……まだ、そんなのと一緒にいるなんて」
「レリのせいじゃない。止められなかった俺のせいだからだよ」
あの夏の日。泣き叫ぶ『レリーフ』を抑えるだけで周りは全く見えなかった。その惨状を知ったのはずっと後のこと――
「レリが悪くないわけじゃない。けど責任を取るならそれは俺だ。あの時唯一レリを止められたはずの俺なんだ」
「どうして、そこまで……」
俯き顔からぼそりと聞こえたその問いの答えは、俺にとって実に当然のことだった。
「別の生き物と思うから考えにくい。家族だと思えば簡単だ。弟や妹だと思えば当然だろ。望んで得たのだろうとなかろうと、見捨てることなんて出来るか。例え自分が見捨てられた人間であっても、いや、それならなおさら見捨てちゃいけないだろうに」
とんっと軽く押す。それだけで足の力が抜けたように座り込んだ。
「お前と同じ? 馬鹿言うなよ。俺は化け物だ。正真正銘、あらゆるものを破壊出来る化け物だ。そしてもう一つ。俺は人間だ。それは化け物、化け物と連呼したところで変わるほど安っぽいもんじゃない。化け物であることも、レリと共に在る事も、人間であることも――全部俺だ。で、お前は何? 少々『異質』な程度で自分を化け物とか言っといて、そのくせ他人から言われる分には拒絶する。人間であることにすら自信を持ってない。そんな自分って存在を何も定めてないお前。いったい俺と何が同じだってんだ」
それから数分、沈黙が続く。いつまでだんまりしてる気だろ。もういい時間だし、とっとと帰ってメシ作りたいんだけどなぁ。もう、こいつ置いて先帰ろうか。
「………………かんない」
ん? なんだって? 声が小さくてよく聞こえ――
「わかんない……わかんないよぉ……そんなこと今さら言われたって、もうなにがなんだか……ひっく、う、うわあああああん!!」
……泣かれたし。やっぱり俺が泣かせたことになるんだよなぁ、これ。流石に放置するわけにもいかないのはわかるが……さて、どうしよう?
――ちか、と背後からの光。
ぐい、と輝燐の襟を掴んで横っ飛ぶ。
「うえ!?」
突然のことに驚愕に包まれる輝燐には構わない。俺たちのすぐ横をレーザー光が駆け抜けた。
……はじめから当たる位置じゃなかったか。
そして気付く異常。既に世界は異界だった。
建物自体に変化はない。ただ、周囲に霧が満ち充ちている。
金色の『霧』。
てことは囚われた、ってことになるのか。背後、暗闇の向こう。目を凝らしても何かの姿を見出すことは出来ない。波を広げた。……いる。当面は二人。さっきの攻撃は挑発か。乗ってやる義理はないんだが……
「まあ、乗らないと帰らせてくれそうにはないよな」
暗闇の中へ足を踏み出そうとして、足がくいと引っ張られた。
「?」
足元に目を落とす。ズボンの裾、そこに指が二本引っかかっていた。
「……罠ならもっとうまくやれよ」
「……ふえ?」
「歩き出したときを見計らって転ばせる魂胆。違うのか?」
「……あ、れ?」
ようやく輝燐の目の焦点が合う。視線の先は彼女自身の手。それを呆然と見ている。
「……無意識に罠を仕掛けるとは、末恐ろしいヤツ」
「なっ、ちがっ」
「じゃあ何か。一人で残されるのは心細い、とか? だからってさっきまで自分を罵りまくってた相手に縋り付くのは人選ミスだと思うが」
「……せ、選択の余地ないじゃん」
「相手が人殺しの化け物でも?」
ビクンと肩が跳ねた。ま、無意味に脅す必要もないか。
「心配すんな。あちらは俺に用事みたいだし。殺しもしねえよ、ちょっとお灸を据えてやるくらいだ」
「あ……」
指を外して歩き出す。数歩進んだところで、
「あ」
唐突に思い出した。そうだ。そういえばすっかり忘れてたけど本来の目的を果たしていなかった。
「おーい、輝燐」
振り向くと、「ふえ?」と間抜けな声で顔を上げた。
「悪かったな、引っ越ししたばかりの時とか。ごめん」
ぺこりと頭を下げた。ふう、ようやく言えた。やれやれ。
「んじゃ――」
「ちょ、ちょっと待ったー!」
ぐいっ
今度こそ、後ろから伸びてきた手が絶妙なタイミングでズボンの裾を引っ張った。
びたーん!
……顔面から廊下に倒された。
「……ごめん。でもボクに殴られても平気なんだし――」
「……耐えられるからって痛くないと思うなよ」
むっくと上体を起こす。
「で、なに」
「……なんで、今ごろ謝るの」
「そりゃ、謝ってなかったから」
「そうじゃなくて、その、こんなことした後なのに、って」
「それは関係ないだろ。元々俺の用事はこれひとつだったのに、余計な手間掛けさせやがって」
まったく、何を不思議そうに聞くんだか。こんなの当たり前のことだろうが。
「悪い事したと思ったら謝る。そういうもんだろ、人間って」
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