第四話 食卓、生徒会、そして
桜井家に着いたのは七時頃になっていた。一般的な家庭ならそろそろ夕飯の準備を始めている頃である。
「今帰りました」
「おかえりこおりく~ん、朝間に合ったぁ?」
ぱったぱったとスリッパを鳴らしながら遥香さんが玄関まで出てきた。
「ええ、大丈夫でした」
「うん、よかったぁ。ダメだよこおりくん、朝弱いなら言っといてくれなきゃあ」
「はい、すみません」
「うん、よろしい。明日はちゃんと起こしてあげるね」
間違いなく子ども扱いされてるが実際起きれないので何も言えない。
「それじゃ着替えてきます」
「はぁい」
返事を後ろに自室へ戻ると机に鞄を置いて着替え始めた。着替えながら考える。
転校してきた学校の生徒会長がキョウ。その生徒会に引きずり込まれた。これが偶然? んなわけないだろう。
キョウが話した理由なんてもちろん信じてない。あいつは絶対俺に何かやらせる気だ。多分とっても面倒なことを。
とすると、俺が転校してきたことも計画のうち、か。遥香さんもグルの可能性が高い。もしかすると学校総ぐるみの可能性もアリだ。
あの場で追求しなかった理由は単純で、問い詰めても話しゃしないだろうと思ったからだ。生徒会に入らなかったとしても何か目的があるなら多分嫌でも巻き込まれる気がする。おそらくキョウが提示する位置に居れば悪いようにはならないだろう。上手くすれば事前に察知して回避策が取れるかもしれない。
という訳でこの部屋を出てからの遥香さんへの対応は今までと同じようにしよう、と思考が一段落したところで部屋を出、リビングへ入った。お茶を飲んでいた遥香さんが話を向けてくる。
「こおりくん、学校はどうだった? 友達は出来たかな?」
「一応ね」
白々しくはならなかった……と思う。
「そう、よかったぁ。こっちは残念なお知らせがあります。なんと、今夜は輝燐ちゃんが友達のお家にお泊まりでいないのです。がっくり」
おいおい、そこまでやるか。ってか、俺が居る限りその友達の家に居座る気か? そりゃ家出だぞ。
「というわけで、今晩は二人での晩御飯なのです。それで、昨日こおりくんが言った通り何も頼んでないけど――あれ、それなぁに?」
そこで、ようやく俺が手に持っている袋に気付いたらしい。
「帰りに買ってきました。後で食費くれたら助かります」
「……もぉ、こおりくん。食べたいものあるんだったら言ってくれればちゃんと買って――」
ズレまくったことをのたまう遥香さんの口を黙らせるようにエコバッグを目の前に突き出した。
「え、ええっと、ジャガイモ? ニンジン? お肉?」
戸惑いながら後退する遥香さんに、その距離を一歩で詰め、眼前で宣告した。
「……これから俺は戦場に入ります。決して、邪魔しないように」
……大袈裟、と呆れる声は無視した。
それは昨日の事だった。
「――うあ、もうこんな時間かよ」
帰宅後、携帯のマニュアルと睨めっこして悪戦苦闘する内に、いつの間にか夕飯時という時間を過ぎていた。ちなみに、輝燐とは朝起きてから一度も顔を合わせてない。
この家じゃどうしてるか知らないが、居候としては任せっきりには出来ないとリビングへ向かう。しかしそこでは遥香さんが雑誌を読んでいるだけで準備をしてる様子もない。なので遥香さんに聞いてみると、
「あ、ごめんねぇ」
と謝ってきた。だから遥香さんも雑誌に集中して時間を忘れてたんだろうと思った。一瞬だけ。
「こおりくんの分も勝手に注文しちゃったぁ。何か食べたいものあったかな?」
……唐突に気付いた。
この家に来てから一度も手料理というものを食べていない。
この家に来てから一度も台所に入ってない!
「こおりくん、どうしたの?」
遥香さんが訝しむ声も気に留めずキッチンへ踏み込む。
綺麗だ。というか使われた形跡がない。
冷蔵庫をオープン。飲み物やわずかな調味料が入ってるのみ。生鮮品なんて欠片も見当たらない。あ、カニかま発見。ビールのつまみか?
棚をオープン。まったく手付かずの油や醤油、フライパンに包丁。炊飯器はあるのに米びつはどこにもなかった。
ガスは通ってた。レトルトを温めるのに使ったんだろう、手持ち鍋が使われた形跡があり、大鍋はほこりを被っていた。食器がちゃんと洗ってあったのは救いか。
電子レンジだけが唯一、頻繁に使われている跡があった。
「遥香さん、質問」
「はぁい、なんですか」
「包丁とか器具の用意はあるのに、どうして料理をした形跡が見当たらないのでしょうか?」
「やだなあもう、こおりくんってば。わたしも輝燐ちゃんも料理なんてからっきし出来ないからに決まってるよう」
だったら始めっから買うなよ!
「それにね、こおりくん。今の世の中、料理なんて出来なくても生きていけるように出来てるんだよ」
うわあ、すっごいダメなことを諭すかのように!
同時に響くピンポーンというチャイム。
「ごっはんごはん♪ 輝燐ちゃん出てきてくれるかなぁ」
パタパタと駆けていくスリッパの音。それを背に震える肩、握る拳。
目にもの見せてくれると、誓いを胸に刻んだ。
「…………」
「はい、出来ましたよ」
あれから一時間。ホワイトソースから自前のクリームシチューにブロッコリーを添え、鮭はマイタケと一緒にバターでソテーにして、盛り付けたサラダに手作りフレンチドレッシングをかける。主食はパンで。普段は米食なのだが、あいにく手持ちの金が足りなかったのでパン食で合わせてみた。
エプロンを外して席に着く。料理をしない家庭があることは分かっていたがまさかこの家もその類だとは。女所帯だからって油断していたぜまったく。
「ねえ、こおりくん」
「はい、なんですか」
「これ……食べていいの?」
「どうぞ」
「いただきますっ!」
言うが早いかクリームシチューを口に運ぶ。
「美味しい……美味しいよこおりくん!」
「別にそれほどのものでもないでしょう、いろんなお店の味をご存じの遥香さんには」
明らかな嫌味にも気付かずブンブンと首を振って一口一口噛み締めるかのように口に運ぶ春香さん。俺は普通に食べながら、心の中で密かに勝鬨を上げていた。んー、でももうちょい濃い目の味でも良かったかな?
「すごい! なんだかご飯が瑞々しい! わたし、もうレトルトでいいなんて言わない!」
今食べたサラダのカニかま、元々冷蔵庫に入ってたやつだけどな。
「こおりくん……おかわり……食べていいかな……」
「どうぞご自由に」
うわぁ、感極まって泣きそうだよこの人……。
居候してる以上家事くらいすべきだろ、と覚えたスキルの一つが、今ここで遺憾無く発揮されていた。
閑話休題。
食後のお茶を二人で
「こおりくん、明日お弁当作ってくれないかなぁ」
「無理です。朝弱いんで」
「そこをなんとかならないかな?」
「以前やってみたことありますが、すごい味になりますよ。むしろむごい味になります」
前の晩のうちに作っておく、という手もあるのだが……朝の俺は完成してるはずの弁当に何をしているんだ。そして何故あんな壊滅的な味へと変貌しているんだ。
「うう、そっかぁ……」
深く落ち込む遥香さん。気を取り直して顔を上げた。
「あのね、明日からわたししばらくこの家からいなくなるから」
「そうなんですか?」
「うん。当分戻ってこれないと思う」
それは……なんとも。このタイミングで手料理の味を覚えさせたのはいささか酷だったか。
「それでね、こおりくんに頼みがあるの」
「頼み?」
「うん。輝燐ちゃんをね、守ってほしいんだ」
守る?
「それってどういう――」
「さて、お皿はわたしが洗うね。こおりくん、早く寝ないとまた寝坊しちゃいますよ」
そう言うと重ねた皿を持ってキッチンへと立ち去ってしまった。
「…………」
どういう意味だろう。単純に留守の間をよろしく頼むということだろうか。それとも何かがあるのだろうか。
一つの秘密が全てを疑わせる。この場所は、この人たちは、
俺たちにとって害なのか無害なのか。
だから気付かなかった。
命じられるのでも媚びられるのでもない、頼まれるということが初めてだったことに。
『また留守にします、ごめんね。こおりくんと仲良くするんだよ❤』
「…………」
チャンスだ。
明日はどうしよう、さすがに何日も泊まらせてもらうわけにはいかないよね、とか悩んでいたところに遥香さんから届いたメールは、ボクに絶好の機会が訪れたことを知らせるものだった。
ついに、長年の呪縛から解き放たれる。
その為に遥香さんが連れてきた彼、周防こおりを利用する。ちょっと痛い思いをさせるかもしれない。彼に恨みは……大有りだから遠慮なく我慢してもらおう、うん。どうせ彼の立場だってボクと似たり寄ったりなんだ。そこからどっちかが解放される。
その後もあの家にいられるかは……ちょっとわからないや。遥香さんという人自体は好きだからあの家は悪くないんだけど……。
「りん、あがったぞー!」
あっ、と。風呂上りのパジャマ姿で伊緒が戻ってきた。濡れて重く垂れた髪の中、彼女のトレードマークであるアホ毛だけはぴん、と立っていた。うーん、いつか引っこ抜いてみたい誘惑に駆られるよね、これ。
そういえば朝、この子があいつに噂の内容を面と向かって尋ねたときには密かに驚いた。あの噂は、流したボクが言うのもなんだけど、明らかな誹謗中傷だ。そういうのを会話のネタ以上に使う子じゃないのはよく知ってる。大勢の前で相手を貶めるような真似をする子じゃ間違ってもない。
その辺が不思議だったので、そのまんま尋ねてみたら、
「んー、なんとなく? きーてみたくなった?」
自分でもよくわかってないっぽい。直感に従った、みたいなかんじかなー。でも伊緒の直感って、割と当てになんないよねぇ。
「こーりんなー、けっこーおもしろいやつだったぞー」
うん、当てになんない。ボクは正直言って気に入らない。
多分例の一件……二件がなくてもそう思ったに違いない。本能的に受け付けない……っていうのともまた違う。なんていうか、無意識に神経を逆撫でされてるカンジ? きっとボクと同じ立場のはずなのに何も悩まず日々を過ごしているように見えて、そんな人間の前で自分だけ悩まなくてはならないのが嫌なんだと思う。出来ればさっさと出て行ってほしい。
……明日、事が終わった後この考えはどう変わっているだろう。
「それじゃボクもお風呂いただくね」
「おー、あったまってこい」
こんな悩みがこれで最後であればいい。今は、そんな悩みも何もかもすっきり洗い流してしまおう。
「いきなり生徒会入りってどういうこと?」
「なんか生徒会長と相思相愛なんだって、きゃー!」
「え、私ロリコンって聞いたけど?」
「うわっ、なんかキモくない?」
とんでもない噂が広まっていた!
「よーロリコン!」
「あんた、わいの体が目当てやったのね!」
そんな噂の的に話しかけてくる奇特な人間が二人。
「おはよう。飲み物買ってきて」
「いきなりパシリですか!?」
「お釣りはあげるから」
そう言って百円玉を手渡す。
「足りないやん」
「せめて購買に行ってからツッコミに戻ってきてくれ。話す時間もちょうどよく無くなってるだろうから」
「おー、あいかわらずひどいヤツだなこーりんはー。よし、ミス研にはいれー!」
「断る。去れ」
「そんな邪険にせんでもいいやん。噂話をネタに盛り上がろうやないか」
「中傷の対象にそのネタを振るのは他の人にはやめといたほうがいいぞ」
「安心せい、他のヤツにはやらんわ」
「そうか。じゃあ勝手にしてくれ。俺の目の前でどんな酷い内容の独り言を垂れ流しても乾の自由だ」
「や、あの……すみません、なんかすみません、だからお話ししませんか」
似非関西弁外れてるぞ。
「だってなー、みんなピリピリしてるもんなー、べんきょーしてないの伊緒たちだけだもん」
……そういえば皆始業前だってのに教科書なんか広げている。特別勉強熱心な学生が集まった学校、なんて話は聞いてないから、これはどこの学校でも見かける、そう、あれだ。テスト前の一般的な風景。
「……もしかすると今日って」
「冬休み明けの学力テストや」
聞いてないし。いや、昨日寝ずに話聞いてりゃせめて昨日一日は対策する機会はあったのかもしれないけど。
「どうせ今からやっても無駄な努力やっちゅうねん。ほいなら道連れは多いほうがええわ」
「まえむきにバックバックー!」
「開き直るのは終わってからでも遅くはないと思うがな、乾、藤田」
いつの間にか教師が来ていた。
「HR始めるぞ、席に着け! ああ周防、とりあえずお前は進度の確認くらいに受けてみろ」
まだ教科書も貰ってないし、どうしようもあるまい。素直にその言葉に甘えさせてもらおう。
一時間目、現国。
いきなりの苦手教科で、すっかりやる気は削がれていた。
カリカリと鉛筆を走らせる音が教室中に響く中、ふと手を止めて斜め前を見た。
桜井輝燐。
俺が今朝登校してきたときには既にそこに座ってあの二人組と話していた。多分噂の発生源はこの辺。あの人間スピーカーなら悪気がなくてもどんどん広めそうな気がする。昨日の朝がいい例だ。
それはともかく。
気になるのは遥香さんのあの言葉。
守ってほしい。
完全に言葉通りに受け取るなら、彼女は知っていたと仮定していい。その上で考えて、何故?
その問いの答えは輝燐自身が知っているかもしれない。無論、話してくれるとは思ってないが。
表面的には今までよりいい環境の俺の新しい生活。しかし水面下では今までとは全く違った意味での厄介さが隠れているのは間違いがなかった。
それが害か無害か。結局起こった後にしか動けない俺は、今は答案を埋めるしか出来なかった。
「皆、テストの結果はどうだったかな? 良かった君も、悪かった君も、楽しくお仕事に取り掛かろうではないか」
「…………」
「ん、どうした周防、不景気な顔をして。さてはテストの出来が悪くて落ち込んでいるな」
「……何で俺はHRが終わった途端生徒会室に連行されてるんだ?」
「生徒会役員になったのだから当然でしょう」
獅子堂が代わりに答えた。
「だってキョ、会長が名義じょ――」
「諦めたまえ周防。厳格なる我等が副会長がサボりを許すと思うかい?」
ヤロウ。始めっから計算ずくかっ!
「ていうか何故わざわざ俺の教室まで先輩が迎えに」
「周防だからだ」
すげえ。出会って三日目でもうそこまでマイナスの信頼を築き上げてるとは。
「話もまとまったところで今日の議題に――」
「こんにちはです」
入りかけたところで、扉から女生徒が顔を出した。
艶やかに流れる長い黒髪からは大人っぽいイメージが、しかし頭の両脇に結んだ小さな尻尾から子供っぽい親しみやすさが同時に感じられる、物腰穏やかな女性。澄んだ声質に口調も相まって丁寧だがどこか稚気を感じさせる。そして何より、スゴイ。所謂女性の象徴が。ストレートに言うと、胸が。はて、昨日こんな人がいただろうか。
「また来てしまいました」
「やあ杏李女史。そろそろ来るのではないかと思っていたよ。やはり彼に興味が?」
「ええ、期待の新人を拝見しに」
そう言うと彼女は俺の隣にすっと座った。間髪入れず彼女の目の前にお茶が出される。
「ありがとうございます」
お茶出しをした女子にぺこりと礼を言うと今度は俺の方を向いた。
「周防こおりさんですね。
「そうだったのですか」
……なんかつられた。
「もう三年生は自由登校なのですけどね。私は皆さんが受験勉強で忙しい中、こうして生徒会室に遊びに来てしまう悪い子なのですよ」
「とうに推薦が決まっているのだから悪いことでもないでしょう」
「手伝ってくれるとありがたいけど、今の生徒会は私たち。でも偉大な先輩を歓迎することに異論は無い。邪魔さえしなければ」
「というわけで周防、初仕事だ。杏李女史を接待してくれたまえ」
「は? なんだそりゃ?」
いきなりわけのわからない仕事を回されたぞ。っていうか仕事じゃないだろそれ。
「たいしたことじゃありません。お互い話をして親睦を深めましょう、っていうことですよ。生徒会のことで分からないことを訊いて下さっても結構ですよ。なにせ元生徒会長さんですから」
「と言われても」
この人にしても生徒会にしても別に知りたいことなんてないし。
「じゃあ私がこーりんのことを根掘り葉掘り聞き出す時間、ということで結構ですね」
「待て、内容自体も物騒だがその前に、こーりんって何ですか」
その質問に石崎先輩は何故かきょとんとした。
「伊緒さんがそう呼んでいらしたので」
「伊緒…………藤田か。いや待て、どうしてそこで藤田が出てくるんですか」
「私、ミス研の元部員さんなのですよ」
「質問にも答えたところで、こーりんの尋問タイムのスタートです」
「勝手に始まってるし、ってか尋問!?」
徹底的にスルーしよう。
「で、昨日今日の噂は本当なのですか?」
いきなりそう来たか。
「それはぜひ私も聞いておきたいわね。随分とひどい噂が広まっているようだし、あなたが正式に生徒会役員になった以上、これが根も葉もない噂なのか、それとも真実なのか、場合によっては処分も検討しなければならないから。噂の収拾にも乗り出さなければならない規模だし、その辺はっきりしておきましょう」
獅子堂が尋問に加わった!
「僕の調査によると、尾ひれ背びれを取り除いた大本の情報は、昨日のものが『女性を押し倒して胸を揉みしだいた』と『女性の着替えを覗いた』、今日のものが『ロリコン』と『ゲイ』だ」
「合わせ技でショタですね」
「人をどんどん変態にするな」
「これは失敬。では気を取り直して噂の検討を致しましょう。昨日のものに比べて今日のは具体的な内容に欠けていますね」
「だからこそ却って昨日のものに信憑性がある、とも言えるがな。で、どうなんだおまえ」
「もっと他に議論するべきことがあるんじゃないかな、と」
実は暇なのか生徒会。
「噂の中心人物が他人事のように言わないでよ」
「で、噂は本当なのかね? ああ、いくら待ってもカツ丼は出ないからね」
「今日のは嘘っぱち、昨日のは事故」
黙ってても長引くだけなのであっさり吐いた。
「あと覗きじゃない。むしろ見られた」
「……ストリーキングさん?」
「違います」
そんなに俺を変態にしたいか。
「……噂を流したのは相手の女性ね?」
「多分」
その返事にキョウと何か話し始めた獅子堂。その隙を突くかのように、
「昨日の朝の件で勘違いされておられるかもしれませんが、伊緒さんはこのような噂をお流しになる方ではありませんよ」
と石崎先輩に耳打ちされ、すぐに離れていった。藤田を庇うみたいな言い方だな、となんとなく思ったところで獅子堂がこちらに向き直った。
「私たちから特に言うことはないわ。ちゃんと話して解決すること、いいわね?」
「はーい」
投げやりに返事したら睨まれた。
「うむ、ではこの件は周防に一任するとして次の議題に移ろうか」
今の議題だったのか。
「あれ? もしかしてもうお話の時間はおしまいですか?」
「うむ、周防にも早くこの空気に慣れてもらわねばならんからな。悪いが返却してもらおう」
貸し出し物扱いかよ。
「お仕事の邪魔をする訳にはいきませんね。仕方ありません、今日のところは退散するとしましょう」
そう言って立ち上がると、――再び俺のすぐ耳元まで顔を寄せてきた。それもさっきよりずっと近い。まるで頬に口寄せるかの距離。思わず身を離そうとしたところで、
「ではごきげんよう、『最高のオーナー』さん」
「――!」
ばっと振り向く。彼女は既に顔を離していた。
「今度はもっとお話しましょう。出来れば貴方のお友達もご一緒に、ね」
そして生徒会室から出て行った。
オーナー。
単語の意味は分からないが言葉の意味するところは一つしかない。
知っている。俺たちを。
反射的にキョウへと向けようとした視線は、
ピロリロ~という電子音と周囲からの冷たい視線に遮られた。
「仕事中は電源を――」
「はいっ、すみません!」
言い終わる前に携帯を取り出す。そういえば朝から携帯をいじった覚えが無い。授業中に鳴らなかったのは本当に幸運だった。
電源を切る――前に届いていたメールを開いた。
『下校時刻後、教室で』
用件だけの短い文面。差出人は――桜井輝燐。
Another eye
「もしもぉし」
『私だ』
非通知の電話番号から掛かってきた声は低く硬い男の声。
「塀内さんでしたか。いい加減非通知で掛けるの止めてくださいよぉ」
『君こそその間延びした話し方を止めてくれ。私はともかく周囲の緊張感が薄れていく』
むう。生まれつきだからどうしようもないですよぉ、だ。
『『死神』の様子はどうだ』
『死神』。六年前の事件以来彼に付けられたコードネームの一つだ。
「普通に登校していきましたよ。ちょっとこちらを伺っている様子はありましたけど」
『――やはり私はこの決定に納得できない』
「おやぁ。どうしてですか?」
『学園に編入させたということは『死神』を我々の庇護下に置くと知らしめる行為だ。これまでは彼をこの世界から遠くに置くことでどの組織も牽制し合っている状態だったのだ。だがこれでそのバランスは崩れた。これからはどの組織も彼に対して何らかのアクションを開始してくるだろう』
昨日は朝から監視されていたようですしねぇ。
『特に『あれら』は武力行使も辞さない構えだ。編入などという生温い引き入れではなく、完全に我々の側の人間にすべきだ、と言っているんだ』
「……ふう。わかってませんねぇ」
『?』
「いいですか塀内さん。彼は『死神』です。『王』です。究極の中でも頂点に位置する力、それを今のわたしたちがどう御せるというんですか? 事情を話して協力を仰ぐ? 彼はそんな他人事、興味も抱きませんよ。拘束して言うことを聞かせる? 力を抑えた彼を拘束したとしても、彼は虎視眈々と敵と認識した我々の寝首を掻こうとするでしょうね。最悪全力を振るわれたら組織の壊滅は決定的です。ミスティだけでも確保する? 忘れちゃいけません、彼のミスティは特殊です。オーナー無しではただのコモンですよ。きっとその性質上オーナーの変更は効きませんし、そもそもわたしたちはそんなことを起こさせないための組織でしょう。もっとも、自分たちの傘下に置かないと始まらない他の組織はとりあえず確保に動くでしょうけど」
『……で、そこに彼を学校に置いておく理由がどこにある』
「彼を縛るのに必要なのは力じゃありません。情です。学校という空間、あるいは今の生活。守りたいと考えるなら彼は自然とわたしたちの手足になってくれます」
『情、ね。彼のプロフィールを見る限り成功率は低そうだが』
「そんなことはありませんよ。彼は――『人間』ですから」
「?」
「ああでも、一悶着くらい起こるかもしれませんけどねぇ」
事実、今輝燐ちゃんと揉めている真っ最中だし。
『それはいいだろう。だが、狙われる立場にあるのはどうする?』
「狙われてくれなきゃ困ります。『その時』までに彼には戦闘経験、『死神』の完全制御など覚えてもらわなきゃならないことが多いんです。その為の『守り場であり戦場』である霧群学園ですよ」
彼に所謂『特訓』みたいなものが無意味だというのはわたしがよく識っている。
そして何かを思案するように携帯の向こうが黙った後、
『いつ我々についての説明をする気だ?』
「多分そう遠くないと思います。誰かが彼に直接アクションを起こせば、その時こそ間違いなくわたしたちを問い詰めに来るでしょうから」
『その後のほうが状況理解が早くて助かる、か。なるほど、では最後の質問だ』
「はい、なんでしょう?」
『君、及び桜井輝燐との同居には如何ほどの意味がある?』
「いやですねぇ、未成年の彼に保護者を付けるのは当然じゃないですか」
『そこで何故君なのか、と聞いているんだ。いざというとき、彼を止める力がない君に適任だとは思えないが』
「全力を出した彼を止められる人なんているんですか? まさかこの街に『皇帝』を呼び出す、なんて言いませんよね?」
彼女が動けば間違いなく『冥王』も動く。それこそ収拾がつかない事態になることぐらい、わたしが言うまでもない。
『全力でなくとも、だ。今の君では不可能だろう。他生徒と同様寮住まいでもよかったのではないのか』
「……そうですねぇ、先に引き取った輝燐ちゃんに彼が必要そうだったから、というのもあるにはあるんですが」
目を閉じ思い出す姿は、
「ワガママですよ、ただの」
わたしの小さなプライドを粉々に砕いた白銀の死神。
『……まあいい。君の道楽だろうと結果的に『死神』が役目を果たしてくれればな』
「はい。それにしても難儀なことですよねぇ。一つの危険物を処理するためにそれ以上の危険物を用意しなければならないなんて」
まったくその通りだ、といわんばかりに重い溜め息が返ってきた。
『ところで話は変わるが』
「はい?」
『今どこにいる』
「高速を百二十キロ超でかっ飛ばしているところです」
『すぐに携帯をしまえ』
「え~、大丈夫ですよぉ」
ちらとハンドルのほうを見る。わたしの手から完全に離れているそれは、勝手に動いて車を運転している。ペダル、ギアも同様だ。
『またそんな力の使い方を……。いいからしまえ、知らない人間が見れば携帯片手に運転しているようにしか見えん』
「……はぁい」
同僚のお小言にしょぼくれながらも素直に通話を切った。
Another eye end
生徒会活動終了後、いつの間にかキョウの姿は消えていた。逃げたな。
仕方ない、石崎先輩の言葉について問い質すのは後だ。先に教室へ向かおう。
彼女と話をすることに気の重さのようなものはなかった。どうせいっぺん話しておかなきゃならなかったんだ。その機会を彼女のほうからくれたのだから、ありがたく便乗させてもらおう。
さて、何から話すか、とりあえず謝らないといけないよな、とか考えながら教室の前まで辿り着き、ガラリとドアを開いた。
静かな教室に一人だけ。自分の席に着いて瞑想するかのように目を瞑っていたサイドポニーの女の子が扉の開く音に反応して両眼を開く。
「よう、き……」
いきなり詰まってしまった。輝燐とちゃんと話をするのはこれが初めて。『輝燐』と名前を呼ぼうとしたところでいきなり呼び捨てにしていいものか考えてしまったのだ。
「キミに――」
その間に立ち上がった輝燐の方から話を切り出していた。仕方ないので先に彼女の用件を聞くことにしよう。
「頼みがあるんだ」
その言葉とは裏腹に彼女の目は睨むように鋭い。絶対頼み事をしようって人間のそれじゃねえ。
「聞いたらここ最近の噂話は止むのか?」
別に俺自身はどっちだろうと構わないのだが、このまま放置しておくとまた獅子堂に睨まれる事になりそうだからな。
「かもしれないね」
そう答えながら教室の後ろのスペースに出る輝燐。黒板の前にいる俺と正反対の位置に。
「でももし頼みを聞いちゃったらあの家を出て行かないといけないかもしれない――それでも聞く?」
「別にあの家に執着があるわけじゃなし、第一お前俺に出て行ってほしいんじゃないのか?」
「そうだね」
「だからとっとと話せ。内容次第じゃ聞いてやるから」
「……別に難しいことじゃないんだよ」
その時。彼女の周りの景色が揺らめいたのを、
「ただ、殺しあってほしいんだよ、こいつと」
それを目の錯覚と思わなかったのは、経験則からだった。
出てくる。
霧の中から陽炎の道を通って。
この世界にそれが姿を現すと同時に。
光の球が俺に迫り来ていた。
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