第二話 学園と副会長

「……ジ○ムおじさん!?」

 身体がビクンと跳ねた。……なんだ、夢か。

 頭をぽりぽりと掻きつつ胡乱な頭で見知らぬ室内を見回す。そしてすぐに引っ越したばかりという状況を思い出した。最早毎度のことなので今さら混乱に陥るなんてことない。

 ……ふあ。久しぶりにぐっすり眠れたなぁ。目覚めて早々意識がはっきりしてるのも珍しい。今日は槍でも降るかね? そう思いつつ時計を見る。

 ……十一時。えーっと、確か昨日床に入ったのも確かそのくらいだったから……

 参ったね、十二時間寝ちまったよ! そりゃ寝覚めもすっきりさ、HAHAHA!

 ……起きるか。

 着替えようとして、ふと手を止めた。視線は扉へ。思い出されるのは昨日の浴室での惨事。

 ……乱入してきたりしないよな?

 馬鹿な考えと切って捨てた。一体何の理由があって嫌ってる奴の部屋に飛び込んでくるものか。万一何かの間違いで踏み込んできたとしても今度は硬直すらせず平然と対処できるだろうなーと漠然と想像出来る。よって何の問題も無し、と。

 寝巻きのズボンを下ろした。

 ガチャ

「こおりくん、運送屋さん来たよぉ。いつまで寝てる……の……」

 ……硬直。

「……あは、あははははは」

 真っ赤な顔で気まずそうに笑う遥香さんが扉の向こうへ消えていく。

 パタン

「……ふみゅう」

 ドサリと、何かが倒れる音が聞こえた。

 ……ハッ、なるほどな。そりゃ、こんな事一回や二回で慣れるわきゃないよな。まして相手が遥香さんとあっちゃ尚更か。おお、なんと。冷静に自己分析できるくらいには冷静ではないか、HAHAHA。

 そんな、今現在の問題点とは微妙にズレたことを考えた。はい、現実逃避ですがぞれが何か? 冷静さ? どこにあるんだ、んなもん。



 さて、引っ越しとは言うもののそれほど多くの荷物があったわけじゃないので、引っ越しは一時間と経たずに終了した。その間に遥香さんもどうにか復活、謝り倒されることとなった。……まあ、今回マナー違反をしたのは向こうだしね。

 そして時刻は正午。朝も食べてないし胃が空腹を訴えてくる。催促をするようでなんだが、昼飯の相談をしようと口を開きかけたところで、

「お買い物しましょう」

 と遥香さんが先に提案してきた。

「買い物?」

「だってこおりくんの部屋ってあまりにも殺風景じゃない。見栄えのするよう飾らなきゃいけないってわけじゃないけどお客様を部屋に上げるときに机くらいあったほうがいいでしょう。あ、音楽なんかは聴くのかな? テレビは?」

「いや、そんなお金ないし」

 それにいざまた移り住むことになった際荷物は少ないほうがいい。

 しかしまた遥香さんは強引に押し進めてくる。

「構いません。お引っ越し記念にどーんとプレゼントしちゃいましょう」

「そんな、悪いですよ」

「遠慮しないのぉ。そうだ、こおりくん携帯は?」

「持ってないですけど」

「よし、じゃあそれもだね。これから持ってないといろいろ不便だもの」

 うんうんと一人頷いている。

「服も結構少なかったよね。よぉし、このわたしが直々に見繕ってあげましょう。それと……」

 まずい。早く止めないと際限なくプレゼントが増えてゆく予感がする! ここは話題を変えて!

「あー、それより遥香さん? そろそろ昼飯にしてもいい時間だと思うんだけど」

「ああ、そうね。それじゃあまずご飯を食べてからゆっくりお店を回りましょうか」

 そう言いながらコートを着込む遥香さん。

「へっ? もう出るの?」

「うん。美味しくて安いお店も教えてあげるね。あ、そっか、来たばかりなんだからどこに何があるかもわかんないよね。ようし、張り切って案内してあげよう」

 作戦失敗。ていうかなんだこの状況、どうしてあなたはそんなところに気を遣って、どうして俺はこんなことに気を遣わなきゃいけないんだ。今までにも物の無さに何か入り用はないかと聞かれたことはあったが俺が必要ないといえばそれ以上追求してはこなかったのに。

 わかってる、俺は子供だ。相互不干渉を望んでも所詮養ってもらっている存在だ。しかも望まれてもいない厄介者。だからこそ出来るだけ余計な迷惑をかけないようにしているというのに、この人はなんで自分から負担を背負い込む真似をするんだろう。

「ふふふ、お姉さんにどーんと任せなさい!」

 そして、この人に言われると何故か断りにくくなる俺もまた謎だった。



「……こおりくんは遠慮しすぎです」

「いや、これだけ買ってもらえばもう十分すぎますって」

 そう言っても遥香さんはぷんぷんと頬を膨らませるのを止めない。子供っぽい怒り方だ。いや、拗ねてるのかもしれない。しかし普通物を買えなくて拗ねるのは買ってもらう側だと思うのだが。

 ちなみにラインナップは遥香さんが勝手に見立てて買った服数着に遥香さんが勝手に見立てて買った座卓と合わせの座布団、そして携帯電話。既に中には遥香さんと輝燐の番号が登録されている。

「そもそも携帯一つ買うのに渋り過ぎです。もうみんな持ってるしむしろない方が不便な世の中だよ」

「や、わかってるんですけどね」

 俺が気にしているのは月々の使用料金のことだ。遥香さんが払うというのは俺自身彼女に養われている以上(本当は抵抗あるけど)それじゃあお言葉に甘えようという気にもなるけど、また移り住むことになった際にはそうはいかない。この人はまだそういう考えはないみたいだけど、それはを知らないからだろうし、よしんば知った上で住み続けることを認めてくれたとしても、またそういうこともあったが、別に家庭内だけが退去の理由には留まらない。そしてそれはいつ訪れるかわからない。そうなれば料金を払い続ける気はないからこいつはあっさり無用の長物と化してしまう。そういうものをわざわざ買わせたくなかったのだ。

「こおりくん、なにもわたしは甘やかそうってわけじゃないの。ただね、これはこおりくんがわたしたちの新しい家族になった記念なの。だから、そのためにお金を使うのは全然間違ったことじゃないの。わかる?」

 その考えは、いつ離れるかもわからない仮初のものだと考えてる俺とはまったく逆のものだった。

「それにね、わたしが今輝燐ちゃんやこおりくんを養っていくお金は二人が大きくなったらちゃんと返してもらうから、だから全然気にしなくていいの」

 これも、俺がずっとこの家にいることを前提に話している。

 きっと、遥香さんの中ではそれが決定事項で、当然のことなのだ。不快ではない。俺のことをちゃんと考えてくれているのだ、不快であるはずがないが、やはりどこか他人事のようで自らの立場として受け入れることが出来なかった。

 と、遥香さんが何かに気づいたようにハッとなり、

「わ、わたしこおりくんたちが大人になったら退職するような年齢としじゃないからね!」

「あー、はいはいわかってますって」

 なんだそんなことか。まだ二十台前半でしょうに、気にすることもないでしょう。いや、これだけ慌てるってことは実は見た目より歳取ってるってことも、

 ――ガッと両肩を掴まれた。

「こおりくん」

 って痛い痛い痛い!? って怖っ、なにそのダウナーな笑顔!?

「女性の年齢を考えるのはね、いつだってNGなんだよ?」

「は、はいいっ!」

 逆らっちゃいけない。そう生存本能が告げるまま勢いよく返事をした。

「お姉さまとの約束だよ、もちろん守ってくれるよね?」

 疑問形にみせかけた脅迫に、

「はいっ、もちろんであります!」

 逆らう気など一片も無かった。

 その返事に遥香さんは満足そうに頷くとようやく手を離した。その顔は元の「ふんわり」な笑顔で先程のような恐怖は微塵も感じられない。しかしそれが幻でなかったことは未だ肩に残る痛みが証明していた。……跡残ってないよな?

 しかし本当不可解だ。本気で恐怖を感じるとか、いったいどれだけぶりだ? 多分他の人で同じ状況になったら条件反射的に同じ言動はするだろうが、本気で応じるとかは絶対にない。出会ったばかりだってのにどうしてここまで距離感が近いのか。まさか、生き別れの姉とかいうオチじゃないよな。

 ……姉といえば。

「遥香さん、あの輝燐ってなんですけど」

「え、輝燐ちゃん? 輝燐ちゃんがどうかしたの? 気に入っちゃったのかな?」

「いえ、ただちょっとあの娘も遥香さんのこと『遥香さん』って呼んでたのが気になったな、ってくらいなんですけど」

 あと、昨夜の夕飯で「ボクのときも」とか言ってたのも引っかかるところだった。

「……うーん、お姉ちゃんって呼んでほしいと思うんだけどね」

 困ったように笑う遥香さんを見てると触れられたくないことだったのだとなんとなく分かった。

「でもやっぱりお姉さま、かなぁ」

「それは絶対呼んでくれないと思います。ちなみに俺も呼びません」

 居候の分際で人の家の事情をとやかく言うべきじゃあなかったな、と少し後悔。えー、という非難の声を聞こえない振りして空を見上げたとき。

 灰色の空に一点、白がともった。

 それは次第に二つ、三つと増えていき、遂には空を埋め尽くす。

 今はすぐ元に戻る地表も、いずれは白に染め尽くす。

 見上げた顔にも一点、冷やりと舞い降りる。すぐに融けて水に変わる。その感触が心地良い。

「わあ、降ってきちゃった。どうするこおりくん、もう帰ろうか? それとももう少しお店とか案内しようか?」

「あ、いえ」

 ふと周りの様子を眺める。降り出した雪に足を速める人、傘を差す人。どこにでも見かける普通の光景だった。

 ……やっぱり気にしすぎだったな。

「あ、そうだ、もう一箇所だけ案内しておきましょうか」

「え? あ、はい、どこですか」

 その質問に遥香さんが含み笑いを浮かべた。

「こおりくん、冬休みは今日で終わりなんだよ」



 そこは駅前の繁華街を出て大通りから外れ、坂道を登った先の小高い丘の上にあった。

 私立霧群きりむら学園。それが明日から俺が通う学校の名前だ。

 校門から駐車場の向こうに見えた近未来的なデザインの校舎は、まず何といってもデカかった。玄関から入ってすぐの広々としたエントランスは四階まで吹き抜け。学校の廊下は、それにしては幅広く、教室の中は……割と普通。別棟に体育館と武道場、運動場とおなじみの施設。運動部が部活していたのでちらと覗いただけだが設備はなかなか良いものを使っているんじゃないだろうか。そして校舎の周りには……何も無い。これまただだっ広い雑木林で埋め尽くされている。ナニこのアンバランス。てか無駄に敷地使いすぎだろ、どうでもいいけど。

 さて、そんな校舎だが一時間もすれば大体一巡りしてしまった。……一人で。

 本当は場所だけ確認したらすぐ帰るはずだったんだが、遥香さんが「学園長とお話があるから適当に校舎の中見て回っててね」とか言って返事も待たず先に行ってしまった。別に待たずに一人で帰ってもよかったけど仮にそうした場合また拗ねるのは目に見えてたし無駄に反発して迷惑をかける気も無かった。そして今さらのように思う。

 遥香さんって何者なんだろ?

 いち転入生の保護者に過ぎない人が学園長に会いに行くなんて普通はないだろう。ここに来たのだって街の案内のついでに思いついたようなものだからアポを取っていた訳でもないだろうし、個人的な関係でもあるのだろうか。いや、それ以前に俺はあの人のことを何も知らない。何をしてる人なのか、どうして俺を引き取ったのか。

「ちょっとあなた」

 好奇心はある。ちょっとした世間話程度に聞けばいいし、それに俺自身のことでもある。聞く権利くらいはあると思う。

「あなた、聞こえてる?」

 でも決して知らなきゃいけないわけじゃない。余計なトラブルの元になるものは出来るだけ持ち込みたくは無い。いやいや、さすがに遠慮のし過ぎか? 妙な感じだ、いつもなら「どうでもいい」とか「どうせ他人事だし」で済ましている程度のことなのに――

 ぐいっ

 唐突に耳を引っ張られ――

「いつまでも無視してるんじゃないっ!!」

 ――!!!

 耳が、耳があっ!! 鼓膜があっ!!!

 耳を押さえてぷるぷると痙攣しながらも音の発生源を見た。ショートヘアにヘアバンド、眼鏡の女の子。この学園のものだろう白と藍色のセーラー服の腕には腕章。すごい、なんてステレオタイプな委員長。それはともかく、

「なにすんのっ!」

 俺の悲痛な叫びにも委員長(仮)は呆れたように鼻を鳴らすだけだ。

「何度も普通に呼び止めたわよ。それでも聞こえないようだったから強硬手段に出ただけ。文句があるなら聞くわよ、聞くだけだけど」

 ぐう。他にも穏便なやり方があったんじゃないか、と言いたいが言えない。何と言うか、威圧感が凄まじい。怒りによる重圧プレッシャーじゃなく、有無を言わせぬ風格というやつがもたらすものだ。ただの委員長じゃないなこいつ。

「そんなことはともかく。登校時には制服の着用が校則で義務付けられていることは知ってるわよね」

「いや、知らないけど」

 この空気を読まない台詞――つくづく俺は危機意識が足りない。この重圧の中相変わらずの他人事扱いで返事が出来た辺り大物といえるかもしれないけど。もしくは馬鹿か。

 委員長がピクリと片眉を吊り上げた。そして不審そうな目でじろりと睨んでくる。

「そういえばあなた、見ない顔ね。名前と学年、クラスを教えなさい」

「周防こおり。多分一年生で、クラスは知らない」

「……おまえ、部外者か」

 ちょ、おまえって! いやそこじゃない、おもいっきり不審者扱いされてる! 通報寸前だし!

「いや、違う! 転入生! だからその携帯しまって!」

「……転入生?」

 全力でコクコクと頷く。

「周防こおり……」

 委員長は俺の名前を呟くと顎に手を当て考える素振りを見せた。幾ばくもしないうちに一つ頷く。

「そうね、確かに。それで、その転入生が何故こんな所をウロウロしているの? 職員室や事務室なら向こうよ」

「いや手続きとかじゃなくて、保護者の人に学校まで案内してもらって来たんだけど、その人学園長に話があるとかで俺は校舎の中見学してなさいって」

「保護者……桜井遥香さん?」

「あ、うん……知ってるの?」

「ええ、理事の方で何度も学校まで足を運ばれてるから。さっきも会長が学園長室へ呼ばれたところだし」

「ふうん」

 …………

 って理事!?

 理事って要するにお偉いさんだろ!? 学園長に会いに来たことの説明にはなったけど、なおさら何者なのか気になってきたぞ、おい。

「何鳩が豆鉄砲食らったような顔してるの」

 わっ、また不審げな顔!

「い、いや」

「まあいいでしょう。まだ正式にうちの生徒ではないということで見逃してあげるけど、明日以降このようなことがあった場合は罰則の対象になるので気を付けるように」

「ああ、はい」

 ようやく解放されると思った瞬間、ピロリロと場違いな音が鳴った。何の音だろうとのんきにしているとまた睨まれた。

「え、なに、俺!?」

 聞き覚えの無い音だが確かに出所は俺のようだった。服の上から体中に手を当ててみるとポケットに何やら硬い手触り。

「あ」

 探り探りで操作しどうにか文面を開く。

『おっしま~い、はやくかえろぉ。昇降口でまってるね』

「終わったそうです」

「そう」

 素っ気無く一言だけ返ってきた。特に何か言われることもなさそうなのでこのまま立ち去ることにしよう。

「それじゃあ」

「シシドウ」

 と思ったら意味不明の単語が飛んできた。

「……はい?」

「シシドウユウキ。二年生でこの学園の生徒会副会長をしているわ。あなただけに名乗らせておいて私が名乗らないのは礼儀がなっていないでしょう」

 ああ、なるほど。……委員長じゃなかったんだな。でも規律に厳しいって意味じゃ同じか。むしろこんなのを従えてる会長って何者だ、とまだ見もしない人に畏敬の念を抱いてしまう。

 しかしまた珍しい苗字だ。輝燐もそうだが、漢字変換がぱっと思い浮かばない。と、表情から察したのか結露で濡れた窓ガラスに書いてくれる。

 獅子堂優姫。

 …………。

「苗字がそのものズバリな癖に名前が全く似合っていない、とか考えてるでしょう」

「エスパー!?」

「正直で大変よろしい。ただし口は災いの元という言葉もあるのよ、覚えておきなさい」

 まずい。何か地雷を踏んだ気がする。だって目の前の人の怒りのボルテージがどんどん上昇しているもの!

「それでは、人を待たせているので俺はこれで!」

 返事を待たず彼女に背を向け駆け出した。

「廊下を走るな!」

「はいいっ!」

 今朝といい今といい、もう上の空で歩くのはよそう。次は命に関わるかもしれない。そんな教訓を密かに得たのだった。



「あっ、来た来た。って、どうしたの汗びっしょりだよ。運動部に混ざって練習でもしてきたの?」

「いえ、気にしないで……」

 ただの冷や汗だから、とは言わずに貸してもらったハンカチで拭いた。

 と、今さら気付いた。いや、威圧されて気付く余裕がなかったとも言えるが――今の副会長。

 また、

 どうなってる? 六年前のからずっと纏わりついていたこの感覚、その対象外が急に二人も現れるとか、有り得るのか? この感覚のそもそもの原因から考えて。

「うーん。でも傘借りてきたのは正解だったね。そんな状態で外出たら風邪引いちゃうよ?」

 その言葉につられるように考え事をやめて外を見た。しんしんと降る雪はいつの間にか地面にうっすらと積もり始めていた。

「でも傘一本しかないじゃないですか」

「そうだね。相合い傘しよっか」

「ヤですよ恥ずかしい」

 振り切るように一足先に玄関を出る。地面に敷かれた薄い雪に足跡が一つ、二つと増えていく。

「もう、風邪引くってば」

「大丈夫ですよ、このくらいの雪じゃあ寒くもないし風邪なんて引きっこありません」

「そういう油断が怖いんだよっ!」

 そう言って俺に追いつくと傘を押し付けてきた。ちょっと過保護じゃないかこの人。

「ほら女の子のほうから誘ってるんだよ? こんなこと人生で何度あるかわからない貴重な機会なんだから素直にお姉さんに従いなさい」

 女の? とかいう危険な考えは必死で表情に出さないようにした。

「正直どうでもいいです」

「淡白だなあこおりくん。女の子に興味とかある? これから女の子二人と同居生活っていうのどう思ってる?」

「これといって特に何も。強いて言うなら男同士よりマナーに気をつけるのが大変かな、と」

 その失敗した結果が昨日のあれで今朝のあれだし。決して異性に興味を示さないというわけではないが突発的なこと以外は綺麗にスルーしてるし、それ以前の問題として人間関係を広げる気がさらさら無い。

「うーん、思ったより重症だなぁ……」

「なんですか、女の子に興味がなかったら病気ですか」

「そうじゃなくて、こおりくんって人間不信気味じゃない?」

「……そんなことは」

 ない、とは一概には言えなかった。

「ちょっと距離を開けてるだけです」

 代わりの返事は肯定とも否定とも取れるものになった。

「それじゃあわたしとは?」

 その言葉と同時に遥香さんが横から顔を覗き込んできた。

「っと!?」

 その触れるほどに近い距離に思わず硬直してしまう。

「わたしのこと。きっといろいろ考えてるよね、こおりくんは。怪しんだり……疑ったり。まるで信用してないんじゃない」

 覗き込むは俺ではなく、まるで深淵を覗いているようで――ふと、どこかで見たことがあるような錯覚に捉われた。

 ……それはさておき、彼女の言葉は事実その通りだ。隔絶の感覚がないというのは信用できるか否かという事とまったく関係がない。むしろ却って警戒の材料になるくらいだ。

「……まるでってことはないですが、遠縁っていうのは嘘かな、と」

「……そう」

 そっと答えつつも遥香さんの顔は離れない。いつの間にか密着するくらい隣に来ていた。……隣に?

 顔を上に上げる。空の色は見えず傘の中にいた。周りの景色も校門を出た下り坂の途中だ。

「話し込んでるうちにいつの間にか歩いていた二人は相合い傘でしたという罠~!」

「…………」

 サイドステップ。

「えうー!?」

「もうほっといてください。好きなんですよ、こう雪の中歩くの」

「相合い傘して歩くほうが絶対に楽しいと思うんだけどなぁ」

 はあ、と残念そうな溜め息の遥香さん。

「仕方ありません。残念だけどこおりくんは自分の楽しみを優先するといいよ」

「……といいつつこっちに寄ってくるのは何故ですか」

「わたしも自分の楽しみを優先しよっかなって。わーん、逃げないでよぉ」



 Another eye


 窓から外を眺めていた。眼下には正面玄関。まもなくして人影が二つ出てくるのが見えた。

 後から出てきたほうは傘に隠れて姿が見えない。……先程遥香女史に貸した、もとい奪われた自分の傘だ。有無を言わせず持っていったあの手際。うむ、参考にしたい。

 注目すべきはもう一つ。先に出てきた男子。傘に入るのを嫌がるような仕草をする彼の面影はわずかばかり陰を帯び、しかし自ら雪に降られようとする彼の姿は根本的に変わってはいないことを示していた。

「あの人ですか?」

 清涼感ある澄んだ声に隣から尋ねられた。

「ああ」

 声が弾んでいるのが自分で分かる。歓喜に打ち震えるのを止められない。

「今の貴方を作った人、ですか」

「そう。彼なくして今の僕はいなかった。組織に属しない大多数がそうであるように、あの子を利用するか嫌悪するだけの人間になっていただろう」

「わかります。わたくしも翠歌くんが居なければそのようになっていたと思いますから」

 くくっと笑う。しかし対して目の前の彼女の表情かおは曇り気味となる。

「どうしたかね?」

「……貴方も資料は貰っているでしょう? 彼の今までの環境と経歴……それを鑑みれば私たちと同じようになっていないと断言できないでしょうに」

「ああ、その懸念ならさっき晴れた」

「そうなのですか?」

 拍子抜けと驚き。そんな表情をした彼女に自信満々に言ってやる。

「ああ。無論多少の歪みはあるがそれは君たちとは違う方向だ。そして、。彼は必ず僕らの期待に応えてくれるだろう」

 そうとも。何故なら、

 周防こおりが雪と戯れている。

 証明はそれだけで十分だ。

「むしろね、僕は彼の扱いの方が問題だと思うよ。ってのはなんだいそりゃあ。利用するための下地を作っているだけじゃないのかい」

「それは仕方ないでしょう。彼でなければ解決できない問題があり、それが完全に表に出るまでに確実に彼を味方に引き込んでおかなければならないのですから」

「うーん、僕もそう思うんだがね。そこにこおりちゃんを巻き込むというのが、どうも、こう……」

「あらあら、おアツいじゃないですか」

 身振り手振りで表現しようとしているところへガチャリ、とノックもなしにドアが開いた。

「ただいま戻りました……何身悶えてるんですか会長」

 おや、我が優秀な片腕のご帰還だ。

「戻ってるなら仕事して下さい。ああ石崎先輩、いらっしゃってたんですか」

「ええ、また遊びに来てしまいました」

「引退した方に仕事しろなんて言いませんけど、邪魔はしないで下さいね。叩き出しますよ」

 うむ、元生徒会長にも遠慮が無い。実に素晴らしい副会長殿だ。

「会長は喋ってないで仕事して下さい」

 現会長にはさらに容赦が無い。

「叩き出すかね?」

「足の上に重石を載せるわ」

「それは怖い」

 実に頼もしい副会長様だ。

 その後は明日の始業式に向け、下校時刻まで仕事を続けたのだった。


 Another eye end

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