第1章 Death × Light
第一話 始まりはお約束
「じゃーなー、キリンー!」
ブンブンと手を振る伊緒。こんな寒い中だっていうのにホント元気なことだ。隣の幼馴染みは寒そうに背中を丸めてるっていうのに。
その友達に手を振ってボクも家路へと踵を返した。
特に何と言うこともない、普通の一日だった。
正月の三が日も明けて、退屈な休日の午後、メールで友達と待ち合わせした。今年初めて会った二人の友達は、当たり前だけど去年と何も変わってなかった。
駅前でファストフードを買い食いして駄弁った。年賀メールの数が一番少なかったことにちょっぴりヘコむ。
ゲーセンで時間を潰した。自信満々で格ゲーの筐体へと直行した啓吾だったけど、乱入相手に手も足も出ずコテンパンにやられてた。ていうか啓吾が勝つとこ見たことないよボク。
太陽が西の空に沈み始めて、空が赤くなった頃になんとなく解散ムードになってお開き。そのまま各自家に帰る。そんな何の変哲もない休日だった。少なくとも今この時までは。
朝まで降り積もって半ば溶けた雪の道を歩くのも口から吐いた息が白いのもこの季節ならいつも通り。携帯を開いて時刻を確認するのも――あ、しまった。今日は早く帰ってくるよう言われてたの忘れてたよ。あっちゃあ、メール入ってるし……
『ゴメン、忘れてた』
返信するとすぐメールが返ってきた。買い物してきて、ね。りょーかい、と。まあ、こんなのもたまにあること。
ちょっと違ったのはこの後。スーパーまで行くより早いかな、と駅前まで戻る途中、キィーーーッという甲高い音とガシャンッという何かが壊れる音、更には甲高い悲鳴のような声まで聞こえてきた。
何事、とその他大勢の通行人の例に洩れずボクも音のほうへ視線を巡らす。
そこには一台の転倒したバイク。へこんで割れたガードレール。投げ出されたライダー。
交通事故だった。
「……」
通行人が足を止めて俄かに騒がしくなる。警察や病院へ電話する人、怪我人を歩道へ運び込む人。雪道でスリップしたのかなー、とか危ないねー、とか感想を言う野次馬が増える前にボクは視線を切ってその場から立ち去ることにした。
交通事故――バイク事故。
あの瞬間の光景が思い出される――ううん、頭に焼き付いて離れない。同時にチリッと胸が焼けるような錯覚を覚える。
空転するタイヤ。割れたヘッドライト、折れ曲がったミラー。倒れて呻くライダーとざわめく通行人。
それらの中心――道路の真ん中に立つ、小さなボク。そして足元には、
ふと、ショーウインドーの中の自分と目が合った。高校に入ってから伸ばし始めて、サイドでまとめた髪の女の子――うん、ボクで間違いないね。わざわざそんな意味の無い確認をしたくなるほど、ボクの瞳は濁って見えた。
そして気付く。すぐ傍ら、陽炎が――世界を歪める様な揺らぎが――ボクの憎悪の矛先が――揺らめいていたこと、そしてすぐに消えていったことを。
「……」
ふーうっ、と悪いものを吐き出すような長い溜め息一つ。止め止め、こんなことでいちいち鬱になるなんて。まるでアレがボクのアイデンティティーみたいじゃないか……。
振り切るように駅前へ足を向ける。さっさと買い物を済ませて帰ろう。正月の間はずっと家にいたけど、普段は留守にしがちの癖に心配性なんだから、あの『姉』は。
……そういえば、あのときもこんな雪の降り積もった日だったっけ――
と、そんな上の空でいたのがいけなかったのか。
気付いたときには視界いっぱいに人がいた。
「「へ?」」
ドンッ
「わあっ!?」
軽い衝撃に押される。さらに足がもつれて、そのまま――
ドサッ
「~~、痛った~」
仰向けに倒れこんでしまった。幸い受身は取ったし下は雪だから言うほど痛くはなかったけど。
でも重い。どうやらぶつかった相手――男の人も倒れて、ボクに覆い被さっちゃってる格好みたい。おかげで立ち上がれないし、しかも下が水混じりの雪だからコートにじんわりと水が染み込んでくるし!
「あ、悪い」
「謝るよりどいて、重いし冷たいっ!」
「お、おう」
と、次の瞬間、
むにっ
「!?」
驚きに身体が硬直した。男の人が立ち上がろうとして力を入れた瞬間、初めてそれに気付いた。
テノヒラ、オッパイ、ワシヅカミ。
ぬぁあああああああ!!
待て、落ち着けボク! コレは事故! アクシデント! そう、だからすぐに離してくれるはず――
むにむに
「~~ッ!?」
ぬぐぁあああああああああ!!
揉まれた!? また揉まれた!? しかもはっきり、感触を確かめるみたいに!!
……そっかー、なるほどー。これが……
再び。指に力が入るのがわかる。それが動き出す前に、
「いい加減に、しろぉっ!!」
――痴漢ってヤツかあっ!!
ゴッ!
脇腹に拳を打ち込んだ!
「ぐおおっ!?」
ごろごろと転がる痴漢へ起き上がってすぐさま追撃。仰向けになったところへ、どてっ腹を容赦なく踏み抜いた。
「がふうっ!」
「死ね変態っ!」
とどめとばかりに顔面を蹴り飛ばした。最後には悲鳴も出ない。気絶したかもしれないけど、その程度で助かったと思って欲しい。
もちろん容赦なんてしてないけど、それでも一応手加減くらいはしてる。万一にも本気を出して、一生を棒に振るなんてゴメンだもん。
「ああっ、ボクのコートびしょ濡れ……帰ったらすぐ乾かして、お風呂入って……もう、なんでこんなことに……」
ありふれた一日。その中で起きた、ちょっと変わった出来事。でも、ただそれだけ。厄日だなあと、ただそれだけの感想で終わる出来事だった。
――終わる出来事、のはずだった。
一体誰が思う? これが――『始まり』だなんて。
――知らない土地だ。
電車から降りて、真っ先に浮かんだ感想はそんなものだった。
実際のところ、昔住んでた町はここではなく、さらに二駅ほど進んだ先にある。それでも、この辺で一番大きい街であるところのこの駅前一帯には両親に連れられて何度か訪れた覚えがある。あるのだが。
たった六年でこうも変わるものなのか。さすがに細かいところまで覚えてないが、漠然と幾つか大きなデパートがあるだけ、というイメージが残っている。それが、今はすっかり「都会」の駅前だった。モノトーンの水墨画が油絵具でカラフルに塗り潰された、とでも言えばいいだろうか、違和感を禁じえない。
……この辺も被害の一角だったんだろうか。ふとそんな考えが脳裏を過ぎる。
「戻ってくるなんて、全然思わなかったな」
思わず口を突いて出た。この街に住んでいて『あの事件』を知らないなんて有り得ない。それとも、そう思ってるのは当事者である俺だけでとっくの昔に忘れ去られているのか。本当、疑念ばかりが浮かんでくる。この街に戻ってくることになった経緯も含めて。
そんなわけで、周囲をキョロキョロ見ながら上の空で歩いていたのが不味かった。
ドンッ
「へ?」
「わあっ!」
正面から歩いてきた人とぶつかったのだと気付いたのは歩く勢いそのままに前方へとつんのめって倒れた後だった。
「うひゃっ」
ガクン、と突然倒れたのだけど反射的に地面に手を着いていたらしい。ただし地面には雪交じりの水、手どころか袖まで濡れてその冷たさに、思わず声を上げてしまった。
その割に体には冷たさは感じずむしろ暖かい。痛みもそれ程無い。
「~~、痛った~」
それは自分の下敷きになっている人間がいるからだとその声でようやく気がついた。
「あ、悪い」
「謝るよりどいて、重いし冷たいっ!」
「お、おう」
急かされて腕に力を込める。そこにあるモノを確かめもせず。
むにっ
「!?」
ん? なんだこの感触? 左手に感じる冷たさと固さとは真逆で温かく柔らかい。
はてなんだろうこれは? 試しに右手の指に力を込めてみる。
むにっ
「~~ッ!?」
わっ、なんかすごい柔らかい。はて、なんだろうこれは?
……いや、わかってるんだけどね。そんでこの後どうなるかも大体予想がついてはいるんだけどね。だからこれは、まあ現実逃避って奴で。
……現実に引き戻される前にもう一回。
「いい加減にしろぉっ!!」
ゴッ!
「ぐおおっ!」
脇腹にショートフック! しかも重い!
地面をごろごろと転がる俺。そこへさらにどてっ腹をおもいっきり踏みつけられ、いや踏み下ろされた。ズドンと。
「がふうっ!」
肺の空気が全部口から吐き出される感覚。
「死ね変態っ!」
ガスッ!
そこへさらに情け容赦なく顔面への蹴りという追い討ち。最早悲鳴も出ない。
「ああっ、ボクのコートびしょ濡れ……帰ったらすぐ乾かして、お風呂入って……もう、なんでこんなことに……」
朧気な視界で眉を吊り上げたサイドポニーの女の子がさっさとこっちに背を向けて駅のほうへ歩いていくのが確認できた。
時刻は夕刻、買い物帰りの主婦から会社帰りのサラリーマンまで、人通りが増えてくる頃。しかし道端にノックアウトされた俺に声をかけてくる人は誰もいなかった。
世間の荒波は冷たいなあ……
しかしまあ、当然の事ながらいつまでも道端で大の字に寝転がっている趣味はなかったのですぐさまその場を離れ、目的地……と思わしき場所へたどり着いた俺は、先程駅前で感じた以上の戸惑いを味わうことになっていた。
「……本当にここでいいんだよな?」
たっぷり水を吸い込んだ服を着たまま教えられた住所へ向かうと、そこはマンションだった。……多分高級って付く類の。
住所は……多分合ってる。それに書かれているマンションの名前とも一致する。
「……ドッキリ?」
いやいや、さすがにそれにしては手が込みすぎだろうと首を振る。同じ手が込んだことをするなら、そう、「実は引き取り手など無く適当な住所を教えて追い出した」の方がまだ現実味がある。
引き取られるたびに腫れ物、厄介者扱いされていた俺にはむしろそちらの方がすんなり納得できる選択肢だった。
俺は子供の頃ある事件を起こして以来、ずっとあちこちの家を渡り歩いている。とはいっても、別にその事件の内容が問題なのではない。世間一般にはただの『異常気象』なのだから。つまり、問題なのは俺のパーソナルな部分。細かい説明は省くが、要するに「手に負えない」ということらしい。
そんな俺を今さら引き取る、とか言う奴が現れたこと事態、よく考えると胡散臭い。もちろん前の家は渡りに船とばかりに飛びついたに違いないし、俺だって別に反対はしなかった、というか元より選択の権利なんてないんだが。
それにしても本当に何故今さら、だ。両親がいなくなった当時ならともかく、今になって引き取り手が現れる理由がわからない。しかもよりによってこの街で。遠縁だとかいう話だけどそれも本当か怪しいところだ。やっぱり厄介払い説が濃厚か。
このトシでホームレスかー。いや、とうとうと言うべきかな? むしろよく保ったほう? さて、まずは寝床探しからすりゃいいのかな? それともメシの確保? ああ、でも服乾かしてぇなあ、風邪引くかはわかんねえけど濡れたままだと気持ち悪いし――
「じーっ……」
……ん?
「じーーっ」
「――ッ!? うわっ!」
突然、唐突に、いつの間にか、俺の目の前に女の人がいて俺を凝視していた! 思わずのけぞって後退さって滑って尻餅ついた! うわっ、なんか恥ずかしい!
赤くなって口をパクパクさせて何も言えない俺に女の人は、
「こおりくんよねぇ?」
甘ったるい声で俺の名前を呼んだ。
「え?」
「
ぶんぶんと高速で首を振る。するとその女の人はにっこりと笑って、
「はぁい、ようこそ桜井家へ! わたしが、家主の、桜井
ぶんぶんと俺の手を握って振り回した。……なんか呆然。続けて女の人――桜井さんはキョロキョロと周囲を見回す。なんだか忙しない人だなあ。
「結局
「きりん……?」
俺が要領を得ない返事をすると桜井さんはうーん、と指先を額に当てて考え込んだかと思えば、
「まあいいわ、とりあえずお家に入りましょう、ほらほら、そんなとこに座ってないで、あら服もびしょびしょじゃない大変、お風呂の用意しないと」
一気にまくしたててきた。いかん、かなり独特のペースの人だ。俺の中で危険信号が点灯する、こんな序盤から呑まれたら後々必ず面倒なことになる、と。
「こおりくんは入浴剤――」
「あの、桜井さん」
あえて話しかけのところで口を挟む。こちらから話題を振ること事態滅多にしない真似だが、これが会話の主導権を奪い取るための常套手段で間違いないはず。そしてこの人とは真逆に懇切丁寧にゆっくりと話を――
「それダウトー!」
「!?」
ビッと怒り顔で鼻先に指を突きつけられた。
「『桜井さん』なんて他人行儀ダメよぉ。な・ま・え・で、呼んでね♪」
「は、はあ……」
「気軽に呼んでくれていいのよぉ。はるちゃん、とか、はるるん、とか。お姉さま、なんて最高におススメなんだけどなあ」
期待を込めた流し目でこっちを見る。
「……遥香さん」
「……………………ぐすん」
いや、そんな恥ずかしい呼び方出来ませんから。だから縋るような目でこっち見ないで!
「……まぁいっかぁ。そんなことよりお風呂よお風呂、ほら風邪引いちゃわないうちに」
「あ、はい、っとお!?」
ようやく立ち上がった途端遥香さんに手を引かれた。マンションの入り口へと。
「ようこそ桜井家へ。わたしたちは、貴方が来るのを待っていました」
俺の手を引きながら、彼女は改めてそう言った。
「なんか早々に疲れたなあ」
シャンプーでガシガシと洗いながら紅潮した顔で溜め息を吐く。(こら、そこの読者! 最初の入浴シーンが野郎だなんて最悪だ、とか考えない!)顔が赤いのは火照っているだけが原因ではない。主な要因は入浴前の遥香さんの一言。
『背中流してあげようかぁ?』
もちろんしっかりきっぱりお断りした。……慌てふためいてなんてないデスヨ?
あの人が言うと冗談に聞こえない。出会ってまだ一時間と経っていないというのにそんな印象が既に定着していた。おっきな三つ編みも性格も何もかもが「ふんわりさん」だ。
正直、異常なほどペースが乱れてる。それは新しい環境だからとか、相手のペースが独特だからとか、そんなことはまったく関係ない話で。
初めてかもしれない。家族以外で、これほど『近く』に人を感じたのは。妙に気になるというか……いつもの感覚が出てこず、踏み込み踏み込まれることに抵抗が少ない。思えば「恥ずかしい」とか「慌てる」とか、すっかりカビの生えた感情が表出するのも何年ぶりだろう。不意打ちですらこれほど大きく動揺した事なんてない。良いことなのやら悪いことなのやら、少なくとも妙だと思ってるのは間違いない。
ん? さっきのアレ? 戻ってきて早々ヒドイ目にあったよなあ。自業自得? や、わかってるけどな。だったらさっさと離せってハナシなんだが……本能ってヤツ? 所詮俺も男ってことだろ。それこそ不意を打たれたに過ぎねえよ。けど、慣れないって程のことじゃない。
それにしても、いい蹴りを見舞ってくれたもんだ。「痛い」と思う攻撃は――毎度喰らってるけど、「効いた」のは久しぶりだ。しかも人間の打撃か。馬鹿力で説明していいもんかね。まあ、どうでもいいんだけど。どーせ二度と関わりゃしないし。
そして湧き上がるひとつの疑問。
「……知らないのかね」
ぬるま湯でシャンプーを流してやる。
「終わり。ったく、なんでこんなに埃だらけになってるんだか」
それから自分の体にお湯を二、三杯かけて湯船に身を沈める。うー、とうなり声が出てしまうのはどうにも止めようが無い。
……よく考えてみれば、知ってて引き取ろうなんて人間がいたらそれは余程の物好きか怖いもの知らずかお人好しか、でなくば何やら裏のある人間かということで間違いない。遥香さんは十分お人好しのカテゴリーに入るだろうし無害な人間のように見えるけど、やはり人間見た目だけじゃどんな裏があるかわかったものじゃあない。そもそもついさっき会ったばかりの人間だ、信用するには全然足りない。
とはいえ、そういう人間なら俺に対してもう少し警戒心というものを持っているはずだ。だというのにあの人には普通一般常識における男性への警戒心すら見受けられない。年頃の美人だし悪い男に騙されてやしないだろうか、ああ、むしろ心配になってきたかも。そういえば今日から遥香さんと一つ屋根の下で暮らすってうわっ、こんなことが毎日続くんじゃないだろうな――
「……う、のぼせてきた」
……やめやめ、考えるのやめ。湯船から上がってなんか変なところに入り込んでた思考を一旦リセット。
で、どうする? その気になればあの笑顔の裏を読むことは出来るが……いや、やっぱりダメだな。こんなことで破ってちゃ「制限」にならない。
……そうだな、相手がどうあっても今までと同じようにすればいいだけの事か。迷惑をかけないようにそれなりに気を遣って成績を保って。本格的に俺たちの敵となることがあれば叩き潰して。それ以外はほんと、どうでもいい
ガラリ、と脱衣室への引き戸を開けた。
「…………」
目が合った。下着姿の女の子と。
「…………」
「…………」
女の子は目を見開いて硬直している。
俺は思考が完全に停止して硬直している。
そのまま時が止まること数秒。
不意に、女の子が視線を下方へと移した。
現在の俺の状態:FULLCHIN。
「――ッ」
女の子が息を呑む。予感がした。時が一気に静から動へと移る予感が。ていうか身の危険を。
「待っ――」
「ドヘンタイィィィーーーーーー!!」
ビュオンッ
――――――――ッッッ!?
その瞬間の衝撃は擬音にするのもはばかられるものだった。男性にしか存在しない急所への蹴り。蹴られた部分を押さえて身悶える俺。
女の子は自分の服を引っ掴んでサイドポニーを翻し脱衣所から駆け出していった。
数十分後。リビング。痛みから無事復活を果たした俺はテーブルに着き二人の人間と向かい合わせになっていた。
一人はこの家の家主である遥香さん。相変わらずニコニコしていらっしゃる。多分場の空気なんて全然感じ取っちゃいない。
もう一人は――先程俺を蹴倒してくれたサイドポニーの女の子。ものすごい不機嫌顔で俺を睨みつけておられます。
そんな状態が既に十分以上経過している。体感時間は悠に一時間以上。
重い。時計の音がとても重い。
痛い。静寂と沈黙がすっげー痛い。
――と、そんなノリのまま縮こまっていたが、何分もこうしてると流石に面倒になってきた。やっぱりリアクションは瞬間に限るなあ、とかそろそろ何か言ってくんないかな、とかおおよそ被告人にあるまじきことを考え始めていた。
そしてようやっと、と立場的に言っていいものか、テーブルをダンッと叩く音で沈黙が破れる。当然叩いたのは女の子。
「遥香さん! 一体誰なのコイツ!」
ビシッと俺を指差しながら視線は遥香さんの方へ。その問い詰めに、遥香さんは「よくぞ聞いてくれました」とばかりに嬉しそうに手を組んで頷いた。ここまで場の雰囲気にそぐわない人を俺は初めて見る。
そしてわざわざテーブルを回ってきて俺の後ろに立つと両肩をポンと叩いた。
「今日から一緒に暮らす、周防こおりくんで~す」
その紹介に女の子――輝燐というらしい――は一瞬ポカンと呆気に取られた顔をして、
「……ナニソレ? ボク、キイテナイヨ?」
「うん。今初めて言ったもんねぇ」
……おーい。それは流石に俺もどうかと思うぞ。ほら、プルプルと震えてるし。あれはまかり間違っても感動の震えなんかじゃあるまい。そして怯えでもないのは今までの一連の流れから明白。つまり。
「仲良くしてあげてね♪」
「ふっ、ざけんなあっ!」
あ、噴火した。
「わっ、びっくりしたぁ。……あれ、もしかして嫌がってる?」
「嫌に決まってるでしょ!」
「えー!?」
「こんな変態と一緒に暮らすなんてありえない! さっさと放逐するべきだっ! そもそもこの変態が風呂に入ってるのになんで止めなかったの!」
「裸の付き合いで親睦を深めよう♪ じゃないの?」
「んなわけあるかぁっ!!」
「…………」
目の前のやり取りを俺は黙って見ていた。
輝燐のボルテージがどんどん上がっていくのと対照的に遥香さんはにこにこと落ち着いたものだ、とどこか他人事のような感想が出てくる。
これが本来の俺の感覚だ。相手が俺の扱いで揉めていても、罵る言葉を浴びせてきても、腫れ物に触るような扱いをしてきても、それをまるでガラス一枚隔てたところから眺めているような他人事染みた感覚で見ていて。それは相手からしてみると、
「ちょっと、何ボーッとしてるの」
そう、そのように見えるらしい。実際はちゃんと意識を向けているから輝燐がこっちになんとなく視線を向けたのにも気付いていた。そして話しかけられたなら返事くらいする。する、のだが……
「……?」
こうして正面から落ち着いて見た彼女の顔に覚えがあって、でも思い出せなくて、黙ってしまった。
「何さ? ボクの顔に何か付いてる?」
眉をしかめる彼女。だが俺は、その『ボク』という一人称と翻るサイドポニーが重なって思わず言葉を発していた。
「ああ、さっきぶつかった!」
――どうやら俺の危機意識は、遥香さんに注意できるレベルのものではないらしい。
ズガアァァーーン、と遠雷の如き音がマンションの一室に響き渡った。次の瞬間、蹴りの跡を顔面にめりこませた俺の体が椅子からばたりと倒れ落ちる。絶対なんか格闘技やってるぞこの女。
「お前かあっ!」
「ア、キヅイテナカッタノネ」
痙攣する顔で口をパクパク動かして出た言葉はなんともロボット染みていた。
「遥香さん、もうコイツ追い出しちゃっていいよね? いいに決まってるよね? 警察か病院か、好きなほうくらいは選ばせてあげるよ」
それはちょっと遠慮したい。だってどっちも定住できないから。
「ダメよ。こおりくんはここに住むの」
「馬鹿言わないで! こんな奴と同居なんてしたら四六時中貞操の危機だよっ! ぜーーったい認めない!」
「輝燐ちゃん。これは家主であるわたしの決定です。輝燐ちゃんが駄々を捏ねても決定が覆ることはありません。どぅーゆーあんだすたん?」
「……ぐぅ」
その遥香さんの一言はどうも最終宣告だったようで輝燐が唸り声ひとつを最後に口を噤む。代わりにこちらに向けられた視線には人を殺せそうなほどの憎しみが込められていた。
「ちなみに、こおりくんが駄々を捏ねても決定は覆りません」
まあこのくらいで出て行く気はないけどさあ。
「というわけで。お話も纏まったことだし、」
言いかけた時にピンポーンと呼び鈴が鳴る。
「歓迎会、はじめよっか♪」
この険悪な雰囲気で何がそんなに楽しいのか俺にはまったくわからなかった。
「それでは、周防こおりくんが新しく我が家の一員となったことを記念しまして――」
そこでいったん溜めを作り、
「かんぱーい!」
グラスを高々と差し出した。……のは遥香さんだけで俺も輝燐も無反応だった。しかし遥香さんは気にした様子も無くニコニコの笑顔だ。
「ふふー、今日は豪勢にいったよー。さあ食べましょ~」
食卓の上には出前寿司、出前ピザ、中華セット、唐揚げやソーセージなんかが入ったパーティーセット、それと各人の前に置かれた引越しそば。なるほど、豪勢に並んでいるが……
「ボクの時もそうだったけどさ、脈絡なさ過ぎ。美味しそうなものなんでもかんでも並べればいいってわけじゃないってば」
輝燐も同意見だったようだ。ちなみに彼女は一緒の席で食事することに断固反対してたのだが、そうしなければご飯抜きという遥香さんの言葉に渋々同席しているのだった。
「ええー、美味しいんだからいいじゃない」
「だから、取り合わせの問題なんだってば! それに結構重たいものばっかりだし、これ絶対食べきれないよ」
「それなら明日の朝ご飯にすれば問題ないよぉ」
「そこが問題なんじゃなくてねえ、……」
いろいろ文句を言いつつも箸はしっかり動いていた。
「もう、今日の輝燐ちゃんはほんと怒りっぽいよ。どうしたの? カルシウム足りてる?」
「――遥香さん」
わずかに間を置き語調を静めた輝燐が、すっと俺を指差した。
「こいつ、何者なの」
その問いに遥香さんはまったく変わらない笑顔で、
「わたしの、新しい弟だよ」
そう、言い切った。
「それで、輝燐ちゃんの新しいお兄さん」
「―――」
沈黙。俯いて伺えない表情(かお)。
「――うおっ」
と、いきなり料理を口に詰め込み出した。明らかにそれ許容量超えてるだろって量を。一気に咀嚼して、ごくん。
「ごちそうさま」
席を立って部屋に戻っていった。
「……はふぅ。反抗期なのかなぁ。いつもはもっと明るいコなのに」
俺が嫌われてるだけだからどうぞ気にせず。
それにしてもどうしたものかな。嫌われる程度慣れっこなものだがいつもの事情とは完全に違う。このまま放置していいんだろうか。つーか思い出してみれば、
俺謝ってないじゃん。
やっべー。状況自体はいつもと同じだからすっかり見落としてた。さすがに謝っとかないと不味いよな、人間的に。しかし今謝ろうにも絶対聞いちゃくれないだろうし、接触を図るだけでも難しそうなのにどうすればいいかわからない。……ここのところまともに謝ることなんてした覚えも無いしなぁ。当面ほとぼりが冷めるまで待つことにしようか。
「こおりくん箸が止まってるけど、もういっぱいかな? 男の子だからたくさん食べると思ったんだけど」
「え? ああ、いただきます」
食事を再開したその後は、もう輝燐のことは考えなかった。
……なにこれ。なんなのこれ。どういうことなのこれ。
同居? 男の子と同居!? それだけでも信じられないっていうのに、そんな大事なことを相談もなく勝手に決めるフツー!?
そりゃ遥香さんはいつもほんわりしてるけどさぁ、こういうことはしっかりしてると思ったのに……
と、そこへノックの音。思わず身構えて、
「き~りんちゃん。あ~そ~ぼ」
ぐったり脱力。
「……遥香さん一人だけ?」
「うん。こおりくん、お片づけしたらお部屋引っ込んじゃった。お話したかったけど疲れてるだろうから引き止めるのも悪いもんね」
「……」
その言葉を真実と判断してドアを開き、遥香さんを部屋の中に招き入れた。言葉通り、遥香さんは一人だった。
「……うーん」
「……なに?」
「輝燐ちゃん、過剰反応し過ぎじゃないかなぁ?」
「遥香さんがユル過ぎるの!」
まったくこの義姉は、少しは危機意識持ってよね!
「さっきも言ったけどね、あんな信用ならない男家に置いといたら気の休まる暇がないって! いつ何時襲われるかわかったもんじゃないよ!」
まあ、その時は返り討ちにしてやるけどさ!
「ああ、なぁるほど。それなら大丈夫だよ」
「……何を根拠に」
これでネジの外れたことを言ったらその頭を斜め四十五度の角度で叩いてやろうと身構えつつ、遥香さんの弁明を待った。
「だって、今までだって大丈夫だったし」
……少し、言葉の意味が理解できなかった。
「……今まで、って?」
「今まで、こおりくんが暮らしてたところ。同じ年頃の女の子と一つ屋根の下だったことも一度や二度じゃないのに、手を出したことは一度もないみたいだよ?」
「……」
「それどころか、手ぇ出されそうになったこともあるくらいだって。どっちかというと難攻不落の鉄壁? そうだ輝燐ちゃん、ここはむしろ手を出されるようがんばってみるっていうのはどうかなぁ?」
……待って。突っ込みどころはいろいろあるけど、まず何より。
どうして、そんなことを知ってるの?
まさかあいつ自身が自慢げにペラペラと喋ったわけじゃないだろう。じゃあ調べた? どうやって? こんなの、データに残る情報ですらないんだよ? 以前の家族に聞くか、それこそずっと生活に張り付いて監視しているくらいでないと。どっちにしても遥香さんが出来ることとは思えない。
そもそも。なんで遥香さんはあいつを引き取ったの?
そこまで考えに至り、閃きに目を見開いた。
まさか。あいつ。
ボクと同じ――
「でね、輝燐ちゃん。実はもう一つ、驚きの新情報があるのです」
「え?」
その言葉に現実に引き戻される。何だろう。まさか、さっきボクが考えたこと大当たり!?
「実はねぇ――」
ごにょごにょ
「え。えええええええ!?」
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