「手紙」5
『お姉
お姉―― 伝えたい事があるの
戻ってきて』
パチッと目が覚める。時計に目を移すと、午前八時と表示されていた。窓から見える景色は昨夜と変わらず雨模様で、遠くから落雷の音まで聞こえている。
重たい体を起こし、暫くぼーっとした。
今、彩の声が聞こえた気がした。確実ではない記憶を辿りつつ、ふとベットに視線を戻して思い出す。梨香さんの姿がない。心配になり、部屋を出て下に降りてみることにした。
「あれ?」
勇作君の姿もない。ソファーの上に掛け布団が丁寧に折り畳まれて置いてあった。
いつから居ないのかな?てっきりここで眠っているのかと思ってたのに。眠れなくて出掛けたのかもしれないな。
コーヒーを淹れて、雨を見つめながらテラスに出た。
「キャ!」
驚きで体が飛び跳ね、思わずコーヒーが零れてしまう。テラスにある椅子で、上着を掛けて勇作君が寝ていたから。私の声で眠たそうに目を覚まし、体が痛いと顔を歪ませる。
「こんな所で眠ってたの?風邪引いちゃうから、早く中に入ろう?」
「眠れなくてさ、雨が降るのをずっと見てたんだ。そしたら寝てた」
勇作君は鼻を啜り、寒そうに体を抱いて中に入った。いつから外に居たのか、髪が湿気を帯びてたらんと寝てしまっている。掛け布団を掛けてあげると、ありがとうといって柔らかい笑みを見せた。
「昨日メリッサがさ―― いや、ダンか。ダンが昔話するから、眠れなくなっちまった」
「そっか。あ、ちょっと零しちゃったけど、要る?」
さっき淹れたばかりのコーヒーを差し出すると、小さく笑ってそれを受け取ってくれた。その時、玄関の扉が開かれる音がする。梨香さんかもしれないと、慌てて玄関まで駆けて行った。
するとそこには、メリッサにミシェルさんにマイクさんが居た。三人とも驚いた顔で私を見つめている。
「おはようエリ、よく起きていたわね」
ミシェルさんはそう言って、笑顔で抱き締めてきた。マイクさんはジャケットについた雫を払いながら、部屋の中に入っていく。リビングから顔を覗かせた勇作君を見て、笑いながら言った。
「早めに来て皆が起きるのを待とうと思ってたんだけどなぁ、ユウサクまで起きてるとは思わなかったな」
ここに梨香さんだけが居ない。顔を上げて二階を見てみると、梨香さんの部屋の扉は閉じられていた。あの後もしかしたら、自分の部屋に戻ったのかもしれない。
ミシェルさんは、お腹を空かせた私と勇作君に朝食を作ってくれた。他の三人は温かいコーヒーを口にして、何度も気にするように階段の方をちらちら見ている。
そこで痺れを切らしたように、メリッサが私に目を移した。
「リカはまだ寝てるの?」
多分、自分の部屋に居ると思う。あの後出掛けたりはしないだろう。予想だけど頷いてみせた。それ以上皆は何も言わず、ただ梨香さんがやってくるのを静かに待った。そんな中、突然勇作君が意を決したような声で言う。
「ミシェル、マイク、聞いて欲しい事があるんだ」
ミシェルさんとマイクさんは、互いに顔を見合わせ驚いた顔をしていた。メリッサは何も言わずに、じっと勇作君を見つめている。
「俺さ、リカが好きなんだ。リカは二人にとって大事な息子の大切だった人。だから想いを隠し続けてた。だけど今は違う、リカを幸せにしたいと思ってる」
驚いてしまって、食べる手を止めてその様子を眺めた。
勇作君の想いは思った以上に強かった。昨日あんな事があっても、梨香さんへの想いが揺らぐ事はなかったんだ。
恐る恐るミシェルさんとマイクさんに目を移す。すると二人は、嬉しそうに笑顔になっていた。
「私達はとっくに、ユウサクのリカに対する愛に気付いていたわ」
マイクさんも同意するかのように、微笑みながらコーヒーを一口飲む。
勇作君は気付かれていた事を知らなかったのかもしれない。肩の力が抜けたように、ふらっと椅子にもたれかかった。
「二人とも昔から親の様に良くしてくれた。だからこそ、この想いがずっと罪悪感だった」
秋田に居る頃とは明らかに違い、勇作君は自分の感情をよく声に出して伝えている。来た時から、何かを決意してここに来たんだろうとは思っていたけど、想像以上に全てと向き合おうとしている様に思えた。驚きと感動でぽかんとしていると、マイクさんが嬉しそうに笑い声を上げる。
「罪悪感なんて捨て去れ。おまえが初めてこの国に来た事を覚えてるか?英語もままならないおまえの事をダンがからかって、二人は殴り合いの喧嘩になった」
マイクさんにつられ勇作君も笑顔になる。その笑みが、素敵な思い出だったということを物語っていた。
「お互い腫れて酷い顔になったのに、二人はそれを見合っては何日も笑い転げてた。それからはすっかり仲良くなって、毎晩うちで酒を飲んで酔っ払っては、二人で大声で歌い出す始末だ。俺が隣のオヤジに何度怒られたと思ってんだ」
「懐かしいわね」
三人は楽しそうに笑い合っている。その思い出話を聞いていると、切なくなる様な、温かくなる様な、不思議な気持ちになった。
「ダンは心底おまえを信頼してた。こんな親友にはそうそう出逢えないと言ってな。そしておまえの事を、人生最高の“
“
親友という意味。
「心底信頼しあってた二人だ。おまえほどダンの次にリカを幸せに出来る奴は居ないだろう。リカを娘同様に可愛がってるんだ、そんな大事な娘をユウサク以外の奴には渡せない。この気持ちは、ダンも同じはずだ」
勇作君は笑顔のまま、隠すことなく涙を流した。
みんな二人を応援してる。みんなの気持ち、想い、その全てが前に進むのを後押ししている気がする。後は梨香さんの気持ちだけだった。
気付けば時刻は十時。外の雨も少しずつ弱まり、さっきまで閑散としていた街並みに人が出始めていた。そんな中、二階の扉が開く音聞こえた。全員が一斉に音のする方へ目を向ける。
花柄のワンピースを着た梨香さんが、ゆっくり階段を降りてきた。そのワンピースは秋田に居た頃、梨香さんが初めて私にダンさんの話をしてくれた日にも着ていた。恐らくその服には、ダンさんとの想い出が詰まっているのだろう。
梨香さんは誰の目も見ることなく、小さく呟いた。
「待たせたな、行こう」
そう言って、すたすたと玄関の方へ歩いて行ってしまう。私達も慌ててその後を追った。
車で二時間。
車内では誰も言葉を交す事はない。梨香さんは窓際でそっぽを向いたままで、話しかけようにもそんな雰囲気ではなかった。
やっと辿り着いた先は、緑が広がっていて一見公園のように見える場所。
小雨になってきたので、私達は傘を差さずにお墓の前にやってきた。車の中よりも、全員が無口になる。
やっぱり離れられないと梨香さんが悲しむかもしれない。勇作君との関係がここで終わってしまったらどうしよう。これから梨香さんには、どんな未来が待っているのかな。
梨香さんの背後に立った私は、いま一体どんな顔をしているかが見えない。
ちらっとミシェルさんとマイクさんに目を移す。二人は目の前にダンさんが居るかの様に、優しく微笑んでいた。そんな中メリッサは、お墓ではない場所を見つめている。その様子は、誰かの話に耳を傾けているように見えた。
梨香さんが振り向き、メリッサを見つめる。
「ダンはいま居る?」
メリッサが静かに頷くと、梨香さんは手にしたクラッチバッグから手紙を取り出した。
「別れを伝える方法が分からなかったから、エリの真似して手紙を書いてきた」
皆の視線が一斉に梨香さんに集まる。
白い封筒に入った手紙を掲げ、神妙な面持ちで口を開いた。
「読んでいい?」
全員が頷く。
はらはらと小さく降る雨が梨香さんの髪を湿らせていた。今は気丈に振舞っているように見えるけど、きっとすごく緊張しているのだろう。その緊張が移ったように、私の鼓動もどんどん早まっていく。
梨香さんは封筒から、一枚の便箋を取り出した。
・・・・・
親愛なるダン
こんな風に手紙を書いたのは二回目だね。
一回目の手紙は、ダンを忘れられない苦しみを書いた。
そしてそれは、ミシェルに届いた。
二回目は、別れの手紙だ。
今度はダンに、きちんと聞いてもらいたい。
ユウサクからの紹介でダンに初めて出逢った時、なんて陽気な外人が現れたんだって思った。ダンも知っての通り、私は男っぽくて強気な性格で、それでいてプライドも高い。だけどそれ全部を愛してくれたのは、ダンが初めてだった。
家族が居ない私には、他人の愛情所か、愛する事さえも分からない。
だけどダンに出逢えて、初めて人を愛する事、愛される事の幸福を知ったんだ。
男が全ての女、ウエディングドレスに身を包む女、歳を取っても寄り添う夫婦。その全てが理解出来なかった。全部嘘に見えて、嫌いだった。
だけどダン、ダンに出逢って、その全てが愛しい事だと思える様になった。
こんなにも人は変われるのか、こんなにも幸せな気持ちになれるのかって、そう思ったんだ。
全て、ダンが与えてくれた感情だ。
心底愛してた。なのにたった一夜で、あっという間にこの世から去っていった。
私の前から、一瞬にして居なくなった。全て夢だったかのように。
ずっと一緒に生きていくって約束した事を忘れたのか?知ってるだろ?私は約束を守れない奴は嫌いだって。
ダンが居なくなってからも、ダンを感じる出来事は沢山あった。
傍に居てくれてるんだって思えた。
だけどそれじゃ足りない。ちゃんと私の傍に居て強く抱き締めてくれなきゃ、辛いだけなんだ。
本心は、ダンが居るような気がするって思えば思うほど、逢いたくて逢いたくて、胸が苦しくなる。
だから、だからもう、私から離れてほしい。
こんな辛い思いは、ダンがこの世から消えた悲しみだけで充分だ。
一生傍に居るっていう約束を守れないのなら、今度は私の幸せを見守ってて欲しい。
本当に、心底愛してた。
私達は愛しているからこそ、別れるべきだ。
だけど一生忘れないよ。
さようなら、ダン。
数え切れないほどの幸せをくれて、ありがとう。
愛を込めて リカ
・・・・・
初めて聞いた梨香さんの心の声、それは切なくて悲しくて、愛が籠もった言葉で溢れていた。だけどこの手紙は、前に進むと決意した手紙。だから悲しんでちゃ駄目だよね―― そう思っても、その悲しさが痛いほどに胸に突き刺さってくる。
梨香さんは手紙を抱き締め、肩を揺らして泣いていた。その時メリッサが、そっと梨香さんの背中に手を添えた。
「ダンがね、何か新しい事をする時に幸運を願うおまじないを教えたこと、覚えているかって」
その言葉に梨香さんは更に泣き出してしまう。そして、人差し指と中指をクロスさせた。
「クロスフィンガーのことだろ?」
「君の新しい人生の幸運を願ってる。そう言っているわ」
そう伝えると梨香さんから離れ、眩しそうな目で空を見つめ出した。空に太陽は出ていない。きっとメリッサには、私達には見えない何かが見えている。
泣き崩れる梨香さんにそっと勇作君が歩み寄り、優しく肩を抱いた。すると勇作君の胸に顔を
メリッサは顔を上げたまま、何かを噛み締めるよう優しい笑みで目を閉じる。
その姿がとても美しくて、釘付けになった。
こんな素敵な能力を持った人がこの世に居る。だけどそれを信じていない人が多いのも事実。それでもいい――。誰に何と言われようと、この先も私は、メリッサを信じ続けると思う。霊の存在も、その存在と生きている人の架け橋をする人が居るという事も、全て信じよう。
勇作君に泣きつく梨香さん、それを嬉しそうに眺めるミシェルさんにマイクさん。
皆を見ながらしみじみ思う。メリッサのお陰で、こんな素敵な愛を目の当たりにする事が出来た。
この真実こそが、メリッサの持っている能力の証だと思えた。
どの位ここに居たのか分からない。気付けば雨は上がっていて、悪かった天気が嘘みたいに青空が広がってきていた。 本当に、オーストラリアの天候は読めない。
だけど私の心は空同様、晴れやかな気持ちだった。
涙を拭いて空を見上げる。今なら何でも出来そう。そんな風にさえ思わせてくれる青い空、掴めそうな雲。目を細めて雲の中に隠れる太陽を見つめていると、マイクさんが私の手を引いてきた。
「さぁ早く、今の内に皆でうちに帰ろう」
「え、あの二人は?」
「しっ、エリ静かに」
メリッサまでそう言って、マイクさんの意図を理解している様子だった。
訳が分からないまま、マイクさんに引っ張られ歩き出す。
ここまで来るのに二時間も掛かったくらい遠いのに、梨香さんと勇作君を置いて帰っちゃうの?静かにしろと言われた私は、表情だけでみんなにそう語り掛けた。それを見たミシェルさんが、イタズラに微笑んで言う。
「あの二人なら大丈夫よ、良い機会じゃない?」
そう言われてやっと理解した。私達は極力音を立てないよう、小走りで車がある場所を目指した。すると背後から、梨香さんの叫ぶ声が聞こえてくる。
「お―い、おまえら勝手に置いてくな――!!」
「ユウサク、リカを押さえろ!」
マイクさんがそう叫ぶと、勇作君は笑いながら梨香さんを引きとめた。
その表情は照れてるけど、なんだか嬉しそう。
「こんな遠いとこに置いて行くのかよ!この人でなし――!」
二人に向かって笑顔で手を振っていると、マイクさんがあっと大きな声を出して空を指差した。
「ほら皆!空を見てご覧、虹だよ!」
その一声で全員が空を見上げる。雲の隙間から現れた大きな虹。虹までもが近かった。感動してる暇無く、マイクさんが今だと私達を急かす。
いつまでも文句を言う梨香さんを背に、私達は笑いながら走った。
ねぇ彩――。
もしも私が生きていなかったら、こんな素敵な出来事には出逢えなかったよね。
彩は本当に、自分で命を絶ってしまったの?
何故なのか知りたい。
今も私の傍に居るのなら、分かるでしょ?
生きてると色々な事がある。まるで寒い冬の様に、心が凍えてしまう日だってある。だけど、だからこそ、日差しが暖かくて有難いと思うの。
私ね、この旅をして気付いたんだ。色々失敗したり、大切な人を亡くしたり、そうして悲しんで
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