「手紙」6

その日はそのまま、アッシュモアにあるダンさんの実家に泊まる事にした。



きっと今頃、家に帰った梨香さんは怒ってるだろうな。それを想像するとちょっと可笑しい。テラスで一人にやけていると、そこへメリッサがやって来た。



「エリ、そんなに嬉しいの?」


「うん。私ね、今日でもっとメリッサを誇りに思った」



メリッサを信じていると伝えたい。感謝の気持ちでいっぱいだったから。

梨香さんの様に、前に進んでいった人達を、今まで見届けてきたのかな?そうだとしたら、希少で大切にしなければならない能力だと思った。



「今日みたいな事、今までたくさん経験してきたの?」


「ええ、だけど本当に親しい人にだけよ。私がした事はね、亡くなった人の言葉を伝えて、それに対する自分の意見を言ってきただけ。誇りに思われる様な事なんて、何もしてないのよ」



メリッサは、初めは自分の能力を嫌ったと言っていた。きっと色々な事を乗り越え、能力と向き合い、その人にはない力を大切な人にだけ使おうと決意したのだと思う。特別な力を持っていても、メリッサは自分を特別だとは思っていないようだけど。



「メリッサ―― 今日ね、妹の声が聞こえた気がするの。私にも同じ力がついたかも」


「こっちの世界に来るの?歓迎するわ」



ふと空を見ると夜空に雲ひとつなくて、明日も晴れるだろうなと思った。心地良い風が私達を包み込む。メリッサの長い黒髪が、さらさらと風に乗ってなびいていた。



「その聞こえた声は、なんて言っていたの?」



今朝の事を思い返した。だけど寝起きだったから、よく覚えていない。



「えっと、戻って、みたいな事を言っていた様な――。」



メリッサは突然私の肩越しを見つめ出す。透き通ったビー玉みたいに綺麗な瞳が、いつもより大きく見えた。その様子を見ながら、彩が居るんだなと思った。



「戻ってって、何処へ?」


「さぁ、私にも分からないの。何処の事だろう?」



私に戻る場所は無い。彩が待っていそうな場所、それが何処かは検討も付かなかった。



「私はエリの妹の伝えたい事が分からない。だけど、あなたの妹は、いつも何かを言おうとしてる。本当に、何か大切な事を伝えたいんだわ」


「だけどね―― どんなに考えても思い当たらないの。自分が聞きたい事や伝えたい事なら、山ほどあるんだけどな」



だから手紙に書いてきた。色々な事を問いかけてきた。それが伝わっていたのかは分からないけど、それに対する返事なのだろうか。今まで書いてきた内容を思い出そうとしていると、メリッサが考えもしなかった質問を投げかけてきた。



「エリが一番聞きたい事は何?」



その時ふと、ある想いが脳裏を過ぎる。言っていいものかと口をつぐんだ。

だけど真っ直ぐに見つめてくるメリッサを前に、何故か隠し事をする事が出来ない。俯きながら小さな声で言った。



「いま一番聞きたいのは―― 何故、死ぬ事を選んだの?って」



メリッサは驚いた表情を見せる。そして再び、私ではない方へ視線を移した。



旅に出た当初は、なぜ私を置いていったの?とか、どうして生きていかなければならないの?とか、そんな事ばかりを問いかけてきた。だけど最近では、彩が死を選んだ理由が気掛かりになってきて、その事ばかり考えてしまっている。



「きっとその事と関係しているのね。何となくだけど、そう感じるわ。きっとその戻る場所はここではない、日本ね」



確かにその通りだとは思った。彩はこの国に来たことがないから、オーストラリアではない事は確か。



「あっ、エリ、もしかして――。」



メリッサは難しい顔から、答えを見つけたような表情に変わる。



「忘れてない?返って来た手紙の事よ」



すっかり忘れていた。あの手紙を書いてくれた、まだ見ぬ知らない人。今も私がどんな旅をしているのか気にしてくれているのかな?



「戻ってきてとは、エリの妹が住んでいた家のことじゃないかしら?もしかしたら、あの手紙の送り主が何かを知っているのかもしれないわ」



“妹さんの事で伝えたい事もあります”



そんな一文を今になって思い出す。



その人が、彩の何かを知っている?だけど、どんな事なのか想像もつかない。



「エリの妹の為にも、一度帰国した方がいいんじゃない?ここにはいつでも来れる。私達は逃げはしないわ」



最近は梨香さん達の事で頭がいっぱいで、考えてもなかった。



彩―― あの家にもう一度戻ってきてっていう意味?そこに、彩の伝えたい事が待っているの?



メリッサが帰った夜、ミシェルさんにレターセットを貰い、一人机の前でかしこまるようにして座っていた。数十分はこのままでいたと思う。



目の前には、白紙の便箋にボールペン。



深呼吸をしてから、意を決してペンを手に取る。読む人が居る宛先のある手紙、それを書くのはこの旅初めてのこと。言葉を選びながら、文字を綴っていった。





                 ・・・・・


                お返事をくれた方へ




初めまして、笠井 恵利と申します。


まさかあの沢山の手紙が、誰かの元に届いていたなんて思ってもみませんでした。

恥ずかしい気持ちと動揺で、中々返事を書けなくてごめんなさい。


私と同じ道を旅してくれていたなんて驚きました。私はただの思いつきで旅に出ただけなんです。


私が旅で出逢った人達にほとんど逢えなかった様ですが、どうやら香川で美紀ちゃんには逢えたみたいですね。出逢ってきた人達はみんな素敵な人なんです。一人にでも逢うことが出来て良かった。


私は今、日本を越えてオーストラリアに来ています。


最初の方に書いた手紙を覚えてらっしゃいますか?


秋田で出逢えた梨香さんに逢いに、ここに来たのです。楠木マスターの後押しもありました。


この国に来てみて、本当に素敵な場所でこのまま住みたいと思っていました。そんな中、あなたから手紙が届いたのです。


こっちに来てからも、素敵な出逢いや出来事が沢山あって、今日は特に良い事がありました。話すととても長いので、また今度にしようと思います。


とにかく私は今、なんとか生きてこれています。


全ての事に有り難味を感じ、生きている事に感謝さえしている毎日です。

最初の頃の手紙からしたら、こんな私はちっとも想像出来ませんよね。


この旅がきっと、私を救ってくれたんです。


心配してくれている様だったので、元気に生きていますという事を伝えたくてお返事を書きました。それと、もうひとつ。


良かったら、私にお話を聞かせてください。


あなたが手紙に書いていた妹の事で伝えたい事、それが今になって心に引っ掛かってしまって仕方ないんです。


近々日本に帰国します。


私には帰る場所が無い。だけど妹が、戻ってきてと言っている気がするのです。

戻る場所と言えば、あなたが今住んでいる妹が住んでいた家しか思い当たらないのです。


何かご存知でしたら、是非ともお聞かせ下さい。

帰国する日が決まったら、また手紙を書きますね。


私に会ってもらえますか?





                 笠井 恵利


                 ・・・・・






                  ***




帰国する日が決まり、まだ見知らぬその人に再び手紙を書いた。ダンさんの家の住所を書いておいたけど、あれから返事はない。すれ違ってしまったらどうしようかと悩んだけど、決めた以上もう後には引けない。



当然の如く帰国する日を皆に聞かれたけど、大まかに伝えただけで、詳しくは誰にも言わなかった。見送られると、別れが余計に辛くなるだけだから。香川の旅の時がそう。悲しくて、ずっと移動中泣いてた。



またいつか会える。だから悲しい気持ちで帰国したくない。その考えが揺らぐことはなく、特に梨香さんはあの手この手で聞こうとしてきたけど、頑として口をつぐんだ。



梨香さんと勇作君、あの二人はあの後てっきり付き合うことになったのかと思ったけど、どうやらまだ付き合ってはないらしい。二人が繰り広げる言い争いも相変わらずだし、一見するとまた元に戻ってしまったように見える。



だけど私は感じていた。二人の距離が、前よりもずっとずっと近付いていることを。見えない何かで繋がっているみたいに。だからもう、何も心配はないと思えた。



勇作君はビザが切れるまでここに残ると言う。梨香さんもその内ビザが切れてしまうと思うし、そしたらまた私達は日本で再会できる。



また会おうと約束した。



ミシェルさんとマイクさんは、いつでもまたおいでと強く抱き締めてくれた。

またいつでもここに来れるんだと思うと、嬉しい気持ちになる。



そしてメリッサは、素敵な言葉とネックレスをくれた。



“Bloom Where you're Planted.”

どんな言葉だかサッパリ分からず、首を傾げる私に笑顔で言う。



「“植えられた所で花を咲かせよ”という意味よ。与えられた状況や場所に不満を持って生きていたら、皆が見とれてしまう様な綺麗な花は咲かない。人生は大きな壁が立ちはだかる事が多々あるわ。それでも与えられたその場所で前向きに生きるの。それを乗り越えた時、きっとあなたは美しく咲く事になる」



その素敵な言葉と、トップに小さなブーメランの形をしたものが付いたネックレスを受け取った。ブーメランを投げると戻ってくる様に、私がここに戻ってきます様にという想いが込められていると言う。



この国が大好きになった。だから必ずまた来ようと固く誓った。



今日が帰国する日なんて誰も知らず、昨夜はたまたまダンさんの実家に皆で集まって食事会をする事になった。お酒を飲んで上機嫌の梨香さんを筆頭に、勇作君とメリッサと私、4人で家に帰ってもお酒を飲み続けた。



他愛もない話をして沢山笑い合ったり、皆で歌を歌ったりして、まるで最後の晩餐ばんさんのように楽しい時を過ごした。だけどその輪の中で私は、密かに寂しい気持ちを抱いていた。



旅に出た頃、秋田でこんな風に毎晩騒いだことを思い出す。あれから色々なことがあった。いっぱい胸を痛めて、いっぱい涙を流して、いっぱい彩を思い出した。だけど今は、笑顔になれる自分が居る。



見上げるとキラキラ輝く星が無数に出ていて、それを見つめながら万感の思いを胸に抱いた。



そして時刻は午前四時。



メリッサは帰宅して、梨香さんと勇作君は一階でそのまま眠ってしまっている。私は二階の部屋の窓から、ぼんやりと外を眺めていた。メリッサに貰ったネックレスをつけて、それを嬉しい気持ちで眺めていた時、誰も居ない寂しげな道路に、明かりを照らして停車する一台のシャトルバスが現れる。



それを確認してから、お馴染みのボストンバッグを手に取り立ち上がった。



帰国する今日の為に、家から空港へ送迎してくれるあいのりのシャトルバスを予約していた。もちろん、その事は誰も知らない。



ふと部屋を見渡した。



寂しい気持ちと感謝の気持ちで溢れている。そっとベッドの上にメモを置き、名残惜しさを感じつつも部屋を出た。音を立てないよう階段を降りると、ソファーで眠る勇作君と、その隣で寄り添って眠る梨香さんが居た。

その姿が微笑ましいのと別れる悲しさに、つい涙が零れてしまう。



最初の旅で出逢った二人――。恐らく、これが最後になるであろうこの旅。

始まりも終わりも、この二人が支えてくれていた。



涙を流しながら玄関に行き、二人が居る方へと振り返る。



“ありがとう、またね”

小さな声でそう呟き、家を出た。








大柄な体型の男性がバスの前に立っていて、私に目を移すと手を上げた。

格好からして、どうやら運転手さんのよう。



「エリだね?オーストラリアでの生活はどうだった?」


「とても素敵な日々でした」


「良かった。それで、荷物はそれだけかい?」



旅に出た時と同じ。こくんと一つ頷いてから、お馴染みのボストンバッグだけを持ってバスに乗り込む。小さなシャトルバスで、15人程度しか乗れないあいのりのバス。まばらに人が座る中で、空いている席に着いた。



乗車してるお客さんはアジア人が多いように感じられる。時間も時間なだけに、みんな眠っていたりぼーっとしたりしていた。バッグを胸に抱いたまま、離れていくダンさんの家を眺める。どんどん遠くなって見えなくなってしまった時、悲しくてまた涙が出そうになった。



この旅で出逢いと別れをたくさん経験した。だけど離れる時はやっぱり寂しい。これだけはいつになっても慣れる事はない。だけど首を小さく横に振って、何とか涙を堪える。これからは、地に足をつけていかないと。



帰国を決意したのと同時に、ある想いが固まっていた。

もうこれで旅は終わりにしよう。私は、生きていこうと。



こんな行き当たりばったりな旅をする事が出来た。

きっと普通の生活に戻る事も出来る。その勇気をこの旅でもらえた気がした。



彩――。最初は自分がどうなろうと構わないと思って旅に出た。

それは意味のない行動だと思った。だけど今となっては、自分を変える為だったのだと、思い返してみるとそう思う。



旅をして思ったの。

この世には、意味のない事なんて一つもないんじゃないかって。



旅に出た時から、全てをつむぐようにして色々な出来事が起こった。

その全てが、ただ運良く起きた奇跡だとは思えない。全てが出逢うべくして出逢った人達。起こるべくして起こった出来事。その全てがあって、元の地に戻ろうと決意できた自分が居る。



いつまでも現実から目を背けていてはいけない。メリッサがくれた言葉の様に、与えられた地で強く生きていかないと。この旅で出逢ったみんなが背中を押してくれた。生きる力を与えてくれた。



手にしたバッグから、旅で得た思い出の品々を一つずつ取り出してみる。



沢山聴いて、小さな傷だらけになってしまったアリシアキーズのCD。

最初の旅で出逢った、梨香さんに勇作君。



『捨て犬でも拾ったと思う事にするよ。ついて来い』


『恵利ちゃんはこれから、その幸せってやつを探しに行くんだろ?』



初めて他人と暮らして知った人の温かさ。最初に二人に出逢っていなければ、旅を続けていなかったかもしれない。感謝しても仕切れない、とても大切な人達。



次に、ミサンガを取り出した。大阪で出逢った、池上君。



『俺はいつになったら―― 死ねるんやろう?』



一緒に歩いた線路沿いの道、風に揺れる金色の髪、ピンク色の空。

久しぶりに抱いた、恋心。



彼に出逢わなければ、大阪あそこを通り過ぎていただろう。

池上君が居なくなってしまって、すぐに暖かい場所を求めた。



そして、キラキラ光るハートのピンと、ピンク色のハンカチを取り出す。

慎に捕まって寄り道した東京。そこで出逢った素敵な女性、キャサリンさん。



『あんたにも幸せが訪れますように』



最初は慎を心底恨んだけど、キャサリンさんを紹介してくれて今では感謝してる。いつかお酒で酔ってしまった時は、あのグレープフルーツ入りの水を入れて貰おう。それに、このハンカチを届けにいかないと――。私が香川に行く時、いつまでも手を振って見送ってくれた、憧れの女性の元へ。



香川――。ふと、ここでは繋がらない携帯電話に目を移す。そこに付けたご当地ストラップを握り締めた。



『腐ってんだ、この世の中』



沢山の人達が行き交う街で、一人取り残されていた女の子、美紀ちゃん。



『美紀はこの島で、もっと強くなって生きていく』



島で過ごす日々の中で、どんどん逞しく成長していった。それは――



『わっはっは、東京の娘はアホやなぁ』



全てはいつも私達の中心に居た、楠木マスターの愛のお陰だった。



『死ぬと分かってからも 美紀と恵利ちゃんに―― 出逢えたやんか』



自分が生まれ育った島を心底愛していた。人との出逢いを大切にし、出逢った全ての人に愛情を注いでいた。生きる事と命の尊さに気付かせてくれた人。



最後に、首につけたブーメランがモチーフのネックレスを握り締める。



『生きる事に意味のない人間なんて、この世に居ないわ』



生きる為の手術をきっかけに、人にはない力がついてしまった女性、メリッサ。

彼女に出逢って、色々な人が困難と向き合っているという事を再確認した。



自分という存在を否定されながら生きていたメリッサ。だけどその分、その力を遣って大切な人を幸せへと導いていく。彼女の力を目の当たりにして、幸せのお裾分けをして貰えた気がした。彼女のお陰で日本に帰る事を決意できた。



“Bloom Where you're Planted.”



今度は逃げずに、与えられたその地で生きていこう。そこで私は、綺麗な花を咲かせてみよう。この旅で得た全て抱き、自分の足で生きていこう。また心が迷って花が枯れそうな時は、色々な場所でみんなが待ってくれている。心の花に、水を与えてくれる。



だから私は、生きていける。



全てを大切に包み込み、この旅に終止符を打った。











今度は帰る私を乗せて旅発つ飛行機――。



出発した時は夜で暗かったけど、今見える景色は青空が広がっていて明るい。小さな窓から覗いてみると、綺麗なエメラルドグリーンの海が目についた。

飛行機が、オーストラリアの海を越えて行く――。



梨香さん達が目を覚ました時、急に居なくなった私を心配するかもしれない。

そう思い、泊めてもらっていた部屋のベッドにメモを残した。




        「旅はもうお終い。


         色々と本当にありがとう。


         日本で二人を待ってるね。


                 恵利」

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