「天と話す者」2

指定されたレストラン。そこは地下にあり、壁がレンガで出来ていて店内は蝋燭だけの明りで灯されている。お店の奥にはイタリアの国旗が飾られてあり、それを見て成る程と納得した。



昼間からイタリアンのレストランでデートなんてお洒落だなぁ。

そんな事を考えながらきょろきょろしていると、私を呼ぶ声が耳に入る。



三田さんが立ち上がって手を振っていた。 隣には、小顔に黒淵メガネを掛けたお洒落な装いの男性が居る。二人に向かってお辞儀をすると、三田さんは私のもとまでやってきて、嬉しそうに手を取った。そして彼が居る席まで導いてくれる。

会社の制服ではなく、シフォンのマーメイドスカートをひらひらと揺らし、おろしてる髪の毛も一緒になって揺れていた。いつもと違う雰囲気にとても綺麗だと思った。



「笠井さん、来て頂き有難うございます!ここに居るのが私の彼です」


戸谷とやと申します。やっとお会いできました」



爽やかに微笑む戸谷さんは、三田さんにピッタリなスマートな男性。



席について料理を待っている間、三田さんがとても嬉しそうに私との事を話し出す。ただのお客さんにどうしてこんなにも良くしてくれるのか、とても不思議だった。だけどその理由が、食事を食べ終えた時にやっと分かる。



「私達、来月結婚するんです」



そう言った三田さんは、綺麗な笑みを見せる。



「笠井さん、私ね―― 子供が産めない体なんです」



突然の告白だった。 驚いてしまい、何て言葉を返したら良いのか分からない。

私は結婚願望、そして、子供が欲しいと思った事のない人間だから。



「おい――。」


「いいの。話したい」



心配そうに慌てる彼を他所に、三田さんは構わず話し続ける。



「私は昔、保育士を目指していました。本当に子供が大好きで、夢はいつか母親になることでした。だけどその夢が叶う事はないと知って、子供を見るのも辛くなってしまって、保育士は目指せませんでした」



そう言う表情は、悲しそうだったり無理をしている様子はなく、優しく落ち着いた雰囲気だった。



「夢は願えばいつか叶うと、幼い頃からそう言われて育ちました。子供を産めないという事は、私にとって夢をなくしたということ。そして、生きる意味のないことだと思ったのです。だって私は、欠陥人間なのだから―― そんな風にして、自分を責め続けて生きていました」



隣に座っている戸谷さんは、顔を少し俯かせながら聞いている。きっと聞くのが辛いのだろうと感じた。私だって三田さんの告白を聞いていて、胸が痛むから。



「その頃よく思ったんです。今ある全てを消し去ってしまいたい、何処か遠くへ、行ってしまいたいと」



そう言った後、私を見つめて微笑んだ。



「笠井さん、私と初めて逢った時の事を、覚えてらっしゃいますか?」



あれは―― あれは私が、初めて旅に出た夜。

ふと目に入った夜行バスという文字に、なんとなく乗り込もうと思った。

あの時「すぐに席が取りやすいのは何処行きですか?」と尋ねた。

その時の三田さんは、時間でも止まったみたいにして見つめてきた。



「あの時の笠井さんを見た時、理由はないのですが、何処か遠くへ行きたいと思っていた頃の自分を、なんとなく思い出したんです」



私と三田さんは、あの時から何かに惹かれる様にして出逢うべくして出逢った。

聞いていてそんな風に思う。



「秋田に向かっていく笠井さんの後姿を、いつまでも見つめてしまいました。それからもずっと気になっていたんです。もう逢うことはないかもしれないとも思いました。だけど笠井さんはまた現れた。今度は、大阪に行くと言って」



人の人生、人が抱える想いは聞いてみないと知る事はない。

私はあの頃、自分の事ばかり考えて落ち込んでいた。そんな風にして心配してくれていた人が居たなんて、思ってもみない事だった。



「彼に出逢えて、母親になる方法は他にもあると励まされ続けました。気付けばまた夢を見るようになっていて、色々な問題はあったけど、私達はやっと結婚を決意することができたんです」



そう言う三田さんはとても美しい。

幸せを手にした女性の顔とは、まさにこの顔なのではないかと思った。



「私は今とても幸せです。だけど一つだけ気掛かりな事があります。あの頃の私に似た女性、笠井さんの事が。彼にも話したら、二人で気になってしまって」



三田さんと戸谷さんは目を合わせて微笑む。 戸谷さんは突然ポケットから名刺入れを出した。そして、それを一枚取り出して差し出してくる。



「職業病かも知れません」



その名刺に記された会社名は、サクラ出版社とあった。



「僕の仕事は、小説家の先生達をサポートすることです」


「何故、職業病なんですか?」


「この時代に一人、旅を続ける女性。その女性がなぜ旅をするのか、次は何処へ向かい、どんな経験と想いを抱えて帰ってくるのか―― なんて、勝手に物語を考えてしまって」



そう言って照れ臭そうに微笑む。



なんだか申し訳ない気持ちになった。そんな物語になるようなたいそうな事ではないと思ったから。そんな思いを込め、首を横に振って否定した。



「物語なんて、とんでもない」



すると三田さんが、くっきり二重の目を細くさせて笑う。



「笠井さんが香川に行く前に、いつかお話を聞かせてくださいとお願いしたのは、そういう理由があったんです。長くなってしまって、すみませんでした」



私が行き当たりばったりな旅を続ける中、そんな風に気にしていた人達が居たとは思わなかった。嬉しい様な、心配させて申し訳ない様な、なんだか複雑な気持ち。



「笠井さん、差し支えなければ、旅をしたきっかけを教えてもらえませんか?彼が言った事は気にしないでくださいね。とても些細な理由だったとしても聞いてみたいです」



二人は笑顔で私を見つめ、じっと言葉を待っている。

ここまで来たら話すしかない。いつか話すと約束をしてしまったし。

かしこまるようにして、姿勢をピンッと正した。そして二人を交互に見つめる。



「あの、理由が暗いんですけど、いいですか?」


「あ、もしもお話するのが辛いようでしたら、無理しなくても大丈夫ですよ」



三田さんの気遣いに微笑んで見せる。



大丈夫、もう誰かに話せる。

この旅で、自分の悲しみを口にする事が出来る様になった。

彩が死んでから一年が経ち、旅で出逢った人達に心の傷を少しずつ癒してもらえた。だから、大丈夫。自分にそう言い聞かせて、深呼吸してから声を出した。



「私には両親が居ません。幼い頃は、妹と二人で施設で育ちました。だけど一年前、その妹もこの世を去ってしまったんです」



三田さんは驚きを隠せないように、眉を下げ手で口を覆う。



「妹は私の生き甲斐でした。生きる力でした。だけどそれを失ってしまって、これからどうしたらいいのか分からなくなったんです。気付くと荷物を纏めて、バスに乗り込んでいました」



二人は何も言わずに、ただ耳を傾けている。



私は今まで旅をしてきた場所、出逢ってきた人達の事を話した。

恋人を失ったシンガー、罪から逃げる青年、性別を超えて生きる人、失った家族に似ている少女、島を愛する人―― 楠木マスターの事を話している時は、耐え切れず涙が零れてしまう。三田さんも貰い泣きをしたのか、隠さずに涙を流した。



話し終わった頃にはお皿も下げられていて、店内に大勢居たお客さんもまばらになっている。はっと我に返って涙を拭った。



「すみません、長々とお話してしまいました」



戸谷さんも我に返ったように、慌てて手を振った。



「いえいえ、えっと、それでこれから、海外に行く事になったんですか?」



こくんと頷くと、三田さんが涙で赤くした目のまま身を乗り出した。



「笠井さんにとっては悲しみを抱えた旅かもしれません。だけど私はお話を聞いて、凄く温かい気持ちになりました。そして、自分が今生きていられる事に喜びさえも――。」



その後の言葉を詰まらせ、ぽろぽろと涙を零し始める。戸谷さんは吹いて笑い、側にあったナフキンでその涙を拭った。



「すみません、こいつは泣き上戸なもので」



三田さんがあまりにも泣いているので、驚いて涙が止まってしまう。戸谷さんにつられて笑ってしまった。三田さんは化粧をしている事なんて気にもせず、ナフキンで涙をごしごし拭う。



「笠井さんの旅の背景にそんな事情があったとは、興味本位に聞いてしまって、今とても反省しています」



反省なんてしないで欲しい。だって私は――



「旅に出る時は、良い旅が出来るようにって、三田さんからチケットを受け取って出発するようにしていました。三田さんの笑顔を見ると、心が温かくなったんです」


「わ、私も笠井さんの心の支えに、なれたのでしょうか?」


「はい」



すると三田さんは、ナフキンを両手で持ち更に泣き出してしまった。

私と戸谷さんは、思わず目を合わせて笑い合う。



こんなに素直で素敵な女性に、戸谷さんの様な人が居てくれて本当に良かったと思う。三田さんはこれからもきっと、幸せに過ごせる。こうして二人に会えて、話が出来て本当に良かった。心からそう思えた。



三田さんの涙が落ち着いてから、私達はお店を出る事にした。外は日が暮れてしまって暗くなってきている。別れ際に突然、戸谷さんがかしこまるように手を前で重ね、私の前に立った。



「笠井さん、先ほど旅では、必ず妹さんに手紙を書いてるとおっしゃっていましたよね?」


「はい」


「その手紙、届けませんか?」



目を丸くして戸谷さんを見つめる。何も言わずに意味を考え込んでいると、揺らぐことなく真っ直ぐに私を見つめ話を続けた。



「届かない手紙、そして笠井さんの旅の話は、もっと色々な人に届けた方が良いと思います。世の中にはきっと、辛い事で心を病んでしまっている人が大勢居る。だからこそ、多くの人達を励ます事が出来るかもしれない」



私はいまだ意味を考えて頭を悩ませている。

つらつら話す戸谷さんに向かって、首を傾げながら言った。



「あの、すみません、おっしゃっている意味が――。」


「何処かに残しませんか?例えば本とか」



その言葉を理解するのに時間が掛かった。何を言っているの?という思いも込めて。傍で楽しそうに会話をする人達が横切る。風に乗って電車の走る音が届けられた。私は戸谷さんを見つめ、頭の中でどんどん“はてな”を増やしていった。



私より先に、三田さんが口を開く。



「それはいいアイディアだね!」



三田さんまでもが話に乗っかり出した。あり得ない話すぎてなんだか笑えてくる。すると戸谷さんが、変らず真剣な表情のまま言った。



「僕は本気ですよ。笠井さんのお話を色々な人達に知ってもらいたいです。その手紙達を、妹さんの所まで届けましょう」



絶句している中、三田さんが突然両肩に手を置いてきた。



「書いて下さい!笠井さんの旅のお話で、救われる人が居るかもしれないです!」


「お返事はこちらに戻ってきてからでいいので、名刺にある番号に気兼ねなく掛けてください。ご連絡お待ちしております」



二人の表情があまりにも真剣だったので、その場限りに近い頷きをした。

三田さん達と別れ、久しぶりに帰る自分の家へと向かう。その最中考えても、やっぱり現実味のない話だと思った。



本って――。

もしかして、二人とも酔っ払ってた?だけどお酒は飲んでなかった気がする。

移動中ずっと首を横に傾げて考えたけど、やっぱり現実味がないなと思い、それ以上考えることを止めた。

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