「天と話す者」3

久しぶりに帰った家のポストから、沢山のチラシや請求書が溢れ出ていた。それをぽかんとして眺める。



こんなに長い間家をあけた事がなかったから、その結果こうなったのだろう。

だけどこんなに溜まってたら、近所の人に変に思われちゃう。そう思い、それらを慌てて引っこ抜いて鞄の中に隠した。



両手が塞がりながらも家の鍵を探す中、焦らせる様にして携帯電話が震え出す。

慌てて掴み取って見ると、慎からだった。やっぱり何か言いたい事があったのかな?そう思って渋々通話ボタンを押す。



「おまえ、今まで何処にいた?さっき話の途中で切ったべ!んでもって、その後は話し中だったり繋がらなかったりでさ、何なんだよマジで」



きっと地下のレストランに居たから繋がらなかったんだな。まぁ、こっちからすると、そんなに掛けてきて何なのよなんだけど。適当に相槌あいづちを打ちながら、鍵を見つけ出して扉を開けた。



「あれ?おまえさっき、これから海外に行くって言ってなかった?」


「え、うん」


「今の扉の音、なに?」



まるでアニメみたいに、ぎくっと体が飛び跳ねた。

しまったと思ってももう遅い。なんとか誤魔化そうと思った。



「そ、そんな音した?いま成田空港なんだけど」


「空港?にしては静かすぎだろ」



やっぱり嘘が下手らしい。自分の間抜けさに思わず頭を抱えてしまう。

何も言わずにいると、慎は小ばかにするように笑った。



「はっはーん、おまえ今、自分なんじゃね?何か取りに寄ったんじゃねーの?」



バカ慎ってば、こんな時ばかり変に勘が鋭い。

鼓動が一気に早まり、意味もなくきょろきょろした。



「で、電波が。飛行機が近いからかなぁ」


「おまえの居場所、やっとわかったぞ」



ドキッとした。つい勢い良く後ろを振り返ってみる。

当然誰も居なく、しーんと静まり返った廊下に呆然と立ち尽くした。



「よし、やっと捕まえられるな!」


「え?ちょっ――。」



ツー、ツー、と、むなしく鳴り響く電子音。呆気に取られてしまい、電話を耳から離し、だらんと腕を下げた。初めて慎に電話切られた。



だけどまさか来ないよね?だって今の時間は確か、例の仕事をしているはず。

そうだよね、来るわけ―― いや、来る気がする!



我に返った様に靴を脱ぎ捨て、部屋の中まで走った。慌てて色んな引き出しを開け、散かすようにしてパスポートを探す。



いま慎に捕まったら、絶対海外に行くの止められる。めんどくさい!

頭の中で“逃げろ”という文字が飛び交う。



パスポートを見つけ出し、それをしまう暇無く家を飛び出した。パスポートとボストンバッグ片手に大道路沿いを走る。息を切らしながらもバス停に到着し、時刻表を確認した。バスは出たばかりだった。



寒い中走って出た鼻水を啜り、きょろきょろ辺りを見回す。時折通るバイクの音にびくついては、隠れるようにして体を縮こませた。そんなに早く来るわけないかと思いながらも、気が気じゃなかった。



慎がさっき自分の家に居たとして、通話を切ってすぐにバイクで向かったとしたら、どのくらいで着くのかな?東京で寄り道をしたあの時、慎の家から一度うちに帰してもらった時の事を思い出す。顔を俯かせていたから定かではないけど、数十分くらいで着いた気がした。気が気じゃなく、じっとバスを待つ事が出来ない。ここで慎に止められて、旅を終わらせるわけには行かない。



もう、私の中の旅のルール撤回!バスは諦めてタクシーに乗ろう。

道路すれすれまで出て、目を凝らしながら空車の文字を光らす車を探した。



トラックの少し後ろを走るタクシーを見つけ出し、見えるように大きく手を振った。カチカチと音を立て、ハザードランプを点滅させながら近付いてくる。救われる思いで車に乗り込んだ。



「成田空港までお願いします」



タクシーが出発して、やっと落ち着くことが出来る。ホッと胸を撫で下ろしシートに寄りかかった。パスポートをしまおうとバッグを開けてハッとする。あまりにも慌ててたから、ポストで溢れかえってたチラシを入れたままだった。



もう、慎のせいなんだから。

ため息交じりに俯いたとき、運転手さんに声を掛けられた。



「高速に入っても大丈夫ですか?」


「あ、はい。早く着いた方がいいので、お願いします」



私が家に居ないと分かったら成田まで追いかけて来るかもしれないし、慎ならあり得ない話でもない。



気持ちを落ち着かせる為に窓の外を眺めた。走る車内から外を眺めると、夜景がまるで波打っている様に見えてとても綺麗だった。それを見ていたら、これから日本を離れるんだなぁとしみじみ思ってしまう。



思いつきで乗り込んだ夜行バス。そこから始まった旅。

それがまさか、こんなにも大ごとになっていくとは思ってなかった。

暗闇の中を飛ぶ一機の飛行機が目にとまる。これからあれに乗って、日本を少し離れることになる。



その先に、梨香さんが待ってるんだ。









空港に着いてからチケットがすぐに取れるか不安になったけど、今は旅行シーズンとズレた時期のようで無事チケットが取れた。だけどゆっくりする間も無いほど、すぐに発たなければならない時間のものしか取れなかった。



明日まで待つより、今発った方がいい。少ない時間で無線LANがあるエリアに行き、梨香さんに到着時刻を記したメールを送った。



だけどもしも梨香さんがこのメールを見なければ、オーストラリアに着いてから路頭に迷ってしまう。だけどこうなってしまった以上、梨香さんを信じるしかない。強い決意を抱き、パソコンを閉じて搭乗口へ向かった。



パスポートは彩の付き添いでついでに取っただけで、海外に行った事はない。それどころか、成田空港に来た事も、飛行機に乗る事も何もかもが初体験。

色々と分からない事が多すぎて、あたふたしながら飛行機に乗り込んだ。



荷物の他に靴までチェックされるとは思わなかった。そんな事を考えながら指定された席につく。座席一つ一つにテレビがあることに驚いてしまう。辺りを探るとテレビ欄が出てきた。それをじっと見て思う、映画まで観られるようだけど、これって無料ただで観れるのかな。 誰かに聞きたくても恥かしくて聞けない。



世の中には、私の知らない事がたくさんあるなと思った。無知すぎるだけかもしれないけど、この旅に出なければ、狭い世界観だけで生きていたに違いない。



地面から飛び発つ飛行機を見つめ、なんだか感極まる気持ちになった。

なんとなくだけど、この旅がそろそろ終わりを迎えるような気がしたから。



初めての飛行機での一夜、その日は彩の夢を見なかった。






                    ***





八時間半後、オーストラリア、ブリスベン空港に到着した。

現在オーストラリアの時刻では朝の八時。朝なのに凄く暑かった。

香川に到着した時の夏が、再び戻ってきた様に思える。



恐る恐る入国し、空港のロビーで辺りを見渡した。



当たり前だけど、外人さんばかりで気が引けてしまう。どうしたら良いのか分からず、助けを求めるように梨香さんを捜した。



ちゃんとメール見てくれたかな?そうだ、メールの返信来てるか確認しなきゃ。

でも、無線LANが入るエリアって何処だろう。誰かに聞く?そう思い再び辺りを見回すと、聞き慣れない英語ばかりが飛び交っていて怯えてしまった。

どうしよう、やっぱり急すぎたのかな?だって慎に焦らされたんだもん。

落ち込みながら、涙目になってとぼとぼ歩く。迷子の状態。



「恵利ー!」



その声にハッとする。

ハスキー掛かった懐かしい声、それは間違いなく梨香さんだと思った。



振り返ると、肌が黒くなった梨香さんがこっちに向かって走って来ている。

肩で息をしながら私の手を取り、満面の笑みを見せた。



「アホー、おまえ急すぎなんだよ!もう少し先になる予定だったろ?それが突然今日ってさー」


「事情があって、ごめんなさい」



梨香さんは文句を言いながらも、嬉しそうにして笑ってくれていた。

梨香さんが目の前に居る事が不思議で、現実なのかと疑ってしまう。

もしかしたら、一生会えないんじゃなかと思った事もあった。



『あいつは一度仲良くなれば疎遠にはならねーと思う。だから恵利ちゃん、安心しなよ』



そう言った勇作君を思い出す。

さすが梨香さんと付き合いが長いだけあって、本当だった。



その時、後ろからふくよかな小父おじさんがやってきた。



「リカ、日本語は禁止だと言っただろう?」



焼けた肌で顔を赤らめ、白髪の前髪をサングラスで止めてオールバックにしている。その小父おじさんは、私を見て優しく微笑んだ。



「君がエリだね?」


「は、はい!はじめまして」



入国審査とかで、慣れない英語を話す羽目になったけど、現地の人とこうやって話すなんて更に緊張する。



「私はマイクだ。会えて嬉しいよ」



そう言って力強く私を抱き締めた。驚きと抱き締められた苦しさで、ここは海外なんだと改めて実感してしまう。



「エリ、マイクはダンの父親だ」



梨香さんはこの瞬間から、二人きりの時以外は私にも英語で話すようになった。

驚いたのは、梨香さんの話す英語がネイティブそのものだったこと。前から英語が話せたんじゃ?と思うくらい。



「――あ、ああ、ダンさんの」



ネイティブな発音の梨香さんの英語を私の頭で日本語に訳すには時間が要る。

このはまるで、日本と海外の中継の様だなと思った。だけど極力、私も頑張って覚えた英語を使っていかないと。せっかく来たのに、この国に置いていかれちゃう気がした。



「ダンの家と実家はゴールドコーストなんだ。だから此処まで連れて行けってマイクを叩き起こして車できた」


「そ、そうなの?マイクさん、ごめんなさい」



自分の耳で聞いた英語や話している事があってるのか分からない。ドキドキしながらもマイクさんに頭を下げる。



「いいんだよ、リカの大事な友達だ。今日は仕事休みだったしな、これから祝い酒も飲める!ラッキーだ」



マイクさんはにこーっと心底嬉しそうに微笑み、私の肩を叩きながら豪快に笑う。

噂には聞いていたけど、外人さんって本当にテンションが高い。ついていけるか少し不安。



そんなこんなで車に乗り込み、梨香さんが現在住んでいるというダンさんの家に向かうことになった。街並みは椰子やしの木でいっぱい。ブリスベン空港に着いた瞬間から、日本より明るい色の建物が多い場所だと思った。そのカラフルな街並みを車の中から釘付けになって眺める。日本では白や灰色の建物が多い中、この国はピンクや黄色など色が付いた建物が多い。このカラフルで陽気な雰囲気のお陰で、眺めているだけで心が明るくなっていく様に思える。



梨香さんはあのお店は面白いとか、あそこには美味しい料理があるなど、ガイドさんみたいに説明してくれた。もうすっかりこの国に馴染んでいる様子。

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