「島を愛する人(後)」7

                   ***




楠木マスターが亡くなって、一ヶ月の時が過ぎようとしていた。



お店はあれからずっと、休業中のまま。 楠木マスターが居なくなって私達は、大きな光を無くした様な、喪失感を抱えた毎日を過ごしていた。



美紀ちゃんは毎日ブログを更新する事をやめなかった。そして楠木マスターを想うかの様に、どんな日も島の写真を撮りに出掛けている。ブログを更新する為か、美紀ちゃんが楠木マスターの部屋に篭る日々が続いていた。



そっと扉をノックして部屋の中に入る。パソコン画面を睨む美紀ちゃんに声を掛けた。



「美紀ちゃん、咲さんが晩ご飯作ってくれたよ」


「うん、もうちっとで更新終わるから」



楠木マスターが居なくなったら美紀ちゃんは壊れてしまうのではないだろうか?

そんな風に思っていた。だけど予想とは違い、元気はないものの、美紀ちゃんはしっかりと生きていた。



「ブログの様子どう?楠木マスターの事で、みんな落ち込んでない?」


「うん―― ほら、お葬式の時さ、わざわざ東京から来てくれた人達が居たっしょ?」



楠木マスターのお通夜とお葬式、それは一般の人の式だとは思えない程の参列者の数だった。楠木マスターがこの島の人だけではなく、沢山の人々に愛されていた人物なのだというのを改めて思い知らされた。



楠木マスターが豪快に笑った時の笑顔が遺影となって飾られ、参列しに来てくれた人達はそれを見ては酷く悲しんでいた。そんな中、咲さんは娘として気丈に振舞っていた。驚いたのは、美紀ちゃんも同じく気丈に振舞っていたこと。



「あの時知り合った人らは、美紀の事応援してくれて結構仲良くなったよ。だけど―― なんも知らねー奴らが美紀を叩いて来んだよね」


「叩くって?」



美紀ちゃんは机を力強く叩き、怒りをあらわにした。



「前のが写真の撮り方が上手だったーとか、ギャル語あると気分害するからもう見ねーとか!すんげ腹たつのりだし!」


「へ」



そう言ってぶつぶつ文句を言った後、再びパソコンに向かい出す。



「とにかく、美紀はめげずに頑張るよ。楠爺の為にね」



美紀ちゃんはきっと闘っているのだろう、大切な人を亡くした心の痛みと。



「ねぇ恵利姉、もうすぐ四十九日だね」


「うん」


「このままで、いいのかな?」



その言葉に胸がずきっと痛む。



「楠爺が居なくなってからお店も閉じたままだし、みんな言葉も少ないし泣いてばっかり」



このままではいけない気がする、それは私も思っていた事。私達は、あの頃には二度と戻れないんじゃなかと思った。そのくらいこの家は、このお店は、大きな光を無くしてしまった。



美紀ちゃんはパソコンに目を向けたまま言う。



「楠爺が見たら、悲しむよね」



私もそう思う、きっと楠木マスターも悲しんでる。分かってはいるけど、やっぱり前のようにはなれない。



「美紀ね、楠爺がしてた生活をしながら色々考えたの。美紀、みんなに必要とされる人になりたい。楠爺の様な人に、島の人達にとって、そんな存在になりたい」



そう言う背中を驚きながら見つめた。美紀ちゃんは出逢った頃よりも、どんどん強くなっていく。長い間旅をしてきた私なんか、簡単に追い抜いていきそうな勢いだった。



「美紀を心配しなくていいんだよ、恵利姉」



振り向いた美紀ちゃんは、悲しそうに微笑む。



「恵利姉の妹と美紀は違う。美紀は美紀だよ。美紀はね―― 強く生きていけるよ」



確信をつかれたその言葉に驚いてしまって、何も返す事が出来なかった。



美紀ちゃんは全て分かっていたんだ――

私が美紀ちゃんと彩を、日々重ね合わせている事に。



「美紀甘えてたんだ。目の前で大切な人が死んでさ、死のうなんて簡単に口に出したり思ったりするもんじゃないと思った。うん、今まで、甘えて生きてたんだ」



この子は何時いつの間にこんなに強くて魅力的な子になったのだろう?

楠木マスターのお陰なのかもしれない。そう思うとやっぱり、楠木マスターの愛の力は凄い。美紀ちゃんの強い心を見習わないといけないと思った。







カフェ店内で皆で夕飯を取っている時、美紀ちゃんが突然声高らかに宣言し始める。



「美紀、四十九日に、この店をまたオープンさせよーと思うのだ!」



咲さんをはじめ、皆できょとんとして美紀ちゃんを見つめた。健志君だけは鼻で笑いながら言う。



「はっ、おまえなんかに店の経営が出来るん?」


「うっせぇ!つーかおまえ、何で毎日ここに来んの?おまけに飯まで食ってくな!」


「別にええやろ、俺の勝手やし」



健志君は相変わらず美紀ちゃんの後をついて回っている。

最近では、朝の撮影にまで現れるという。



「ともかく決めたから!咲姉、美紀は金の事わかんねーから宜しく」


「美紀――。」


「この店を一生残していきたい。ていうか、残さないと!それが美紀の幸せで、それでいて夢になったんだ」



気付けば美紀ちゃんは、あっという間に大人になっていた。

とっくに私を追い抜いて、先に幸せを見つけたみたい。



健志君はそっぽ向きながら照れた表情で呟く。



「お、俺も手伝ってやってもええよ」


「てめぇには頼んでねぇーんだよ、ガキ!」



美紀ちゃんってば酷い――。健志君は美紀ちゃんを心配してくれてる。

それに気付いていたから、慌ててフォローした。



「人手も足りないし、健志君が手伝ってくれたら助かるよ」



咲さんも快く賛同し出す。

そんな私達の様子を見て、美紀ちゃんはしかめっ面を見せた。



「ちょっと、何でこんなガキ」


「美紀ちゃん?楠木マスターだって美紀ちゃんの事ガキとか言いながら、ちゃんと働かせてくれたでしょ」


「――恵利姉ずるいよ、楠爺に例えるなんて」



そう言って顔を俯かせてしまった。



少し申し訳なく思って声を掛けようすると、美紀ちゃんは勢い良く席を立つ。そして、健志君を箸で指差すようにして言った。



「仕方ねぇな!もし悪さしたら即効でクビだかんな!」


「は?手伝ってやる言うとるやないか、何やその態度」


「じゃーおまえに美味いコーヒーが淹れられんのかよ!」



晃君は二人のこの喧嘩に慣れっ子で、傍で何てこと事ない様子でご飯を食べ続けている。ずっと黙っていたのに、漏らすように呟いた。



「ほんま自分ら、大人げないなぁ」



私と咲さんは思わず目を合わせて笑ってしまう。喧嘩をしてた二人は顔を歪ませて黙り込んだ。お店の中が久しぶりに明るい雰囲気で包まれた瞬間だった。






                   ***



気付けばこの島の季節は冬を迎えていた。東京ほどではないけど、意外と寒い日が続く。 楠木マスターの事で頭がいっぱいだったけど、私が旅に出て気付けばもう一年が過ぎようとしていた。



彩が居なくなってからもう一年が経つ。そう思うと、今まで色々な事があったなと身に染みて感じる。



彩のお墓はない。 生前彩がそれを望んでいなかったから。両親の骨は納骨堂に納められていて、もしお互いが死んだら同じ納骨堂に入ると決めていた。彩の一周忌はその納骨堂にお参りに行く為、一度東京に戻ろうと思ったこともあった。だけど楠木マスターの事もあり、戻らなかった。それになんとなく彩は、そこには居ないような気がした。



今日は楠木マスターの四十九日。

私は早朝に一人、海が一望出来る堤防に来ている。



この海はカフェの前から見える海。今日は珍しく空が晴れ晴れとしていて、迷わずにここに来ようと思った。楠木マスターから貰ったノート片手に座り、潮の香りと波の音を噛み締めるようにして目を閉じる。



脳裏に蘇るのは、楠木マスターの優しい笑顔。太陽の光を浴びると、なんだか少し元気が出る。空から降り注ぐ光が、楠木マスターの愛に包まれているように思えて、とても心地良かった。



風が少し冷たくなってきたなと感じた時、携帯電話が震え出した。

着信画面を見ると“番号通知不可”と表示されている。

戸惑いつつも通話ボタンを押した。



「恵利!?」



その懐かしい声に驚いて、思わず立ち上がってしまう。

すぐに分かった。声の主は、梨香さんだった。



「り、梨香さぁん」


「久しぶりーって、え?泣いてんのか?」



歓喜余って泣いてしまった。



「私ね、最近涙腺弱くって」


「最近じゃなくって前からだろ」



ハスキー掛かった梨香さんの声、凄く懐かしい。旅に出た頃を、秋田に居た頃を思い出す。去年の今頃は、梨香さんと一緒に暮らしていた。



「連絡出来なくてごめんな。こっちでパソコン出来る機会が中々なくってさ。勇作から聞いたけど、あれから大阪に行ったんだってな」



良かった、勇作君とも連絡取れたんだ。梨香さんと連絡が取れなかったから、きっと勇作君も連絡が取れなくて困っているだろうと勝手に心配していた。

だって勇作君のが、私よりも心配性だと思うから。



「今はね、香川にある島に居るの」


「マジかよー!随分と南に下がってったなぁ。どうせならついでにこっちにも来いよ」


「え?」



いつか行けたらいいなと思っていた。

だけど、考えもしてなかった梨香さんの提案に驚いてしまう。



「梨香さん、色々な事があったよ。本当にそっちに行って、梨香さんとたくさん話したいな」


「そっか。じゃあその話、届けに来い!」



逞しくそう言われ、ずっと落ち込んでいた気分を蹴散らしてもらえた気になった。

梨香さんは最近、語学学校に通い出し、本格的に英語を学んで生活しているらしい。さっき来いと言ったのは本気な様で、語学学校でパソコンが使えるから、こっちに来る時はいつでも連絡してくれと言った。



梨香さんとの通話を切り、顔を上げて限りなく広がる空と海を見渡した。



オーストラリアか――。



『恵利ちゃん、いつか海外に出てみるといいわ 世界は広いんやで』



楠木マスターの言葉が脳裏を過ぎる。



その時、突然強い潮風が吹いて、開いてたノートがぱらぱら勝手にページを捲り出した。飛ばされない様、思わず手で押さえる。押さえたページに目が奪われ、ノートを掲げてじっと見た。



「これ――。」

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