「島を愛する人(後)」8

四十九日の集まりには、沢山の常連さん達がやってきた。



お坊さんにお経を詠んでもらい一通り全てが終わると、美紀ちゃんが皆をお店に集め出す。お店が久しぶりに常連さん達でごった返した。



「美紀ー、何事やねん」


「なんや、おまえ子供でも出来たんか」



みんながそう騒ぐ中、美紀ちゃんは大勢の人を掻き分けカウンター席の椅子の上に立つ。



「皆に聞きたい事があるんだ!あのさ、皆このお店の事好きだった?」



すると島の人達は、一斉に何を今更言うんだと騒ぎ始めた。



「当たり前やろ、仕事帰りにここで騒ぐんが俺の唯一の楽しみやったんやで」


「うちかて、毎日楠爺のコーヒー飲むん楽しみにしてたん。せやから今は毎日なんかしっくりこーへんのよ」



皆の意見に耳を傾け、美紀ちゃんは満面の笑みを見せる。

意見が飛び交ってざわめく店内。どれ程このお店が、楠木マスターがこの島の皆に愛されていたのかがよく分かる。



ざわめく皆を治めようと、健志君は大声で叫び出した。



「おまえら、こいつの話をまずは聞けや!」



美紀ちゃんと健志君って、以外に良いコンビかもしれないと思う。

お陰で静かになった所で、美紀ちゃんが笑顔のまま言った。



「そんな皆に朗報だよ!美紀がさ、この店をまたオープンさせっから!」


「ええ!?」



先程とは違うざわめきが店内を包み込んだ。



「美紀、店の経営は遊びやないんやぞ」


「もっと真面目に考え?」



皆に責められようが、美紀ちゃんの考えはちっとも変わらない様子。

島の人達の反対意見にも、笑顔で応えていた。

そして、まーまーと言って手を広げ皆を静ませる。



「美紀は真面目真面目の大真面目だよ!だてにずっと此処で働いてたわけじゃないんだよ」



咲さんがフォローする様に少し離れた場所から叫ぶ。



「皆さん、勿論うちもサポートするんよ!」


「それに美紀、作れるんだ―― あのコーヒー。この島であのコーヒーを淹れられるのは、今は美紀だけなんだよ」



それを聞いた皆が、一瞬にして黙る。



「美紀はこのお店を一生残したい。楠爺の為にも」



そう言われたら、誰だって何も言えなくなるだろう。

美紀ちゃんの発言を、微笑ましく見守る人も出てきた。



「美紀、楠爺に教わったんだ。だから小部婆おべばあ達はこれからもあのコーヒーを飲めるし、休業中につまみのバリエーション増やす勉強だってした。だから閉店までうっせー高松のおっさん達の事だって、満足させてやれるよ」



開店と同時にコーヒーを飲みに来る小部婆おべばあ達、夜に現れる漁師の人達がほんまかと笑いながら喜びだす。美紀ちゃんは真剣な表情で話しを続けた。



「だから、だからさ、この店と美紀を、応援して下さい!」



そう言って深々と頭を下げる。島の皆は驚いていた。

美紀ちゃんがこんなにしっかりした子だったなんて、心底関心したのだと思う。

少ししてから、歓迎するかの様に拍手の音が響き渡った。



「まー、咲もおるから大丈夫やろ」


「何よりもまたこの店が開店するんが嬉しいわ」



ここに居る皆の心が、一つになった瞬間だった。

美紀ちゃんは目に涙を浮かべ、満面の笑みで顔を上げる。



「ありがとう皆!長生きしろよ!!」



久しぶりに大きな笑い声で包まれる店内――

陰でこっそり涙を流した。



『何処かに、消えちゃいたいんだよ』



あの頃の美紀ちゃんは、一体何処へ行ったのだろう?

今の美紀ちゃんはキラキラと輝いていて、それでいてとても頼もしい。

東京に居た頃は霞んで埋もれていた、美紀ちゃん本来の姿。それを見る事が出来て、大きな勇気を貰えた気になった。



手にしたノートを握り締め、人の波を掻き分けた。この家の人達にだけ見せようと思っていたけど、やっぱりこれは、島の皆に聞いてもらいたい。

先頭まで辿り着き、よろよろ覚束おぼつかない足取りで椅子の上に立った。



「美紀ちゃんいいかな?今度は私から、伝えたいことがあるの」



美紀ちゃんはきょとんした顔で椅子から降りる。



こんな大勢の人達の前で話すなんてした事がない。ドキドキする心臓の音が外に聞こえそうな程に緊張した。そんな内気な性格の私を皆はよく知っている。



「恵利姉、大丈夫?」



美紀ちゃんをはじめ、皆がどうしたんだと心配そうに問いかけてきた。

大きく深呼吸して、緊張する心を落ち着かせる。そして楠木マスターから貰ったノートを、皆が見えるよう掲げてみせた。



「これ、知ってますか?」



知っていると言う人や、なんだそのノートと怪訝な顔をする人。

皆に向かって、ノートを開いて再び掲げなおす。



「このノートは、楠木マスターが好きな詩や言葉が書き写してある、大切なノートです。このノートの最後の方はほとんど白紙なんです。だけど今朝、白紙だと思っていたページの間に、ある詩を見つけました」



このノートをよく知っている咲さんと晃君は、驚いた様子で駆け寄ってきた。

咲さんは食い入る様にしてノートを見つめる。



「その詩は、誰の言葉なん?」



このノートには、詩や言葉とそれを書いた人名が載っていた。

だけど――



「この詩にだけ、誰が書いた詩なのか書いてないんです。だけどこの詩を読んで、楠木マスターが自分で作った物なんじゃないかと、そう思ったんです」



そう、これは絶対に楠木マスターの作った詩。皆にこれを聞いてもらいたかった。



「恵利姉、読んでみて」



真剣な表情で見つめてくる美紀ちゃんにつづき、島の皆が固唾を飲んで私の言葉を待っていた。さっきまで騒がしかった店内が一気に静まり返る。

楠木マスターにしていたように、その詩をゆっくり声に出して読み始めた。



「愛するもの


人は人を幸せにする力

がある

 

私が今こんな風に生きて

いられるのは、私に関わ

った全ての“人”から生

かされ今があるのだ


その“人”達の力はすさ

まじい


どんなに心が晴れず夜が

明けない日も

船が転覆してしまう程の

大嵐の心の日も


いつなんどきも光を失わ

ず此処まで辿り着けたの

のは、その“人”達が私

の航路を光で示してくれ

たからなのだ


この島の住人、島を出て

行った若者達、海を越え

顔も知らぬ私に助けを求

める人


私と関わった全ての人達

はいつも生きる希望

と光を与えてくれるのだ


私は生が終わりを迎える

ことよりも、はじまらな

いことに恐怖を抱く 


愛がなければ人も世も

生きていくことができない

だろう。生が始まらない

ということは即ち愛が

始まらないということだ


いつか死にゆく日が来よ

うとも、私はなんの後悔

一つも持たない


この島に生まれ

この島で育ち

この島に帰り

いつだってこの島と

一緒だった


始まりも終わりもこの島

なのだ


いつかもう一度生まれる

機会を与えられたならば


私は迷わずまたこの島

に生まれるだろう


そしてまた

人を愛すだろう


この島こそが私にとって

生きることそのものなのだから。」 




泣かないで読めた、皆に伝えられた。 静かな店内には、複数の人達の啜り泣く声だけが聞こえる。そんな皆を見ながら思った。



楠木マスターはこの島を、人を、心底愛した人だった。



享年72歳――

もっと生きて欲しかった。



だけど楠木マスターの想いは、きっと島の人達に伝わってる。

涙を拭う美紀ちゃんにふと目を移した。それに応える様に、あなたの想いを受け継ぐ人が、ここに居るから――。



暫くして美紀ちゃんが、仕切りなおす様にして腕で涙を拭いながら言う。



「こら恵利姉、さっきまで盛り上がってたのに、空気がおもーくなっちゃったじゃん!そーいうのをKYって言うんだよ」



ショックを受けずに微笑み返した。だってその言葉は、美紀ちゃんが皆を元気づけようとした事だって分かっていたから。美紀ちゃんは手を叩き、大声で叫ぶ。



「よーし!そんじゃあ皆さん、飲みますかー!」



皆が賛成し、私達はここぞとばかりに働き始めた。

いつものメンバーに健志君を加え、慌しく動く。久しぶりに良い汗を掻いた。

料理を運びながら美紀ちゃんは皆に声を掛けている。私達は楠木マスターにしていたようにして、美紀ちゃんをサポートした。



空の食器をキッチンに運んだ時、美紀ちゃんが近付いてきて、そっと背中に触れてきた。



「恵利姉、さっきさ、皆の前で読んでくれて有難う」



照れ臭そうにそう言って、再び店内に消えて行く。



美紀ちゃんを中心に盛り上がるお店を見つめ、思わず笑みが零れる。

美紀ちゃんは本当に、楠木マスターの想いを受け継いでいるみたい。

頼もしくて泣けてくるくらい。



一通り料理や飲み物を出し終え、晃君の隣に腰掛けた。

可愛い笑窪を作って私を見つめてくる。



「やっぱ皆でこうしとると楽しいなぁ、恵利姉」



こんな素敵な気持ちになったのはどの位ぶりだろう。

このお店の光景を、ずっと目に焼き付けておきたい。



「あれ―― 恵利姉、今そこに」



晃君は目を大きく開き、腕を掴んでくる。



「いつも楠爺が座っとったとこ、あそこに今、楠爺おらんかったか?」


「え?」



晃君の視線の先は、カウンター席。そこには誰も座って居ない。



「気のせえやな。だけどさっきは、ほんまに居たような気がしたん」



自信なさげに俯く晃君の頭を、優しく撫でて抱き締めた。



「楠木マスター、きっと見てくれているんだよね」



確信はないけど、心の底からそう思えた。






                   ***





それからお店は前の様な活気を取り戻し、お馴染みのお客さん達が毎日出入りしていた。“カッフェ楠爺の島日記”はめげずに美紀ちゃんが更新する日が続き、文章が面白いと徐々に美紀ちゃんファンが増えていった。



不安な事なんかなくて、楠木マスターの想い出と共に、私達は生きている。

前のように笑いが耐えない日々を送る中、決意を固める事にした。

これでもう、私が居なくなっても大丈夫だと思ったから。



一番初めに咲さんと美紀ちゃんに、この島を出ていく事を告げた。勇気を出して海外に行くと伝えたけど、二人はあまり驚いていなかった。海外に行ってみろと楠木マスターに言われていた私を、よく目にしていたからだと思う。



「恵利ちゃんはおとーの女版やな。わかっとったで」



咲さんはそう言って、心から応援してくれた。



「恵利姉、いつかきっと戻ってくるよな?」



晃君は泣かないように、涙を堪えながらそう言った。



「おい、聞いたで。何で俺にも言わへんのや!まぁええわ、あいつん事は俺がしっかりめんどうみたる。し、仕方あらへんな」



健志君は何故か最後の方は照れながらそう言って、頑張れよと励ましてくれた。

そして、美紀ちゃんは――。



「もう泣く涙残ってないよ。だって沢山泣いて、強くなったもん。美紀はこの島で、もっと強くなって生きていく」



色々な人に島を出て行くと伝える度、どんどん悲しくなっていった。

だけど必ずまた戻ると伝えた。だって――



『せやけど一つ約束せえ、英語覚えて海外に行ってもな、必ず、この島に帰ってくるんやぞ』



そう、約束したから。









そして10日後―― とうとう島を発つ時がやってきた。



いつものボストンバッグを久しぶりに手にし、お店の皆と一緒にフェリー乗り場に来ている。悲しみを隠しながら無理して他愛もない会話をしていると、フェリーが少しずつ近付いてきたのが目についた。



フェリーの姿を見つけた美紀ちゃんは、突然笑顔で手を握ってくる。



「恵利姉!本当にさ、本当に、この島に連れてきてくれて――。」



そこで言葉を詰まらせ、瞳から大粒の涙を流し出した。



美紀ちゃん、もう泣かないって言ったじゃない――。

一生の別れじゃない。そう思ってはいても、本心は凄く寂しかった。

我慢していた私、もつられて涙を流してしまう。



「恵利姉、どうして行くの?この島大好きって言ってたじゃん。バカ、恵利姉のバカ」



大好きだよ。だけどやっぱり行かないといけない気がするんだ。大丈夫、少し離れるだけだから。そう伝えたいのに、涙で息苦しくて何も答えられない。私達につられ、晃君までもが声をあげて泣き出した。



何も言えない私を代弁するかの様に、咲さんが二人を一喝して励ましだす。



「美紀も晃も泣くのはやめぇ!恵利ちゃんはまた戻るんやから。ちょっと旅に出るだけや?おとーみたいに」



健志君は美紀ちゃんの顔をじっと見つめながら言う。



「ヤリマン女、おまえもう泣く涙も出えへん程つよーなったんやないんか?」



すると美紀ちゃんは、すかさず健志君の頭を殴った。



「うるへぇー!おまえなんかにチューもしてやるか」


「え、してくれるつもりやったん?」


「健志兄、みっともないで」



泣きながら突っ込みを入れる晃君に、思わず吹いて笑ってしまう。

このやり取りが見れなくなるのも寂しいなと思った。

涙を拭って、美紀ちゃんの手を握り返す。



「この島を大好きな気持ちは変わらないよ。必ず戻るから―― だから、ちょっとだけ、待っててくれるかな」


「うっ、う、うん」



美紀ちゃんは、まるで子供の様にして泣きじゃくった。

その姿を見ると、旅立つ事が余計辛くなる。



出発時間が迫り、名残惜しさを感じつつも重い足取りでフェリーに乗り込んだ。

デッキに出て外を眺めると、お店の常連さん達が大勢やって来たのが目に入る。

皆は布らしき物を大きく広げてみせた。



そこには“この島の大事な娘、恵利ちゃんいってらっしゃい!”と書かれている。

字がふにゃふにゃで読み辛いけど、その手作りさに心が籠っている気がして、胸が熱くなった。



「恵利ちゃん、体に気つけるんやでー?」


「変な外人についてったらあかんよー!」



島の人達の愛に、また涙が止まらなくなってしまった。



「み、皆さん、本当に本当にお世話になりました!」



上ずった声でそう叫び、皆に向かって深々とお辞儀をした。

すると咲さんが、大きな声で叫ぶ。



「何言うとんのー?あんたはもうこの島の人間や!もっと迷惑かけやー?待っとるからなー!」



フェリーが出発し、島からどんどん離れていく。



美紀ちゃんは何度も私の名前を叫んでいた。泣きながら携帯電話を取り出し、そこに付けられたストラップを握り締める。



『お揃だよ。連れて来てもらってるし良い旅になる様にって、ちょっとしたお守りってやつ?』



美紀ちゃんがくれたお守り。

本当にその想いが届いたかのように、素敵な人達ばかりに出逢えた。



「恵利姉ー!こっち向いてー!」



涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、美紀ちゃんの手にカメラが握られていた。あれは、楠木マスターのカメラ。美紀ちゃんは写真を撮って、笑顔でピースサインをして見せる。



「今日のブログの写真ー!」



カメラ片手に笑う美紀ちゃんに一瞬、楠木マスターの顔が見えた気がした。



「ありがとう――。 ありがとう皆ー!」



遠ざかる島に、声が枯れるまで叫び続けた。





『これからうちら、誰に出逢うんだろ?』


『きっと素敵な出逢いがあるはずだよ』


『美紀も恵利ちゃんも、俺の家族や』





青い空に広がるこの海――。



外に出ると香る潮風、照りつける太陽、大好きなお店、皆の笑い声、島で過ごした日々。そして、愛をくれた人達。



その全てが、人生でかけがえのない想い出となった。

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