「恋人に詩うシンガー」3
『お姉―― 人は死んだらさ、何処へ行くの?』
『え?』
『うちらの両親は死んだ後に、残されたうちらを見てくれてんのかな?』
『突然どうしたの?』
『だってうちらこんなに大変なのに、守ってくれる人なんか居ない。神様なんて居ないんだよね――。』
『彩?』
『――彩ね、援交で体売ったの』
『え?』
『人生お金が一番じゃん?それに――。』
――バシン
『痛っ―― お姉、何すんの?』
『何でそんなに簡単に――。』
『バージンじゃないよ』
『そういう事言ってるんじゃない』
『自分の事は自分で管理するから、大丈夫だよ』
『私は許さないから』
『分かってよ。彩、男の人に抱かれると安心するの』
『そんな事、自分が傷つくだけじゃない』
『違う―― 彩はそれが無いと生きていけない』
『全然理解出来ないよ』
『分かってよ。彩にはお姉しか居ないんだから』
『私だって彩しか居ないんだよ?彩が傷つくの、見たくない』
『だから、傷ついてない』
『じゃあ、どうして神様なんて居ないなんて言うの?』
『――お姉が、毎日悲しそうにしてるから』
『え?』
『友達も作らないし、何処に行っても、彩が居ても―― お姉はいつも悲しそうじゃん』
『そんな事ないよ』
『お姉さ、彩のこと必要?』
『当たり前でしょ』
『お姉は―― 消えたりしない?』
『彩』
『親も彼氏も皆、彩の前から消えていった。彩は必要ないみたいに』
『私は消えたりしない。今までの様に、一生彩の傍に居るよ』
『――うん』
『だから、そんな悲しい事言わないで』
『じゃあ―― お姉も悲しそうな顔、しないで』
―――彩、私は何処にも行かないから
だから彩も、私を置いていかないで。
彩――
彩―――。
――り、恵利!
「恵利!」
誰かが呼ぶ声にゆっくり目を開いた。
肩で息をしながら天井から梨香さんへ視線を移す。
梨香さんが心配そうに覗き込んでいた。
「あ、目覚めたか?」
まだ目覚めていない体をなんとか起こそうとする。
梨香さんが背中に手を添えて、それを手伝ってくれた。
「大丈夫か?毎晩うなされてるみたいだけど、今日は放っておけない程だったぞ」
「私――。」
梨香さんは私の頬に手を添え、涙を拭ってくれた。
その時気付く。私、泣いてたんだって。
どんどん悲しい気持ちになり、止め処なく涙が零れ出した。
「置いて、いかないで」
何処から何処までが夢なのか、寝起きのせいで分からない。
彩が死んでしまったのは夢のか、現実なのか。
「彩―― 行かないで」
夢と現実がごっちゃになってる。梨香さんを困らせるのは分かってた。
だけど考えられないほどに悲観的になっていた。
梨香さんは何かを察しているかの様に、冷静に私を宥めている。
「恵利、お前も誰かを亡くしたんだな」
「こんな悲しい気持ち、耐えられない」
梨香さんは泣き崩れる私を優しく抱き締めてくれた。
「恵利、だけど生きていかなきゃならないんだ。辛いけど、死ぬよりはよっぽどマシなんだ。――分からないのか?」
震えながら声を出す梨香さんに思わず顔を上げる。
梨香さんの目からも涙が流れていた。
きっと誰よりも、私の気持ちが分かるんだと思う。
大きくて強そうな瞳から流れる、悲しみに満ちた涙。
その涙をさっと拭い、強い眼差しで私を見つめた。
「残されたうちらの課題は、生きる事だけだ」
出逢って四ヵ月――
私の中で梨香さんは、気付けばとても大きな存在になっていた。
「梨香さんが居なくなるのも、本当は凄く寂しいの」
それを聞いた梨香さんの顔が優しく綻ぶ。
「だけど恵利、私は生きてる。会いたくなったらいつだって会える。絶対にな」
いつも嘘のない梨香さんの言葉。それが私の支えになっている。
その真っ直ぐで温かい言葉を聞くと、いつだって自然と心が安らいだ。
「梨香さん――。」
「ん?」
「ありがとう」
心の底から、そう伝えた。
***
「ふぁー、ねぶてや」
ライブハウスで開店準備をしている時、横でグラスを洗っている勇作君がそう呟いた。ねぶてやって何だろう?食器を拭く手を止め、思わず考えてしまった。
勇作君はそんな私にはっと気付き、照れたような笑みをみせる。
「聞こえてた?」
「ねぶてやって、何?」
「ねみーなって意味」
勇作君は滅多に方言を使わない。というよりも、初めて聞いた。
「あまり方言で喋らないね?」
「い、いや、だってさ」
勇作君は何故か、気まずそうに目を逸らす。
このやり取りを聞いていた様で、フロアーを掃除していた梨香さんがこちらに駆け寄ってきた。
「こいつは東京に憧れてた、生粋の田舎もんだからだよ」
「チッ、うるせーな。黙って働け!」
勇作君は側にあった布巾を投げつける。梨香さんはそれを見事にキャッチし投げ返した。そして小馬鹿にする様に笑いながら逃げていった。
「ったく、あいつ」
梨香さんと勇作君のこの兄弟喧嘩の様なやり取り、もうすぐ見れなくなっちゃうんだな。 2人の掛け合いがなんだか微笑ましくて、見ているのが好きだった。
考えると寂しくなってくる。
「勇作君―― 梨香さん居なくなるの、寂しくない?」
勇作君は髪の毛をくしゃくしゃっと掻き、何か考え事をし始めた。
少しすると、いつもの優しい笑みを見せる。
「だけど梨香はさ、基本自由人だろ。それにあいつは一度仲良くなれば疎遠にはならねーと思う。だから恵利ちゃん、安心しなよ」
ギクッとした。心の中を見透かされたみたい。
本当は、寂しいのは私の方。
「梨香に行って欲しくない?」
行って欲しい気持ちと行って欲しくない気持ち、それが半々なのは変わらない。
俯きがちに、小さな声で言った。
「難しいなぁ―― だけど私が梨香さんなら、絶対に行くと思うし」
梨香さんが旅立つには理由がある。
私の旅は行き先がないけど、だけど何か変えなければならない。
梨香さんを見ていて、そんな気持ちが芽生え出した。
「勇作君、私ね、梨香さんが出て行ったら、私も此処を出ようと思うの」
「ええ?本当だがで!?――あ」
勇作君は慌てるように自分の口を押さえる。思わず笑ってしまった。
「やっと恵利ちゃんが笑ってくれる様になったのにな」
此処は私にとって居心地の良い場所だということは分かってる。
だけど――
みんなと楽しそうに会話をする梨香さんを見つめながら、今ある気持ちを素直に伝える事にした。
「ごめんなさい。勇作君や皆に良くしてもらったこと、凄く感謝してる」
梨香さんに聞かれないよう、極力声を落として話した。
「だけどね―― 梨香さんの荷物がどんどん減っていって、部屋の中が寂しくなっていくのを見て、寂しいながらも考えたの。このままじゃ、いけないんだって」
梨香さんの周りは温かい人達ばかり。
それは、梨香さんが居なくなっても変わらないと思う。
だけど私は、心の何処かで変化を求めていた。
「勇作君―― 残された人達は幸せになれるのかなって話した事、覚えてる?」
勇作君は静かに微笑んだ。この優しい笑みが、話しやすい環境に導いてくれている気がした。きっと梨香さんも、色々と支えられてきたんだろうなと感じる。
「私はね、その答えを―― 探しにいきたいの」
突然思い立って家を出た。 意味のない行動だと思っていたけど、何か意味のある事だったんじゃないかって、梨香さん達に出逢ってからそう思うようになった。
「私も何かを見つけたくて。前に進む、何かを」
此処を出てみてそれが見つかるのかは分からない。
こんなに温かい人達に囲まれて、贅沢なのかもしれない。
だけどこの旅には、まだまだ先がある――
そんな期待と予感が、入り混じっていた。
勇作君はふっと笑ってから、私の肩に手を置いた。
「止めても無理そうだな。だけど行き場をなくしたら、すぐに帰ってくるんだよ」
梨香さんを含め、こんなに温かい人達に出逢ったのは初めて。
それだけで、家を飛び出した事に意味はあったんだなと思えた。
「あとね、梨香さんにはこの事、黙っておいてほしいの。自分のせいで私が出て行くって思ってほしくないし、気持ち良く出発してもらいたいから」
勇作君は無言で頷き、再びグラスを洗い出した。
「有難う―― 本当に何から何まで」
「ちょっ、湿っぽいのは止めろって!まじで寂しくなるじゃんか」
勇作君は寂しさを隠す様にしてそう笑い飛ばす。
堪えていた涙を少し拭って、私も再び食器を拭き出した。
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