「恋人に詩うシンガー」4
――それから数日後、とうとう梨香さんが旅立つ日がやって来た。
重そうにスーツケースを引きずりながら、梨香さんは玄関から部屋を見渡す。
「ちょっくら行ってくっか」
部屋を出る梨香さんに続き、私と勇作君も見送る為に外に出た。
手に持った紙袋を、そっと梨香さんに差し出す。
「梨香さんこれ、お店の皆と私達から」
受け取った梨香さんは、すかさず紙袋の中身を取り出した。
それは、お店の皆で写真を切り張りして作った、メッセージ入りのアルバム。
物ではなくて想い出を贈ろうと、私達はまるで卒業式の準備みたいにして、楽しみながら夜遅くまで作った。
嬉しそうに笑顔になる梨香さんを見て、私と勇作君は目を合わせて誇らしげに微笑んだ。
「そうだ恵利、あげるもんがある」
そう言うと
差し出されたのは、ダンさんの話を聞かせてくれた時に流していた、アリシアキーズのCD。それともう一枚あった。そのCDジャケットを見つめていると、勇作君が何故か驚きの声を上げる。
「ゲ、まじかよ」
梨香さんはニヤッと悪戯に笑みな見せた。
「それは前にライブハウスで歌った、DEARあなたへが入ってるオムニバスCD。ちなみに、ダンと勇作の
「その頃のCD聴かれんの嫌だって知ってるくせに。おまえ――。」
照れながら怒る勇作君を他所に、その贈り物がとても嬉しかった。
「おい梨香、俺には何もねーのかよ」
勇作君は話題を変えるかの様にして梨香さんに詰め寄る。
すると梨香さんは、途端に真剣な表情になった。
「勇作は―― 長い休みが取れたら、おまえもこっちに来い」
勇作君の表情が瞬時に強張る。言葉をなくしたようだった。
「もしもダンが私を待ってるのなら、勇作、おまえの事だって待ってる。2人が出逢った、あの国で」
勇作君は何も答えなかった。そこへ、一台のタクシーが停車する。
梨香さんは勇作君から目を離し、ゆっくり視線を私に移した。
梨香さんがとうとう行っちゃう――。
そう思うと寂しくて、零れそうな涙をぐっと堪える。
「またすぐに会えるよ、恵利」
そう言って微笑んだ後、勇作君の肩を軽く叩いてから、車に乗り込んだ。
こうして梨香さんは旅立っていった。
大切な恋人に、また会う為に。
梨香さんを見送った後、勇作君と一緒に部屋を片付けた。片付けるといっても、ほとんど梨香さんの物ばかりだったから、部屋の中がすっきりとしてしまって寂しい。 元から少ない荷物をまとめ、さっき貰ったばかりのCDをバッグに入れた。そして、意を決して問いかけた。
「ねぇ勇作君、勇作君は、また歌わないの?」
すると、片す手を止め見つめてくる。
最初は驚いた顔をしていたけど、すぐに屈託の無い笑顔を見せた。
「いや、カラオケ以外では歌わねーだろうなぁ」
その笑顔を見て、歌に未練がないことを感じ取れた。
「元々さ、ダンが歌おうって言い出したんだ。曲もダンが作ってたしね」
なんだか勿体無いような気もしたけど、それ以上聞く必要がないという事が表情に表れていた。
「勇作君、今は―― 幸せ?」
「おう。プロとして歌ってた頃から、いつかライブハウスを経営したいなって思ってたし」
勇作君も梨香さんと同じなんだな。ダンさんが居たから、歌を歌ってたんだ。
2人の心を動かしたダンさんに、一度で良いから会ってみたかったと思った。
「恵利ちゃんはこれから、その幸せってやつを探しに行くんだろ?」
何も言わずに笑顔で頷いた。
「あーあ、何も二人いっぺんに出て行かなくてもなぁ、すげー寂しくなるよ」
申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいだった。
だけど、行くと自分が決めたこと。
そっとボストンバッグを手に取ると、勇作君は表情だけで行くんだなと語りかける。 玄関で靴を履き、振り返ってゆっくり部屋を見渡した。 梨香さん達と過ごした四ヶ月。初めて感じた人の温かさ。それらを脳裏に浮かべながら、小さな声で呟いた。
「勇作君もいつかは、ダンさんに会いにいかなきゃね」
勇作君は笑顔を作ったまま、何も答えなかった。
いつだって弱音を吐かない。だけどきっと、私達と同じ。
親友を亡くした悲しみと、嫌でも向き合ってきたはず。
「ダンさんだけじゃなくて、梨香さんもきっと、待ってるよ」
勇作君は子供をあやす様にして、優しく頭を撫でてきた。
「そうだな」
部屋を出て、勇作君に此処の鍵を返した。
外の風が冷たくて、寂しい気持ちに拍車が掛かる。
早く春が来ないかな。
「駅まで送ろうか?」
「良いの。寂しくなるもん」
「しかしまた、何でバスなの?」
新幹線や飛行機、他に交通手段はあった。だけどバスで移動の方が性に合ってると感じた。 物の数時間で海の向こうへ行ける様に、人は急速に変われない。
時間を掛け道を進むとそこには、新たな出逢いと自分が待っている。
それはまるで、人生かのように思えたんだ。
それに――
「私の行き先は決まってないでしょ?だからこれからどうするのか、のんびり乗って考えられる方が良いの」
「まー、なんか恵利ちゃんっぽくていいけど。本当に、何かあったら連絡必須だぞ」
勇作君は、心底心配している様な表情だった。
「私これでも、28歳の大人なんです」
「28の大人が家出すんなよ」
二人で笑顔になる。 梨香さんと一緒の時も感じる、この温かい空気が大好きだった。余韻に浸っていると、勇作君が手を差し出してきた。
「ほれ、握手!」
戸惑いながらも、そっとその手を握る。
人の手を握るのって、どの位ぶりだったかな――
温もりを感じたら、少しだけ涙が出そうになった。
唇を噛み締めて極力笑顔で顔を上げた。
「勇作君―― これ以上何か言われたら泣きそうだから、方言で見送ってくれないかな?」
「はい?」
じっと見つめて言葉を待つ私に、勇作君は仕方ないといった感じでため息を吐く。
「――びゃっこし寂しねぇ。色々と、めがふねぇ」
思わず笑ってしまった。勇作君は顔を歪ませながら肩を落とす。
「ひでぇ、自分から要求しといて」
「ありがとう」
こうして私はこの町を去った。
まだ無い行き先に向かって――。
幸せを
私の生きる意味を探し、また歩き出す。
答えはまだまだ、遠くにありそう。
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