「崖っぷち」2
一心不乱に部屋中を漁り、少量の衣類にノートパソコンだけを持った。
そして、振り返ることなく家をあとにした。
行き先はない。
もう一度全てをやり直せたらいいのに。
だけどそんな事、出来ないんだよね。
こんな風に行動を起こすのは初めてだった。
行き先も考えずにバスに乗り、終点で降りてまたバスを乗り継ぎ、バスがなくなる時間までひたすらバスに乗って、知らない地までやってきた。気付くととある駅に到着していた。
ふと目に入ったのは“夜行バス”の文字。
お金も安めで遠くへ行けるし、今日の寝床になる。
そう考え、ふらっとチケット売り場に向かった。
窓口にはシュシュで髪を一つに束ね、俯きがちにパソコンを弄る女性が居る。その女性に、今にも消えそうなくらい小さな声で話し掛けてみた。
「あ、あの――。」
女性は気付かずに相変わらずパソコンを弄っている。もう一度声を掛けようとした時、やっと顔を上げ目が合った。
「あ、申し訳ありません。どちらまで行かれますか?」
その人はくっきり二重の目が綺麗な人で、雰囲気で何となく同じ歳くらいに感じた。どちらまでと聞かれても、行き先がないからどうしようか迷った。
意を決して口を開く。
「えっと、あの―― すぐに席が取りやすいのは、何処行きですか?」
窓口の女性は、まるで時間でも止まったようにじっと見つめてくる。
数秒の沈黙の後、我に返った様にパソコンを操作しだした。
「えー、そう、ですね、今なら秋田行きのオリオンバスが取れます。すぐに来ますよ」
「じゃあ、それを」
案内された通りバスがすぐに到着し、座席について窓の外を眺めた。
よく考えたら、夜行バスになんて初めて乗った。
誰も心配してないって楽。何処へでも行ける――。
そのまま、ゆっくり目を閉じた。
このまま目が覚めなければいい。
最近の私の願い事。
『お
『――彩。だから、要らないって言ってるでしょ?』
『もらってよ。彩さぁ、金稼ぎすぎて有り余ってんだって』
『別にお金に困ってないし。それに、頑張って稼いだお金でしょ?』
『別に頑張ってなんか。ただ男に抱かれて、気持ちいい振りすれば良いだけだし』
『彩』
『ちょ、また?説教はやめてよねー』
『無理しないでね』
『してない。ただ彩には、この仕事しかないんだって』
『だったら、遊び人の慎からでもお金巻き上げた方が百倍マシじゃない?』
『ちょっとー、あんなガキ勘弁してよ!オシッコ漏らして泣いてたイメージしかねーし!』
『もう、彩ってば』
『あのね―― この仕事の共演者ってさ、年上が多かったりすんだ。オヤジも居るし』
『うん』
『すんげーオヤジって人に抱かれるとさぁ―― 安心すんだよね』
『……』
『父親が生きてたら彩ファザコンだ!超痛い女だね!』
―――
――――
バスが停車する音が耳に入り、ゆっくり目を開いた。
「10分間休憩致します。10分後にお戻り下さい」
運転手さんの声をぼーっと聞きながら、ふいに思う。
やっぱり願いは叶わなかった、どうして目が覚めちゃうんだろうと。
ゆっくり体を起こし凝り固まった体を伸ばした。
そして、外の空気を吸いにバスを降りた。
自販機で温かい紅茶買って、ふと空を見上げる。
星も何も見えない、都会と田舎の狭間の真っ暗な空。
この空の遥か彼方に、彩が居るのかな。
彩――
お姉ちゃん、こんな所で何してるんだろうね?
そんな事を心で呟き、物思いにふけていた。
するとその時、誰かが大声でくしゃみをした。
その声に驚き、肩を竦めながら思わず振り返った。
肩ほどの茶髪で、綺麗な顔立ちの女性が煙草を吸っている。
花柄のワンピースの上にライダースを羽織っていて、寒そうに体を揺らしていた。
「さっびー、やべ」
ちょっと強そうな大きな瞳に見とれ、思わずその人を見つめた。
すると、ばちっと目があってしまう。
「なあ、あんた!」
「はっ、はい」
恐い、絡まれちゃう。そう思い後ずさりした。
「あのさー、ティッシュ持ってね?」
「ティッシュ―― ですか」
「うん、鼻水でちった」
その綺麗な人は、鼻水を垂らしながらそう言う。
美人なのに―― と思いながら、ひとつ頷いてみせた。
「あの、あそこのバスの中になら――。」
「え?あのバスって同じバスじゃん!わりぃ、戻ったらティッシュくんね?」
「――はい」
その女性は終始男の人みたいな口調で喋る。
少し怯えながらも、一緒に元居たバスへと戻る事にした。
バスに戻りポケットテッシュを差し出すと、その人は豪快に鼻をかむ。
「なあ、なんで秋田に行くんだ?」
突然の問いに何て答えようか戸惑った。
理由がないから、なんて答えて良いのかわからない。
戸惑って口篭る私に、その人は手を貸すかの様にして問いかけ続けた。
「里帰り?」
私はただ首を横に振ることしか出来ない。
「友達に会うのか?」
「い、いえ――。」
きっと変だと思う。行き先は何処でも良かったんですなんて理由。
「彼氏が住んでんの?」
「いえ――。」
結構聞いてくるので戸惑った。相当挙動不審になっていると思う。目も合わせず俯いていると、大きなため息を吐かれた。
「ちっ、じゃあ何だよ」
舌打ちされてしまった。
これ以上色々突っ込まれても困るので、正直に答える事にした。
「あの、理由―― ないんです。なんとなく、です」
意味分からないって怒られるかと思った。
「ああー、なるほど」
だけど何故か納得されてしまった。よく分からない人。
「あ、あのぉー、席に戻らないんですか?」
口下手だから上手く話せないし、そろそろ席に戻って欲しいかもと思い、遠回しに離れる事を促してみる。
「固い事言うなよー、席ガラガラじゃん」
そう言いながらニカッと笑顔を見せ肩を叩いてくる。
そういう事じゃなくて――。
随分と人懐こい人。何を言っても無駄そうなので、諦めて口を閉ざした。
「私、
「あ、私は
「恵利いくつ?」
梨香さんはためらう事なく呼び捨てにする。
私のが年上だと思うんだけどなと思いながらも答えた。
「28歳です」
何処にいってもお子様扱いされてるし、まあいいか。そう考えふと梨香さんに目を移すと、目を丸くしたまま固まっていた。
「女子高生の家出かと思った!」
そんな風に他人に見られてるんだと、思わず肩を落としてしまう。
「あたしは30だから、年下だな」
梨香さんに続き、私も目を見開いて驚いた表情を作った。
「そ、それも驚きだと思います」
服装のせいか、顔が外人さんみたいに綺麗だからか、梨香さんの見た目は年齢不詳に見える。
「恵利さ、仕事何やってんの?」
「ああ、えーっと、普通のOLでした。クビになってしまって――。」
さっきのやり取りで、隠さずに正直に話す事にした。
すると梨香さんは、悪気が全くない様子で言い放つ。
「クビかー、あんたトロそうだもんなぁ」
「えっと、梨香さんは?」
そう聞くと、何かを思い出そうとする様に天井を見つめ出した。
「私かー、ああ、無職だな」
「え、もしかしてクビになったんですか?」
「一緒にすんなよ。こっちは辞めてきたんだよ」
そう言いながら、すべて吹っ切れた様な表情をして見せる。
「歌、歌ってたんだ」
「か、歌手の方なんですか?」
凄い、歌手の人と初めて会った。
私の人生ではまったく縁のない事だったので、少し感動してしまった。
その小さな感動とは裏腹に、梨香さんは表情を歪ませ不機嫌そうに言う。
「そうだけど、そんな売れてねーし、事務所のしがらみがウゼェしマネージャーむかつくしで、んだからさ、一発殴って辞めてきた」
殴って辞めるなんてパワフルな人。私には一生ないことだろう。
「うるせーんだよ事務所の奴ら。私のキャラ設定がどーとかで、髪は伸ばせだの言葉遣いわりぃから無口キャラでいろとかさー」
そう言いながら
「私、誰かに敷かれたレールの上あるけねぇ人間なんだわ」
まさにそういう感じ。
梨香さんには今会ったばかりだけど、どんな人なのかがすぐに想像ついた。
なんとなく、嘘のない真っ直ぐな人なんだろうなと思う。
「アリシアキーズっていう歌手に憧れて、ピアノの弾き語りしてたんだ」
そう言いながら細くて長い指を広げる。
そのまま指を見つめるその表情は、何処か曇らせている様に見えた。
本当は辞めたくなかったのかな?そんな風に思えてきた。
だから思わず、心にあった声を出してしまった。
「憧れの人と同じ職業なのに、なんだか勿体無いね」
梨香さんは難しい表情をしたまま黙ってしまう。
色々あって辞めたのかもしれないのに、きっと余計な事を言ってしまった。
それに気付き慌ててしまう。
「あ、あの、なんかごめんなさい」
「いや、いんだ別に」
誰だって、何かを辞める時は悩むものだよね。なのに私は、あたかも簡単に辞めてしまったとでも言いたい様な言い方して――。
本当、自分のこういう所が嫌になる。
気が利かなくて、口下手で、自己嫌悪に陥ってしまう。
自己嫌悪の自分とこの空気を一掃すべく、話題を変えることにした。
「り、梨香さんは秋田に知り合いとか、居るんですか?」
「ああ、歌手時代に知り合った友達が、実家の近くでライブハウス経営してるんだわ」
歌手ならそういうつてがあったりするんだ。
私の前の職は普通の事務職。職場で仲良くなった人も居ないしつてもない。
「そいつの親が持ってるアパートに住み込みもできるっつーから、少しの間働かせてもらおーと思ってな」
こんな私にも気さくに話してくれる。
そんな梨香さんはきっと、友達が多いだろうなと思う。
私は秋田着いてから、どうしようかな――。
もともと着いてからの事なんて考えないで家を飛び出してきた。
今になって、秋田に着いてからの事をきちんと考えた。
こんな時は交友関係って必要だったかもなと、少しだけ思う。
「あんたさ、着いて宛あんの?」
「私は―― なんせ何となくなので、着いてから考えることにします」
とりあえずビジネスホテルかなんかに泊まって、ゆっくり休んだら他の場所に移動しよう。
だけど私は、何処まで行くんだろう?行きたい場所もやりたい事もない。
とりあえず何処かでバイトでもいいから職を見つけて、それでなんとなく過ごしていこう。彩を思い出さない場所であれば、何処だっていい。
もともと生きる意味のない私だもん。
知らない土地で危ない目に遭ったって、たとえ死んでしまっても構わない。
どうせ彩が居なくなってから、死んだようにして生きる事しか出来なかったし。
夢から目が覚めなければ、何処かに消えてしまえたら――
そしたらまた、彩に会えるのかもしれない。
俯いてそんな事を考えていると、梨香さんが肩を揺すってきた。
「おい、そんなん不便だろ?しかも女一人であぶねーじゃん。もう一人住み込めねーか聞いてやるよ」
「え?」
思いもよらなかった言葉が梨香さんの口から飛び出した。
「おまえそんな外見でとろそうだしよー、危なっかしいったらありゃしねー」
そう言って軽く頬を叩いてくる。
「おまえも何かあったから行き場をなくしてるんだろ?理由は聞かねーけどさ」
思わず叩かれた頬を撫でた。
こんな見ず知らずの私に、この人は本気なのかな?そう思い、返す言葉が何も出なかった。
梨香さんは大きな口を開いてニッと笑う。
「捨て犬でも拾ったと思う事にするよ。ついて来い」
行き場のない私が断る理由はなく、梨香さんの好意に甘える事にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます