「崖っぷち」1

それは、今から二ヶ月前。

夏が過ぎ去り少し肌寒くなった、九月下旬の出来事。

両親が居ない私の唯一の家族で大親友でもあった妹、彩が自殺してしまった。



彼女は物心がついた時から、援助交際などで体を売っていたような子で、挙げ句の果てにはアダルトビデオの女優を職業にしてしまった。

だけど何を職業にしようと、彩は変わらず幼い頃のまま。無邪気によく笑うお姉ちゃんっ子の明るい女の子。



マイナス思考の私をいつも励ましてくれる。一緒に居るだけで元気をもらえた。

暗くて引っ込み思案な性格で、友達も彼氏も居ない私。そんな私にとって彼女の存在は、生き甲斐そのものでもあった。



だけどきっと見えないところで少しずつ―― 心の病という闇が、何層にも彼女を覆い包んでいったのだろう。それらで身動きの出来なくなった彼女はある日、医者から処方され溜め込んでいた薬を一気に飲み干した。



どれだけ心細かったのだろう。どれだけ辛かったのだろう。

今となっては何もかも手遅れで、白い布を掛けられ変わり果てた姿となった妹が目の前に居た。



血の気はなく、全身が真っ白だった。それが生きる事をやめた、彼女の姿。



暗くて寂しげな雰囲気の霊安室。そこで、冷たくなった彼女の手をそっと握る。

泣き疲れた私の目からはもう、涙も出ない。いつでも持ち歩いていた、ピンク色のネイルカラーをそっと取り出した。家族が居なくて寂しいとき、辛い事があったとき、彩にネイルカラーをのせると笑顔を見せてくれたから。



もう悲しい顔も笑顔も見せない。だけど私は、もう動かないその手の爪に色をのせる。薄くて綺麗な桜色の物を。



目を瞑った彼女は、今にも普通に目を開いて動きそうだった。それは、想像以上に安らかな表情だったから。



生きる事は辛くて大変。だからこそ、彩はこの結末に満足しているのかもしれない。何にも囚われず、悩むことももうなくなるから。

だけど私は、この先どうしたらいいのだろう。



「どうして―― 置いてくの?」



私は生き甲斐と、生きていく力を失ってしまった。



妹の死が訪れる前、初めて出来た彼氏にフラれてしまっていた。理由は二股をかけられていたから。問い質した私に彼が最後に言った言葉、それは――。



「だって恵利、一緒に居てもつまらないんだ」



私は明るかった彩とは何もかもが正反対の性格。人と話すのは苦手だし、奥手だし、笑顔を見せる事さえも躊躇する。中身だけじゃなく外見も魅力がない。彩は綺麗で大人っぽいけど、それに比べ私は、パッツン前髪の黒髪に化粧っ気はなく、肉付きのない細い体。背も低く子供の様な容姿。色気のイの字もない。



そもそも、彼の事を本気で好きだったのかも分からなかった。

人から好かれる事なんてなかったから、だから嬉しかっただけなのかもしれない。自分が必要だという証が、欲しかっただけなのかもしれない。

彼氏と別れた後は色々なことを考えた。その結果、ただでさえドジなのにドジに拍車が掛かり、仕事でミスを連発してクビ。



路頭に迷いながら再就職活動をしていた矢先の、彩の死だった。



神様なんて居ない。

もしも居たとしたら、何もない私から妹を奪ったりしなかった。誰も居ない何もない私がこの先、生きる理由は何一つない。



なのに私は――

私は、自分の命を自分で絶つことが出来ない。

そんな臆病な自分に心底呆れていた。



私の生きる意味って、一体なんだろう。



幼い頃に両親を失くした為、児童養護施設で育った。

施設に居た頃からの私達の腐れ縁、しんが問い掛けてくる。



「これからどうすんの?」


「わかん、ない」



慎も親が居なく、昔は分かり易くグレたりした時期もあった。周りから見たら、何の接点があって出会ったの?という位に、私達は外見も中身も全く違う人間。



「とりま、俺の彼女になっとけばいいんじゃね?」



慎は見た目もチャラチャラ、中身もチャラチャラのチャラ男。昔からそうだった。



「こんな時に、バカみたい」



慎なんかに弱音を吐いても仕方ない。私どうかしてる。

そう思い、深いため息を吐いた。



「何もする気にならない。本当に私、これから先どうしたらいいのかな」



すると慎は、何かを思いついたように肩を叩いてくる。



「とりま、俺と寝るとか!?」


「もう、どっか行って!」



腹立たしくなり、目一杯の力で慎を押し退けた。



「だっておまえどうすんだよ?知り合いだって俺しかいねーし、友達もいねーじゃん」


「――そう、だよね」


「だろ?俺しか居なくね?」



そう慎に言われて、やっと覚悟が出来た。

この時、うっすらと頭の中にあった考えが明確なものに変わる。



「――何処に居ても同じ」


「は?」


「私が何処で何をしようと、気にする人も気になる人も居ない」


「恵利?」


「私が生きようが死のうが、この世界からしたら大した事じゃないんだよね」



その言葉だけを残し、この場から立ち去った。



「おい、恵利――。」



慎の言葉なんか届かない。頭にあるのは、ただ一つ。

今の人生、今の私を消す事は現実的に無理。

だったら何処へでも良い。取りあえず、今の場所から私を消し去ろう。



それだけを考えて、足早に帰宅路を歩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る