第四話 出会い

 翌日、桐生君は大学に行った。商店街をぬけたJRで四つ先の駅にあって、そこそこのレベルの大学だった。そこそこのレベルっていう知識は彼の中のものじゃなく自分の中にある物差しで、その辺は同じ情報を持ってるって事なのだとおもった。

まあ、彼の家のことを考えればこんな大学だって贅沢なんだろうな、とも考えた。

 ゼミに顔を出してみんなに声をかけられて、桐生君がここでも好かれてる事がわかったし、いいやつだなと思えた。

 それから、やっぱり見た目で女にももててる事もうすうす感じた。これはオレが感じた訳で、桐生君はどうも鈍感なやつらしくそうは思ってないようだった。

 これで、金がありゃ文句ないのにね。加えてこれから襲ってくる災難もある訳だしね。

 なまぬるく幸せが取り囲んでいる学生生活。果たして、彼にどんな悲しい出来事が起こるというのだろう。

 不安と義務感で先の事を考えると恐ろしくなるが、何度も自分に言い聞かせた。

『大丈夫、大丈夫、なんとかなるさ』

 昼を過ぎると、講義はないらしくまっすぐにコンビニのバイトに入った。

 コンビニの叔父さんは、桐生君が来ると嬉しそうになんだかんだと話しかけてきた。

「学校はどうだい?」

「お腹は空いてないか?」

「将来は、どんな仕事をめざしているんだい?」

 一つ一つ丁寧に答える桐生君は、真面目だ。オレだったらいい加減うざくてやってられないな、と思いつつ彼の背後にフワフワと揺れていた。

「何とか父の工場をついで、他の事もできないかと」

 質問した割に聞いてるのか聞いてないのか、おっさんはバイト終わりの時間を気にして

「たまには、うちで一緒に夕ご飯食べないか?」

「ありがとうございます。やらなくちゃいけない事がたくさんあるので今日は帰ります」

 そうだろそうだろ。シロに飯をやらなくちゃならないだろうが。

 それに、あのババアと一緒は嫌だね。桐生君が答える前にオレが答えていた、聞こえないだろうが。

 とにかく、叔父さんはいたく桐生君の事がかわいいらしい。しかし、奥の部屋で耳をでかくして聞いている奥さんは、気に入らないらしいね。

 よくこのおっさん、こんな奥さんのところから二百万も出せたね。ばれたら大目玉くうよな。考えただけで、背筋が寒くなっちまうわ。

 夕方から客はかなり多くなって、飯時だからね。今の世の中は、コンビニ弁当は必需品みたいなもんだな。若いやつらは結構他のものもついでに買っていく訳で、いかにうまい弁当を並べるかが勝敗の分かれ道ってとこだろうね。

 昔は酒屋だったらしくおっさんは、何回か配達に行った。

 その度奥さんが出てきて、金でも取ると思うのか桐生君の周りをうろついていた。お気軽なババアだね、店の事はちっとも手伝いやしないんだから。

 でも、叔父さんは奥さんに頭が上がらないみたいで、いつも機嫌を伺っている。


 桐生君が帰る時叔父さんは、こっそり弁当を手渡していたっけ。

 こんなに人に好かれちゃって、いい人生じゃん。叔父さんの桐生君に対する愛情を感じると胸が熱くなって涙が浮かんじまった、オレとも思えない。

なのに神様は、どんなひどい贈り物をしようって言うんだろう。見当もつかないね、不安だ。


いったん家に帰るともらった弁当を食べて、シロに餌をやり少しゆっくりしたと思ったらもう夜になっていた。

桐生君は店に戻って、叔父さんが寝る間夜のバイトに入った。夜はそれほど客もいなくて、案外楽みたいだ。時折いっぺんに客が来る事もあったが、問題はなかった。

「酔っ払いが来たら、適当にあしらって帰ってもらいなよ!」

 奥さんは、そう言って二階にあがってしまった。二階が自宅にになっているらしい。

「酔っ払いね、けっこうあしらうって言っても困るんだよね」

 桐生君は独り言のようにつぶやいた。ん?何か思い出しているみたいだ、なんだか暖かい空気が桐生君から流れてくるのを感じた。

 入り口のピンポンという音とともに、女の子が入ってきた。

「いらっしゃ、い」

 ん?桐生君の胸が高鳴った。オレの胸まで苦しくなる。何だっていうんだ?

 どきどきが止まらない。息を吸うのも苦しいこの感じ。

 桐生君の目線の先を見て、オレは目を疑った。あのこだ。そう、公園に座っていた女の子、本を読んでいた少女。オレの記憶に唯一知ってる、思い出せそうに思った子だ。

 肩にかかる髪がふんわりとゆれて、伏せ目がちにお弁当二個と菓子と飲み物を一緒にレジに持ってきた。

 桐生君と目が合う。ふっと目元がゆるんで、暖かいまなざしを向けた。きゅん、とオレの、いや桐生君の胸が締め付けられた。オレ、桐生君?このこに恋してるのか?

「千七百円です。この間は大丈夫だった?」

 桐生君が覗き込むように聞いた。胸が高鳴っている。

 少女は何も言わずこくんとうなずく。そして二千円を差し出した。

「そっか、良かった。ずっと気にしていたんだ。」

 少女は、桐生君の手からおつりを受け取るとポケットから何かを取り出してその手に渡した。渡すと桐生君の顔もみないで、何も言わずに彼女は立ち去った。


 そうか、彼は彼女と知り合いだったんだ。色白でふっくらしたほっぺ、大きな瞳は澄んできれいだった。きゃしゃな細い身体にうつむき加減の表情からは寂しさも感じられて、男だったら何とかしてやりたくなる衝動に駆られるのもわかる。

 そして、桐生君はあのこに恋してるって訳だね。オレが身体の中に入っている時彼女を見てどきどきしたのも、むねきゅんになったのも、うなずけるってもんだ。

 今のきゅんと心臓が捕まれたみたいなどきどきは、そうなんだ。恋なんだ。

 その時、桐生君の意識がわぁっとオレの中に入ってきた。


 それは、一週間くらい前のこと。

 夜中に近い晩、彼女が店に来た。包帯とおにぎりを買って帰ろうとした時だった。この辺は飲み屋も多いし駅も近いのでたまに来るのだが、酔っ払いが二人入ってきた。

「よう、ねえちゃん!かわいい顔してるなぁ、おじさんと一緒にお酒のみに行かない~?」

「いいねぇ、べっぴんさんだぁ。おじさんお金持ってるんだよ~、今晩あそんでくれよ~」

 脇をすり抜けて店を出ようとしたところを、腕をつかまれてひっぱられた。

 彼女は引っ張られた拍子にバランスをくずして、飴とかガムなんかが置いてある棚に倒れこんだ。

 ガシャガシャっと音がして、棚ごと倒れてしまった。

「大丈夫ですか!」桐生君が駆けつけた。

「大丈夫です」

 そう答えた。店によく来ている彼女のことを前から気になっていた桐生君は、強い怒りを感じた。

「お客さん、いい加減にして下さい」

「なに言ってんの!客に向かってその口のきき方は何だ!ねえちゃんが夜遊んでほしいって言ったんだよ、なぁ。遊んでくださいって顔にも描いてあらぁ!」

「言っていません!」

 強い口調で、彼女は言うと目から涙がこぼれ落ちた。はらはらと大粒の雫が、ひざの上に落ちていった。

「お前さんたち、とにかく出て行ってくださいよ!警察呼びますよ」

 大きな音に叔父さんも起きてきて、ドアを開けて酔っ払いを外に押し出した。

「大丈夫ですか?怪我してないですか?」

 彼女の頬から涙がこぼれて膝に落ちた。桐生君の胸がその悲しい顔を見て、ずきんと痛む。悲しくて切ない。

「どこか、怪我したんじゃないのかい?すまないねぇ、この辺は酔っ払いが多くて困るよね。すぐそこに俺の幼なじみの医者やってるやつがいるからさ、見てもらっておいでよ」

 少女の腕に棚の角で切ったのか、切れた傷から出血していた。

「こりゃ大変だ」

 叔父さんはいそいで、その医者とかいうところに電話をかけてうなずいていた。

「すぐに見てもらえるから、行っといでよ!慎一一緒に連れて行ってやってくれ!」


 その医者は五メートルと離れていない商店街の路地を入ったところにあって、入り口の電気がついていた。中からはげた老人がでてきて

「大変だったね」と言って少女の腕を見て「若い娘さんに、こりゃひどい」と言いなん針が縫う事になった。治療費はコンビニのほうで出すという事なので、桐生君は少女を送っていく事にした。

「どうもありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げて、商店街から住宅街に入っていったところのアパートの前で別れた。

 桐生君がシャイなのは、わかっていたけど一緒に歩く道すがら何にも話さなかったのには閉口しちまったね。せっかくのチャンスなのにね。オレだったら電話番号とか聞くことはいろいろあってしゃべり足りないくらいだ。


 切ない事情がわかったオレは、なんだか自分の事のようにわくわくした。

 ただ胸のどこかがささくれだって、棘がささっているような違和感も感じる。

 紙切れには『先日はありがとうございました』と書かれていた。

 え?それだけ?名前とか連絡先とかなんかないの?オレは紙切れに近づいてよくよく見たけど、その他にはなにも書かれていなかった。

 な~んだ、がっかりだ。なんか進展があるとばっかり思ったのに。

 オレの気持ちとはまったく逆に、桐生君はその紙切れを見つめて嬉しそうににやついた。

 一緒に胸のあたりもほっこりと温かくなっている。

どうも身体に感じる感情だけはすぐに伝わってくるらしい。でもね、でもそれだけじゃ、つまんなくないのかね。桐生君は確実に彼女が好きなわけだしもっと彼女の事知りたいとか思ってるだろうし、なのに連絡先はわからないどころか名前も知らないなんてさ。

あれ?医者に連れて行ったときに彼女の名前聞いてるよね。そうか、名前知ってるんだ。桐生君の記憶の中を覗いてみたものの、その時どやどやと集団のおっさん達が店に入ってきて桐生君はちょっと仕事に集中しなくてはならなくなった。そうするとオレの頭の中には何にも入ってこなくなる。

 案の定、おっさん達はこれもあれもと籠の中にポンポンつまみや菓子を放り込んで一升瓶を二本もレジに持ってくる。少しの緊張と真剣モードにオレは、桐生君の意識の中から飛び出てしまった。どうも勤勉とかいうのは性に合わないみたいね。オレってきっと勤勉なやつじゃないんだなあ、とか考えながら桐生君の客の応対を見ていた。

 優しい笑顔と愛想のよい態度、真面目で少し鈍感。

 桐生君と言う人間は、そんな感じだった。どこか自分とかけ離れた人間に思えるのは、やはりぬぐいきれない。


 そうオレ、天使も言ってたけどへなちょこでへこたれってなんとなく当たってるかもしれないよ。まじめで正直でがんばりやで優しいこの桐生君を見てると、いや、くっついてるとなんだかイライラするし眠くなっちまう。なんで、そんな手を抜いてもいいところでこいつはがんばっちゃうんだろうなってさ。人生なんてちょろく生きてりゃ良いような気がするんだけど。

 ま、はっきりした事は、オレが真面目でもなく勤勉でもなくそういう事が苦手で、へなちょこなやつだって事。情けないけど認めざるを得ないね、あいつの言ってた事。ふん。


 それからも、桐生君は真面目に真面目に夜遅くまで、居眠り一つしないで仕事をしていた。

 客の来ない時間には店の陳列棚の整理や品出しまでしていたから、叔父さんは重宝しているに違いなかった。オレはその間ずっと夢の中だったから、あまり意識もなかったんだけどね。



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