第3話

私はあの日、大口の仕事が決まったばかりだった。先輩や部長たちも私を祝うと言う名目で、私を安い飲み屋街に連れ出し、早々に私を泥酔させてしまった。


私は、おりしも風邪気味だったうえに、実は危うく大惨事になりかねないミスを隠していたこともあって、緊張していた。何より自分の口が信用ならなかったから、飲みすぎは禁物だった。そのはずだった。


でも、先輩たちがあまりにすすめるものだから、断れなかった。もし、私が不自然に遠慮していたら、何か後ろ暗いことがあるのではないかと、勘繰られる恐れもある。私は、飲み潰れてしまうこと選んだ。そうすれば、呂律だって回るまい。



視界がややぼやけていたものの、電車の座席にありついたのまでは覚えている。そして、吐き気にたまらず途中下車。知りもしない駅を出て、私は川へ向かった。そうだ、なぜか川の臭いは、酔っぱらっていてもわかったのだ。


あまりきれいな話ではないが、私は水場を求めていた。吐いてしまえばきっと、気分もよくなる。私は川の臭いをたどって高架下までたどり着いた。しかし、そこまでだった。


「うぐぅ・・・」


頭の中まで胃酸が上がって来たようだった。火照った体はもともと、噴き出してきた汗に疲労困憊。私は壁に手をつくのがやっとだった。

「恥ずかしい」なんて言えない歳だと、自分で後悔した。人に話せば、笑い話でも爽快なほうではなく、失笑ものだ。だからと言って、涙の一つも出ない。


「大丈夫ですか?」


声をかけくれたのは、若い女性だった。彼女は嫌がる風でもなく、かといって、飲み屋のアルバイト風に取り繕った笑顔でもない。私を心から心配してくれる、そんな親切な人間の顔だった。出すものを出してしまった私は、なんだか満たされた気持ちで、こう言った。


「えぇ、大丈夫です」


彼女は、自分が首にかけていた真っ白なタオルを私に渡した。私が、それをこわごわ受け取ると、彼女はすぐさま踵をかえし、瞬く間に、重そうなポリバケツを運んできた。


「ちょっと下がってください」


バケツから勢いよく流れ落ちる水の音は、さながら滝壺へ落ちていく清水の音だ。


「さぁ、これで」


彼女は得心がいったように、私を見つめた。私は彼女を見返した。どこかで見たことのある顔だ。声は少し違うような気がしたけれど、どこかで会ったことのある顔だ。名前を思い出そうとして、私は唇をタオルでぬぐう。たしか・・・


「金子です。金子あゆみです」


露店の彼女は、こう言った。そうだ、金子さんだ。私は合点がいった。そうだ、金子さんと言う人だった。これなら、探せるはずだ。


状況が状況だ。どうしても恰好が付かない私は、彼女にまた会うことを約束して、その場を立ち去ったのだ。あの日は白く、大きな月が夜空を照らしていた。あまりにまぶしいものだから、星が見えない位だった。

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