第003話 受話器の向こうで
私に雨を教えてくれた人はもういない。彼はもう、この世界から去ってしまったから。
白い地平線。鳴り響くベル。分からない。誰からの呼び出しなのだ、これは?受話器を取り、応える。
「もしもし」私は尋ねる。「どなたですか。」
相手は応える
「あなたは、なぜここにいるのですか。」
わからない。わたしは何故ここにいるのか。
孤独。永遠。外界との繋がり。
「わかりません。」私は応える。そして尋ねる。「あなたはなぜそこにいるのですか。」
返事は無い。
「私は・・・」
「はい」
「私は・・・」
待つ。答えはない。
「私は何故ここにいるのでしょう。」
そんなこと、わかるものか。
番号を押し、ダイヤルする。受話器の奥で聞こえる呼び出し音。
「もしもし」繋がった。
「あ、おかあさん?」私は安堵する。
「ひっ」短い叫び声
「おかあさん、私ね」
「なんで、なんであなたが」
「もしもし、おかあさん、あのね」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「ねぇ、話を聞いて、私、おかあさん」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
私は電話を切った。空虚感。分からない。どうしたのだ。私に何があったのだ。私はしばし呆然としていた。そうだ、確認しなければ。もう一度電話をかけよう。受話器を手にし、番号をダイヤル。しかし、今度はどれだけ待っても応答は無かった。
妹だ。彼女なら何か知っているかもしれない。記憶を頼りに、彼女の携帯電話の番号を押してゆく。発信音。かかった。
「もしもし?」妹の声だ。安心感。
「よかった、ねぇ、私だけど」訊きたい事は山ほどある。
「えっ」まずは母のことだ。
「ねぇ、お母さんが変なのよ。何か知っている事があれば」どうして母は、私を。
「何で?」
「え?」何で、とは。
「どうして、私は悪くないよ、だってお姉ちゃんじゃない、私は、私は、何もしてない、どうして私を困らせるの、どうして私に電話してくるの」どういうことだ。
「ねぇ、教えて、私、分からないの」駄目だ、訊いてはいけない。
「私は悪くない、私は悪くない私は悪くない悪いのはおねぇちゃんだ」駄目だ駄目だ。
「ねぇ、教えてよ」あのときの直前、情景が脳裏に浮かぶ。
「悪くない、私は悪くないんだ」強烈な吐き気、思い出すな。
「ねぇ!」涙がこぼれているのを感じる。
「ひっ」妹は。
「私、あなたのこと、嫌いじゃなかったのに」悪くない。
受話器を置く。鼻をすすり、涙を拭く。電話を、電話をかけなければ。
記憶を頼りに番号を押す。合っているはずだ。少しの間。発信音、しばらく待つ。
「もしもし」相手が出る。
「もしもし、私よ、おとうさん」私は応える。受話器の向こうで、かすかに息を呑む音。
「どうして」どうして?訊きたいのはこっちの方だ。
「どうしてっていうのは、私が電話をかけている事?それとも」
「何の用だ、もう済んだことだ、俺はもう関係ないんだ」関係ない?頭に一瞬で血が上る。
「関係ないですって?」フラッシュバック。叫び声、眼前の醜悪な顔。寒気、おぞましい悪意。掴まれた手首に感じる痛み、振り上げられた腕、一瞬遅れて頬に感じる熱。
「他所から来て、私たち家族をぶち壊したくせに、よくもそんなこと」声が震えているのがわかる。
「でも、気持ちよかったろ?」ふざけるな。
「許さない」思わず声が出た。
「え?」
「許さない、お前だけは絶対に許さない。絶対に、絶対に許さない。絶対に。一生かかっても復讐してやる。お前が幸せになるなんて許さない。私たちにしたことを忘れるのも許さない。」涙が止まらない。
「許さない許さない許さない許さない許さない許さない。」わかってるんだ、この世界からじゃどうしようも無いって事は。
「いいか、私たちにしたことを忘れるな、絶対に復讐してやる、絶対に復讐してやる!」
言ってから、力任せに受話器を投げつける。私は膝から崩れ落ち、しばらく泣き続けた。
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