第045話 廊下

学校についての思い出といえば、私には、記憶に残る出来事がある。あるとき、教師が激怒して私を叱りつけた。おそらく友人とふざけていたか、単に私が気に食わない発言をしてしまったとか、もしくは居眠りであるとか、そういった類のことが発端だったと思う。教師は私の腕を力任せにつかむと、教室から廊下へ私を引きずり出した。教師は荒々しい剣幕のまま、廊下で立っていろ、と私を怒鳴りつけ、教室へ戻って行った。私は乱れた衣服を整えると、教室に背を向け、立っていた。廊下の窓からは外が見えた。空は少しだけ赤く染まり始め、雲がゆっくりと流れていた。


生徒たちが帰宅し始めてからも私は立ち続けた。私に廊下で立っていることを命じた教師は、授業を終えた後、私を一瞥したが、何も言わずに去って行った。同級生たちも、一人、また一人と帰って行った。校舎の外から、別れの挨拶を交わしたり、友人同士じゃれあう笑い声が聞こえた。私には、それがどこか遠くで響いているような気がした。声はだんだんと離れてゆき、しだいにまばらな粒になり、やがて消えてしまった。陽が沈みかけており、あたりは暗くなり始めていた。


夜になった。私は、立ち続けていた。いくらかの電灯があたりを照らしているだけであった。当直の教師が怠けたのか、見回りが来ることはなく、校舎中の明かりが一斉に消された。あたりを暗闇が支配した。廊下の窓から、わずかばかりの月明かりが差し込んでいた。私はみじろぎもせず、じっと佇んでいた。


しばらくして、月明かりをたよりに私は教室へ戻り、自分の椅子に座った。窓を見ると、遠目に街の明かりが輝いていた。私は椅子の背にもたれかかり、物思いにふけっていた。ふいに、私の中で何らかの化学反応が起こり、突然、私の中をやわらかいものが満たした。私はほとんど飛び起きるように椅子から立ち上がり、しばし呆然としていたのだった。少しのち、私は落ち着きを取り戻し、校舎の裏口をこっそりと開け、帰路に就いた。


私が家に着くころには、私の中を満たしていたやわらかいものはどこかへ行ってしまい、跡形もなかった。だけれど、今思うに、あのとき以降、他人に少しだけ優しくなれた気がするのである。

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