第019話 星空
私は人気のない山で横たわり、星を数えている。ひとつ、ふたつ・・・たくさん。ここは都会のように空気が汚れていないから、空が綺麗に見えるのがいい。静まり返った夜の世界に、ただ星だけが散らばっている。おや、いったい幾つまで数えただろうか。もう忘れてしまった。身じろぎひとつせず、ただ、星を数えるだけ。家族のもとへ帰りたいという気持ちもあったけれど、ずいぶん前にそれも忘れてしまった。彼女たちの顔も、もう思い出せない。それも仕方がない事だ。なにしろ、私はこの山を下りることができないのだから。山を下りるどころか、体を動かすことすらできはしない。
ある冬の日、私はこの山へきて、辺り一面に敷き詰められた白い絨毯を踏みしめ、山頂へと向かっていた。本来なら、ここは危険な山ではなかった。よく知ったルートだったし、携行していた装備も十分だった。私は仕事の合間を縫って山を登ることはあまりなかったが、その日は久々の遠出だったので、無理を押してのスケジュールだった。もう頂上まであと少しの場所だった。急いで登って、それからすぐ下山しようと考えていた、霧が出てきていた。まずいな、と思った。スケジュールは無理気味に組んであるし、早く山頂へたどり着いて帰らないといけなかった。すでに大幅に予定より遅れていた。甘かった。霧が雪に変わり、雪が吹雪に変わった。引き返すのを決めた時には、もうすべてが手遅れだった。焦っていた。吹雪の中を無理やり歩いて、道を見失った。そこで滑落して、気づいた時には、満天の星空だけがあった。
こうして澄み切った夜空を眺めていると、自分の存在の小ささを、改めて感じさせられる。私は社会の歯車の一部になって、日々に追われてがむしゃらに働いてきた。山登りは、そんな生活を忘れさせてくれる、貴重な時間だった。喧騒から離れた、全く別の世界が存在する、そのことが私の癒しだった。他人を山登りに誘おうとは思わなかった。この世界に世間のしがらみを持ち込むのは、無粋な気がしたからだ。こうして事故にあってしまって考えると、それが正しい選択だったかは、私にはわからなかった。
手足の感覚がない。天気が悪くなり始めた頃からは、ずいぶん経ってしまっている。私が雪の一部になって身じろぎひとつしない間も、夜空はゆっくりと動いて、明日の世界へ向かっている。きっと私がいなくなっても、世の中は回っていくのだろう。もちろん、ごく一時的な混乱はあるのかもしれないけれど。
とても眠いんだ。星もいくつまで数えたか忘れてしまった。私の事を、誰か見つけてくれるだろうか。いや、いっそこのままずっと、ここで眠っているのもいいかもしれない。もし見つけてくれる人がいたならば、私は家族のもとに帰ることができるだろう。帰るべき場所があるというのは素敵なことだ。だけれど、ああ、都会からじゃ、この星はもう見られないな。
そうして、私は眠りについた。
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