2.

シシーが翌朝目を覚ますと、宿の外から親父の声が聞こえてきた。どうやら腹を立てて誰かと言い合っている。声を掛けようとジェイクを探したが、部屋の中にはいない。

 

後頭部を打つような頭痛を感じて、シシーはジェイクが自分にあれを飲ませたと分かった。そうなるとジェイクは仕事に出たのか。


 念のため親父の話し相手を見ようと、シシーは着替えもそこそこに、裏ぐちから出て表の方を伺った。すると驚いたことに、宿の娘のマリサがシシーに先んじて、表の方を伺っていたのである。


「ひゃ!」


 声を出しそうになったマリサが、ぱっと振り向く。

 なだめるようにマリサの肩に腕を伸ばしたシシーを睨みつけ、無言で非難する。


『なんだってあんたも!』


 ジェイクと違って、女性と一対一で話をつけるなど無理な話だ。だが、そんなことはもういい。どうやら表には3人の男の客のようで、親父が一方的に怒っているようだとは思った。会話の殆どは聞き取れないが、どうやら「泊めてほしい」という客の要望を断るために、親父は演技中だ。


『娘がいつもお前たちみたいな集団の客にたぶらかされて、とうとう一週間前に家をでちまった! もしお前たちがここに泊まりたいっていうなら、覚悟しとけ!!』


 マリサが話の内容を後で説明してくれたが、この言い訳は「私にとっては毎度のことだけどかなり厄介」ということだった。


それにしても、ジェイクの居場所は、親父に訊いても、「知らない」ということだった。もしかしたら、親父が嘘をついているのかもしれないが、マリサの前では気が引けた。シシーはやり切れず、部屋に戻った。

 

それから3時間ほどして日も暮れたころ、ジェイクはやや快活になって姿を見せた。


「ほらよっ」と言って、布袋を二つ、シシーの前に転がすと、ジェイクはシシーに水をくれと言った。グラスを渡しながら、シシーは不満そうに漏らした。


「君にとっては死体袋も砂袋と同じか」


ジェイクは、にやりと笑うと、あごに手をやり言った。


「死体のほうは、鮮度が命。扱いに困る前にさっさと処分する。これは土産だ」


袋を開けると、安っぽいが、持ち主の金銭源が知れるような重火器類と弾薬が、ばらばらと詰め込まれていた。もう一方はおいそれと破棄できない身分証のたぐいだ。


「で、これで終わりか?」


シシーは不安げに、やや期待を込めた瞳でジェイクを見上げる。しかし、それは当てが外れたようだ。


「いいや、今度はこれを取り返しにやってくる奴らから、情報を得る必要がある。それが今回のお前の役割なんじゃないのか」


少し驚いた眼をしたシシーは、髪をかきあげ、ため息をついた。


「やっぱりそれか」



その晩、シシーは何も食べず、しきりに聖書の言葉を紡いでは、瞑想とやらをしていた。その姿を横目に、ジェイクは宿の親父から借りてきたトランプで、一人ポーカーをして過ごした。


次の日の客は、太陽が頂点に上る前にやってきた。

少し身なりのいい東洋人と言ったところで、静かに店の中に入ると、酒と料理を注文した。


 料理の中にしこんであった麻酔薬のせいで、立ち上がりざま転んだその客を、店の主人が、ひきずって奥に連れ込む。


それをジェイクが面倒くさそうに部屋のベッドの脚にしばりつけ、一発頬をなぐり、ついでに靴をぬがせて、両足を縛る。


客は中国語のような言葉でまくしたてたが、視点が定まらないのを見ると、的を得ていないようだ。人違いでないことは、男の服装から間違いない。


シシーは、自分のリュックから、髭剃りよりは幾分丈の長い薄出のナイフを取り出し、それに傷や汚れが無いか確認する。


ジェイクは、シシーの集中具合を見て部屋を出ていく。興味津々と言った体で二人とその客を見ていたマリサを部屋から追い出すと、「散歩に出かけてくる」と、シシー達を後に残した。


一時間ほど経ってジェイクが帰って来たときには、宿の親父が、少し青ざめた顔をしながら、裏手のドアから真っ青な袋を押し出しにかかっていた。


用意のいいジェイクは、油と火をもってくるように親父に言うと、マリサにシシーから「タバコ」をもらってくるようにと告げた。自分はその間に、道の脇を少し掘り返し、袋をそこに蹴り込んでおく。


ジェイクの得意とするのは、爆薬の扱いだった。


戻ってきたマリサから手渡された小型の薬弾を、袋の周囲に複数差し込み、軽く周囲の土を割る。そうして地面を削ると、油で土煙を納め、頃合いを見て、地面をならした。


顔をあらって、軽く体を拭いて着替えると、ジェイクは、シシーの様子を見に行く。


話には聞いていたが、実際、仕事が済んだあとのシシーはしばらく放心状態で、使い物になりそうもなかった。


片づけが徹底されているのはいいとして、これが、要するに彼の問題なのだろうと、ジェイクは理解した。


夜も更けるころ、晴れた夜空に月が美しく、ジェイクはまだ起きていた。すると、それまで、だんまりだったシシーが、ようやく言葉を発した。


「空気が乾燥しているから、鼻が少しは鈍ったかと思ったが、そうでもないらしい。それともあの人種は、血の匂いが濃いのかな。よくは知らないけれど」


ジェイクは寝返りをうち、シシーを見た。彼は両手をすり合わすようにして、目を落とし、何かを思い出そうとしている様子だった。ジェイクは言った。


「よくは知らないが、鹿とか熊の血に比べると、人の血はたしかに臭うな。まぁ、自分の体臭はわからないのに、人の何とかは、っていうあれだろ。それより」


ジェイクはそこまで言って、次の「大丈夫なのか?」という問いかけを、喉の奥にしまい込んだ。


シシーの意識がまた遠くへ行ってしまったように、彼の視点が宙に止まったからだ。


ジェイクはその様子を、ただじっと見つめた、心底、羨ましいものがあるようにシシーを見つめた。


そして彼は、シシーの意識がいま漂っているであろう、ぼんやりとした被膜のような幻想に、自分の姿が映り込んでいるかのような錯覚を覚えた。


自分の姿、それはひどく野暮ったくて、ちぐはぐな感情でしか、現状を飲み込めない、一人の小さな男の姿だった。


『あぁ、それでもこれが俺なんだろうな』


ジェイクはその自分の言葉を、もう一度心の中で反芻すると、目を閉じた。


眠れなくとも、いつか眠ってしまうような夜の合間に、何度も、自分が死んでいるのか、生きているのかを確かめたのは、随分と若い頃だ。


そんな頃がとても懐かしい。感傷らしい感傷は今ではみんな年寄りじみてしまった。


満足な言葉も説明も、仲間に見せる表情まで省略して、結果だけが後生大事なわけだ。


精神における「死」が、身体の死と同じでないこともある。

それはたいがい「病気」のせいで、自然なものとは理解されない。


だが、自分の場合は、心と肉体が己を愛し合うかのように二つ、手を取り合い、加速度的に「向こう側」を目指しているかのようだ。精神の末期が、肉体の死を誘うとはこういう感じらしい。


自分を待ち受けている真の暗闇が、もしかしたら、終着点では無く、終わりのない永遠に続く魂の牢獄ではないのか、そんな嫌な予感さえさせる。命の向こう側。アジア圏では、転生という、それ。


寝返りをうち、まどろんだかと思うと、ジェイクはすぐさま眠りに就いた。

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