その後
WENT INTO THE Blue
1.
パレスチナ北部の山脈のふもとを、一台のトラックが走っていた。その後ろには、赤い中古のバイクが距離をとって走り、軽快に小石をはじいていた。
30分も経たないうちに、通過地点の「税関」が見えてきた。「税関」と言っても、白いテントが三つほど並んで建っているだけである。そこには現地人ばかり、細い面立ちの男たちが集い、物品のやり取りをしていた。食事をとり、休んでいるものもいる。トラックとバイクはそのテントの手前で止まった。
トラックからは、赤毛の白い肌の男が一人、右座席から旅行者用のリュックを背負って降りてきた。どうみても欧米人である。その欧米人が車を降りたのとほぼ同時に、運転席からは地元のガイドが一人出てきた。
バイクから降りたもう一人の男は、ヘルメットを外すと、金髪の青い目の白人で、これもまた外国人である。歳は3、40ほどに見えた。トラックに乗っていた旅行者と、ほぼ同い年くらいだろう。
日差しに目を細めつつ、ガイドはさっそく、税関の職員に話をつけにいく。国境を超えるつもりはないが、このあたりを「観光する」のが、旅行客の願いだった。
赤毛の旅行者は、上着から折りたたんだ地図を取り出し、同じように懐から取り出したキャップを被った。そこにバイクの男が、黒い大きなアタッシュケース片手に近づいてくる。
「ジェイク、少々早かったな」
赤毛の旅行者はジェイクというらしい。ジェイクは首を傾げるように笑うと、何も言わずにバイクの金髪の男の肩をたたいた。
ジェイクはクリーム色の綿パンをはき、長袖の綿シャツを着ていた。赤と緑のチェック柄だ。金髪の男の方は、ジーンズ素材のズボンに、同じ素材のベストを、砂で汚れた白い半袖シャツの上に着ていた。強い風が吹き、男の半袖は風にはためいた。ジェイクはようやく口を開いた。少し高い声だった。
「悪かった、でも一週間だ。よくあることだ」
ジェイクとその友人は、ガイドが持ってきたぬるいビールで乾杯し、バイクの傍に二人で腰を下ろした。
ジェイクは髪をかき、汗をぬぐった。このあたりでは過ごしやすい時期だが、気温は摂氏40度近くあった。ジェイクは、友人の持ってきたケースに目をやりポケットからハンカチを取り出すと、大きく鼻をかみ、言った。
「シシー、それは、一人で持って帰るには多いだろ?」
友人の名前は、シシーと言うらしい。まるで女のような呼び名だが、フランス系の名前だ。
シシーは少し笑うと、ベストのジップを開け、ジェイクにだけベストの内側を見せるようにした。
「そうか、それならいい」
ジェイクは少し苦い顔をして、うなずいた。その後二人は具入りのスープをのみ、乾いたパンを飲み込むと、ジェイクの持ってきた水とクッキーに舌つづみを打った。
食事を別ですませたガイドは、ジェイクのところに戻ってくると、大きな封筒を渡した。封筒には、ワシントンのある機関の印章が押されていたが、ガイドは何も言わずに、またテントの方に戻って行った。彼の仕事はこれで終わった。
ジェイクは胸ポケットから取り出したトラックのキーを、シシーに見せた。そのキーには小型ナイフのキーホルダーが付いており、ナイフの柄には赤のインクで、『危険人物につき注意!』と、書かれてあった。もちろんこのナイフのキーホルダーは、ジェイクの私物である。
シシーはやれやれと言わんばかりに首をふり、ジェイクの胸を拳骨でこづいた。いつものことだった。ジェイクはふざけてクッキーを喉につまらせるようにし、残りの水を飲み干した。その間にシシーはトラックのキーをジェイクから取り上げ、立ち上がった。
「ジェイク、そんなに元気だと、後でばてるぞ」
シシーはそう言うと、ジェイクのリュックを背負い、トラックに向かって歩き出した。ジェイクはシシーが気に留めないのを知っていて、重厚なシシーのアタッシュケースを引き寄せた。簡単にダイヤルを回して開けると、中には丁寧に収められた拳銃が一丁。ジェイクは拳銃を取り出し、付属の弾を込めた。
銃はバイクの前のポケットに放り込み、ヘルメットを手に持ったところで、ジェイクはシシーに向かって大きな声で言った。
「シシー、話す時間はたくさんある。今日は長いぞ!」
シシーは座席から腕だけ出してそれに答えた。ジェイクはそれを確認すると、空のケースに、今度は指紋認証式の鍵をかけ、シシーがもと積んであったようにバイクの後部に取り付けた。
トラックとバイクは並走してまた二時間ほどの砂漠を抜け、国境線を目指した。さきほどの説明はもちろん表面的なものである。二人はそのまま車で抜けるのではなく手前で降りて、徒歩で国境線に近づき、自分たちが無害な旅行客であることを、もろ手を挙げてアピールした。
武装した男たちは、二人の示した身分証をひどく疑り深く見ていたが、五分も経たないうちに、国境線を超える許可が出た。ガードを二人ほど付けようかという申し出をジェイクは断り、それを見たシシーもそれに従った。
二人はまた、それぞれトラックとバイクに乗りこみ、自動小銃を持った軍服の男たちに見守られるようにして、国境を抜けた。
国境を抜けてまた一時間、少し日が傾いてきたころ、二人は宿泊所のある小さな街に到着した。宿は決まっていて、その宿の戸を叩くと、若い女が出てきた。ジェイクは笑って彼女に話しかけた。
「やぁ、マリサ、見ないうちに大きくなったな」
マリサと呼ばれた娘は、ジェイクをしばらく固視していたが、はたと気づいたようだった。
「ジェイク!」
彼女は初めて笑顔を見せると、二人に中に入るように促した。彼女は父親を呼びに行った。
彼女の父親はジェイクの顔見知りであった。何かと仕事の際はメールのやり取りをしていたのである。シシーは初めて会ったが、信用できる男であると思った。
その晩、ジェイクとシシーは昔話に花を咲かせた。ジェイクはシシーに繰り返し言った。
「後悔なんかしてない。けどもっと、ましな生き方はあると思う」
それに対してシシーは迷いつつも、必ずこう答えた。
「ジェイク、少しは考えろよ。いったい他にどんな生き方があるんだ」
ジェイクはシシーのその答えに満足げに笑い、宿の親父が出した酒をあおった。
翌日も、二人は暇だった。「仕事」はそうそう、時間通りにはやってこない。ジェイクは外に出たがったが、シシーは連絡が気になり、やめようと言った。それにジェイクが閉めてしまったケースも、シシーにとっては気がかりの種だった。シシーはあることを疑っていたが、言い出せずにいた。
その晩、ジェイクは動けなくなるほど沢山の食事を口に運んだ。シシーは心配してジェイクにやめるように言ったが、ジェイクは「うまいんだ」の一点張りで、そのままベッドにひっくり返った。シシーは呆れて、しばらく読書をした。そうしているうちに、ジェイクの寝息が聞こえてきたので、シシーも寝ることにした。
その次の朝も、連絡はこなかった。シシーは少し落ち着きをなくしはじめた。読んでいた本が、もう少しで終わりそうだったのもあるが、シシーにはその話の結末が予想できてしまったのである。その話の結末は、主人公の自殺だった。
「ジェイク、もしかしてこの仕事の後、死ぬつもりじゃないだろうな」
シシーは気になっていたことを、ようやく昼食の前にジェイクに問いただした。ジェイクは、何も食べたくないと言う顔をして雑誌を読んでいたが、その雑誌をおくと、シシーの目を見た。
「シシー、そんなつまらないことは言うなよ」
シシーは、ジェイクが嘘をつかないことを知っていた。だからジェイクは本気だと分かった。シシーの冷えた視線を前に、水の注がれたグラスを見ながら、ジェイクは独り言のように言った。
「シシー、俺には何もない。はじめから無いんだよ」
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