第8話

 洋太郎は早朝から起きだし、シアを起こして依頼を完遂する為に町を出た。

 シアの姿は昨日買った物だが、外套とローブと鞄には変化があった。

 外套は裾部分にシルクスパイダーと真銀糸で複雑な模様が刺繍された上に、全体的に魔力を帯びている。

 付与されているのは、着ている人間の体温調節と物理的な防御力を上げるものだ。

 要するに、洋太郎の着ている外套と同じ効果の外套を作ったのである。

 また、ローブには精神と物理防御を上げる魔術が付与されており、それなりの強度を持っている。

 そして鞄の外見にはほとんど変化はないが、口を覆う布にはシアが削った魔宝石がボタンとして使われていた。

 この魔宝石に掛けられている魔術は、鞄の強化と盗難防止だ。

 シアと洋太郎以外の人間には、この鞄の口は開けない様になっている。

 そして鞄の内側には亜空間が広がっており、無限に物が入る鞄となっているのだ。

 洋太郎はシアがそれを完成させた事に酷く感心すると同時に、自主性が育ちつつあるのだろうと感じた。

 無限鞄があれば良いとは言ったが、ローブや外套、そして無限鞄に施した魔術は全てシアが考えてかけた物だからだ。

 提案する、という事自体自主性の萌芽ではないかと思ったのである。

 しかし、この自主性は全て魔術系統の物しか発揮しない。

 昨日の昼は、洋太郎が軽く食べれる物を持って行っても言われるまで目もくれなかった。

 さすがにこれはまずいと思った洋太郎は朝と昼と夜は食事をする物だと教え込み、空腹を覚えたらすぐに言う様に念入りに釘を刺した。

 その後には、シアのお風呂問題が待っていた。

 洋太郎が一緒に入るには多大な問題があるため、如何すればいいかをバルドに相談した。

 無論、その時はシアが記憶喪失だが変則的なもので、名前と一部の知識だけが強く残っているという話をした。

 バルドはそれを聞いて、女性らしさを育てるなら娼館へ行くべきだと強く主張してきた。

 洋太郎は難色を示したが、バルドは意見を押し通した上に夕食を娼館で取ろうと洋太郎とシアを引っ張って行ったのだ。

 女性問題は女性に任せるべしという言葉に負けたのもあった。

 その後の事は、洋太郎は思い出すのをやめる。

 取り敢えずこうして、シアは女性らしさ身嗜みや風呂に入る、髪を結うなどを覚えたのである。

 頑丈な編み上げブーツで歩くシアは、昨日と同じ髪型をしている。

 違う部分は、纏めた髪を覆う布の色くらいだ。

 昨夜の入浴は高級娼館だった為、シアの髪からはまだ薔薇の匂いがしている。

 洋太郎も同じ匂いをさせているわけなのだが、自身の匂いは鼻が慣れたのでわからない。

「足はどうだ?」

「踵が痛みはじめました」

 シアの歩く速度に合わせて歩いているが、基本的に彼女には筋肉が付いていない。

 歩く速度も遅く、直ぐに足を痛めてしまう。

 長距離を歩いても平気になるような体を作ってやらねばならないと思いながらも、洋太郎はシアに手を伸ばす。

 左腕で軽々と腰を浚い、シアを子供抱きする。

「洋太郎が疲れるのではありませんか?」

 子供抱きされたシアは、淡々と問いかける。

「おめーの足の痛みが無くなりゃ、また歩かせるさ」

「分かりました」

 シアは頷き、じっと洋太郎に体を寄せる。

 華奢な少女であるシアは、酷く軽い。

 洋太郎の本性のせいもあるが、このまま歩いていてもまったく苦にならない程だ。

 甘やかしてはいけないと思いながらも、シアのペースに合わせていると時間が予定よりも遥かにかかる事になる。

 それを嫌った洋太郎は、シアを抱えて自身のペースで歩く。

 暫くそうやって歩いた後、シアが口を開く。

「洋太郎、足の痛みが和らぎました」

「まだいてぇんだろ?」

「はい。ですが、洋太郎の腕が塞がっている方が問題では?」

 シアの問いかけに、洋太郎は頭を振る。

「まだ、ジャイアントビーが出たわけじゃねぇ。それに、この辺の魔獣なら片腕と尻尾がありゃ十分だぜ」

「ですが……」

「黙って大人しくしてろ」

 なおも言い募ろうとするシアを黙らせ、洋太郎は歩く。

 シアは無言で洋太郎の言うとおりにしてはいるが、納得いっていないのは彼女が醸し出す雰囲気でありありと分かる。

「おめー、もう少し表情を動かす練習をしたらどうだ。感情が育った時に、顔が筋肉痛になるぞ」

 洋太郎の言葉に、シアは無言で彼を凝視する。

 恐らく、意味を分かりかねているのだろう。

 何処かいといけない表情に洋太郎は目を和ませ、片手でシアの柔らかい頬をつまむ。

「いひゃいえす」

 シアの言葉にくつくつと喉を鳴らして笑い、洋太郎は手を離す。

「まぁ、そのうちの話だからな。それまで、顔面の体操しとけ」

 そう言われたシアは頬を撫でてから、手でむにむにと顔のマッサージを始める。

 素直なシアの行動に洋太郎は喉を鳴らして笑い、シアの頭を撫でる。

「それは暇な時にでもしろ。今は一応、仕事中だからな」

「はい」

 シアは素直に頷き、大人しく洋太郎に体を寄せる。

 信頼して体を委ねきっているシアに危機感は無いのかと内心で突っ込んでから、ある訳がないと思い至り何とも言えない気持ちになる。

「俺以外のやつにこういう事をされねぇよう、気を付けろよ。相手を殺さなけりゃ、どんな手を使ってでも逃げるんだぜ」

「はい」

 シアはこくりと頷き、口を閉じる。

 そこからは無言で道を歩き、暫くしてから洋太郎は足を止める。

 洋太郎の視線の先には、背の高い草がかき分けられた痕跡のある獣道があった。

 店主の妻からはもう少し時間がかかると聞いていたが、彼女と洋太郎の歩く速度が違う事を考えるとこの辺りになるだろう。

 目印となる物を聞いていなかったが、蜜百合の匂いは独特で近付けば洋太郎の鼻で嗅ぎ当てる事が出来る。

 ちなみに、匂いを嗅ぎ分ける事が出来るのは洋太郎のというよりも、竜と竜人族の特徴である。

 洋太郎が草の中へと入り歩いていると、シアが口を開く。

「洋太郎、敵が出るかもしれません。私が歩きますので、洋太郎は両手を空けておくのを推奨します」

「足がいてぇのは如何だ?」

「大丈夫です」

 シアの一言に洋太郎は頷き、彼女を地面に降ろして後ろを歩かせる事にする。

「俺より前に出るんじゃあねぇぜ」

「それですと、私が前を見る事が出来ません」

 洋太郎の大柄な体躯と、シアの小柄な体躯では真後ろを歩けば前が見えない。

「敵が近くに居たら少し俺が横にずれてやるから、そこから前を見て攻撃しろ」

「分かりました」

 竜である洋太郎は、感覚が鋭敏だ。

 それに何より、ジャイアントビーは空を飛んで接近してくるはずだ。

 出てくる方向が問題ではあるが、洋太郎より上から来襲する可能性が高い。

 そうであれば、シアの魔術も届くはずだ。

「注意しておく。ジャイアントビーの討伐証明は、ケツから出る針だ。あと、翅もなんかの材料になると聞いた」

「ジャイアントビーの翅は上手く処理をすれば、一時的に身のこなしを上げる事の出来る魔法薬になります」

 なるほど、とシアの言葉に頷く洋太郎。

 シアがいれば、魔法薬の材料や魔道具の材料になるような部位を知る事が出来る。

 そう言った物も冒険者ギルドに持ち込めば、手早く金に換える事が出来るだろう。

「もしよければ、ジャイアントビーの翅を含め薬草や蜜百合などの素材を採集しても良いでしょうか?」

 シアの問いかけに、洋太郎は彼女自身が調合が出来るという事に思い至る。

 稀代の魔術師と呼ばれた男の魔術的知識を全て継承しているのだから、当然の事だろう。

 常識などが分からないのは、男にとってその辺りが全くと言って良い程重要ではなかったからだ。

 同時に、シア自身が少女であるという事が女性としての嗜みの知識が無い原因の一つであろう。

 男親が娘が身に着ける女の嗜み全てを知るはずなど無いのだから、当然だ。

 そこまで考えた洋太郎は、下らない方向に思考がそれたのでシアの制作者に思いを馳せるのをやめる。

「ああ。だが、先に依頼の方を終えるぞ。薬草の採集は後だぜ」

「はい」

 シアは素直に頷き、無表情だが一生懸命歩いている。

 背中を向けてはいるが、洋太郎はそれをしっかりと感じ取り歩みを彼女に合わせて緩める。

 足の長さからして、洋太郎とシアは歩く速度が違う。

 直ぐに疲れたり、足が痛くなるのは当然の事なのだ。

 洋太郎にとってそれほど長くない草は、シアにとってはそれなりの障害だ。

 シアが歩きやすいように草を踏み倒しながら、洋太郎は周囲の気配と空気中に漂う匂いを嗅ぐ。

 香るのは踏み倒した草の青い匂いと、木々や花々の匂いだ。

 その中に混じって、甘みのある爽やかな匂いが感じられた。

「少し、道をそれるぞ」

「はい」

 シアの返事を聞いた洋太郎は、舌打ちする。

 草を刈る為に剣を持ってくればよかったと、今更ながらに気が付いたのだ。

 ない物は仕方が無いと、洋太郎はとにかく草を踏み道を作りながら蜜百合と思しき匂いをたどっていく。

 道なき道を踏み均しながら歩いていると、背後のシアが息を乱している事に気が付いた。

 歩き慣れない上に、道と呼べない所を歩いているのだから当然であろう。

 また抱き上げて歩いた方が良いかとも思うが、シアは否と言うだろう。

 ジャイアントビーがどこから飛んでくるかわからないのだから、当然だ。

 もう一度舌打ちしかけてやめ、苛立たしく草を踏み倒しシアの歩調に合わせて歩く。

 周囲を警戒しながら歩いている洋太郎は、甘い匂いがする方向から微かに空気を振動させる音が聞こえるのに気が付いた。

「シア、近くに蜂がいるぜ。ジャイアントビーかメェレビーかはちいとばかり分からねぇ。警戒だけは、しておけよ」

「はい」

 やや乱れた息を整えながらシアは頷き、再び洋太郎の後をついて黙々と歩く。

 その間にも洋太郎は蜜百合とあたりを付けた匂いが濃くなってくるのだが、空を叩くブーンという独特の音が大きくなる。

「メェレビーよりでかいな。ジャイアントビーだと思って、戦闘準備をしろ」

 洋太郎の小声での警告に、シアはこくりと頷く。

 同時に、空気を叩く音が変わる。

 ブブブブという振動音が大きくなり、洋太郎は警告を発した声を聞きつけられたと気が付いた。

 素早く身構え、鋭くシアに告げる。

「構えろ、来るぜ!」

 洋太郎の警告と同時に木々の間を縫うように、中型の子犬程の大きな蜂が物凄い羽音を立てて飛んできた。

 しかも、一体ではなく十体近くだ。

 店主の妻の話よりも多い数に、洋太郎はさもありなんと眉を潜める。

 このあたりに居なかったジャイアントビーがいるという事は、どう考えても近くに巣がある可能性が高い。

 それを考慮して依頼を受けたわけだが、もしかしたらすでに大きな群れを形成しているのかもしれない。

 見込みが甘かった事に舌打ちをしながら、洋太郎は威嚇の様に翅を鳴らして周囲を飛び回るジャイアントビーの一体に飛びかかる。

 ジャイアントビーは素早い身のこなしで洋太郎の攻撃範囲から逃れようとするが、鉤爪が空気を裂きカマイタチを発生させジャイアントビーに襲い掛かる。

 空気の刃を受けたジャイアントビーは胸部と腹部を両断された。胸部はカマイタチによって裂かれた翅を必死で動かし体液をまき散らし、ふらふらと落ちていく。

 それを見ていたジャイアントビーは、洋太郎を敵と認識し襲い掛かってくる。

 洋太郎が再び飛び上がろうとした瞬間、シアが淡々とした声音で呪文を紡ぐ。

「雷撃」

 詠唱ではなく、呪文名だけでシアは魔術を発動させる。

 魔力によって作られた雷が轟音と同時に残りのジャイアントビーすべてに直撃し、一撃で仕留める。

 洋太郎はシアの魔術の威力と、複数の敵だけに魔術を当てた正確な操作に驚く。

 だがすぐに、当たり前であるという事に思い至り何とも言えない気持ちになる。

 マスターとなる人間を守るというのも、おそらくシアに刷り込まれているのだろう。

 詠唱破棄で魔術を容易く制御できるシアは、導師級の戦闘力を持っているのは間違いないと推測できた。

「おめーの事だ、大丈夫だとは思うが一応注意をして置くぜ。俺以外の人間もいる時は、できるだけ声をかけて魔術を使え。詠唱もしているふりくらいはしねぇとダメだぜ」

「わかりました」

 シアは素直に頷き、焦げ臭い臭いを発しているジャイアントビーの死骸に近づき翅の検分を始める。

 目当ての物が焼け焦げてしまい、すっかり状態が悪くなっている事に無表情ながらしょんぼりしているように見える。

 だがそれでもと鞄から袋とやや大ぶりのナイフを取り出し、ぴたりと止まる。

 当り前だ、洋太郎はシアに獲物からの剥ぎ取りを教えていない。

 虫などに対する嫌悪感が無いのは良いが、こう言う所が困り物であろう。

 洋太郎は苦笑しつつ、シアに近づき声をかける。

「俺が剥ぎ取りをする、おめーは見て学んでおけ」

 洋太郎は背負い袋から剥ぎ取りに使う大ぶりのナイフと、素材を入れて保管する袋を取り出し作業に入る。

 丁寧に翅の根元に刃先を入れ、翅を折らない様に外す。

 その後は尻部分に収納されている針を引っこ抜き、終了だ。

 この針の部分が若干熱くなっているのは、雷の影響だろう。

 そう思うと同時に、洋太郎はこの熱さではシアが火傷をする可能性があるのに思い至る。

「雷は控えた方が良さそうだな。針が熱を持ってやがる」

「分かりました」

 シアは素直に聞き入れながら、洋太郎の手元を凝視している。

 熱心に学ぶ姿勢を見せるシアに洋太郎は小さく笑みを浮かべ、口を開く。

「こいつには、毒腺がある。この毒腺も売れるんだが……さっきの魔術でダメになってる可能性がたけぇ。それに、毒腺を採るにはコツがいる。採れそうなのがあったら、教えてやる」

 そう言って、洋太郎は手早く死骸から討伐証明部位である針と翅を採取し、袋へとポイポイ入れて行く。

 シアは洋太郎の手元を見ていたが、気が付いたように彼の採集袋を手に取る。

 その姿に、洋太郎は苦笑する。

 洋太郎が今使っている採集用の袋もまた、無限袋だ。

 本来であれば背負い袋に突っ込んでもいいものなのだが、洋太郎は二種類の無限袋を使って自身の着替えやらと採集品を分けているのだ。

 中は亜空間になっており、基本的に臭いや汚れが移る訳ではない。

 だがしかし、洋太郎は何となく嫌で服や食べ物用と採集用はわけて使っているのである。

 傍から見れば、物凄い贅沢な話である。

「……私も、洋太郎と同じようにした方が良いですか?」

 シアの問いかけに好き好きだろうと言いかけて、止まる。

 好みの問題と言っても、シアは今その好み自体が無い状態だ。

 かといって、洋太郎の好みに合わせるのは間違いだろうとは理解している。

「おめーの思うとおりにしろ」

 なので、とりあえず濁した返事をする。

 シアはその言葉にはいと頷き、洋太郎の手元をじーっと見つめる。

 小さな子供のようなその仕草に苦笑し、頭を撫でてやろうとしてやめる。

 ジャイアントビーの死骸を触ったばかりの手で頭を撫でるのは、さすがによろしくないからだ。

 手早く死骸からの採取を終え、洋太郎はシアに問う。

「手を洗うが……水だけを出せねぇか?」

「できます」

 シアはすぐに返事をしてから手のひらを差し出すと、そこにふよふよと水の塊が浮く。

 無詠唱でそれを出した事に若干驚くが、洋太郎はすぐに汚れた手を水の塊に突っ込む。

 ジャイアントビーの体液で汚れた手は直ぐに綺麗になり、洋太郎はついでに大ぶりの刃物もその水球に入れてすすいで洗う。

「急に頼んで悪かったな」

 そう言いながら、洋太郎は手拭いを取り出し手と刃物についていた水滴を拭き取る。

 シアは水球をその辺に捨て、淡々と洋太郎の動きを見ている。

 会話にならない事に若干残念な心持ちになるが、焦らずゆっくり行くしかないのだと洋太郎は自分を宥める。

「とりあえず、先に蜜百合だな」

 そう言って、洋太郎はシアを促し歩き出す。

 シアは洋太郎の後をついて歩くが、直ぐに歩調が乱れはじめる。

 体力が無いのだから当たり前の事だとは思うが、やはり何とも言えない心持になってしまう。

 シアを抱え上げて進みたい衝動に駆られるが、それをすれば彼女に体力が付かない。

 ジレンマを抱えながら、洋太郎はシアの歩調に合わせながらゆっくりと進むのであった。

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