第6話
洋太郎は居心地の悪い心持になりながらシアと、彼女に話しかけている女性を眺めている。
女性は雑貨屋の主の妻で、主に女性向けの物を仕入て販売しているらしい。
雑貨屋と言うだけあって様々なものがあるが、その中で必要と思われる物を店主の妻はシアに薦めていた。
「この革袋は汚れ物を入れるのに、丁度いいと思うの。汚れ物っていうのは下着だけじゃなく、汚れた包帯や服の事も言うのよ。同じ鞄に入れておくと、汚れや匂いが移ったりするから必須よ。それと、冒険者なのですからこっちの大きな革袋と、皮とかを剥ぎ取る為に必要なナイフも持っていた方が良いわ。この革袋に剥ぎ取った素材を入れて持ち運べるように紐もついているからお得よ? あと、薬草などの採集用にも便利ね。ただ、共通で使わずそれぞれ別の革袋を使うのをお勧めするわ」
楽しげな表情をしながら店主の妻は取っ手が付いた大きな革袋を二枚と、中くらいの大きさの革袋を広げる。
その横に良く砥がれた大ぶりのナイフが一振り置かれ、革袋の上には丈夫な革紐が二組置かれている。
「あ、そうだ。女の子には、大事なお薬もあるのよ。それも絶対に必要よ」
店主の妻は手を打ち、思い出したという様にカウンター内の棚を探り始める。
「女の子には、月の障りがあるわよね。でも、長時間の依頼を受けている途中で具合悪いからヘマしました、なんて言えないでしょう? そう言う事が無いように、女性冒険者の大半が使用しているお薬があるのよ……あった」
店主の妻は数種類の小瓶を手に持ち、カウンターに並べる。
小瓶の中には錠剤が入っており、仄かに色が付いている。
シアがその小瓶を凝視しているのを見て、女性が笑顔で告げる。
「これはね、月の障りを止める事が出来るお薬なの。避妊薬としての効果もあるから、飲んでおけば望まぬ妊娠を避ける事も出来るわ。特に男性に乱暴された時には妊娠は避けたいでしょう?」
女性の尊厳を守る為に必要なのだと、店主の妻は真剣な表情でシアに薦める。
洋太郎はこの言葉に驚くが、同時に素朴な疑問も浮かぶ。
造られた人間であるシアが、子をなす事が出来るのか。そもそも、月の障りなどがあるのかが疑問だ。
しかし、洋太郎のそんな思考を無視して、シアは口を開く。
「複数持って来たのは何故ですか?」
「それは、お薬の副作用が小さく効果が高い物もあるからよ。特に、これ」
一番左端に置いてある小瓶を示し、店主の妻は笑顔で言う。
「一度服薬すると、半年くらい効果が続くの。お薬を作る時に魔力を込めているから、効果が高くて、副作用も小さいの。その分、お値段もかなりするけれどお奨めよ。右に行くにしたがって、ちょっとずつ効果が弱くて副作用が強い物になるわ」
店主の妻の説明に洋太郎は耳を傾けつつ、何とも言えない表情を浮かべる。
体に負荷をかける様な事をするべきではないと思うが、仕事の性質を考えればあった方が良い事は間違いない。
洋太郎は嘆息し、シアに必要ないかもしれないとは思いつつも口を開く。
「一番たけぇのは、いくらだ?」
「銀貨五枚になります」
「いい値段するな」
思わずそんな事をぼやきつつ、洋太郎は財布を取り出し更に注文を付ける。
「蜜の採集に使う様な小瓶を数個くれ」
洋太郎の注文に店主の妻は目を丸くし、次いで嬉しげに微笑む。
「わたしの依頼を受けてくださった方でしたのね。小瓶の方はこちらでご用意いたしますので、ご安心ください」
「そいつは良かった。それと、ジャイアントビーの依頼なんだが……」
「まぁ! そちらも受けてくださったの? 有難いわ」
笑顔で店主の妻は言いながら、小瓶を二つほどカウンターの下から出してくる。
やや厚めのガラスでできた小瓶は、コクル材で栓をされている。
「瓶の八分目まで集めていただけると、嬉しいです。それと、ジャイアントビーは蜜百合の近辺で現れておりますのでお気を付けください」
「何故、そんな事を知っているんだ?」
洋太郎の問いかけに、店主の妻は苦笑する。
「実は若い頃、わたしは冒険者をしておりました。多少なりとも腕に覚えがありまして、一人で良く蜜百合の採集をしていたのです。蜜百合が自生しているあたりには、あまり強い魔物は出てきませんから。ですが、先月採集に行った際にジャイアントビーの群れと遭遇しまして……」
一人で行っていたので、ジャイアントビーの群れに立ち向かうのはさすがにできなかったと彼女は苦笑する。
「五・六頭のジャイアントビーに見つからない様に、帰ってくるのが精一杯でした。ですが、今までメェレビーの縄張りだったのでジャイアントビーに会ったのは初めてで」
憂い顔の店主の妻は、嘆息を零す。
ちなみに、メェレビーは大人の拳くらいの大きさの大人しい蜂の事である。花の蜜を集める習性を持ち、その巣には大量の蜂蜜が蓄えられている。
メェレビーの蜂蜜は濃厚で、とても甘い。
しかし、大人しいとはいえ巣に近づく人間には容赦なく攻撃してくる為、メェレビーの蜂蜜はなかなか出回らない。
また、メェレビーは僅かに魔力を含んでいるため、魔法薬などの材料にもなる。
そしてそのメェレビーとその蜜を狙って他の魔獣が巣を襲う事もあり得るため、洋太郎は目を細める。
「メェレビーを狙ってきたのもあり得るか」
「かも知れませんね」
物憂げに溜息を吐く店主の妻に、洋太郎はイラッとしてしまう。
察して欲しいという態度をされるのは、洋太郎にとってはうっとおしい以外の何物でもない。
洋太郎の表情を見た店主の妻は苦笑し、頭を振る。
「ごめんなさい。できれば、メェレビーの巣がどうなったかを確認して貰えたらと思ったの。でも、二人だけのパーティでは少し辛いかしらと思って」
「そうか。余裕がありゃ、見て来てやるぜ」
そう告げた洋太郎はお金を払い、ついでに採集用の小瓶をいくつか購入した。
シアの分と、洋太郎の分である。
「蜜百合が群生していたのは町の南側にある門を出て、西へ二時間ほど行った所から入れる森にあります。森の中でさらに二時間ほど西へ移動すれば群生地に到着できますけれど……わたしがジャイアントビーに出会ったのは森の中でです。見た所、貴方はかなり腕が立つとは思いますが相手は空を飛ぶ上に集団です。せめて、魔術師だけでもお連れになった方が良いと思います」
店主の妻の言葉に洋太郎は生返事をしてから、ふっと思い出したように問いかける。
「魔術の発動体は確か……塔の学院に行かねぇと買えねぇよな?」
「はい。その製法は秘匿されておりますから」
洋太郎は自身の記憶に間違いがない事を確認できたので満足し、買った品物を自身の背負い袋に入れて行く。
革紐を手に取ってからふっと思い出し、洋太郎は冒険者証に開いた穴に手早く革紐を通し首からかけて服の下に入れる。
「シア、おめーも革紐で首から下げておけ」
「はい」
シアは頷き、鞄から冒険者証を取り出し革紐を通して首にかける。
洋太郎の手元を見ていたので、如何すればいいのかをシアは学習している。
しっかりと端を留め、シアは首から下げて服の下に入れ洋太郎を見る。
準備が出来たと判断した洋太郎はシアの手を掴み、雑貨屋を出る。
「発動体が必要だな」
「? 私には必要ありません」
「おめーが要らなくても、冒険者をやるなら持ってねぇと誤魔化せねぇ」
洋太郎の返事にシアは口を閉ざし、黙って洋太郎の隣を歩く。
シアにとって、洋太郎は絶対の存在だ。彼が言うのであれば、シアは自身の性能の話をしても拒絶はしない。
その事に洋太郎は若干の寂しさを覚えるが、自我を得れば自身で考えて行動をするだろう。
「とりあえず、次は防具屋と武器屋が先だな。俺はいいとしても、おめーは殆ど普通の服だからな」
洋太郎はそう言って、シアの手を引きながら歩く。
冒険者ギルドが近いからか、雑貨屋のすぐ近くに武器屋や防具屋が並んでいる。
ギルド推薦店の看板が出た武器屋の扉を開き、中に入る。
店内に展示された鉄や青銅の剣や斧にちらりと視線を走らせてから、洋太郎はシアを連れてカウンターへと向かう。
カウンターの向こうでは、パイプを咥えた赤銅色の肌を持つドワーンが座っていた。
黒い髪と顎の髭を三つ編みにしたドワーンの胸には、リージアンの聖印を下げている。
見るからに神官と分かるドワーンに、洋太郎は驚く。
「神官が武器屋を開いているか、驚いたぜ」
「そう言うお前さんも変わった客だな」
洋太郎の言葉にパイプを口から離し、煙を吐き出し笑う。
「竜人が武器屋に来るなんざ、そうそうねぇからな。お前さんたちの武器はその拳と爪だ、ここに置いてあるなまくらなんかよりもよっぽど役に立つ」
くつくつと笑いながら、ドワーンの神官はちらりとシアに視線を走らせる。
「娘っ子に持たせられるような武器はねぇぜ」
「護身用程度のナイフが欲しい。さすがに、剥ぎ取りナイフを使うわけにはいかねぇからな」
洋太郎の一言に、彼は億劫そうに言う。
「お嬢ちゃんの手を見せな」
「シア」
「はい」
名を呼ばれただけで指示されたシアは、素直にドワーンの前に手を出す。
ドワーンはシアの手を握り、手の甲まで見て眉を潜める。
「筋肉が殆どねぇ。こんなんで刃物を持たせる方が遥かにあぶねぇぞ、兄ちゃん。こいつはまず、筋肉を付けて体力をつける方が先だ」
ドワーンがそう言ってしっしと手を振る。まるっきり商売気のない態度に、洋太郎は好感を抱く。
洋太郎自身、まずは体力をつけてやるのが先だとは思っている。
普通であれば、護身用としてダガーなりナイフなりを進めてくる武器屋の方が多いのだ。
見るからに寂れた様な店内で、商売気のないこの態度ではギルド推薦店とはいえあまりもうかっていないだろう。
頑固な職人と言った彼の態度と店の雰囲気を、洋太郎は気に入った。
その彼の服の袖を、シアがくいくいと引っ張る
「どうした?」
「アレを見たいです、洋太郎」
シアはそう言いながら、指で示す。それはカウンターの奥の棚の上にある、木箱だ。
洋太郎はむっと眉を潜めると、ドワーンはシアが示す箱を持ってくる。
「武器じゃねぇんだが」
と言いながら、ドワーンは木箱を開けて見せる。中には七色に光る長さがバラバラな針が鎮座していた。
「ミスリルか」
「ああ。ほんの僅かだけ残ったのを、何かに使えねぇかと手慰みに作ったもんだぜ」
シアは無表情ながら目を輝かせ、針を一本一本検分していく。
「これと工房があれば、私の鞄に細工が出来ます」
「工房? お嬢ちゃん魔道具職人か?」
目を丸くしたドワーンの問いかけに、シアは小首を傾げて口を開こうとする。
だが、洋太郎はシアの口を素早く塞ぐ。
「詮索は無しだぜ」
「分かっちゃいるが……ちょっと来い」
ドワーンはしばし思案してからカウンターの一部を開き、二人を手招きする。
洋太郎は唐突な展開にどうするかを悩むが、ここで立ち止まっていても仕方ないとシアを連れて奥へと移動する。
カウンターを閉めてドワーンの後をついて行くと、廊下を少し奥に行った所にある扉を開けて彼は中へと入っていく。
後を追って中に入ると、それなりの広さを持った部屋に出た。
洋太郎が室内を見まわしていると、シアがさっと部屋の奥へと行き壁の一部に触れる。
「魔力が枯渇していますが、工房ですね」
シアの一言に、ドワーンはにやりと笑う。
「おう。オレの妻が使っていた工房だ。魔道具職人としては、中の中だったがな」
懐かしそうに、ドワーンは目を細める。
遠くを見るようなその目に、彼の妻はもういないのだろうと洋太郎にも理解できた。
「お前さんたちは新米冒険者だろ? 宿代もバカにならねぇし、オレの出す条件を飲むならこの部屋と、こっちの部屋を貸し出してやるぜ」
ドワーンの唐突な申し出に、洋太郎は眉を潜める。
「何が目的だ?」
「オレの窯の火種に、ちょいとばかり息を吹きかけて欲しいだけさ」
竜人族で加護が高い者は、意図して吹いた息に魔力を帯びさせる事が出来る。
魔力を帯びた息で炎を煽れば、その魔力を取り込み炎がやや白くなる。
その炎で打った鉄は僅かに魔力を帯びて、粘り強い鉄になる。
魔力を取り込んだ炎はなかなか消えないので、種火として保存も出来るのだ。
鍛冶を生業にするものとしては、竜人族に出会えた時にほぼ必ずお願いする事であった。
そして、それに快く応える竜人族は少ない。
「……随分と大盤振舞だな。おめーの方の取り分が、少なすぎるじゃねぇのか?」
「兄さんのような立派な竜人族にお願いするには、まだまだ足りん位だろ」
神官の言葉に、洋太郎は息を吐く。
「工房と一部屋借りるんだ、大銅貨二枚は出すぜ。飯は適当に食いに出るがな」
「飯の方は、確かに外で食った方が良いだろう。オレも、外で食ってるからな」
話は決まったと、洋太郎はにやりと笑う。
「俺は洋太郎、あいつはシアだ」
「オレはバルド。リージアン神に仕える神官にして、この店の主人だ。どこぞで珍しい鉱石を見つけたら、こっちでも買い取りをするからな」
バルドと名乗った店主に頷き、洋太郎は彼と握手を交わす。
「賃貸契約とか必要なら、商業組合へ行って契約書を作って来るぞ。ついでに、奥の部屋に一つ貴重品を保管する箱も貸し出すからな。他にも必要なものがあるなら、色々と言ってくれ」
「ああ、書類は作っておいた方が良いだろ。その他の方は気がついた時には遠慮なく言わせてもらうぜ。シア、暫くこの家に厄介になるぞ」
「分かりました」
室内をうろうろと見て歩いていたシアは洋太郎の言葉に頷き、バルドを見る。
「家主だ、挨拶しろ」
「よろしくお願いします」
シアは頭を下げ、挨拶をする。
バルドはシアの無愛想に過ぎる態度を特に咎めることなく、ああと頷く。
「お嬢ちゃんが飯を作れるなら、オレとしてはありがたいんだがな」
「高望みすんじゃねぇ」
スパッと洋太郎はバルドの言葉を切って捨て、ふっと気づく。
「……部屋一室だったな」
「ああ、二人で一室だ。特に問題はねぇだろ?」
ドワーンの言葉に、洋太郎はしばし思案してから頷く。
どのみち、シアを一人で置いておくことはできない。
服の着方や身支度の仕方などは一度教えているのでできるが、風呂に入って体を洗うなどの作法は全く知らないのだ。
ちなみに、これは朝の身支度の時にシアから聞いて分かっている事だ。
どうやってそのあたりの問題をクリアするかに頭を悩ませつつ、洋太郎は問いかける。
「部屋の鍵やらなんやらは、どうしたらいい?」
「鍵はオレが持っているからな、契約書を作ったら渡してやる。便所は奥の鍛冶場手前の扉で、風呂はその向かいだ。洗濯は風呂場でしてもいいが、干す時は庭で頼むぜ。それか、浄化の魔道具を修理して使ってくれ。魔道具制作用の道具は、全部持って来ておいてやるがそっちは貸し出すだけだ。自分のが欲しけりゃ、オレに依頼するなり専門店で買って来い」
「随分と、理解があるな」
洋太郎の感想に、バルドは小さく笑う。
「嫁が魔道具職人だったって言ってんだろ」
そう言ってから、バルドは洋太郎を見上げる。
「先に契約書を交わして、鍵を渡してやる。ちょいとばかり時間がかかるから、半刻ほど経ってからまた戻って来い。そっちの嬢ちゃんにも、準備は必要だろ?」
「ああ、そうだな」
洋太郎は頷き、シアを伴って廊下に出る。それから店側に足を向けるが、バルドに呼び止められる。
「店側から、あんまり出入りせんでくれ。こっちの裏口からの方が、部屋は近いからな。あと、鍛冶場は嬢ちゃんが入るのは禁止だぜ。女は不浄とは言わんが、怪我をされても困るからな」
可愛らしい見た目のシアが、火の粉が飛んで火傷をしてはいけないだろうというバルドなりの気遣いだ。
洋太郎は頷き、バルドが案内するまま裏口から外へと出る。
「契約は店の方で受けるから、またそっちから入ってくれ。裏口は、正式にお前さんたちが下宿する事になったら部屋と裏口の鍵を渡すからな」
「ああ、了解したぜ」
バルドの言葉に頷き、洋太郎はひとまず武器屋の裏口から立ち去るのであった。
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