第15話

 朝市からはやや外れた時間帯だが、市場はかなり賑わっていた。

 このイグニスの町は国境付近に作られた町で、かなり人口が多い。また、行商が多く立ち寄る宿場町としても栄えているので新鮮な品物や珍しい物が市場に並べられている事も多い。

 殆どガラクタと言った物が手が出ないほどの高額で売っていたり、逆に物凄く質の良い物が本来の価格以下で売っている事もある。

 そんな玉石混交と言った雑然とした市場を、洋太郎とシアは並んで歩いていた。

 保存食や新鮮な野菜の類は既に購入しており、人目の付かない場所で洋太郎の背負い袋に収納してある。

 今はシアの鞄を拡張する為に必要な素材を探し、歩いている最中だ。

 調味料の類は食料類を購入した店の近くに珍しい香辛料を取り扱った露店があり、そこで購入済みだ。

 その店では最近店主が保護した異世界人が配合したカレー粉なるものがあり、実際それを調理したものが近くの串焼き屋で使用されておりかなり良い匂いをさせていた。

 香りで敵に気が付かれる可能性があるので洋太郎は購入に難色を示したが、串焼き屋で食べたカレー粉焼きはなかなか美味かったので結局は購入してしまった。

 その後は食料類がまとまった市場からは移動し、服飾や装飾品などを飾る市へと向かった。

 結構大きな市場故か、ひしめき合うとまではいかないがかなりの人が行きかう中を逸れぬ様にと洋太郎とシアは手を繋いで惹かれる物が置いてある露店を覗いて歩く。

 今覗いた露店は布や糸を扱っており、貴重な真銀糸とシルクスパイダーの糸が結構な安値で売っていた。

 しかも、希少なアルケニーの糸も普通では考えられない程の量で売られていた。

 アルケニーは妖魔に属するが、高い知能を持ち合わせている。

 巣を張り、罠を作って待ち受けるのは蜘蛛と全く同じである。だが、精霊術をまれに使う個体がいるため、油断しているとあっさりと殺されかねない危険な魔物である。

 アルケニーの糸は真銀糸と同じくらい、魔力との親和性が高い。だが、討伐対象としての強さからかなりの高額になってしまうのだ。

 シアと洋太郎が出会ったこの露店は一般の店よりも遥かに安く、見分けがつかない人間には詐欺だろうと思われていた。

 もっとも、洋太郎だけでは無くシアも物を見る目が養われていたので、本物である事は分かった。しかも、かなり上質である。

 シアは上質な素材がある事に驚きながらも本来の値段を知らないらしく、若干表情を緩めながら店先の物を殆ど買い占めてしまう。

「これが掘り出し物なのですね、良い買い物をしました」

 帳簿を見た限り、貯金の半分近くを糸で使い切っている。

 洋太郎は何とも言えない表情でシアの頭を撫でてから、ちらりと糸を売っていた露店の店主を見る。

 微笑ましいと言った表情の青年の肩には、細く煌めく糸が見えている。

 それはマーキングで、アルケニーの獲物ないし伴侶であると示すものだ。

 アルケニーには突然変異的に、穏やかな個体が生まれる事が稀にある。そう言う個体は伴侶を求める。

 あの露店の青年はおそらく、アルケニーに協力してもらって糸を採集しているのだろう。そして恋仲なのだろう。

 そんな事を思いつつ、洋太郎は青年に問いかける。

「随分と良い糸だが、本当にこの値段でよかったのか?」

「え? ええ。移動費と宿代と、人件費を除いた儲け分はしっかりと出ています!」

 全開の笑顔で言う青年に、洋太郎はひくりと頬を引きつらせる。

 田舎者ですと物語る青年の格好と、人の良さそうな笑顔は騙されやすい人種の可能性が高い。

 そもそも、糸の相場が分かっていないのはかなり危険だ。

 今日一回だけなら、全く問題はない。だがしかし、これが二回・三回と続けばトラブルに巻き込まれる事は確実だろう。

 洋太郎の知った事ではないがしかし、おそらく穏やかな性情であろうアルケニーが哀れな事になる未来しか見えない。

 洋太郎はとりあえず、問いかける。

「これからも、露店を開くのか?」

「はい! その……次は嫁が織った布を持って来ようかと思っております」

 はにかんだ笑みを浮かべ、青年は洋太郎の質問に答える。

 その回答に、次は確実にトラブルに巻き込まれるだろうと洋太郎は判断した。

 仕方が無いと嘆息を零しつつ、洋太郎は口を開く。

「店主、後でまた来るぜ。露店が終わっても、この場所で待っていろ。シア、とっとと必要なもんを買いに行くぞ」

「え? はい?」

 洋太郎の突然の言葉に店主は戸惑いながら首肯し、シアは怪訝そうに小首を傾げながらも了承する。

「わかりました。では、あちらの方にある魔宝石の原石を置いている店へ行きましょう」

「ああ。じゃあな、店主」

「は、はい。ありがとうございました!」

 シアに手を引かれながら、洋太郎はシアが示した店へと歩く。

 彼女の目当ての店は、魔宝石の原石をいくつも並べた露店だ。

 人ごみを横切り、どうにか到着した露店の前には足を止める人は殆ど居ない。

 その店の前にしゃがみ込み、シアは並べられた魔宝石の原石をまじまじと見ている。

 店主が店先に居ない為、手に取る事はしない。

 店番が居ない露店で品物を手に取ると、トラブルの元になるからだ。

 洋太郎はしっかりとその辺を言い含めていたので、きちんと理解できるシアは言いつけを守っているのだ。

 そこに、低く落ち着いた声が話しかけてくる。

「いらっしゃい。手に取って見ても、大丈夫だよ」

「はい」

 シアは顔を上げずに頷き、気になっている魔宝石の原石を手に取る。

 洋太郎の竜眼には、シアが手に取ったその原石がかなり上質であるのが見て取れた。

 竜である洋太郎には、軒先に展示されている原石の殆どが質の良い物であるのが分かった。

 本来の種が財宝をため込む性質のある竜なのだから、物の良し悪しが分かるのは当然だ。

 その中で、一際質が良いと感じられるのは今まさに、シアが持っている魔宝石の原石を含めた数点だ。

 洋太郎はそれを指摘するかを悩んでいると、店主らしき声が小さく喉を鳴らす。

「お嬢さん、質の良い物を探しているならルーペが必要だろう? これを貸すから、使ってみると言い」

 そう言いながらルーペが差し出されるが、その手はシアの物よりも若干小さい。

 洋太郎は片眉を上げ、店主を見て目を瞠る。

 店主の身長はシアよりも小さく、成人前の子供ほどしかない。顔立ちも幼く、それだけ見れば人間の子供のようだ。

 だがしかし、人間の子供とは決定的な違いがある。

 額のやや上部から角が生えており、耳は少々尖っている。

 彼の同族を見たのは、洋太郎が休眠状態に入るより前に一度きりであった。

 その時は洋太郎と同じ種の一人に紹介されたのだが、彼らはこの世界に来たばかりの種族で酷く戸惑っていたのを覚えている。

 あの当時では五百ほどしかいないと聞いて居たが、この辺りまで来るという事は人数が増えたのだろう。

 洋太郎が物思いに耽っている間に、シアは店主の容姿など気にせず淡々とルーペを借り原石を見ていた。

「もっと見ても良いですか?」

 上質な魔宝石の原石に興奮しているのか、シアは店主にそう声をかける。

「ああ、客が殆ど足を止めないからね。気が済むまで見ていていいよ。そのついでに、買ってくれたら嬉しいけどね」

 悪戯小僧のような表情を浮かべて笑い、店主は言う。

 冗談交じりの台詞であったが、本心だろう。

 洋太郎はそんな二人のやり取りを見ながらシアの隣に腰を落とし、店主をまじまじと見る。

 店主はシアから洋太郎に視線を移し、驚いたように目を瞠る。

「竜人族にお目にかかるとは、都会に出るもんだね」

「こちらも、デフトに出会えるとは思わなかったぜ。おめーらは南の大陸で居を構えているとばかり思ってたからな」

 洋太郎の台詞に店主は苦笑し、うんうんと頷く。

「南の大陸だけじゃなく、他の大陸も見てみたいって事で好奇心旺盛な一族数組で散らばっているんだ。その中でも僕は、より好奇心が強い。だから、魔宝石の発掘でお金を稼ぎながら冒険者登録ができるようになるのを待っているんだ」

 この言葉に、洋太郎は片眉を上げる。

「成人しているんだろ?」

「もちろん。ただ、デフトは少数種族扱いだったからね……成人の年齢が分からないって事で待たされてるんだ」

 店主は肩を竦めて笑い、シアが物色している魔宝石の原石に苦笑する。

 シアが今手に取っているのは小さめで、一般的には屑石に類する。

 しかし、洋太郎の眼にはこの石がこの店で一番良い物に類するのを見分けている。

「質が良い魔宝石がいっぱいあります、洋太郎」

 シアはルーペを外し、頬を染めながら洋太郎に訴える。

 ここにある石を買い占めたいと語るその眼に、洋太郎は頭を振る。

「おめーの財布と相談だ。その中で、買えるようにしろ。ただし、家賃と食費分は忘れるなよ」

「……はい」

 しょんぼりと肩を落とし、シアは欲しいと強く思った原石を数点取り分けてから財布を取り出し悩み始める。

 掘り出し物の店である事は確かなのだが、先ほどの店で散財した分購入するのは少なくなるだろう。

 洋太郎はそう考えてから嘆息し、店主を見る。

「今こいつが選んでる石の中で、どれが一番高い?」

「ええっと、この石かな。この石は銀貨一枚で、これとこれは大銅貨五枚。一番小さいのは大銅貨三枚で良いよ」

「掘り出し物ではあるが、やっぱり魔宝石だな。良い値段しやがる」

 洋太郎は苦笑しながら言い、財布から銀貨を一枚取り出す。

「この石は俺が買ってやる。後はおめーが買え」

「はい、ありがとうございます」

 シアは洋太郎の言葉に淡く微笑み、嬉しそうに財布からその他の原石分の銅貨を取り出す。

「お買い上げありがとうございます。ポンと銀貨を出せるなんて、凄いですね」

 一般人の生活費は銀貨二枚が平均だ。

 それをあっさりと出せてしまう洋太郎に思わずそんな事を言ってしまうのは、仕方が無い事だろう。

「この半年でしっかりと稼がせてもらっているからな、どうにかなったという話なだけだ」

「魔道具を販売している方なのですね、羨ましい事です」

 洋太郎の言葉に店主は心底羨ましげに言い、小さく嘆息する。妙な勘違いをされた事に洋太郎がムッと唸ると同時に、シアが頭を振る。

「いえ、私と洋太郎は冒険者です」

「え? 冒険者の方が、魔宝石の原石を?」

 思わずと言ったように、店主が呟く。

 普通の冒険者はまず、魔宝石の原石など買わない。

 例外は魔術師くらいだが、彼らは専門の業者を頼る為市などには殆ど足を運ばない。

 不思議そうな表情を浮かべる店主に、洋太郎は嘆息しつつ告げる。

「気にするな」

「あっ……そうですね。失礼いたしました」

 客の詮索をするのは失礼に値するので、店主は頭を下げて謝罪する。

 それに洋太郎は手を振る事で気にしていないと示し、買い取る原石を包むように無言で促す。

 デフトの男性は慌てて原石を小さな布に丁寧に包み、小さく荒い麻布の袋に一つ一つ入れてシアに手渡す。

「ありがとうございます」

 シアはほんのりと嬉しそうな表情を浮かべ、代金を手渡す。洋太郎もまた財布を取り出し、銀貨を一枚取り出し店主に手渡す。

「こちらこそ、毎度ありがとうございます。僕が採集したもので、こんなに喜んでいただけたなら嬉しいですよ」

 店主も嬉しそうに微笑みながら、そうシアに告げる。

 洋太郎はその言葉に、感心したように呟く。

「鉱脈を見つけられるのか」

「はい。そこそこ良い鉱脈が眠っているところが多いので、今の生活の糧ですね。この魔宝石を研磨できれば、もう少しどうにかなるんですが……」

 店主の返事に洋太郎は小さく眉を顰める。

 人族が鉱脈などを見つける為には幸運が多大に必要になるが、彼にはどうやら何らかの手段でそれを探し出し、尚且つ判別する能力があるようだ。

 その特徴を種族全体で持っていた場合、面倒な事になるのは明白だ。むしろ、この世界に避難してきたと言うのに再び恐ろしい目にあわせてしまいかねない。

 洋太郎は嘆息を飲み込み、問いかける。

「ところで、その話は来る客全員にしているのか?」

「いえ。貴方に初めて話しましたね。誰彼構わずするお話ではありませんからね」

 洋太郎の質問にいたずらに成功した子供のような表情で笑うデフトの男性に、彼は見た目以上に経験を重ねているのだろうと推測できる。

 デフトはある意味でアルフやアールヴに似た性質を持っていて、寿命は短いが青年期が長い。

 それ故、彼はそれなりの齢を経たデフトなのであろうと洋太郎は思いながら頷く。

「当たり前だ。そんなことを話せば、心無い人間に拉致されかねねぇからな」

「その通りです」

 デフトは苦笑しながら頷き、改めて自己紹介をする。

「僕はロートと言います、これからもどうぞごひいきにお願いします。竜人族の方」

「ああ。とはいっても、俺よりも連れの方がひいきにするだろうけどな」

 洋太郎はそう言って、まだ熱心に魔法石の原石を物色しているシアを見る。

「そのようですね。嬉しい事です」

 にこりと笑うロートを、洋太郎は改めて見る。

 露店を出す為にそこそこ清潔な服装ではあるが、着古した感が否めない。

 また、顔色も良いとは言い難い物で、魔法石の原石の売れ行きがあまりよろしくないのであろう事は見て取れる。

 シアが購入した事によって生活が多少楽になったとしても、それは一時的なものだ。根本的な解決になっていない。

 冒険者登録をした所で安定とは言い難い生活が待っているのだが、それでもそちらへ進むことをやめないという事は自信があるからなのだろう。

 そう思った洋太郎は、ロートに問いかける。

「ロートだったな。他に、何が得意だ?」

「え?」

 唐突な質問にきょとんとしたロートは、慌てて応える。

「いわゆるスカウトと呼ばれる人達程度の事は出来ますよ。あと、レンジャーの心得もあります。祖父や両親の世代では、その心得が無いと死んでしまう事が多々あったようなので幼い頃から叩き込まれました」

「そうか。冒険者をやるなら、その辺りは持っていても損はない。戦闘技術でもあるしな」

 洋太郎の言葉に、ロートはハイと頷く。

「もっとも、僕たちは非力なので戦闘は一撃必殺を狙うしかないので手加減ができません」

 肩をすくめ、物騒な事を飄々と告げるロートに洋太郎は小さく笑う。

 肝が据わっているその姿から、それなりの修羅場を潜っているのは見て取れた。

「交渉事も得意か?」

「もちろん、でなければここで店なんて開いてませんよ」

 ロートはにやりと笑い、洋太郎に応える。

 幼げな面に乗せられたその笑いは、悪戯っ子のようであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

竜の愛でる花 紫焔 @x6sien8xx

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ