第10話 ノーグル村

 これは運命なのだろうか。

 馬車に揺られ、ノラは呆然と動いてゆく景色を眺めながら考えた。

 魔獣ノーグルが初めて出た村、それがノーグル村。魔獣の名前は、その村の名前を取って名付けられたのだ。

 コーラスメラから馬車で三日。もう間もなく目的地のノーグル村が見えてくるだろう。

 ノラはコーラスメラを離れることを領主モーリスにきちんと告げておいた。これまでの経緯に、考え、それらすべてを説明すると、渋々ながらモーリスも許してくれたのだ。そして、今乗っているこの馬車を貸してくれた。手綱を握るのはケンだった。

「ノーグル村の生き残りはいないのでしたね」

 ノラは頷く。

「一人いたのですが、もうすでに」

 報告書では一人いたとあった。だが、その後負っていた怪我が悪化して亡くなってしまったという。

「神父様はノーグル村には?」

「初めてです。行ってみたいと思っていたのですが、それより先に他の患者の方のほうを優先いたしました。それに、ソロモンさんも心配ですからね」

 コーラスメラからノーグル村は馬車で片道三日。往復なら一週間かかってしまう。テオには馬車という交通手段がなく、出向くとするならすべて徒歩である。そうなると馬車以上の時間を要し、ソロモンに栄養を補給する法術が間に合わなくなる。だから、ノーグル村を訪れることが叶わなかったのだ。

「ケンさんはノーグル村を知っていますか?」

「いえ、自分も詳しくはありません。訪れるのも初めてです」

 そうこうしているうちに三人を乗せた馬車から小さな家々が見え始めた。


「これは……」

 あまりの惨状に言葉を失う。

 ノラたちはコーラスメラの下町が魔獣に壊されたのを見た。しかしこの小さな村はそれより酷い有様だったのだ。家という家はすべてなぎ倒され、四年という歳月の間に朽ち果てかけている。家畜が入っていたであろう柵は木の棒が立っているだけで、近づいて柵だった欠片を見つけてようやくそれが柵だったと気付く有様。村中に草が生え、廃墟と化していた。

 人が住まないだけで、あっ気なく村というのは滅びてしまうのだ。

「巫女の社ってどこでしょうか?」

 見渡してもそれらしい建物は見つけられなかった。

「あ、それ自分が場所を聞いてきました」

 さすが気が利くケンである。事前にローザから詳しい話を仕入れてきたようだ。

「巫女の社は村外れ、ほら、あの崖の方にあるらしいですよ」

 何でも、あの崖には洞窟があり、そこが巫女の社として使われているのだそうだ。社というので、修道院のようなものを想像していただけに、なかなか衝撃である。

 三人は村の背を守るようにそびえる崖に向かう。草を掻き分けながら進むが、ノラもテオも丈の長いローブを羽織っているためになかなか大変だった。

「それ、脱いだらどうですか?」

 一人だけ身軽な格好のケンが、振り返って二人に言った。

 彼はもう何度も立ち止まって振り返り、二人が追いつくのを待った。ノラもテオもそうだが、ケンもあの裾の長いローブを疎ましく思っていた。

「それはできませんよ」

 ノラが苦笑いを浮かべる。

 魔術師は黒いローブを着るもの、法術師は白いローブを着るものと王国法で定められているのだ。ここには三人しかいない。脱いでもいい気がするも、魔術師としてのプライドがそれを許さない。

「いっそ燃やしたらどうでしょうか?」

 と、テオが言う。

 ノラが魔法で焼き払ったら、確かに裾を草に引っかかることはなくなるだろう。

「これだけ草が広がっていたら村ごと燃やしちゃいますよ」

 ノラは火も魔法で自在にできる。しかしノラの実力では火が広がりすぎたら制御できなくなってしまう。燃えやすい草が生い茂っているなら、すぐにノラの手に負えなくなる。

「なるほど、それなら仕方ありませんね」

「でも別に火事になっても大丈夫でしょ。すぐ傍に川が流れていましたし」

「えっ、川なんてありましたか?」

 村ばかり見ていたノラは気付かなかった。

「ありましたよ。コーラスメラの傍の川よりは小さいですけれど。もしかしてここの川はあそこに繋がっているのですか?」

「方向からしてそうですね。あー、舟があるといいですね。帰りが楽になりますから」

「馬車はどうするんですか」

 ケンはテオの言葉で、ようやく馬車が領主からの借り物だと思い出した。


「あれは、教会……?」

 草を掻き分けながら進む三人の前に、思わぬものが現れて、足を止めた。

 石造りで、三角屋根を持ち、鐘楼が後ろに聳える崖と同じくらいの高さまでそびえている。鐘は鈍い色をしていて、遠目からもさび付いているのが分かった。そして、正面には教会の紋章がはめられている。

「まさかそんな。ここにはコーラスメラにしか教会がなかったはず」

 神父のテオがとても驚いていた。ましてや、ここは精霊と心を通わした巫女が住んでいたという場所のはず。教会など、最もありえない場所である。

「どうして?」

「分かりません。こんなの、聞いてない」

 ケンも知らないようだった。

「ともかく入ってみませんか? どっちにしろ、今日の泊まる場所を見つけなければならないんだし」

 その教会は村と同じように四年間放置されていたようだ。分厚い扉を開けるとむわっと埃が舞い上がった。

 ノラがくしゃみをして、鼻をすすった。

「これは、ひどいですね」

 ほこりにくもの巣で真っ白になった教会の中を見渡して、テオが顔を引きつらせた。

 村を見回したが、今日泊まれる場所としてはこの教会が一番適当だ。しかしすぐに使えるわけではないし、掃除をしようにもすでに日が傾き始めている。

「手っ取り早く済ましてしまいましょう」

 男二人にノラが微笑んだ。

 ノラはケンに教会の扉を全開にさせて、自分は教会の一番奥に立つ。危ないから二人には教会の外で待っていてもらう。奥に来るまでに革靴もローブも髪もほこりで白んだ。早いところ終わらせてしまおう。朝起きたら、くもの巣が髪に付いていたなんてぞっとする。

 ノラは目を閉じ、風に干渉した。すぐに何かと繋がる感覚。ノラは風を捕らえた。

 捕らえた風をかき集め、自分の限界に迫るまでじっと待つ。そして、抱えた風をすべてを吹き飛ばす勢いで解放した。解き放たれた風は開け放たれた唯一の出入り口を目指す。開け放たれた扉に殺到する風。しかしすべての風が一度に出て行けるわけではなく、教会内を暴れまわる。くもの巣を剥ぎ、ほこりをさらう。そして、それらを体に纏わせたまま次々に外へと吹き抜けていった。

 仕上げに強い風であちこちを撫でまわし、その風も外に出して、ノラの風での掃除が終わった。

「終わりましたよ」

 ノラは明るい声で外の二人に呼びかける。

「見事ですね」

「神父様、簡単な法術をお願いできますか?」

「もちろんです」

 テオはさっと法術を使う。

 ノラは大まかな掃除をしたが、それでは完全に綺麗ではない。テオの法術で清潔にしてもらうのだ。法術は医療に特化した技。だからあらかた片付いた部屋を病傷人が過ごしやすいように清潔にするのも朝飯前だ。

「すげぇ……」

 ケンは魔法と法術、その二つの技術を目の当たりにして、ただただ感動していた。

「自分も魔法、使えますかね。何でしたら法術でもいいですけど!」

 ノラとテオはお互いに顔を見合わせた。

「魔法は先天的な素質によります。遺伝要素でもありますが……。法術の方はどうなんですか?」

「こちらも同じですよ。魔法も法術も似ていますから。一説によると、魔法と法術はただ向きが違うだけで、根本は同じものだそうです。最も、法術は技の腕だけでなく医学の修得も必須です。目指すなら相当の覚悟が要りますよ」

 法術がない法術師はただの医者だ。そして、医者さえも並みの努力でなれるものではないので、ケンはわざとらしく話題を変えた。

「今日はもう日が暮れかけてるんで、巫女の社探しは明日ですね」

「そうですね。崖にあるというなら、ここを拠点に崖を伝っていけば見つかるでしょう」

 ふと、ノラが村の方に目をやると、影にしては不自然な黒の塊を見つけた。

「あれ?」

 ノラだけが開け放たれた扉の外を見えていた。ケンもテオもそちらに背を向けており、ノラの視線を追ってようやく振り返る。

 そしてノラ同様、不自然な黒の塊を見つける。

「嘘だろ!?」

 叫び、飛び出したのはケンだ。

 教会の扉に飛びついて、重々しい扉を慌てて閉めようとする。

「テオ、手伝ってくれ!」

「ええ!」

 なぜこんなところに。

 黒の塊は魔獣だった。真っ直ぐノラたちのいる教会に向かっている。徐々に大きくなる黒の巨体。

 二人がかりで両開きの扉、左右どちらも締め切った。外開きだったから押し開けられるということはないだろう。

 扉を閉め切ってすぐに大きな音と衝撃が扉を叩く。

「うおっ!」

「逃げましょう」

「どこに!?」

「ここより奥のほうがマシでしょう?」

 三人は教会の奥、神像に駆け寄った。

「何でこんなとこに魔獣がいるんだよ」

「分かりませんよ」

 魔獣はいつか城壁にそうしていたように、教会の扉にその巨体を打ちつけた。扉が揺れる。教会が震え、ほこりが散った。

「教会、持つでしょうか?」

「持ってくれたらいいのですが」

 いくら石造りとはいえ、小さな教会だ。すでにあちこちから嫌な音が聞こえてくる。

 ほこりだけではなく、砂や、拳大の石も落ちてきた。

「ノラ様、ここから攻撃ってできないんですか?」

「できないことはありません。でも……」

「何かあるのですか?」

「私が今捕らえられるのはこの教会の中の風なんです。ですから教会の外の魔獣に風をぶつけるなら、教会の外の風でなければならないんです」

 ノラの実力ではそれが精一杯。せめて教会の壁が一部でも壊れてそこから外の風に干渉できるならいいのだけれど。だが教会の一部とはいえ、壊れたらそれはノラたちの窮地でもある。そこから教会が崩れていくだろう。

 それぐらい、魔獣の体当たりが力強いのだ。

「なるほど……」

「バリケードを作ろう。時間稼ぎになるだろ」

 ケンは礼拝用の長いすを扉の前に押し出し始めた。長いすは木製だが、彼の言う通り時間稼ぎにはなるだろう。

 それなら、ノラも手伝えた。小柄で、細腕のノラだったが、教会の中の風でケンとノラの背中を押す事ができる。

 そして、そのときだった。

 背後から風の流れを感じ取った。

 教会は石とガラス、壁や窓などで完全に外から密閉されているはずだが、どこからか風が吹き込んでいる。風に干渉した瞬間に察した。ノラの背後にはノラより少し大きな神像がある。

 神像の向こうは教会の紋章が織られたタペストリー。タペストリーは壁と床にしっかりと固定されている。

 もう一度風を確認しても、やはり風に流れがある。

 ノラは風を手放して、鞄に手を突っ込んだ。

 風による後押しがなくなり、ケンがノラを振り返る。

「ノラ様?」

 ノラは鞄からマッチを取り出し、火をおこす。魔法で火をおこすこともできるが、こっちの方が手っ取り早いし、疲れない。そして、ノラはマッチの火に干渉して、その火をとらえた。

「どうしたのですか?」

 三つの長いすを積み上げ、何とかバリケードらしきものを作り上げたテオがやってくる。そんな彼の前で、ノラは神像の後ろ、しっかりと固定された教会の紋章のタペストリーを燃やした。

「ノラさん!?」

 神父のテオが悲鳴のような声を上げ、魔獣の体当たりが教会を揺らして、あの分厚い扉に大きなひびが入った。

「見てください」

 ノラが火を解放すると、火は燃えるものがなくなって消えた。そして燃やしたタペストリーの下に人の腰ほどまでの高さの木の扉があった。こちらも教会の出入り口のように頑丈そうな分厚い扉だった。

「ここから風が流れてくるのです。きっと別のところに繋がっているはずです」

「行きましょう。ここはそんなに持たない」

 ケンが扉に飛びついて、開く。どうやら広い空間に繋がっているようだ。こうなれば、とにかく逃げるしかあるまい。

 三人がそこに身を滑り込ませて小さな扉を閉め切った後、教会の扉がその前に気付いた長いすのバリケードを吹き飛ばして砕かれる音。

「灯りを出しますね」

 テオは法術で光源を作り出す。

 ノラが魔法で灯りを出しても良かったが、テオが出した灯りの方が明るかったのでやめた。

 光源が辺りを照らす。

 小さな扉の向こうはさらに奥へと続く洞窟だった。

 小さな扉の向こうで破壊音が響いた。

「とにかく行きましょう。扉は小さいけれど、もしかしたらということもあるかもしれません」

 三人は頷きあい、とにかく洞窟を奥へと進み始めた。

 長い洞窟だった。あの小さな扉は、魔獣にはとてもくぐれなかったのか、離れてゆくにつれて音が小さくなり、やがて聞こえなくなった。

「この辺までくれば、もう大丈夫ですかね?」

 ケンの表情は明るい。

 腰から下げた剣からようやく手を離した。

 耳を澄ませても、もう破壊音や暴れる音が聞こえない。どうやら逃れられたようだ。

「良かった」

「みなさん具合が悪くありませんよね?」

 ノラもケンも首を振る。どうやら穢れも受けなかったようだ。

「災難でしたね。まさか遭遇するとは思いませんでしたよ」

 状況が悪かった。こちらが有利な位置にいたのなら戦えたのに。

 ノラは気を取り直して、洞窟の奥を見る。ここまでかなり歩いてきたが、まだ先がある。テオの光源でもその先がどこまで続いているか分からなかった。

「ともかく、いけるところまで行きましょう。行き止まりだったら戻ればいいんですし」

 幸い、食料はケンが担いでいる。

 すぐに飢え死にということだけはなさそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る