第11話 壁画

「この洞窟、もしかしてこれが巫女の社ではないでしょうか?」

 ノラが言った。

「ここが? でも教会があったじゃないですか」

「それは目くらましかもしれません。まさか教会の裏にあるとは思いませんし」

「テオは怒らないんだな。ノラ様だってタペストリーを燃やしたのに」

「あ、あれは……!」

 普段のノラなら考えられない行動だった。指摘されて、慌ててテオを伺う。テオは穏やかな顔で、ノラを慰める。

「大丈夫ですよ。あの状況なら仕方ありません。それに、ノラさんの機転のおかげで助かったのですからね」

「ありがとうございます」

「それに、教会があったことがここが巫女の社だという証明にもなるでしょう」

「どういうことだ?」

 テオは説明してくれた。

「教会が前任者への目くらましだとしたら、せっかく建てた教会を無碍なことをしないでしょう? タペストリーだって弄らないでしょう。まさかその後ろに巫女の社という特に壊すべきものが隠れているとは考えないでしょう」

「じゃああの教会は全部前の神父のために建てたってのか? とんでもないな」

「でも、そのおかげでここは守られたのでしょう。ノーグル村の人々にとって、ここは何としても守らないといけない場所だったのですよ」

「ところで巫女はいたのでしょうか?」

「いや、いないって」

 ノラの疑問にケンは即答した。

「ローザ様にも聞いたんだよ。巫女はどうなったんだって。そしたら前の巫女がローザ様の小さな頃にいて、その人が最後だったって。何でも巫女って受け継ぐものではないんだってさ。精霊と心を通わせたら巫女って呼ばれるけど、いるときもいないときもあるんだそうだ。いたら便利だなってことらしい」

「そこまで重要ではないのでしょうか?」

「あくまで橋渡し役ということなのかもしれませんね」

 そうして、三人が洞窟を進んでゆくとやがて周りの壁に色が混じり始めた。

「これ、顔料ですね。自然のものではなさそうです」

「絵ですね」

「へぇー」

 テオは光源をいくつも出し、辺りの壁を見やすく照らした。

 それまで灰色だった洞窟の壁、天井は色とりどりの顔料に彩られ、目を楽しませた。

「すげぇな。こんなの、あったんだ」

 ケンも知らなかったようだ。興味心身に壁の絵を眺める。

 ノラも光源を一つ引き寄せ、壁の絵を覗き込む。

 その絵のタッチは独自のものだった。教会の宗教絵でも、王国主流の絵画のものでもない。素朴で色とりどりで、そして人々の生活を描いたものだった。

 あるものは麦を育てる畑、育てている農夫、収穫する若者を描き、そのどれにも橙の波が描かれている。その橙の波は他にも描かれていた。森の中、弓矢で狩をする猟師、その人はウサギを追っているようだった。水辺で大きな鳥を狙う猟師の絵。その鳥の羽の色から、きっとセイトリームだと考えられる。そんな絵にも同じように橙の波が描かれている。他にも牛から乳を搾る絵、鶏から卵を採る絵、木から果実をもぐ絵にも。

 橙の波は、当然、画材となった洞窟の模様でも何でもない。

 そして、奥に行くに連れて、その橙の波はさらに洞窟の奥のほうから発せられているように描かれていることに気が付いた。

 洞窟の奥へ足を進めると一際大きな人がそこに描かれていた。

 半裸の精悍な顔をした男性。体のいたるところを色とりどりの花で覆われており、まるで着飾っている様でもあった。そして半裸であるが、やらしい気持ちなど抱かせない。

 その人が、絵のいたるところに描かれた橙の波を発しているようだった。

「この人が、精霊なんだ」

 ノラは気付いた。

「え、精霊様ってことか?」

「多分。それで、この橙色の波が実りの風なんです。ここにある絵はどれも収穫に関わる絵ばかりです。だったらそう考えたら筋が通ります。」

 精霊から発せられる実りの風で、人々は実りを約束される。

「だとしても、ただ実りを受けるだけではずいぶん一方的な関係ですね」

「それにおかしいです。精霊は人とは違う次元にいる存在。人と関わることがないはずなんです」

 少なくとも、魔術師のノラはそう知っている。

 精霊は世界の摂理の一部。人間というあまりに小さく弱い存在ではとても関われない大きすぎる存在。それが精霊だ。

 だから、未だにここに描かれた精霊様がノラの知る精霊と同じものとは思えなかった。

 だが、実りの風という偉大なことを成せるのも、精霊なら可能であるのだ。

 精霊様の壁画を通り過ぎると、まだ壁画は続いていた。だが、今度の壁画は別のことで目を引かれた。それまであまり使われていなかった青色がいたるところに使われていたのだ。

 青い花、青い水それがいたるところに描かれている。

 橙色の波もある。それは通り過ぎた精霊様から発せられるように描かれてもいた。

 ふと、地面に近いほうに黒く文字が並んでいることに気が付いた。光源を引き寄せ、しゃがみこむ。ローブの裾が地面に付こうと、今更気にならない。

「古代語だわ」

「本当ですか!?」

 気が付いたのは嬉しいが、生憎なことに古代語の辞典をホテルにおいてきてしまった。辞典は分厚くて重いし、荷物にしかならないと思ったからだ。

 まさかこんなところで必要になるとは思わない。

「読めますか?」

「少しだけ」

 ノラの頭の中にあった知識では、『水』『穢れ』『風』『お礼を言う』という文字を拾い上げた。

 一番最後の単語は、きっとローザが教えてくれたお祭りの名前だ。だからそのままニーリルグールと読んだほうがしっくりと来る。

「神父様、ここにもケデネ……穢れという文字が出てきます」

「何と……。それではこれを描いた人は穢れを知っていたのですね?」

 古代語から得られる情報はそこまでだった。後は上の絵から足りないものを得よう。

 絵は橙色の波に人々が桶の中の青い水を掛けている絵だった。

 青い水は、ただの水ではなさそうだ。これまで見てきた絵でも水が描かれていたが、もっと薄い色だった。だから、これは特別な水に違いない。

「待ってくれよ。これ、祭りの絵じゃないですか?」

「ニーリルグールってことですか?」

「なるほど。ローザさんの話と符合しますね」

 ローザはニーリルグールという祭りを、ソルロの花を浮かべた水をとびきり強い風にかけると言った。その風は精霊であり、精霊に水をかけるのだと。

「やっぱり、祭りは大事なものなんですね。だからこうして描かれているんですよ」

 ノラは絵を見つめながら考えた。

「神父様、穢れってどんなものですか?」

「穢れ、ですか? 前にお伝えしたとおり、魂の灰などと言われている物です」

「それって目に見えますか?」

「いいえ。見えません。触れることもできないといわれています。ですが、人が生きていると必ず発せられるものです」

「そんなものがどうして人の具合を悪くするんだ?」

 ケンが言った。

「分かりません。どのように作用しているのか調べられていないのです。ですが、確かに不調を引き起こすとされているのです」

「では穢れとはどうやってあるかないかを調べるのですか?」

「以前に、メルトノオス試験紙に反応すると聞いたことがあります」

「何だそりゃ」

「聖獣メルトノオスの血に浸した紙のことですよ。不浄かどうかを調べるために使うのです」

「秘術の分野ですね」

 ここよりはるか南、教会の聖地で広がるという魔法とも法術とも違う技だ。ノラも話でしか聞いたことがない。ただ、聖なる力に秀でているそうだ。

「はい。ですが私もこの方面には明るくありません。そこまで詳しくありませんよ」

「仕方ないですよ。秘術なんてこの辺りで使える人のほうが珍しいじゃないですか」

「それもそうですね」

「でも不浄かどうか調べる試験紙に反応するってことは、穢れは不浄ということでしょうか?」

「それが、穢れは他の不浄かどうかを調べる方法には反応しないそうなのです」

「じゃあ何故その試験紙に反応したか、ですね。聖獣メルトノオスってあの白い小さな犬のような……のですよね?」

「ご覧になったことがあるのですね」

 聖獣メルトノオスは王都の大聖堂にいた。ノラはそれを見たことがあるのだ。そして聖獣の姿はただの白い小型犬だったことにかなりの衝撃を受けたのをよく覚えている。もっと清らかで、すばらしいものだと勝手に思っていただけに、なかなかあれは忘れられない体験になったのだ。

 だが、その白い小型犬がとてもすごい存在だと知ったのはアカデミーに入ってからのことだった。

 教官がその聖獣を絡めて人間の傲慢さを説明したのだ。

「人間の目に見えているものが全てではない。人は多くの情報を視覚から取り込むが、実際は目で見えない、人間に感じ取れないもののほうがずっと多いのだ。だが人は感じ取ったものだけが世界の全てだと錯覚してしまうのだ。

 諸君らは聖獣メルトノオスを知っているかね。あれが何故聖獣と呼ばれているか知っているかね。知らないだろう。あれは目で見ただけがすべてではないのだ。本当の姿は地上ではない。神のいる次元にあるのだ。私たちが見ているのはほんの一部に過ぎないのだ」

 精霊も、あの聖獣と同じように別の次元の存在であるとされる。世界の摂理の一部なのだから地上にいないのは当たり前なんだけれど。

 精霊は次元を超えることができる。ここの精霊様に限らず、各地で精霊の目撃はされている。だからこそ、精霊という存在が人々に知られているのだ。

 地上は人間のいる次元。人間が他の次元には行くことができないとされる。肉体は地上の元素の塊で、魂という純粋なものを地上に留めているからだ。純粋なものであれば次元を超えられるのだ。

 ふと、その魂から出た穢れはどうなのだろうと考えた。

 魂の灰、命の燃えカス。魂から出たなら純粋かと思うが、人に不調をもたらすなら、不浄、不純と考えるべきだ。不浄ならば、純粋なものにも良くない。

 ノラの中でまるで初めて元素を捕らえたときのような衝撃が走った。

 精霊が穢れに触れたらどうなってしまうのだろう。さらにここの精霊様は穢れを出す人間とよく関わっている。普通より穢れに触れる機会が多いはずだ。

 ぶわっと、魔獣がノラに告げた言葉を思い起こした。

『地に穢れが満ちている。私を救って欲しい』

「そうなんだ。精霊なんだ」

「ノラ様?」

 ノラは二人を振り返る。

「分かりました。魔獣は精霊なんです。人と関わって、穢れに触れて、ああなってしまったんです」

 ノラははやる気持ちを抑えて、二人に説明した。

「精霊が人と関わってしまうと、精霊は穢れに触れます。そして穢れに触れ続けた精霊が、魔獣になってしまったんです」

「なるほど、精霊が魔獣になったから精霊が起こしていた実りの風が止んでしまったということですね?」

「けど、それじゃあ何で今まで魔獣が出なかったんだ? もう何百年も精霊様と一緒にやってきたんですよ?」

「祭りをやめたからです」

「え、あのただ水をかけるだけの?」

「そうです。それが大事なんです。きっとソルロの花に何か秘密があるんです。精霊から穢れを取り払うような効果があるはずなんです。あの祭りは精霊から穢れを取り払う大事な儀式だったんです。ですがそれをやめてしまったから、精霊は穢れを抱えることとなった」

「ふむ、話の筋は通っていますね。それなら、あの魔獣にあの祭りのようにソルロの花を浸した水を掛ければいいのですか?」

「おそらく。穢れを取り払えば、精霊に戻るはずです。精霊は決してなくならない存在ですから」

 穢れによる人々の不調が広がっていたのも、この仮説で証明できる。精霊が抱えている穢れが、外に漏れ出していたのだ。精霊もどうしようもなかったのだ。

「でも精霊様とは何百年もうまくやってきたんですよ? 魔獣になったからって村を滅ぼしたり人を殺したりなんてことするとは思えない」

「精霊にもどうしようもなかったんです。ソロモンさんを思い出してください。寝ながら苦しんでいましたよね? 精霊もそうなんです。意識があっても体が言うことを聞かない。きっとそんな状態なんです」

「だとしても、どうしようもないですね。祭りを再現しようにも、ソルロの花はもうないのですから」

 三人に重い沈黙が下りる。

 かつてこの地に送られた神父がとんでもないことをしてくれたのだ。狂信者の愚行に憤りを覚えた。

「ともかく、今日はここで休みましょう。まだ洞窟の途中ですが、魔獣もやってこないなら、ひとまず安全でしょう?」

 日が暮れて大分経つはずだ。

 ケンの言葉にノラもテオも疲れたように頷いた。

 三人は言葉少なに干し肉を食べ、そして眠りについた。

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