第9話 精霊様
まだこのコーラスメラに領主がいなかったずっと昔からのことだった。
この地には精霊がいて、人々に実りの風を吹かせて、実りを約束してくれた。人々は精霊に感謝して、お礼としてソルロの花を捧げた。
「これが自分の祖母から聞いた話です。ほら、前に前の神父がここに来たのが二十年ぐらい前で、精霊様へ祈りをやめさせてしまったと言ったでしょう? だから自分が生まれてから、精霊様への祈りをしていないんで、自分もよく分からないんですよ」
「なるほど、詳しい人を訪ねる必要がありますね」
神父のテオがそう言うので、ケンは警戒した。
「まさかお前も?」
「とんでもない。私はそのようなことは考えていませんよ。それにお忘れですか? 私の目的はこの地での病の沈静化。それを成すためなら別に教会だけの力でなくても良いのですよ」
「ずいぶん寛大なんですね」
「異教狩りのことですか?」
ノラは頷いた。
王国より以東、小さな集落の異教徒を皆殺しにしているという血なまぐさい話をよく聞く。
「王国はそこまでして神の教えを広めようとはしていませんよ。私の前任者が熱心すぎただけのことです」
「そうなんですね」
「ええ、そんなことをしたとしても無駄ですから」
寛大、というより合理的。
「ケンさん、精霊様について詳しい人を知りませんか? あなたのおばあ様でも構いません」
「いや、自分の祖母はもう亡くなっています。でも、詳しそうな人になら案内できます」
そうしてケンに連れられたのは下町の外れの方にある小屋だった。その小屋は先日の魔獣が這いずったところから外れており、また城壁からも遠いので、無事だった。
「突然の訪問ですが、大丈夫でしょうか?」
「何とかなりますよ」
ケンに先導され、ノラは辺りをうかがう。
下町は土でできた建物が多く、上町のような二階建ては珍しい。王都でのスラムのようだったが、ここはまだ明るく、温かい印象を抱いた。
「ローザ様、いらっしゃいますか?」
ケンが木のドアを叩くと、一人の若い女が顔を出した。
「あら、ケンじゃないか。どうしたんだい?」
「よう、こちらの方がローザ様に話があるって。ローザ様は?」
ケンは半身引いて、ノラを女に見せる。ノラは女と目が合うと、軽く腰を落とした。
「いるよ。入りな」
女はケンとノラを招き入れる。そして、行こうか迷っているテオに
「ほら、あんたも」
と声を掛ける。
「よろしいのですか?」
「何もしないならね。今日は白いローブを着ていないんだね」
「やはり気付いておりましたか」
白いローブさえ着ていなければ自分が神父とばれないと思っていたのだろう。だが、一年半もコーラスメラにいれば、当然顔を覚えられているというわけだ。
神父のテオも女は招きいれた。
「今ローザ様を連れてくるよ」
女は家の奥へと下がる。
「あの人、ローザ様のお孫さんだよ」
ケンが説明した。
そして若い女と共に、腰を曲げた老婆がゆったりとノラたちの下へとやってくる。女は素早く動いて老婆に椅子を用意した。
「ほら、こっちだよ」
普段から世話をしているのだろう。手馴れた様子で老婆を椅子に座らせ、ノラたちにも椅子を促す。それからお茶の準備に取り掛かった。
「ローザ様、ケンです。覚えていらっしゃいますか?」
ケンがゆっくりと話しかけると、老婆はずいっと顔を上げた。
「当然だよ。昔城壁の上から落ちたケンだろう?」
ケンは渋い顔で
「そういうのは忘れていいんだけどな」
とぼやいた。
「で、こっちがローザ様から話を聞きたいって言うノラ様とテオ」
「あー、知ってるよ。ミザリーが教えてくれたからね。そっちの黒いのがセイトリームの肉を領主にがめられた子だろ? んで、白いのがあのアホの尻拭いさせられてる子だろ?」
カカカとローザは笑った。
ノラとテオは思わず顔を見合わせる。
これはなかなか食えないおばあさんのようだ。
「それで、何の話を聞きに来たんだい?」
「精霊についてです。かつてこの地で人々に崇められていた精霊について、教えてください」
「崇めるなんてもんじゃないさ」
ローザは言った。
「別に崇めてなんかいないよ。そうさね、形の違う友人ってなもんさ。麦や野菜にいい風を吹かせてくれてね。その風を実りの風って呼んだもんさ」
ノラは精霊というものを知識として知っていた。
元素を統括する上位の存在。世界の摂理の一部。精霊というものは、あるのは確かだけれど、人とまず関わるはずのないものだった。
だから、人々のいう精霊とノラの知る精霊は別のものだろうと考えていた。
「いつからそういう関係だったかは分からないね。いつの間にかそういう関係になっていたのさ。作物を植えると実りの風が吹く。収穫の時期にそのお礼としてソルロの花を捧げる。あんたたち、祭りは知っているかい?」
三人とも首を振った。
ノラはもちろんのこと、テオも、そしてケンも知らなかった。
そのとき孫のミザリーが三人にお茶を出す。変わった茶葉を使っているのか、ほんのりと甘い香りがした。
「ワシらはニーリルグールって呼んでた」
「お礼を言う?」
「ん?」
「それ、古代語なんです。意味が『お礼を言う』で……」
驚いた。こんなところに古代語が使われているなんて。
ただ、ローザも古代語と分かっていて使っていたわけではなさそうだ。
「そうかい、そりゃあ面白いね。そのニーリルグールじゃあ、たくさんのソルロの花を使うんだ。桶に水を張ってねぇ、そこに花を浮かべる。そんでとびきり強い風が吹いたら桶の水をこうバシャッとまくのさ」
ローザは抱えた桶の中身を前にぶちまける仕草をした。
「そのとびきり強い風っていうのが精霊様なんだと。精霊様に水を掛けるなんて失礼じゃないかって思うだろう? でもそれをずっとやってきたのさ。神父に辞めさせられるまでね」
テオが気まずそうに顔を背けた。
「あんたのことじゃないさ。あんたは別に何もしちゃいないだろう? それにソロモンの面倒を見てくれているだろう?」
「ご存知なのですか?」
「むしろ誰にも気付かれていないと思ったのかい? 上町だろうとなんだろうと、コーラスメラは小さな町なんだ。すぐにそういう話は広まるよ。ま、あえて知らせないってことはあるけどね」
と、ローザはチラリとケンを見た。
「何で俺には教えてくれなかったんだ?」
これには孫のミザリーが答えた。
「あんた、知ったらすぐに騒ぐだろ。ソロモンをゆっくり休ませたかったからみんなで黙ってたんだよ」
ケンは図星を突かれて言葉に詰まる。
「でも、やめちまったのは良くなかったみたいだね」
ローザはため息を吐いた。
「ここ数年実りの風が吹かなくなったのさ。そんで魔獣が出た」
「精霊様が怒っているのでしょうか?」
テオが言った。
「どうだろうね。ワシらの交流は言葉のない行動だけのものだった。ワシらがやめたから精霊もやめたのかもしれない。昔、精霊と心を通わす巫女がいたのさ。いるときもいないときもあったけどね。いたなら彼女にいろいろ尋ねることができただろうね」
「今はいないのですね……」
「テオだったかい? あんたずいぶん変わっているじゃないか。前のやつみたいにこういうことを止めさせないんだね」
「私がここに派遣されたのは、今ここで広がっている病を鎮めるためです。たとえここに派遣された理由が弾圧だとしても、私はきっとそうしないでしょう」
「何でだい」
「何故って。そうですね、私は話を聞いても異常とは思えません。むしろその状況で神の教えを押し付けるほうが異常でしょう」
「ふん、なるほどね」
「ローザ様、その精霊についてもっと詳しく教えて貰えませんか? 私は魔術師で、その精霊について興味があるのです」
「精霊様について、か。それなら巫女の社に行ってみたらどうだい」
「巫女の社?」
「ああ、ここからちょっと離れているけどね。さっき精霊様と心を通わす巫女がいるって言ったろう? その巫女が過ごす場所があるのさ。あれは確かなんて名前の村だったかね?」
「ノーグルよ」
ミザリーが言った。
「ノーグル村に巫女の社があるはずよ」
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