第8話 うわ言
テオはホテルを出る前に法術師を示す白いローブを脱ぎ去った。
「どうされたのですか?」
驚くノラにテオは言った。
「これでは目立つのですよ」
よく分からないノラは、そのままテオの後を追う。そして少し距離をとってケンがついてきた。
そうして、テオに上町の一角まで連れて行かれた。この辺りは上町の中でも静かで、人通りの少ない地区だった。
「おい、こんなところにソロモンさんがいるのか?」
「おられますよ。静かなところの方がよいかと思って、軍の方からこちらの建物を借りております」
「本当か、それ」
ケンは疑っていた。
「内密に、ということですから」
テオは口元に指を一本立てて微笑んだ。
そのときである。道の向こうから男の叫び声が響いた。
「ソロモンさん!?」
ケンが弾かれたように顔を上げた。
「行ってみましょう」
テオは駆け出し、ケンが飛び出す。一拍遅れたノラは、元々体力に自信のないこともあって、二人の背中がどんどん小さくなっていくのを必死に追いかけた。
ケンはともかく、神父のテオがあんなに足が速いとは思わなかった。
病が発生したらすぐにその場に向かっていたということは、それだけ鍛えられているというわけか。
「ソロモンさん!?」
ケンの悲鳴のような声が聞こえる。
ノラがようやく二人に追いついたとき、二人は二階建ての四角い建物の中に飛び込んでいくところだった。なおも男の雄たけびが聞こえる。元々静かな地区だったせいもあり、よく響いた。
ふと、ノラは足を止めた。
男の雄たけびが妙にひっかかったのだ。
「ううぅー、てまらー」
叫びだ。そうとしか思えない。自分に言い聞かせつつも、別のところでこれは言葉だと主張する。
そして発音、長音の場所が違うにしても、それは「ウテマラ」と言っているように聞こえる。それは古代語でいう「聞け」を意味していた。
一度ひっかかってしまうと、もう突き飛ばされたようにそちらに傾く。
「うイークドぉ」
間違いない。
その一言でノラは確信した。すぐさま建物の中に飛び込んで、声の主を探す。
「ケでえ」
舌ったらずだけれど、これは「ケデネ」。
魔獣がノラに言った「ウィークド・ムル・セ・ケデネ」をこの声の主が復唱している。
声の主、ケンとテオがいる部屋にノラがたどり着くと、テオが目をつぶり、両手を目の前のベッドに横たわる男に向けていた。
「待って!」
とっさにテオを止め、ノラは寝台の男を見つめた。
「何か言ってる。待って!」
ノラの気迫に押されて、ケンもテオも黙ってしまった。
ノラはゆっくりと息をして、寝台の男の言葉を待った。
「そだ、おー。ケデネ、どら……くるせー、そだ」
コツを掴むと簡単なもので、あっという間にノラの中で言葉が訳されてゆく。
私は風。風が汚れを広める。
まただ。また汚れという言葉が出てきた。そして今度は風。地ではない。
苦しげな様子のベッドの男に、見ていられなくなったのか、テオが法術をかけた。法術は医療分野に特化した技術なので、きっと気を鎮めるようなものだろう。
しばらくして、ベッドの男は落ち着いたようにゆっくりと胸を上下させた。
ノラとケンは一階で椅子に座って待っていた。
軍の建物を借りていると言っていたように、元々ここは兵舎か何かとして使われていたようだ。二階で男が寝ていたベッドや、小さいけれど炊事場などが設置され、必要最低限の生活ができるようになっていた。
ただ今はもう二階の男を休めるためだけに使っているのか、一階は閑散としていた。
しばらくすると、テオが下りてきた。
「ソロモンさんは?」
ケンがすかさず尋ねる。
「もう大丈夫ですよ。落ち着いておられます」
「そっか。良かった」
ケンはとても安心したようにどっかりと椅子に腰を落とした。
ノラはテオに椅子をすすめた。そして何とか沸かしたお茶を出す。
「ありがとうございます」
少し疲れたように、テオは微笑む。
「あれが、病なのですね?」
自分がそうだったとはいえ、実際に目にしてようやく実感する。
「ええ。そうです。彼の場合は特に酷いですね。ここ最近落ち着いていたのですが、また酷くなってしまいました」
「待ってくれよ。もう一年も寝たまんまだろう?」
ケンが言った。
「ええ。彼はなかなか目を覚ましません。他の方は長くても一週間ほどで目覚めるのですが」
何でも、テオがコーラスメラに来て半年程経ったとき、二階の男ソロモンが魔獣に近づきすぎて、寝込んでしまったという。はじめは他の人同様、しばらくしたら目覚めるだろうと思われていたが、一年経った今でも全く目を覚まさない。目覚めないから食事も取れないと、衰弱しかかっていたときに、内密に法術師のテオが手を貸すことになったという。
法術は医療に特化した技術。当然、寝たきりの人間に栄養を補給したり、介助することができるという。
「神父様、ソロモンさんが叫んでいたあれって、酷いときはいつもあのようなことを叫ぶのですか?」
「ええ。ソロモンさんだけではありません。他の方もです」
「ノラ様もそうでしたよ」
ケンが教えてくれた。そのときの記憶はノラには全くないのだけれど。
「それがどうかなさいましたか?」
「実は、私古代語が得意なんです。それで、ソロモンさんの言った寝言が古代語に聞こえました」
一瞬空気が止まった。テオは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしている。もし彼がひどい人だったなら、馬鹿にしたように笑っていたことだろう。
だが、彼は心優しい人だった。
「なぜ、そのようなことを?」
「そう聞こえたから、です。実は魔獣が目の前に迫られたとき、魔獣に何事か言われたのです。そのときは分かりませんでしたが、後でそれが古代語で「地に
「なるほど」
「さっき、ソロモンさんが言ったことは「地に汚れが満ちている」とか「風が汚れを広める」とか。魔獣の言っていたことと似ているのです」
テオは口元に手をやり、考え込む。
「その
「穢れ?」
聞いたことのない言葉だった。
「人の命の燃えカス、魂の灰と考えられています。法術学の中に、人の体の不調の原因の一つとして挙げられています。しかし穢れは普通に暮らしていれば何ら影響はありません。勝手に消えて行くのです。ですから、これが原因で具合が悪くなるというのはまずありえないのです。ですが、今この地に広がっている病は、穢れによって引き起こされる症状とあまりによく似ている」
「気を失ったり、寝言を言ったりとかですか?」
「さすがに寝言はありません。意識を失い、悪夢にさいなまれる、と。でも目覚めればもう心配は要りません。不調の原因とされる穢れを排出、もしくは消耗したからです。
しかし穢れですか。なるほど、それは考えていませんでしたね」
テオはとても感心したように唸る。
「原因が穢れであるなら、魔獣が穢れを広めている、ということですね」
「あれ、ノラ様さっき風が
ケンが割り込む。
「ソロモンさんの寝言ですね。あれ、正確には『私は風、風が
「なんだか詩的ですね」
「風か……」
何事かケンが考え始めた。
「それにしても困りました。穢れはまず人に影響を与えないものなのです。いえ、普通はすぐに消え去ってしまうもの。それがどうしてこのようなことに……」
「そっちの原因は分からないのですか?」
「それが穢れは人に影響を与えないので、研究はされていないのです。先にあげた症状も昔の変わり者とされた法術師の方が調べたものですし……」
尻すぼみになったテオの言葉に覆いかぶさるようにケンが言った。
「精霊様が怒っているんじゃないのか?」
「へ?」
思わぬ言葉にノラは間抜けな声を出してしまった。
「精霊ですか?」
「ええ、昔、この地に精霊がいて、人々に実りの風をふかしてくれたんです」
「風、ですね」
テオが見つけたとばかりに言った。
「その話、もっとよく聞かせてもらえませんか?」
神父のテオがケンに尋ねると、ケンは戸惑いながら渋々話し始めた。
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