第7話 神父
翌日、ノラはケンを引き連れて、下町にいた。魔獣が押しつぶした家々の跡地を巡り、何か痕跡がないか探しに来たのだ。昨日部屋で聞いた下町の修復作業音は、今、より一層大きく聞こえる。確かに修復は始まっているようだが、まだ一部でしかない。大半はなぎ倒されたままだった。
「ひどいですね」
「ええ。市民にけが人が出なくて良かったですよ」
なぎ倒された家々の間を歩き、注意深く辺りを見回すも、瓦礫や汚れた家具、日用品が転がっているだけだ。
せめてノラがあのとき視界の端で捕らえた剥がれる表皮を一部だけでも手に入ったらと思ったが、あのとき独りでに砕け、散っていたこともあって、見つけることはできなかった。
「何か手がかりが手に入ればよかったのですけれど」
これからどうしようか。やはり次の魔獣出現を待つしかないのか。そう落胆したノラの前に、白いローブが目に入った。
ちょうど下町から上町を城壁に沿って移動しようとしていたときだった。家を失った人々が瓦礫で屋根と壁を作り、粗末な小屋が城壁に沿って並んでいる。日中はそんな狭くて暗い小屋に入っていられないのか、その小屋の前でたむろしているようだ。そして、そのたむろしている人々に白いローブを纏った人物が話しかけていたのだ。きっちりとフードを被っているために、男なのか女なのか、老いているのか幼いのかも分からない。
ただ、ノラはその白いローブのその人が気になって足を止めた。
「あれ、あの人」
しばらくその人の様子を見ていたが、なぜか人々は白いローブを邪険に扱い、それでも白いローブがしつこいので、ついに突き飛ばし、白いローブはしりもちをついた。
「えっ、うそ……!」
ノラは驚き、慌ててその白ローブに駆け寄った。
「の、ノラ様!?」
ケンは驚き、慌ててノラを追いかける。
「大丈夫ですか? 神父様」
ノラはしりもちをついた白いローブ、神父に声を掛けた。
しりもちの反動でフードは取れ、その若い素顔が露になる。その顔はポカンとノラを見上げていた。
「なるほど、アカデミーの方でしたか」
ノラとケン、そして神父のテオはノラが部屋を借りているホテルに戻った。ノラの部屋に入れるのはさすがに抵抗があるので、レストランの一角を借りることにした。以前セイトリームの肉を渡した料理人が快く、使わせてくれた。
簡単な自己紹介をしていたが、ケンは少し離れたところでノラたちの様子を伺っていた。護衛だから別にそれでもいいのだが、この妙な距離感にノラは困惑した。
テオは苦笑しながら尋ねた。
「こちらに来たのは最近ですか?」
「ええ、ほんの二週間ぐらい前です」
「なるほど、それならご存じないはずだ。気付かれましたか? この町に教会がないことを」
言われて初めて気付いた。
アカデミーに入るまで、ノラは毎週礼拝に出ていた。アカデミーに入ってからも礼拝に出たかったが、あまりに忙しさに結局出られたのは年に数回。こっちに来てからは試験と魔獣の事で頭が一杯だった。
この二週間で小さいコーラスメラの町を一応は知っていたが、そういえば教会を見たことがなかった。何故気付かなかったのだろう。
「取り壊されてしまったのですよ」
「そうなんですか? でも何故?」
「必要ないからだ」
ケンがいつの間にかやってきて、割って入った。
「必要がないから、取り壊したんだ」
ケンは怒りを滲ませ、神父を睨んだ。
ノラはケンの態度に困惑する。今までの彼は爽やかで優しい気遣いのできる人だった。よもや神父に対して敵意を向けている彼とはまるで違う。
「あの、一体どういう……? 何があったんですか?」
ケンの態度は城壁前の人々と同じだ。
何故神父を邪険にし、このように敵意を向けるのか。
「コーラスメラがモーリス様の一族に与えられたのは、今から二代前で、モーリス様のおじい様の時代です。その頃、この地は今より開拓が進んでおらず、教会も手を出すことはありませんでした。それもあって、この地では、この地独特の信仰が続いていたのです」
よくある話だった。
田舎では教会があっても、形だけであり、人々の心に教会の神はいない。人口が少ないところは教会も熱心に布教しようとはしないようだった。
「ですが私の前にこちらに派遣された者がとても熱心な方でした」
テオが言うには、今から二十年前、ようやくこの地に教会本部から一人の神父が派遣された。彼はとても、そうとても熱心な人で、人々に神の教えを説き、教会まで建てた。
それだけ聞くと、彼はとてもすばらしい、聖人と称えられてもいいような人だった。
しかし、彼は神に、教会に熱心すぎたのだ。
それまでこの地で信仰されていたものをすべて否定してしまった。それから、すべてが変わってしまう。独自の信仰を抱えながらも教会と神父を受け入れたコーラスメラの人々と、神と教会しか認めない神父。
結果として、数でコーラスメラの人々が勝った。
神父はこの地を去り、教会は取り壊された。これで人々が以前の信仰を取り戻したのかと思いきや、そうではなかった。
「あのクソヤロウ、ソルロの花すべて燃やしていったんだ」
ケンが顔をゆがめて言った。
人々の信仰にとってソルロの花は必須。なくてはならないものだった。しかし、神父はこの地を去るときに野に生えるソルロの花すべてを燃やし尽くし、人々がいくら探しても見つけられなかったのだ。
教会を取り壊したのは、人々の報復かもしれない。
「そんなことが……」
ノラは信じられないと零す。
一人の神父と人々の対立が、新たに派遣された神父テオへの嫌悪に繋がっている。
「でもテオさんは法術師ではありませんか」
と、ノラは言った。
法術とは魔法とは違い、人々を癒すことのできる技。医療分野に特化していた。それがあれば、人々に受け入れられるのではないかと考えたのだ。
そして法術師として認められた者は白いローブを纏う。テオの白いローブには装飾もなされていたが、立派な職業を示していた。
「この地はこのような力があっても教会を受け入れるのは難しいでしょう」
「そんな……」
王都で法術師の治療を受けられるとは、それだけで特権階級の証であった。しかしところ変われば、ということらしい。
「私がこちらに派遣されてそろそろ一年と半年。前任者がここを去って大分間がありましたが、私がこちらに派遣された理由は病です」
「え? 病?」
てっきりテオは魔獣か、もしくは教会の再建を目指して派遣されたものと考えていた。しかし、病とは一体。
「ご存知ありませんか? 人々が悪夢にうなされる病というものを」
「えっ、悪夢」
身に覚えがあった。つい昨日までノラはそれにうなされていたからだ。
「でも待ってください。あれが病なのですか?」
ノラを診た医者は目覚めれば大丈夫だと言っていた。実際ノラも、体に不調などない。病というのは大げさな気がした。
「ええ、私どもは病だと思っております。そのために、病が発生したところに足を運んでいるのです」
「じゃあ何か。お前が今ここにいるのは、ここに病が発生したということか?」
「そうではありません。ここには所要で戻ってまいりました。このホテルの一室を借りていますからね。でも、ここにもどうやら病が広がっているようですね」
「病、というのは私は違うと思うのです」
「どういうことですか?」
ノラはつい昨日まで五日間気を失い、その間悪夢にうなされていたことを告げた。
「でもそれは原因がはっきりしているのです。お医者様にも言われました。私が魔獣に近づきすぎたからだって。実際、私が気を失ったのは魔獣に目の前まで迫られたときです。ですから、病というのはどうにも違う気がします」
テオはノラの話を聞き、口元に手をやる。
「これは、私の推論なのですが、病は、魔獣に関係しているのではないかと考えています」
「え?」
「病が発生したのは今から三、四年前。魔獣が出てからです。関係がないとはとても思えないでしょう? それに、私が実際に回った村や町はそのところに魔獣が出現したり、近隣で出現していたりするのです」
「何でそれで推論になるんだ?」
そこまで出ているならもっと強い言い方があっただろう。ケンはそう言いたいようだ。
「確証がないのですよ。魔獣と関係があるとしても、何がどうして、人が悪夢に捕らわれるのか。こちらの医者にも私は距離を置かれていますから」
なるほど。患者も城壁の前でのように追い払われて診る事ができず、患者を診た医者にも話を聞けない。病のために派遣されたとはいえ、満足に調査をすることもできなかったようだ。
それに、そもそも彼一人の派遣というのもおかしな話だった。
「病の派遣とはいえ、一年以上も沈静化した報告がなければ、教会本部はもっと人を送りませんか?」
「こう言ってはなんですが、若くして法術師として認められると上の方はよく思われないのですよ」
なるほど。彼は教会本部でも疎まれているようだ。
いい人そうだが、なかなか人に恵まれていないらしい。
「ところでノラさんはアカデミーの方ですよね? どうしてこのような地に? 素材の採取ですか?」
ノラがアカデミーの所属だと分かったのは、いつも纏っている黒いローブにアカデミーの紋章があるからだろう。
「いえ、魔獣を倒しに来ました」
ノラの答えを聞いたテオの顔はなかなか見ものだった。
「一体、どうして? アカデミーが魔獣討伐に乗り出したということですか? それとももっと上の?」
「えーと、卒業試験です」
それにテオは納得した。
どうやらアカデミーの卒業試験に行われる教官たちの悪ふざけについて何か聞いていたらしい。
教会側にも知られているって一体どれだけ話が広まっているのだか。
「それは、何とも……」
「でも希望がないわけではないのですよ。先日魔獣と交戦しまして、魔法が効くと分かったのです」
「そうなのですか? それではあなたが魔獣を倒すのも時間の問題なのですね」
「あと二週間以内に出てくれたらいいんですけど。ところで病と魔獣に関連があるとおっしゃいましたよね。それなら何か魔獣に対して知りませんか?」
テオは弱弱しく、申し訳なさそうに首を振った。
「生憎私は魔獣と遭遇したことがないのです。いつも魔獣が消えて、病が発生してからその場に行くのです」
「では何か痕跡を見つけたりとか」
「全くありません」
「そうですか。ありがとうございました」
「いいえ、お力になれずに申し訳ない……。ところでこれから時間はありますか?」
一転、テオは声を弾ませた。
「ええ、ありますよ」
「それなら私に同行されませんか? これからある方のお見舞いに行くのです」
「お見舞い?」
「はい。ノラさん、先ほど魔獣に目の前まで迫られたとおっしゃったでしょう。同じように魔獣に近くまで迫られた方がいるのです。そしてその人はまだ目を覚ましていない」
「もしかしてソロモンさんか?」
ケンが反応した。
「その通りです。いかがですか?」
「ノラ様、行きませんか?」
意外なことに、ケンが乗り気だった。不思議に思っていると、テオが言った。
「ソロモンという方は軍の方なのですよ」
なるほど、それならケンの知り合いというわけか。
「分かりました。行きましょう」
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