第6話 古代語

 目を覚ますと、すっかり見慣れた木目の天井。ノラが借りているホテルの一室だった。

 ベッドの上でぼうっとしていると、ノックもなしに二人の男が入ってきた。

「おや、これは失礼した」

 見知らぬ壮年の男、白衣を纏っているから医者だろう。法術師は白いローブを着ることが定められているから、白衣の男はただの医者だと分かる。もう一人は護衛のケンだった。

「具合はどうですかな?」

 医者はベッドの脇までやってきて、尋ねる。ノラは首を振り、大丈夫ですと答えた。

「君は五日も意識を失っていたのだよ」

「五日も……? 五日も!?」

 目覚めたばかりで、まだぼんやりとしていた頭が、一瞬で覚醒した。

 残りの試験期間が二週間ほどしかないということだ。

 そんなノラの様子を見て、医者は満足げに頷く。

「ひとまず元気そうだね」

「あの先生、私はどうして気を失ったのでしょうか?」

「魔獣だよ。魔獣に近づきすぎるとどういうわけか気を失うんだ。君だけではない。これまで魔獣と戦ってきた兵士たちや、逃げ遅れた住民たちもそうだ。だが目を覚ませばそれで大丈夫。何か気になることはあるかな?」

 ノラは少し間を置いて、首を振った。

「そうか。それでは私はこのまま下がろう。モーリス様には私から報告しておくよ」

 後半は振り返ってケンに告げた。

「ありがとうございます、先生。お送りいたします」

 ケンは医者を見送り、代わりに盆に何かを載せて戻ってきた。

「ノラ様、お腹が空いていますでしょう。軽いものですがお持ちしました」

「ありがとうございます」

 ケンはサイドテーブルにサンドイッチとホットミルクを置いた。それを口にしながら、下品と思いつつもケンにあれからのことを尋ねた。

「魔獣はどうなりましたか?」

「ノラ様の前に現れた後、すぐにまた消えてしまいました。それからは出現していません」

「倒した、というわけではないのですね」

「おそらく」

 ノラの風の刃を受け続けて、一度は消えた魔獣。しかし、次の瞬間、ノラの目の前に現れた。城壁の外にいたはずの魔獣が城壁の上にいるノラの前に現れたということは、魔獣にとって城壁は意味がないことを示す。

 ふと、静かになった部屋に窓の外から小気味いい音が届く。これはどこかで大工作業をしているのだろうか。

 ケンが教えてくれた。

「今、下町で修復工事が始まっているんです。ほら、魔獣に壊されてしまったでしょう?」

 そういえばそうだった。

「けが人は出なかった?」

「騎兵の方が少し重い怪我をしましたが、死者はいません。安心してください」

「そうですか。良かった」

 ノラはホッと胸を撫で下ろす。ケンは言った。

「それにしても、ノラ様のおかげです」

「何がですか?」

「魔獣に魔法が効くって分かったじゃないですか。これまで魔獣に何が効くかすら分からなかったのに。これで魔獣を倒すことができますね!」

「そうですね。あの時はあと一押しだったと思います」

 確証はないけど、そう思った。

「ともかく、今日はお休みください。ずっとうなされていたでしょう?」

「そうなんですか?」

「あれ、覚えていらっしゃいませんか?」

 首を傾げるケンであったが、生憎ノラは寝ている間のことは覚えていない。

「ノラ様、気を失っている間、何度もうなされていましたよ。先生に聞いたら、魔獣によって気を失うと悪夢を見るそうです。夢を覚えていませんか?」

 ノラは首を横に振った。

「全く。夢を見ていたのでしょうか。でも、悪夢なら思い出さないほうがいいですね」

「そうでしょう。ところで魔獣がノラ様に迫ったとき、魔獣が何かささやきましたよね。悲鳴とは違って、告げているような。あれ、なんだったんでしょう?」

 ケンの言葉で、ノラの中で雷が落ちるような衝撃が走った。

「そうよ」

 ノラは慌ててベッドから降りようとしたが、足にシーツが絡まって、あわやベッドから落ちかけた。ケンが反射的にノラの体を支えたので事なきをえた。

「どうされたのですか」

「私の荷物を。中に辞書が入っているはずです」

「私が取りますので、どうか危ない真似はおやめください」

 ケンはノラをベッドに押し戻し、ノラの鞄から、分厚い辞書を取り出す。

「辞書とはこれで宜しいですか?」

「はい。ついでに筆記具もお願いします」

 ケンは辞書と白紙の束、ペンとインク瓶をまずノラに渡し、サイドテーブルを使いやすいように移動させた。

 軽食を持ってきてくれたことといい、この対応といい、ケンはなかなか気遣いができる人のようだ。

 ノラが記憶をひっくり返すと、探していた言葉はすぐに浮かんだ。

『ウィークド・ムル・セ・ケデネ。ダ・ストロフ・ドモア』

 魔獣があのとき言った言葉だ。

 そう、あれは意味のある言葉。痛みに上げた悲鳴でも、報告書にあった奇怪な叫び声でもない。

 ノラがそれを言葉だと判断したのは、『ウィークド』という言葉に聞き覚えがあったからだ。『ウィークド』、すなわち、地もしくは大地。元素属性の一つだ。

 王立魔術師養成アカデミーでは、魔術師として必要な教育を施される。その一つに古代語があった。現代ではその必要性は限りなく低くなった上に、今現在の魔術師に求められるものというのは知識ではなく技術であり、古代語もそこまで重要視されていない。

 だが、ノラは古代語の試験で毎回満点、高得点をたたき出す成績優秀者で、これは数少ないノラの自慢だった。

 そんなノラだからこそ、あの言葉が古代語だと気付けたのかもしれない。

 そして、魔獣の告げた言葉の意味がはじき出された。

「地に汚れが満ちている。私を救って欲しい?」

「どういうことなんでしょうか?」

「魔獣は助けを求めている、ということでしょうか……?」

「どうしますか? モーリス様に報告しますか?」

「でもまだどういうことか分かっていませんし、待っていただけますか? もっといろいろ分かってからでもいいと思うのです」

「分かりました。自分は隣の部屋に下がりますね。ノラ様、どうか早めにお休みください」

 ケンはそういい残して、部屋を後にした。

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