第3話 コーラスメラの領主

 コーラスメラは王国でも指折りの広大さを誇る領地だ。広さで言えば、王都のある中央部の約三倍。しかし、人口はぐっと少なく、五千人もいないという。そして、広さに対して人が圧倒的に少ないために、コーラスメラは未開の地だと揶揄する人もいる。

 元々コーラスメラを含む、西部は王都から大河を挟んだ西側にあり、その大河はあまりに大きいので橋がかけられず、西部との行き来は専ら船だった。

 ノラは二日船に揺られて大河を渡り、西部に着いたら四日馬車に揺られてようやくコーラスメラにたどり着いた。

 元々コーラスメラへ行く馬車がなく、ノラは馬車屋に特別に頼むことでようやくコーラスメラへ行くことができた。今日の魔獣騒ぎで、コーラスメラに遠回りして貰うだけの料金ではなく、謎の保証金まで払わないといけなかったが。

 それでも徒歩で行くよりずっと早く、コーラスメラに着けた事で、ノラは胸をなでおろした。


 コーラスメラは、この周辺で採れるという石材がふんだんに使われており、町中が赤味がかった橙で埋め尽くされていた。そして、王都で生まれ育ったノラは、何だか寂しくて静かな町だと思った。

 人はいるけど、そこまで多くない。安息日でないから、人々が仕事で出払っているのかもしれない。

 ノラはアカデミーの制服である黒のローブを羽織っていた。

 ここでは、いや、田舎にはまず魔術師はいない。人の集まる地に住んだほうがずっと便利で、稼げるし、魔法の研究もはかどるからだ。

 だから、見習いとはいえ、魔術師の真っ黒なローブを羽織るノラは素朴なこの町にとても浮いていた。道端で作業している人も目立つノラをじろじろと見回してるようだ。

 かといって、ノラは黒のローブを脱ぐ気はない。

 今ノラが着ているローブにはアカデミーの印が刻まれているものの、黒のローブというのは魔術師の証だからだ。

 上町でホテルの一室を取り、それからノラはコーラスメラの兵舎を目指した。

 魔獣と戦ったのは彼らだろうし、彼らなら魔獣について何か情報が得られるかも知れない。

 コーラスメラは市民が住む家々が折り重なるように建つ下町と、大通りの先にある立派な門と城壁に守られる上町の二つに別れていた。後で知ったことだが、元々コーラスメラとはその城壁の中だけだったのだが、人が集まるようになり、城壁の外に家を建てて、このような奇妙な構造の町になったのだという。

 別にコーラスメラは上町と下町で差別するために二つに別れているわけではないのだ。

 事実、その二つの町を繋ぐ城門は常時上がっている。

 そして、兵舎はその城壁の内側、まるで城壁に張り付くように建てられていた。

「こんにちは」

 兵舎の薄いドアをノックした後、返答がないから恐る恐るドアを開けた。

 すると、中は服や食器が散らかっているだけで、人の姿は見当たらない。もう一度声をかけたが、やはり誰もいないようだ。

 他の兵舎を探して当たってみようか。それともここの領主に話を持っていってみようか。

 ドアの前で考えていると、巡回から帰ったらしい兵士がノラに気付いた。

「あれ、どちら様ですか?」

 若い兵士の二人組みだった。

「あの、ここの兵士の方ですか?」

「そうですが、あなたは? コーラスメラの方ではありませんよね?」

 さすが小さい町なのか、兵士は住民の顔を覚えているようだ。まぁ、それでなくてもこんな目立つ格好をした人は気になるだろう。

「私は王都から着ました。少しお時間を宜しいですか?」

 兵士たちは顔を見合わせ、そしてノラを兵舎の中へ招き入れた。

「少々お待ちください。上の者を呼んで、同席させますので」

 ノラは了承し、上の者が来るのを待った。少しして、大柄で浅黒い男が兵舎に現れた。小柄なノラは熊のような彼に萎縮し、その太い腕で捻り潰されるんじゃないかと思った。

「こいつが王都からの客人か?」

 低い、轟くような声が降って来た。

 やはり熊のような彼が怖いのか、連れてきた若い兵士の一人も怯えているようだった。

 ノラは、意を決して声を張った。

「し、失礼します。王立魔術師養成アカデミーより参りました。ノラ・ダノーサと申します」

「アカデミー? ならお前、魔術師か?」

「はい。見習いの身でありますが」

 熊のような彼はしげしげとノラを見回した。魔術師というものが、ここでは珍しいようだ。

 まるでどこから食べようか吟味されているような気分。

 だが、意外に彼は紳士的だった。

「まぁ、座れよ。汚いけど」

 と、ノラに椅子を勧めた。そして、若い兵士の一人にお茶を淹れるように言った。

「ああ、まだ名乗っていなかったな。俺はコーラスメラ軍の隊長をしている。アドン・グロトという」

「アドンさん。よろしくお願いします」

 ノラは差し出した図鑑のように分厚い手と握手をする。

「それで、何しに来たんだ?」

「実はですね」

 とノラは鞄から一枚の紙を取り出す。

 卒業試験の課題は課題書というものをアカデミーが発行してくれる。時に貴族や関係機関に関わることがあるので、これが本当の卒業試験だという証明書がある方が便利なのだ。

 ノラはその課題書をアドンに見せた。

「私はここに書いてある通りのことをしないとアカデミーを卒業できないのです」

「ん、なんだこりゃ。ずいぶん立派な紙だな」

 アドンはおっかなびっくり課題書を受け取った。太い腕では軽く持っただけで破いてしまいそうだった。アドンもそう思ったのか、とても繊細な手つきだった。

「魔獣ノーグルの討伐? 冗談だろう?」

 アドンだけでなく、彼の後ろに控える、先に出会った若い兵士たちも驚いていた。

「冗談ではありません。これは正式に下されたものなのです」

 アドンは唸りながら顎をさすった。じょりじょりと無精ひげを撫でる音が聞こえる。

「俺一人ではどうしようもないな。領主の下へ行こう」


「ずいぶんな話じゃないか」

 課題書を見て、コーラスメラ領主モーリス・マルシータはそう言った。

 三十半ばの領主は眉間に皺を寄せる。

「ノラさん、あなたはこの課題を受けて、ここに来たということは、魔獣を倒すつもりなのだろう?」

「もちろんです。そうしないと私は卒業できませんから」

 渋い顔でモーリスは告げた。

「私は今すぐ、あなたは王都に帰るべきだと思う。あまりにも危険だ。いくら課題とはいえ、命を失ったらそれまでだろう」

「ですが……!」

「それに、万が一あなたがここで亡くなられたら、私の監督不行きとなる。辺境伯として、アカデミーとの関係を悪くするのは得策ではない。ましてや、未来ある若い魔術師をこんな形で失うのも、心苦しい」

「せめて、軍との同行だけでも許していただけませんか? 何かお役に立てるかもしれません」

「いや、それは勘弁してくれ」

 アドンが零した。

「ただでさえ、あちこちで魔獣が出て、隊員を失っているんだ。これ以上、荷物は抱えられない」

「私は魔術師です。魔法を扱うことができます。ここには魔術師がいらっしゃらないでしょう? だから、魔獣と魔法で戦ったことがないはずです。魔獣に魔法を試してみませんか?」

「言いたい事は分かるがな。怪我をされるのもこっちは嫌なんだ」

 モーリスの気持ちは揺るがなかった。アドンもノラをお荷物としてしか見ていないようだった。

「実力を見てからでもいいのでは?」

 突然の声に三人は声の主を振り返った。

 書類を抱えた文官だった。

「コナー」

 面倒そうに、モーリスが呻く。

「そのお嬢さんが言うように、魔獣に魔法を試したことはありません。試してみるのもいいでしょう」

「だがな」

「ですから、実力を測ってからでもいいでしょう。アカデミーの方でしょう? また一つ試験が増えたとでも思えばいい。そうですね、セイトリームという鳥を一羽討ち取ったら連れて行くというのはどうですか」

「おい、勝手に決めるなよ」

 アドンが舌打ちせんばかりに噛み付いた。が、コナーは一睨みでアドンを退けた。

「セイトリームなら、な」

 苦々しく、モーリスも頷く。

「セイトリームってどんな鳥ですか?」

 少なくとも王都では聞いたこともないし、図鑑でも見た事がない。

 モーリスは執務机の引き出しから綺麗な色彩の羽ペンを取り出した。

「これはセイトルームの羽で作られたペンだ。この通り、珍しく、とても目立つ羽をしていて、並みの狩人でも仕留めるのが難しいという。すばしっこい上に賢くてな。もしこれを狩れたら、そうだな、軍への同行を認めよう」

「本当ですか? 分かりました!」

 ノラは一転表情をパッと咲かせ、モーリスやアドン、コナーに礼を言って部屋を出て行った。


「さて、厄介払いができましたね」

 言いだしっぺのコナーが鼻を鳴らす。

「お前相変わらずだな」

「あんな小娘一人に手間取ってどうしますか。さ、領主様、仕事です」

 コナーは抱えていた書類をモーリスの執務机にドンと載せた。

「全く、病に神父に魔獣に、頭を抱えることは山ほどあるのです。あんな小娘も抱えたらコーラスメラは破綻しますよ!」

 モーリスは積み上げられた書類の束を見て、さっと顔が青くなる。

「あー、俺ちょっと具合悪いかも。なぁ、アドン、そう思うだろ」

「あ、ああ。そうだな。何だか顔色も悪いし」

 顔を引きつらせ、アドンは話を合わせる。

 コナーはこれ見よがしに舌打ちをして、アドンを横目で睨んだ。アドンは呻き、半身引いた。

「下手な芝居はおやめなさい。今日の仕事はこれだけなんですからさっさとなさってくださいな」

 コナーは机を両手で叩き、モーリスに迫った。

 モーリスは渋々セイトリームの羽ペンをしまい、使い慣れた羽ペンにインクをつける。

「それにしてもセイトリームなんて鬼か、お前は」

「若き乙女を危険から救ったのです。人聞きの悪い」

 モーリスはそうだな、と頷いた。

 魔獣が出現したのは四年前。あまりの強さに、辺境の寄せ集めのような軍はまるで太刀打ちできなかった。だから西部軍や、王国軍に応援要請を出した。しかし、未だに返答もなく、そろそろ国王に陳情しに行こうかと考えていたのだ。

 そんな中、王都からやってきたのは見習い魔術師ただ一人。

 課題書なるものを見ても、そこに国王の意思があるとは考えられなかった。

 コーラスメラは救わなくていい。

 忠誠を誓ったはずの国王に今は反意すら抱いていた。もっとも、こんな弱小領主じゃ何もできはしないのだけれど。

 どっちみち、あの少女には悪いが、彼女はすぐに泣きながら王都に帰ることになるのだろう。

 魔獣はもちろん、セイトリームを狩る事だってできやしない。

 そもそもセイトリームはたった一羽で狼の群れを壊滅させ、冬眠前の熊を殺すほど凶暴な肉食鳥だ。大きさも赤ん坊を丸呑みするほど大きくて、並みの狩人どころか、熟練の狩人だってまず狩ろうとはしない。

 モーリスの持つこの羽ペンだって、死んでいたものから取ったのだ。

 肉は極上だというが、そんなの滅多に食べられない。

 変に期待を抱かせるような出来事は忘れよう。きっとそのうちそんなこともあったな、と笑い話にできるような出来事なのだから。

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