第2話 荷造り

 魔獣ノーグルは、最近王国西部の僻地コーラスメラ領に出没し、甚大な被害を与える災害のような存在だった。

 ノラは生まれも育ちも王都で、王都から離れることはあまりなかった。だから、ノラの知る魔獣ノーグルとは王都市民と同じである。

 災害のようだとされるぐらい強いので、とてもコーラスメラ領だけでは対処しきれず、西部軍、そして王国軍に応援を要請しているらしいが、今まで応援が派遣されたという話は聞かない。

 コーラスメラという地があまりに僻地で、もしその魔獣によって滅びたとしてもコーラスメラの人々以外、特に困らないというのが西部と王国の考えなのだろう。

 王都市民にとって、コーラスメラという地は異国のように遠い場所だった。

 そう、ノラにとってもついこの間まで。

 まさか自分がそれを討伐して来いといわれるとは夢にも思わなかった。

 ノラは自宅であるダノーサ家の屋敷にいた。来週からが卒業試験の課題期間になるので、来週までにコーラスメラに入らなければならない。ノラは一応コーラスメラに行くつもりだが、とても魔獣を倒せるとは思っていない。ノラだけじゃない。アカデミーの教官たちもそう思っていることだろう。で、なければ卒業試験の課題くじ引きでのあの歓声は理解できない。

 本当に腹が立つ。

 教官たちの悪ふざけに、ノラは怒り心頭であった。

 どうせ毎年十数人の不合格者が出るので、一人ぐらい増えたって構わない。そういう腹づもりなのだろう。こっちは大迷惑だ。

 ノラが苛立ちながら、乱暴に荷造りをしていると、部屋のドアの前に、久しぶりに見る顔が立っていた。

「何か用?」

 ノラが苛立ちを隠さずつっけんどんに声をかけた。

 ドアの前の少女と、ノラはよく似ている。ノラの方が少し背が高くて、大人びているぐらいだ。

「別にあんたなんかに用はないわよ。新しい部屋の下見に来ただけ」

 ノラはムッとした。

 相変わらずの尊大な態度に、何も言う気がなくなった。

 妹は続けた。

「あんた、この家出て行くんでしょ。だからお父様にお願いしてこの部屋をもらったの。別におかしくないでしょ」

「まだ出て行くと決まったわけじゃ」

「勝てるわけないじゃない」

 ノラの言葉に多い被せるように妹は叫んだ。

「あんたはお父様のように優れているわけでも、アンナお姉さまのように強いわけでもないわ。だいたいあんなアカデミーを留年だぶるぐらいなんだもの」

 天才の妹は腕を組んでノラを睨んだ。

「大体恥ずかしいのよ、あんた。お兄様やお姉様や私が優れてる分、あんたが悪目立ちして! みんながあんたのこと何ていってるか知ってる? ダノーサのお荷物よ。生まれなきゃ良かったのに」

 ノラは反射的に持っていた辞書を投げつけようとして、留まった。

 両親も兄姉も親類縁者もこの天才な妹を溺愛している。ノラが何かしたら、妹はそれを何十倍にも膨らまして吹聴することだろう。話はもっとこじれ、ノラがいやな目に遭う。だから、ノラは妹を睨んだだけだった。

「部屋の床や壁、傷つけないでよ。改装するのも面倒なんだから」

 妹はそういい残して部屋を出て行った。

 妹がここは自分の部屋だと言ったら、それはもう決定事項なのだ。たとえ、ノラが魔獣を倒し、アカデミーを卒業できたとして、それはもう覆らない。

 一人になった部屋で、ノラは大きくため息を吐いた。

 きっとノラがコーラスメラへ旅立ったら、部屋の片づけが始まることだろう。今、大事な物を持っていかなければ、一緒に捨てられてしまう。

 つまり、この部屋とも旅立つ明日の朝まで過ごせるということだ。

 十六年生まれ育ち、過ごしたこの部屋にはいろいろな思い出がある。寂しかった。子どもの頃、この部屋を出て行くのは、どこかに嫁ぐときだとばかり思っていた。まさか結婚どころか魔術師になることすら難しいとは。

 アカデミーを卒業する以外に魔術師になる方法はある。貴族のお抱えとなるのだ。しかしこれはアカデミーを卒業する以上の実力と、運とコネが必要だ。ノラはダノーサ家の人間で、そんな彼女を魔術師として雇うなら、ダノーサ家との関係を気にせず、ノラのような未熟者でもいいという心の広さが必要だ。そんな物好き、まずいない。

 それに、お抱え魔術師にするなら、駄目駄目なノラではなくて、将来有望な妹を選ぶだろう。

 たった三つ下の妹に、ノラは全く敵わなかった。


 そして、翌朝ノラは旅支度にしては多い荷物を抱えてダノーサ家の屋敷を後にした。

 

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