魔獣と見習い魔術師

アイボリー

第1話 卒業課題

 黒いローブにすっぽりと収まり、ノラは緊張で強張る体をそっと抱きしめた。

 王国が誇る魔術師養成アカデミーの講堂に、最終年次生の単位を取った者が集められていた。これから彼ら一人一人に卒業するための課題が与えられるのだ。

 小柄なノラは他の年次生たちの中に埋もれるようにそのときを待っていた。

「さて、そろそろ始めようか」

 年配のハンジ教官が立ち上がり、手を叩いた。

「ここに来ている者で、これからすることを知っているものもいるだろう」

 ハンジ教官の後ろで、悠々と椅子に腰を沈めるほかの教官たちが小さく笑った。

 アカデミーは一応三年で卒業できるが、それは一度も留年しなかった場合に過ぎない。アカデミーは王国最高とも言われる最高教育機関。留年も珍しくない。

 実際、ノラも最終年次は今年で二度目だ。これまで順調に進級できていたし、このまま卒業できると思っていた。しかし、丁度一年前である。単位を修め、今と同じように卒業試験を待っていたとき、熱に倒れてしまい、結果、留年するという破目になったのだ。

 最終年次は二度目だが、卒業試験は初めてだった。

「だが、初めての者のために説明する」

 ハンジ教官は慣れた様子で試験内容を告げる。

 試験はくじを引き、そのくじに書いてあることを一ヶ月以内に達成すれば合格という実に簡単なもの。ただ、このくじというのが厄介で、教官たちはこのくじで遊ぶことを毎回しているらしい。

 ノラが知っているのは、五年前の試験で「奪われたティアラを取り戻せ」というものがあったということ。

 もう五十年程前、王城に盗賊が忍び込み、王女のティアラを盗み出したのだ。盗賊は見つからず、当然、盗まれたティアラも見つからず。

 王国は何としても見つけようとしているが、五十年経った今、手がかりすら見つけられていないという。

 そんなものを一介の見習い魔術師が一ヶ月で見つけられるはずがなく、結局その人はアカデミーを卒業できなかった。そして、その人はこの理不尽に憤慨してアカデミーを去ったそうだ。

 酷い話であるが、もっと酷いのはそれを笑い話として講義中に語った教官だろう。

 だが、逆の場合もある。あるときは「アカデミー総長の大好物である果実を手に入れる」というものが入っていたそうだ。そして、その課題はたった一日で終わったという。

 極端な内容であるが、これはごく一部。大半はまともな課題で、よほど運が悪くないと(もしくは良くないと)、そんなものには当たらないだろう。

 そもそもこれまでごく平凡に生きてきたノラがそんなものに当たるはずがない。

 この試験を受けるのは五十人だと聞いている。もし入っていたとして、引き当てる確率はあまりにも低い。

 早々に教官の説明が終わって、一人一人、教官の前でくじを引き始めた。

 ノラはゆっくりと深く息をして、胸の鼓動を落ち着かせる。

 ノラは、どうしても今回の試験で合格し、アカデミーを卒業しないといけなかった。と、いうのもノラの本名はノラ・ダノーサ。ダノーサ家は王国で最高といわれる魔術師の名家。今の王宮魔導師に、王立魔法研究機関、王国軍魔法部隊と王国の魔法分野でダノーサ家の人間が活躍しているのだ。

 ノラも漠然と自分もそういうところで働くのだろうと考えていた。

 だが、少し不安もあった。

 ノラは名門ダノーサ家に生まれたものの、どうも他の兄弟に比べて劣っているように思うのだ。

 長兄は父の跡を継いで、王宮魔導師になると決まっているようなものだし、姉は魔術師として軍で大活躍し、今は他の魔術師の名家に嫁いでいる。そして、妹はとんでもないやつだった。生まれてすぐに魔法を自在にしたといい、十歳でアカデミーを卒業した。それも三年もかからず、飛び級に飛び級を重ねてたった三ヵ月間のことだという。

 今は王城に勤め、長兄の地位を脅かす存在なのだとか。

 そんな中でノラはアカデミーを留年。ダノーサ家ではアカデミーのストレート卒業が当然とされる中での失態だ。両親も兄弟も親類縁者もみんなノラを笑った。

 そして、ほんの一週間前のことだ。

 珍しく王城から屋敷に戻ってきた父が、ノラを呼びつけて怒鳴った。

「お前、今年でアカデミーを出られなきゃ、ダノーサ家を出て行け!」

 王国一の魔術師という最高の名誉を誇る父にとって、できの悪いノラは目の上のたんこぶだった。

 今のノラは見習いの魔術師。卒業したら、いや、しなくても魔術師として生きていくなら、家名は大事だ。ダノーサという名前はそれだけで価値がある。

 それに、まず魔術師として生きていくなら、アカデミーを卒業しないと厳しい。

 だから、何としてもこの試験を突破しないといけなかった。

 ノラの前の人が、くじの入った鉄箱に手を突っ込む。そして、一つ折りたたまれた紙を取り出して、鉄箱の向こうにいる教官に手渡した。

 くじを受け取った教官がくじを開き、課題が発表される。

 前の人の表情がふっと緩む。

 どうやらまともな試験課題だったようだ。

 ノラはそれに続こうと、一つ深呼吸をしてくじの入った鉄箱の前に立った。

 確率は五十分の一。ノラの番は中間ぐらい。先にも後にも二十人はいるのだ。だから自分が理不尽に遭うことはない。

 自分に言い聞かせてくじを引く。引いたくじを教官に渡し、課題を告げられるのを待った。

 くじを受け取り、開いた教官の目が見開かれ、表情がだんだんと嬉々としたものへと変わっていく。

 そして、顔を上げて、気色悪い笑顔をノラに向けた。

「やったな、ダノーサ」

「な、何ですか……?」

 声が震えている。

 この教官はからかったりするような人ではない。真面目で、生徒の信頼を集める教官だ。

 そんな教官がこんな風に笑っているのを見た事がない。

「どうしましたか」

 ハンジ教官が、それまで流れていたくじの列が止まっていることに気付いてやってきた。

 目の前の教官はノラのくじをハンジ教官に突き出し、それを覗き込んだハンジ教官にも気色悪い笑顔が伝染った。

「ほう、これはこれは」

「あの、課題は何ですか?」

 声が震えるだけでなく、涙が滲んだ。

 ハンジ教官はくじを掲げていった。

「ノラ・ダノーサ! 課題は魔獣ノーグルの討伐だ!」

 ノラは斬首を宣告された罪人のように絶望し、他の年次生たちは信じられないと哀れみの目を向けた。そして、教官たちは一斉に歓声を上げたのだった。

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