第18話 城壁の上
「おいおい、何やってんだい!」
ミザリーが城壁の縁から乗り出さんばかりに怒鳴った。
「ちょっと、危ないですから! ミザリーさん」
ケンは慌てて彼女の腕を引っ張って、引き戻す。
コーラスメラの市民は今、コーラスメラの城壁の内側で保護されていた。そして市民と共に十名も満たない兵士が留まり、市民の安全を守っている。ケンもその一人だった。
普段市民が立ち入ることのできない城壁の上に、今ミザリーも立っていて、傍にケンもついていた。本当はミザリーはこんなところにいてはいけない人だけれど、市民の多くも城壁の外の様子を知りたがり、兵士たちに詰め寄った。兵士たちの中で一番偉い小隊長は仕方なく、ミザリーだけの観戦を許可し、他の市民の気持ちを落ち着かせたのだ。
でもミザリーを選んだのは失敗だったんじゃないか。
ケンはそう思っていた。
確かに今回の祭りの準備でミザリーはよく市民の人々を纏めてくれた。彼女がいなかったら準備もまだ終わっていなかったように思う。
だけれど彼女は気性が荒いのだ。
実際、観戦しながら兵士たちの動きを叱責していた。
もっと大人しい人だったら良かったのに。
なぜか一番の下っ端であるケンがミザリーに付けられ、他の兵士たちは遠巻きに見ている。ミザリーとは幼馴染だということもあるかもしれないけれど、なんだか面倒な人を押し付けられたような気もしないでもない。
城壁の向こう、軍とノラたちが集まる平原では魔獣との戦いが繰り広げられていた。それはとても人々に言われていた祭りではなく、戦いだった
だが、その戦いも終始魔獣の有利で、とても勝ち目なんて見えなかった。
魔獣はノラたちと川を分断するように出現したのだ。だからはじめに考えていた作戦は魔獣の登場でひっくり返され、そこからはもうグダグダ。実戦経験のない人間ばかりが考えた作戦など、やはり役に立たなかったのだ。
ケンは、自分は城壁に守られた側なので酷く冷静に戦況を見極められていた。
魔獣の勝利が見えていることを冷静に受け止められたのは、ある種の現実逃避だったのかもしれない。
「あーあー、もう、水もぶちまけちまってさ!」
ミザリーは再び身を乗り出し、怒鳴っている。
逆に彼女がああやって感情的になってくれているからこそ、ケンは冷静になれているのかもしれない。
「もう、駄目ですね」
ため息と共にケンは言った。
「まだ諦めるんじゃないよ」
すかさずミザリーが睨んだ。
「でもどうするんですか。もう水もないし、花だって……。結局水が効くのかどうかも分からないじゃないですか」
「花はまだ終わっちゃいないさ」
言われてケンは川の前に運んだ花を思い出す。
「川の傍の花ですか? でもあの辺も黒いもやでもうたどり着けませんよ」
「頭を使いな。まだ終わっちゃいないんだ。何かあるんだよ、何かね」
ミザリーは昔から負けず嫌いだった。
絶対に負けを認めないし、自分より力強い大人にだって何度投げられても必ず立ち上がって再び殴りかかりに言っていた。往生際が悪いとも言う。
そして、パッとミザリーの表情が華やいだ。
「そうだよ、花はまだあるじゃないか」
川の傍の花のことだろうか。まさかケンにとってこいなんて言うんじゃないだろうか。ケンは幼馴染の無理難題を押し付けられた経験から、思わず身構えた。
「ケン、ちょっと耳を貸しな」
「何ですか」
うんざりとした顔で渋々ミザリーに顔を寄せる。
「あんた、ちょっと平原に行って来な」
ほら、やっぱり。
ミザリーはケンを使い走りにする気だったのだ。
だが、ミザリーの言葉にはまだ続きがあった。
「そんでノラにでも誰にでもいい。川に行けって言うんだ。魔獣を川におびき寄せるんだよ」
「おびき寄せてどうするんですか」
「清めるのさ」
「どうやって」
「もちろん、ソルロの花の水でさ」
「俺が花を川に落とすって事ですか?」
「そんなのできるのかい?」
「できませんよ。みんなと同じように倒れるだけです」
「そうだろう?」
ミザリーが何を考え出したのか、ケンはいまいち理解できない。いや、それは昔からそうだった。
結局いつもミザリーが大笑いして、自分がうんざりして終わるんだ。
「花を川の少し上流から流すんだ。そうすりゃ安全に水が作れるだろう? 川に魔獣を落としちまえばいいんだよ。何も水を掛けることにこだわらなくともね!」
「なるほど」
ミザリーは逆転の発想をしていた。水を魔獣の元に持っていくのではなく、魔獣を水の元へ持ってゆくのだ。
「でも花は? 花はどうするんですか」
川の傍の花は穢れで取りに行けない。ノーグル村の巫女の社なんてもってのほかだ。
するとミザリーは意外そうな顔で
「なんだ、忘れちまったのかい?」
と、城壁の内側を指差した。
上町の家々や施設、それらの扉や窓にあの青い花が飾られていた。
そうだ。そうだった。
一昨日ソルロの花が届いたとき、全てをニーリルグールにまわすのではなく、一部だけ戸口や窓に飾るために取り分けたのだ。どうして忘れていたのだろう。
「かき集めりゃ、十分な量になるだろ」
「ああ、確かに……!」
そこからは速かった。
ミザリーと共に小隊長の下へとんで行って、事情を説明する。はじめは渋っていた小隊長も、平原の戦況がまずいことをその目で見ていた。だから、結局は折れてくれたのだ。
上町の方々からソルロの花をかき集める。その間にケンは一人平原に向けて駆け出し、とにかく魔獣を川にひきつけてもらおうと伝えに行った。
小隊長は部下と、市民の若い男たちに協力を求めて、十人ほどの男でソルロの花を上町に近い、平原より上流の川へと運ぶ。そして花を川へと流し、祭りのときに見るあの青い水が川を埋めた。青い水はゆっくりと流れ、ついに平原へと至る。
城壁の上で見ていたときよりも黒いもや、穢れがより一層濃くなっていた。
その少し後だった。
平原の川辺から、爆風のような強烈な風が一同を襲った。
その風はすぐさま上町を囲う城壁にぶつかり、唸り声を上げる。下町の方の家々の屋根や壁をいくらか吹き飛ばしたのだろう、破片が飛んでいるのが見えた。
だが、その風を受けた全員が気付いていた。
その風は明らかにただの風ではない。
確かな意思と、人々への感謝が込められた、特別な風だった。
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