第14話 治療
ソロモンへ、ソルロの花を浸した水をかけるのは結局翌日になった。
話し合いの時点でずいぶん遅かったし、万が一のことを考えて神父のテオがいて欲しかった。あってはならない万が一だけれど。
そして経緯を聞いたテオは手を打った。
「なるほど、その手がありましたね。そうですね、ぜひ私にも協力させてください」
テオは白いローブを着たままホテルを出た。今までは警戒していたが、すでに知られているのなら今更だ。
「でも水を掛けるなんてずいぶん乱暴じゃないですか?」
ソロモンの元へ向かう途中、ケンが言った。
「確かにそうですよね。ソロモンさんは寝ているのですし。それにベッドの上にいるから移動させないといけませんね」
「あの、別に水を掛けなくてもいいのでは?」
「どういうことですか?」
「いつも私が行っているように、法術で体内に直接入れるのはどうでしょうか」
「それなら安心です」
ケンはほっと胸をなでおろす。
「でもそれで効果はありますか? 精霊には水を掛けていたわけですし」
「精霊には水を掛けるしかなかったのではないでしょうか。だって、物を食べませんし、水も飲まないでしょう? ソロモンさんの具合を見ると、穢れが体の奥まで浸透しているように思います。それなら体内に直接入れたほうが効果が高いのでは?」
「なるほど」
コナーはソルロの花に毒はないと言っていた。だから大丈夫だろうとは思う。何かあってもテオがいるならすぐに対処できるだろう。
ますます実験じみてきた。
「あれ、アドンさん?」
ソロモンのいる建物の前に、熊のような大きい男が立っていた。
コーラスメラ軍の隊長であるアドンだった。
「おう、待ってたぞ」
「おはようございます。アドンさん、どうされたのですか?」
「モーリス様から聞いたんだよ。ソロモンを直すんだろ? 俺も立ち合わせてくれ。何かできるかも知れないだろう?」
ノラはテオを振り返るも、テオは構わないといった様子だった。
アドンが立ち会ってくれるなら、モーリスへも素早く正確に伝わるだろう。
「分かりました。それじゃ、行きましょう」
アドンがいたのは驚きだった。
そして、この実験まがいのことを止めないのも驚きだった。
ソロモンが寝ている二階へ四人がぞろぞろと上がってゆく。狭い階段はそれだけで不快に軋み、悲鳴を上げた。
「昨日、ソロモンさんへ栄養補給の法術をかけました。もしこれで目覚めなくてもしばらくは大丈夫でしょう」
「目覚めるはずです。間違いなく」
「やけに自信があるな」
ニヤリとアドンが笑う。
「もちろん。だって、こうとしか考えられませんし……」
頷いたはいいものの、言葉は尻すぼみになった。正直、まだ不安があった。本当にこれで合っているのか、まだ確信し切れていない。
そしてゆっくりと胸を上下させ、安らかに眠るソロモンを四人で取り囲む。
ノラはコップに水を注ぎ、アドンに摘んできた一輪のソルロの花を渡した。
アドンは生まれも育ちもここ、コーラスメラだ。そして、ニーリルグールの経験もある。彼は精霊に掛ける水の作り方を知っていたのだ。知っているといっても、難しいものではない。ただ花びらを水に浮かべるだけ。ただ、ノラたちはどれぐらい花びらを使っていいのかは分からなかった。
アドンは花から一枚だけ花びらをもぎ、ノラの持つコップに入れた。
「それだけでいいんですか?」
「ああ、十分だ。そのコップじゃ花全部は入らないだろう?」
「花全部を使わないと効果がないとか?」
「そんなことねぇよ。ほら、見てみろ」
ノラの持つコップは金属製で、中を覗き込まないと中身が見えない。
アドンに促されてみてみると、あっという間にソルロの花びらの青が水に溶け出していた。
「すごい、たったこれだけなのに……」
指先ほどの花びら一枚。それがコップ一杯の水を青色に染めている。
そしてその青はあの壁画でみた青と同じ色だった。
もしかしたら、あの青はソルロの花で作った染料だったのかもしれない。
「綺麗な色ですね」
ノラからコップを受け取ったテオも目を細める。横から覗き込んだケンも驚いていた。
「それ、飲んでも大丈夫なんですか?」
さすがに飲み物、食べ物の色とは思えない。それぐらい真っ青だった。
「大丈夫だろ。祭りでも水が風に当たらなくて人に当たることもよくあったしよ」
テオはそれでも心配だったのか、法術で安全を確かめた。
「毒も何もありませんね。ではこのままソロモンさんに与えましょう」
テオは静かに目を閉じ、コップを両手で持って、前に掲げた。
これまで何度かテオの法術を見てきたが、テオが法術を使うとき、とても清浄な空気に包まれる。そのときの彼はまさしく聖職者であって、これから行うことが神の奇跡のような気にさせた。
ノラたちの前で、コップから青く淡い光の粒子が湧き立つ。粒子は蛍のように漂いながら、ベッドの上に横たわるソロモンの元へとたどり着き、そして吸い込まれていった。
やがてコップから湧き立つ粒子は尽きて、長く息を吐きながらテオは瞼を押し上げた。
「終わりました」
「お疲れ様です」
とは言うものの、テオの顔に疲れは見えない。彼にとっては造作もないことなのだろう。
「ソロモンはどうなったんだ?」
せっかちなアドンがソロモンの顔を覗き込む。ソロモンは安らかな寝息を立てたままだ。
「まだ分かりませんよ。もう少し待ってみましょう」
四人はソロモンをそのままにして、一階に下りた。しばらくここでソロモンの様子を見ようというわけだった。
ケンがすぐにお茶を淹れ、四人が同じ卓に着いた。
「そういや、朝早くにノーグル村に馬車をやった」
アドンが言った。
「何でですか? あ、魔獣の調査ですか?」
ノーグル村に魔獣が出たのを伝えたのは昨日のことだった。ノラたちはソルロの花の発見や、魔獣の正体に気付いたことをいち早く伝えたかったので調査はしていない。魔獣出現から大分時間があるが、果たして何か分かるのだろうか?
アドンはお茶をすすりながら否定した。
「違う違う。花の回収だよ、見つけただろう? ソルロの花を。お前ら知っているかどうか知らないが、昔からソルロの花をドアのところに飾って置いたんだよ。それで精霊様に感謝を示すんだ。ほら、この前コーラスメラに魔獣が出ただろ、あれでみんなの気持ちが落ち込んじまったから、ソルロの花を届けて元気付けてやろうって訳だ」
「なるほど、それはいいですね」
「お前、反対しないんだな」
頷いたテオにアドンが不思議そうに言った。
「しませんよ。私の目的は病の終息ですから。それに、面倒ですし、大事なのは人々のは何を信じるかではなく、人々の心の平穏ですよ」
「そうか」
「ソルロの花の発見は大きいですよね。みんな絶対喜びますって!」
ケンがどこからか茶菓子を見つけ出し、それもみんなの前に並べた。
「もちろんだ。ノラ、お前は本当によくやってくれたよ」
「そんな、大したことではありませんよ。私は見つけただけですから。褒められるべきはソルロの花を育てていた巫女でしょう。それに、私は花を見つけに来たわけではないんです。魔獣をどうにかしないといけませんから」
「そういやそうだったな。もうそろそろ期限とやらが迫るのか?」
「はい、あと一週間とちょっとだけです」
「ギリギリですね」
ノラは深刻そうな顔で俯いた。
今朝、花の回収に馬車が向かったとするなら、帰ってくるのは一週間後。残された時間はあまりない。そしてその間に魔獣が出ても駄目だし、そのわずかな残り時間に魔獣が出なければどうしようもない。いや、魔獣が出ても準備ができていなければまるで意味がない。
そもそもこのソロモンへの実験が成功しなければ、全て水の泡となってしまう。
焦りが、ノラの中の不安を煽る。
「でも、どっちにしろ期限が過ぎたら王都に帰るんだろう?」
「え、えっと……ええ、そう、なります」
ノラは歯切れの悪い返事をして、無理やり笑った。
もし期限までに魔獣を倒せなければノラは全てを失ってしまうのだ。帰る家もなく、家名も失う。そうなると、ノラはただ路頭に迷うしかない。ノラは魔術師として生きる道しか知らないのだ。
「そうか、ノラ様はこれが終わったら帰っちゃうのか」
「今すぐではないですよ」
「でも寂しいですね」
「で、テオはどうなんだ? もしソロモンが目覚めて、この方法がいいって分かったら、帰るのか?」
テオの白いローブには王都教団の紋章が刻まれている。だから彼の所属は王都教団なのだろう。だとすると、彼の帰る場所も王都ということになる。
「いいえ、それだけでは帰れませんよ。病を広めている元凶、魔獣ノーグルをどうにかしなければいけません。でも、この方法が有効だと分かったらそれだけでも大収穫ですね」
穢れについて、人はあまりに知らなさ過ぎる。
それにようやく対処法が判明したのだから、これは大きいだろう。
アドンは頭をかく。
「なんつーか、お前らすごいよな」
きょとんとして、彼を見返す。
「俺自身、王都に行った事はないから、とにかくデカイ町ってことしか知らない。お前らそこに住んで、これまらもそこで暮らしていくんだろう? 魔術師ってやー、国の中枢に関わるだろうし、テオも教会でそんな感じなんだろう? つくづくこんなところにいる人間じゃねぇよな」
「そうですね、病が発生して、派遣されなければ私もこんなところには来なかったでしょう」
テオが頷いた。
「でも、ここのこと嫌いじゃないんですよ。空気が美味しいですし、静かで、みなさん悪気のない人ですし」
それは王都にはないコーラスメラの良さだった。
その点はノラも同意する。
「ノラって、魔術師になったらどこで働くんだ?」
「え、それはまだ分かりません」
「あー、卒業するかもどうかも分からないからな」
「それもあるのですが、基本、就職先って選べないんです」
「そうなのか!?」
「ええ、アカデミーの卒業が決まったら、関係先とアカデミーが話し合って決めていしまうんです。希望が通るのはよほどその人に才能がある場合だけで」
チラリとその才能のある人物が頭を過ぎる。が、無理やり頭から追い出した。それにしても久しぶりに思い出した。二度と思い出したくなかったのに。
「はぁー、魔術師ってのも大変なんだな」
「でも一度なってしまえば生涯安泰なんです」
一度なってしまえば、魔術師としての経歴が出来上がる。そして経歴ができれば、駄目駄目魔術師でも、魔術師を抱えたい貴族が雇ってくれたり、魔術師を輩出したい家からお見合いが舞い込んだりする。
そう、アカデミーを出て、魔術師になればそれだけでいいのだ。あとはプライドを捨てて、流れに任せればいい。
そのとき、二階から呻き声が聞こえた。四人は弾かれたように一斉に階段を見上げた。
「様子を見てきます」
テオが席を立つと、階段を駆け上がった。つられてノラもその背中を追う。
ソロモンの寝る部屋へと飛び込むと、首だけを持ち上げたソロモンが困惑の顔を浮かべてテオと野良を見上げた。
「だれ」
そうだった。
ソロモンが眠ったのは一年前で、テオは知っていてもノラは知らないはずだ。そして、ソロモンの様子からも、彼はテオを知らないようだ。
「ソロモン!!」
「ソロモンさん」
ノラとテオを押して、アドンとケンが部屋に体を滑り込ませた。
「隊長? それに、ケン、だな?」
「そうっすよ! よかった……」
ケンは一目もはばからずボロボロと涙を零した。
「なんだよ、お前相変わらずだな」
ぎこちなくソロモンは笑う。目覚めてそれほど経っていないからか、まだ体がしっかりと目覚めていないようだ。舌もうまく回らないようだった。
テオはアドンとケンの後ろに立ち、こっそりと法術でソロモンの具合を調べた。そして、ノラを見遣って微笑む。
どうやら回復したようだ。
そして、アドンはすぐさまソロモンが目覚めたことを領主モーリスに伝え、モーリスはノラの希望通り、ニーリルグール再開を決定した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます