第13話 嘆願


「お忙しい中、時間を取っていただきありがとうございます」

 応接間の椅子から立ち上がり、ノラは小さく腰を落とした。この見習い魔術師を見るのは実に一週間ぶりだった。そしてたった一週間見ないだけで、驚くほど顔つきが違う。

 自信と確信に満ちた、いい顔をしていた。

「構わない。ちょうど仕事が落ち着いたところだ」

 ノラを座らせ、領主モーリスも腰を下ろした。そして視界の端にチラリとコナーが見える。そう、なぜこいつがここにいるのか。別に仕事は落ち着いても片付いてもいない。コナーに押し付けたのだ。だがコナーはここにいる。ここに来る途中、コナーの部下が泣きそうな顔で仕事をしていたから、きっと仕事を押し付けてきたのだろう。全く、ひどいことをする。

「それで、早速だが報告を」

「はい」

 ノラはまず、ノーグル村で何があったのかを順を追って説明する。

 いろいろ質問したいことがあったが、ひとまずノラの報告に耳を傾けた。

「以上です」

 ノラが緊張した面持ちで語り終えた。

「今の報告に偽りは?」

 モーリスはノラの後ろに控える護衛のケンに尋ねる。ケンは嘘をつけない性格をしているのをよく知っているのだ。

「ありません。事実です」

「教会に、ソルロの花だと? 何が何だか訳が分からないな」

 巫女の社のある村には教会があって、教会の中に巫女の社への入り口が隠されていた。巫女の社には壁画があって、巫女の社はソルロの花畑へと通じていた。

 結果で言えば大収穫なのだろう。

 だが、どうにも受け入れがたい。

「どうにも信じられませんね」

 それまで黙っていたコナーだった。

「ケン以外に証明するものはないのですか? ああ、あの神父は駄目ですよ。信じられませんから」

「あ、そうでした」

 とノラは身を捩じらせて、何かを取り出す。

 青い花びらを持つ花だった。そしてそれは紛れもないソルロの花だった。

「やはり実物を見てもらわないと信じてもらえないと思いまして、一本手折ってまいりました。花畑には抱えきれないほどの花が咲き誇っていました」

「そうですね。この時期丁度ソルロの花の咲く季節です。ニーリルグールもこの時期に行っていましたから」

「ま、とにかく収穫はあったな。ソルロの花の発見は大きい」

 ちらりと時計を見やると、もうそろそろ夕食の時間だ。ノラたちもお腹を空いているだろう。モーリスはこれでお開きにしようと考えたが。

「あの、実はまだ話があるんです。もう少し宜しいですか?」

 ノラは決意に満ちた目を向けた。

「何だ、明日じゃいけないのか?」

「できれば今お願いします。時間がないのです」

 コナーを見ると、肩を竦める。

 休みたかったが、しょうがなく付き合ってやることにした。

「分かった。話せ」

 ノラは小さく頭を下げて、言った。

「先ほど巫女の社に壁画があったとお伝えいたしましたよね? その壁画を見て、私が導き出した考えなのですが、魔獣は精霊ではないでしょうか?」

「は?」

 ふざけているのかと思いきや、ノラの顔は至って真面目。見るからに冗談を言うような顔でも人間でもない。

 しかし、あまりにも突拍子もない。

「モーリス様は穢れというものをご存知ですか?」

「いいや」

「これは法術の分野で、私も神父様の受け売りなのですが、人は生きていると穢れというものを常々発するそうなのです。穢れは目に見えなくて、触れられない。そして、普通なら人に影響を与えないものです」

「それで?」

「人間に影響は与えなくても、精霊には影響を与えるかもしれません。魔法の分野では精霊は純粋な存在とされています。そして、人間とはまずかかわることのない高次の存在。ですがここでは精霊は人と積極的に関わっていたようでした。精霊は人と関わる事で、穢れを受けていたのではないかと考えられるのです」

 魔法だの法術だの、専門分野には詳しくない。

 だから黙ってノラの説明を聞いていた。

「でも、この地ではニーリルグールという祭りがあった。ソルロの花を浸した水を風に、精霊にかけるという祭りが。壁画にも描かれていました。そして、壁画にも穢れという言葉が刻まれていたのです」

 そこでノラは口が渇いたのか、お茶を口にした。

「あの祭りには、どうやら精霊から穢れをはらう意味があったようなのです。しかし、その祭りは中止をせざるを得なくなってしまった。精霊から穢れをはらうことができなくなってしまったのです」

「それで精霊が魔獣に?」

「はい。私はそう考えています」

「その考えに何か証明はないのですか?」

「穢れは普通、人に影響を与えません。しかし、何らかの事情で影響を与えると、意識を失い、悪夢に苦しむと神父様がおっしゃっていました」

「なるほど、今このコーラスメラに広がる病と似ていますね」

「そして、病の発生は魔獣出現と関連していると考えられます」

「確かにそうだ。病も魔獣も同時期から発生している。関連しているとは薄々気付いているが、どうしてそうなるのか分からなかった」

「それで、もしこの仮説が正しくて、魔獣が精霊だったのなら、一つ確かなことがあるのです」

「何だ」

「魔獣は倒すことができないのです」

「どういうことですか」

 鋭い声で聞き返したのはコナーだった。

「精霊は世界の摂理の一部なんです。とても大きくて強い存在。ですから人間が殺すことなんてできませんし、世界の摂理の一部を殺したらとんでもないことになります。ですから、ここは魔獣を精霊に戻すしか方法がないのです」

「どうやって……。いや、ニーリルグールか?」

 モーリスが唸る。

 ノラは頷いた。

「そうです。ソルロの花も見つかりました。かつてこの地で行われていたように、魔獣から穢れをはらえばいいのです。そうすれば、精霊に戻るはずなんです」

「なんつーか。とんでもない話だな」

「かつてのようにあの魔獣に水をかける? ずいぶん危険な話ですね。そもそもその話、筋が通っていますが、事実ではないのでしょう?」

「はい、あくまで私の仮説です」

「そうか……。なら悪いが、この話は実行できないな」

「そんなっ」

 悲痛な声を上げたのは、ずっと黙っていたケンだった。

「先の魔獣襲撃でまだコーラスメラは慌しい。下町の復興に病人の看護とかな。死者は出ていないが、被害は大きい。そんな中で、確かでもない話に乗るわけにはいかない。人も金も、無駄にはできないんだ」

 ノラは押し黙る。

 俯き、泣いているようにも見える。

 筋が通っていて、信じられる話だったが、まだ不確かな要因がある。モーリスはコーラスメラの領主として、この話に乗るわけにはいかなかった。

 だが、ノラに意外なところから助け舟が出た。

「もし、ですが。病の原因がノラさんの言う通り穢れだとしたら、ニーリルグールと同じように水をかけたら病が治るのでしょうか?」

 コナーが難しい顔をしている。そしてノラはパッと顔を上げる。

「そうかもしれません。体に影響をしているのは穢れ。それがなくなるならもしかして……」

「おい、だがどうする。病人はみんな大体良くなっていると聞いているぞ。効果を確かめられる奴などいるのか? まさかまた魔獣が出るのを待つというのか」

 ハッとして、ノラが言った。

「ソロモンさんがいます!」

 そして拳を握り、この部屋で見たときのように表情が明るくなった。

「そうです。この方法なら人々を苦しめているのは穢れだって証明ができます。だってニーリルグールは穢れをはらう祭りなんだって壁画に描いてありましたもの」

「おい、まさか本当にやるのか? 実験みたいじゃないか」

「大丈夫でしょう。ソルロの花は別に毒もないですし」

「お前ずいぶん乗り気だな」

「当たり前でしょう? もしこれで病が治るなら、今後同じ病の人が出ても治療法があるから安心ではないですか」

「確かにな」

「モーリスさん、ぜひやらせてください。花もここに一輪あります」

「分かった。いいだろう。その代わり、失敗したらこの話はそれまでだ」

 ノラは覚悟を決めたように頷いた。

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