第二章 妖魔を追って
豪雨の夜は墨を流しているかのように暗く、耳を澄ませど激しく屋根と地面を叩く雨音以外は何一つ聞こえてこない。
その雨の中を、リィレは雨具のフードを目深に被って村の中を見回っていた。途中妖魔に何度か出くわしたが、現在に至るまで交戦は起こっていない。
理由は簡単だ。あの少年白魔導士……ルーティスの魔法障壁が優秀だからである。
彼の魔法障壁は妖魔の興味を著しく奪う効果があり、まるで肉食獣が果物を食べれないから目を向けないと同じ状況を創り出しているのだ。さらにこの障壁には周囲の瘴気を魔力にして障壁を維持しつつ浄化魔法に変換して放っているため、徐々に妖魔達は居心地が悪くなって追い詰められている。もしかしたらこのまま見回りだけで妖魔を追い返せるかもしれないと実感してしまう。
(……やっぱりあの子、超一流の白魔導士だったわね)
改めて驚きを隠せないリィレだった。彼女は水晶珠を手の中にそっと忍ばせて、妖魔がいつ牙を剥いて来てもいいように備えていた。
しかし……妖魔達の数が多い。確かに数が多くなっているのは知っていた。そしてその数はどんどん増えていくばかりだ……。
(おかしいのは何でこの村なのか、ってところよね……?)
普通に考えればこんな村には何も無い。それでも妖魔達はこの村にやって来ている……。
人を喰らう為か……? いや、どうだろうか。確かにこの村にはマリシアス様の拓いた村で観光客や巡礼者もたまに訪れるし村人の数もそこそこいるが……。だからといってここ最近妖魔が食糧を求めて大量に出没する理由にはならないだろう。
……何らかの理由で、この村に妖魔を誘き寄せる代物が存在しているのだろうか? それぐらいしか理由が思い至らない。
やっぱりあの白魔導士君を頼らないといけないみたいだ。何故なら白魔導士は邪気や瘴気から出所を探る能力に長けている。尤もあの少年の方が手伝うつもり満々だから問題はあまり無いが……。
「……やっぱり子どもに危険な事はさせたく無いわね」
一応年上としてちゃんとした対応しなければならないと、リィレは嘆息したのだった。
彼女が『井戸のある広場』に出たその時に。冷たくほの暗い殺意が頬を掠めてゆく。
慌てて振り向くとそこには妖魔達が集結しつつあった。牙が喉の奥まで生えた半透明の存在に目玉が幾つも浮かんだ靄のような闇、さらには長い爪が生えた腕だけが地面から出て来ていたりもする。
中々に気持ち悪い光景ではあるが……対処しない訳にもいくまい。
「フェイお願い!」
判断を下すとリィレは水晶珠をポケットから取り出して、精霊を呼び出した。
呼び出した精霊はもちろん先の刃精霊フェイ。大剣を片手に突撃し、下から上に刃を振り抜いて地面から生えていた腕を始末した。
さらに大剣を振り降ろして共に半透明の妖魔を仕留め、目玉の浮かんだ靄のような闇も消し去ってゆく。
だが……妖魔達はさらに現れてくる。
「……本当に、どんどん数が増えていってるわね?」
渋い顔になるリィレ。そんな主を護らんと、フェイは大剣を構えて立ち塞がる。
しかし次の瞬間、さらに冷たい風が吹き抜けてくる。
慌ててリィレが雨壁の向こうを睨み据えると。そこには鎧を着込んだ騎士のような影が立っていた。
……ただし。首が無かったが。
「……『デュラハン』、ね! あんな危ない奴まで出現するようになったなんて困るわ」
――デュラハン。確か首無し騎士とも呼ばれる高位の妖魔だと、リィレは嘆息と共に思い出していた。剣術と魔法を使いこなす戦闘能力を有しており、並みの退魔術や浄化魔法では撃破する事は不可能だろう……。
やっぱりあの白魔導士君を連れてくればよかったかもね。リィレはうんざりと嘆息した。
それに呼応してか、デュラハンは両刃の長剣に魔力を込めて斬りかかってくる。
「いきなさい、フェイ!」
リィレの命令に従って。フェイが大剣を長剣目掛けて振り、がぃん! という金属同士がぶつかり合う音と共に弾き飛ばした。
さらにデュラハンは長剣に魔力を込めて斜め下から上に向かって振り抜き、フェイの足を攻撃してくる。だがフェイも大剣を盾に長剣を受け止めていた。金属音が雨の中に響く。
デュラハンは再度上から幹竹割りの攻撃を繰り出し、フェイもそれに合わせて大剣を力任せに横薙ぎに払い弾き飛ばす。デュラハンはそれでも退かずにもう一度旋風のように回転を効かせた一撃を送り込み、フェイも負けじと大剣で受け止める。
(……うちのフェイに真っ向から渡り合えるなんて、このデュラハン相当に強いわね)
敵の戦闘力を肌で感じ、冷や汗が零れ落ちる中でリィレは唸る。
しかし……互角の力となると厄介だ。何せこちら側が決定打に欠けるのだから……。
リィレが戦況の打開を思案していたその刹那に、小さな影が雨の幕から飛び出してきた。
「はぁっ‼」
小さな白髪の影は光輝く長剣を片手にデュラハンの長剣を斬り裂いた。
「ルーティス君?!」
驚愕して叫ぶリィレ。目の前に立つ少年は確かにルーティスだったからだ。
しかし彼は白魔導士だとは聞いていたが……剣士とは聞いていなかった。
「……何か障壁に違和感を感じまして、走って来ました‼」
ルーティスは長剣を正面に構えながら、リィレに答えた。
「まさかデュラハンまで現れるとはね……。中々危なくなって来ていますね!」
ルーティスの言葉につられるように、デュラハンが斜め下から斬りかかってくる。
しかしルーティスはそれを仰け反るようにかわして一歩距離を置く。デュラハンもそれに応じてさらに真っ正面から幹竹割りを見舞ってきた。
しかしルーティスは長剣の刀身でデュラハンの斬撃を受けつつ刀身を傾け受け流し、相手の姿勢を崩した。
その一瞬の隙を突いてルーティスは相手の懐に踏み込むと、デュラハンを右肩から袈裟斬りに仕留めながら斬り抜けた。
「……む。やっぱり無理か!」
しかし振り返って少年は顔をしかめる。
その理由もリィレには気がついていた。
何故ならデュラハンがむくりと後方にいたルーティスに振り向いて来たからだ。
しかし分が悪いと判断したか。デュラハンはかき消えた。
「あ、逃げるつもりらしいね! リィレお姉ちゃんも一緒に来て‼」
言い終わる刹那わルーティスはすでに駆け出していた。
「ちょっと待ちなさい! フェイ、戻って! あの子を追いかけるわよ‼」
フェイを水晶珠の中にしまいながら、リィレは叫んだ。
デュラハンの影を追いかけて二人は闇夜の村を駆け抜ける。途中さらに妖魔達が立ち塞がるものの、ルーティスが浄化魔法と退魔術を織り込んだ長剣で斬り払い先に進む。リィレも同じくフェイを水晶珠から呼び出して迫りくる妖魔を薙ぎ払う。
……しかし。
「むぅ……。見失ったよ……」
ルーティスは雨粒の中で辺りを見渡しながら呻いた。
「……リィレお姉ちゃん、ごめんなさい。あのデュラハンを見失ったみたい」
そして追いついてきたリィレに、ルーティスはかぶりを振って謝罪した。
「いえ別に良いわよ……。
それより貴方! 早く館に帰りましょう!」
「いや、大丈夫です。館は目の前ですから」
リィレに向かってルーティスは闇夜に聳え立つ石造りの屋敷を指差した。
「……じゃあここで消えたのかしら」
「うん。そうだと……思うんです」
ルーティスは辺りを見回しながら呟いている。
リィレには不可解だった。
確かにあのデュラハンはここで消えた。
しかしここはマリシアス館、天使マリシアスが安息の為に建てた館だ。天使の住んでいたような神聖な場所に何でわざわざやってきたのだろうか……?
「……どうせあれだろうな」
ぽつりと洩らすルーティス。
「えっ?」
「ううん。何でもない」
きょとんとなるリィレに、ルーティスはかぶりを振って答える。
少年は館をぐるりと廻り、見上げてみるも妖魔の影はどこにも見当たらない。試しに水球を右手から出して、妖魔の魔力を映して追跡する魔法を使ってみる。
その時ちらりと彼は中庭の片隅を横目で捉えまっすぐ睨み付けたのを、リィレは見つけてしまう。
彼が付近を探索している間、リィレは彼の視線の先に向かって歩む。
そこには『井戸』があった。よく見ればかなり深い井戸だ。雨降りの影響もあって底が見えないし釣瓶も桶も見当たらないし……ただ掃除用の鉄梯子だけは、『新品そのもの』だけど……?
(……あれ? 何か違和感があるよう、な……?)
リィレは首を傾げた。確かに古い……多分枯れ井戸なのは間違いないのだがどこかこう、違和感があるような気がしてならない。何かこう、決定的な違和感があるのだ。
「ねぇリィレお姉ちゃん。さすがにもう追えないからいったん出直そうよ? 『ここ危ないから』さ!」
近づいて見上げてくる白魔導士君に、
「判ったわ」
リィレも首肯したのだ。
「まさかデュラハンまで出現してくるとは……ますます危なくなってきていますよね」
ルーティスはマリシアス館の窓辺から外を睨んでリィレに問いかける。
「……そうね。確かに危なくなってきているわ。さすがに浄化を急いだ方が良いのかもしれないわね」
リィレもまた、ゆっくりと頷き同意する。
「ルーティス君、オニヘビはどこに行ったの?」
「僕が新しく結界を再構築するから代わりに食料品や薬を仕入れに行ってもらったよ。この村は今現在妖魔が出没するせいで村人全員籠らざるを得ないから……。病気や栄養不足になっているかもしれないからね」
リィレの質問に、ルーティスは彼女の居る机の前まで来ながら滑らかに答えを返す。
「そう言えばリィレお姉ちゃんってこの村に何をしにきたの?」
「え?」
机に上体を乗せ頬杖を付きながら不意に尋ねられて、リィレは間の抜けた返事を返した。
「だってリィレお姉ちゃん、この村に
怪訝そうに小首を傾げるルーティスに、
「私は学術都市・アルスタリアの生徒で、研究の資料探しにこの村にやって来たのよ」
「あぁ、あの有名なアルスタリアの……!」
ルーティス君、感嘆の声を上げた。
――『学術都市・アルスタリア』。それはとても有名な学問の都だ。世界各地から様々な書籍が集積され、学術を極めんとする探究の徒達が集い来る。そしてそこで優秀な成績を修めた人物には宮廷学士等の道も拓けていると云われている。
でもまさかこんな事になるなんて……とリィレは嘆息して不運を胸中で嘆く。
「……お姉ちゃん専攻はなあに?」
そんな落ち込んでる彼女にルーティス君、机にうつ伏せきらきら輝く興味津々な眼差しで見上げてくる。
「専攻は考古学よ」
そんな無邪気で無防備なまだ八歳の白魔導士少年の様子に心を開いて、ついついリィレもぽろりと口から自身の事が零れてしまう。……尤も秘密という程でも無いのだが。
「考古学? じゃあ大陸の古語とか判るんだね?」
「一応知りうる限り全大陸の古語は一般的な部分なら判るわよ」
まだお姉ちゃん駆け出しだからねぇとリィレは苦笑した。
「凄いねリィレお姉ちゃん! 僕も魔法の上級古代語ぐらいなら知ってるけど……考古学の専門知識はお姉ちゃんの方が上だね‼」
きらきら輝く熱っぽい双眸で、ルーティスはリィレに羨望の歓声を贈る。
「魔法の上級古代語を知ってる時点でかなり貴方も凄いわよ」
リィレは呆れたとため息をつきながら、そう言えば彼は『アブサラストの平原』のファーストネームを持っていた事を思い出す。
『アブサラストの平原』。そこは全ての魔法が生まれ、そして還る場所としておとぎ話の中に伝わる伝説の土地だ。見渡す限りの草の海と、中心に聳え立つ『世界樹』と呼ばれる大樹だけの平原。そしてその土地にたどり着き世界樹の根元に眠る聖剣に祈りを捧げた者には『神の力』が授けられ、自身の願いを叶える事が出来るとか……。
まぁ後半は眉唾物だけどねと、リィレは胸中で嘆息して。再度彼――ルーティス・アブサラストを見つめる。アブサラストの平原の名前をファーストネームに持つ、小さな凄腕の白魔導士君を。彼が居なければ、妖魔達を鎮める事は不可能だったろう。
彼は腕の立つ白魔導士。これは間違いない。それもアブサラストの平原の名前に相応しい次元の白魔導士だ。
「……そう言えばルーティス君」
「? なぁにリィレお姉ちゃん」
「
リィレが疑問を述べる。
「……貴方にはさっきも尋ねたけれど……確かここはマリシアス様が拓いた村、どう見ても神聖な場所の筈よね? だったら結界とか張っていそうだしわざわざ結界越えてでも来たい理由って――」
「……知らぬが仏」
「え?」
しかし脈絡無いルーティスの言葉に。リィレはきょとんとなる。
「……極東にある島国、『タカマ』の格言さ。知らない方が良い事ってあるのさ」
「……え? それどういう――」
「しかしオニヘビも遅いよね? 困ったものだよ、うん」
しかしルーティス君は話題を逸らせて逃げ仰せた。その様子はまるで、語りたくない思いと伝えたい気持ちが入り乱れているようで……、
「……そうね、困ったものだわ……」
仕方無しに。リィレも追及の手を下げたのだった。
「……とりあえず僕は結界に注力し続けるから先に寝ておくといいよ」
交代制だけどごめんね? とルーティスは上目遣いで謝罪してくる。
「……別にいいわ。気にしないで頂戴」
ざらりと感覚に障る物を感じながらも、リィレは顔に出さずに返したのだった……。
その夜リィレは眠れなかった。彼の態度に何かに違和感を覚えたからだ。
――知らぬが仏。
彼はその格言で何かを伝えたかったように見えた。本来は伝えたくない、でも伝えなければならない『ナニか』を示して――。
しかしそれは……判らない。リィレの今の頭ではちんぷんかんぷんの理解不可能だ。
まぁ考えても仕方ないか。リィレはごろりと寝返りを打って仰向けになる。くすんだ色合いの天井が、眼に入る。雨の音が騒がしい。妖魔達の影響なのかこの村一帯は常に人心を不安にさせる雨が降り続いている。本当に気持ちを逆撫でする厭らしい雨だ。だけど唯一、妖魔が去ったら水不足にはならないという利点があるか……。
「……あれ?」
不意にリィレの雑念が止まる。
「そう言えば……何で井戸が二つもあるのかしら?」
上体を起こして双眸をぱちくり。そうだよ、ここはマリシアス様――清廉潔白な天使様が興した村。そんな方がわざわざ村人と使う水を分けるのか?
「それにあの井戸……鶴瓶を付ける場所も無かったわ……なのに梯子はぴかぴかで……。
……!」
そこまで思い至った瞬間、そっとリィレは起き上がり靴を履くと、カンテラに灯を点け雨具を纏い扉を開く。
目指すは外の中庭、あの枯れ井戸だ。リィレはゆっくり物音を立てずに向かって行く。
カンテラ片手に扉を開いた先は雨の世界。雨脚は相変わらず強く土砂崩れや農作物が腐るのを懸念しそうだが……今はそんな事を気にしている場合じゃない。リィレは雨をくぐり抜け、あの枯れ井戸に向かって歩を進めてゆく。
やがて中庭の片隅、先に訪れたこの場所に、枯れ井戸は佇んでいた。まるで悪霊が静かに影で手ぐすね引いているような感じだ。
ぶるり。一歩踏み出した瞬間雨が冷え込む。さらに一歩進むとさらに気温が下がる。骨に直接氷を当てているような底冷えする空気に怯え、リィレは雨具の襟で口元を隠した。
そして辿り着いた井戸。普通の井戸だ。村の広場にあった井戸と変わらない、石造りの、普通の井戸。カンテラで辺りを照らして見ても……何も無い。
ふぅ……リィレは一息吐いて張り詰めた空気を逃がす。
「なんだぁ、やっぱりただの井戸じゃない……」
こんな物に怯えてたのか……リィレは自分に苦笑しながら井戸の縁を指先で叩くと別の方向を向いた。
その時彼女は井戸の底から『ソレ』が這い上がって来ていた事に気づいていなかった。
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