第71話 正攻法と奇策
空中に黄金の軌跡と純白の軌跡が奔る。
黄金と純白は空中で互いに僅かに交差し、本来の軌道をほんの少し違えながらも標的に向かって突き進む。
本来、憎むべき羽虫の首と胴を両断するはずだった黄金の閃光は、僅かにその目標から逸れて相手の髪を数本宙に舞わせるに留まった。
対する純白の奔流も、相手の胴体を深々と斬り裂くという目的を果たすことなく、その薄皮一枚を傷つけただけ。
互いに後方へと飛び退り、忌々しそうに眉を潜める赤い髪の青年と白い髪の青年。
ただ両者で違いがあるとすれば、赤い髪の青年──赤神が心底憎々しげな光をその双眸に浮かべているのに対し、白い髪の青年──レグナムの目にはどこか楽しそうなものが宿っていることか。
そして、まるで申し合わせたかのように再び肉薄する両者。
甲高い金属音を奏でながら、黄金の聖剣と純白の聖剣がぶつかり合う。
そのまま鍔迫り合いの力比べとなるかと思われた。だが、レグナムは至近距離にある赤神の鼻面に、唐突に頭突きを見舞った。
あまりに想定外のこの攻撃に、思わず赤神が片手で鼻を押さえながら身を引く。その隙を狙ってレグナムが左手の
「き、貴様……剣と剣を交えている時に頭突きを見舞うなど野蛮は行いを……」
怒りに燃える目をレグナムに向ける赤神。だが、当のレグナムは涼しい風だとばかりにあっさりと受け流す。
「あぁん? だからおまえは子供だって言うんだよ」
「なに?」
「オレはお行儀のいい騎士じゃねえ。自分が剣士だと思ってもいねえ。オレは傭兵だ。傭兵は勝つためならばどんな手段だって使うぜ?」
レグナムは不敵な笑みを浮かべて赤神を見る。
「おまえはオレを殺したいんだろ? なら、こいつは真剣勝負だ。いくら力を封じているとはいえ、今のおまえはオレよりも強いんだ。そんな自分より強いやつと戦うってのに、真っ正面から挑んだら負けるに決まっているじゃねえか。奇策が邪道? それとも卑怯? それがどうした? 真剣勝負に自分より強い奴に勝つために、智恵を絞って相手の意表を突くのはのは当たり前だろうが?」
言葉を終えると同時に、レグナムは姿勢を低くして赤神に向かって突進する。
駆けながら、レグナムは左右の腕を大きく広げる。
右手には白の聖剣。絶対に刃こぼれも折れもしないこの剣は、銘を与えるならば「
左手の小剣もまた聖剣。こちらの小聖剣も、長い間カミィの神気を封じていたため右手の不朽剣にも劣らぬ力を秘めている。
その二振りの聖剣を左右に大きく広げて構えるレグナム。赤神は、彼の狙いが左右からの時間差による斬撃だと予測した。
だが、この赤神の予測は外れることになる。
なぜならば、レグナムはあろうことか左右の聖剣を同時に投擲したからだ。
くるくると回転しながら飛翔する不朽剣と、真っ直ぐに赤神目がけて襲いかかる小聖剣。
同時に投擲しながらも、飛び方が違う二振りの聖剣は、僅かな時間差を生み出して赤神を襲う。
だが、相手も剣神と呼ばれる存在。聖剣の投擲という手段に確かに驚愕したが、それでもその攻撃に冷静に対処する。
先に己に到達した小聖剣を、赤神は黄金の聖剣──銘は「
己の狙い通りにことが運び、赤神が僅かに口元を緩めた時。黄金の鎧を失ったその腹部に、レグナムの膝蹴りが深々と食い込んだ。
突然腹部を襲った衝撃に、思わず赤神の上半身が前へと傾ぐ。
そのため、レグナムの目の前に赤神の首筋が無防備に晒される。当然、それを見逃すようなレグナムではなく、その首筋に全体重を乗せた肘打ちを見舞う。
しかし、レグナムの肘が赤神の首筋に触れる直前。赤神が器用にも身体を捩じり、下から掬い上げるように魂送剣を振り上げた。
これには今度はレグナムが上体を反らす番だった。だが、既に肘打ちが赤神の首筋に到達寸前だったのだ。そんな体勢で満足に回避行動が取れるはずもない。
だから、レグナムはわざと足元を滑らせた。自ら仰向けに大地に倒れ込むような形で体勢を崩し、赤神の斬撃を回避しようと試みる。
レグナムの目の前を、魂送剣の切っ先が高速で通過する。
そのことにたっぷりとした冷や汗を流しながら、レグナムは倒れた勢いで後方へと身体を回転させ、その勢いを殺すことなく跳ね起きた。
そして、そのまま更に後方へとトンボを切り、赤神から距離を取る。
赤神もその隙に崩れた体勢を立て直す。改めて彼がレグナムへと目を向けた時、そこには先程弾き飛ばされた二振りの聖剣の内、不朽剣をちゃっかりと拾い上げて構えているレグナムの姿があった。
赤と白の目にも留まらぬ高速戦闘。
その戦闘をしっかりと把握できていたのは、カミィとヴァンガードだけだった。
カミィは彼らのこれまでのやり取りを見て、その極めて整った顔に楽しそうな笑みを浮かべた。
「流石レグナムなのだ。しっかりと赤の小僧の弱点を突いている」
「赤神の弱点……だとぉ?」
仮にも剣神とも戦神とも呼ばれる存在に、弱点があると聞かされて驚きを浮かべるヴァンガード。
《剣聖》は最初、この純白の神の少女神に言われた通り、ラブラドライトの王族たちの元へ行こうと思っていた。
だが、彼女の愛弟子と赤神の戦闘が始まり、それに目を奪われてその機会を逸してしまった。そのため、今でもこうしてカミィの傍らで彼女と共に戦いの行方を見守っている。
「赤の小僧は、これまで今のレグナムのような奇手による戦闘はあまり経験がないのだ」
「まぁなぁ。剣神とも戦神とも呼ばれるような相手に、素手で殴りかかったり奇策を労するような奴はそうはいねぇだろうさ。なぁるほど。それが赤神の弱点か。
「そういうことなのだ」
これまでのサンバーディアスの長い歴史の中で、赤神に戦いを挑んだ者は何人もいる。
それは増長した人間であったり、最強の剣神に敵愾心を燃やした他の神であったりした。
だが、そのような者たちは全て真っ正面から赤神に挑んでいった。当然である。真っ正面から挑み、赤神を倒すことことが彼らの野望だったのだから。
そして、そのような者たちを赤神はその強烈な神気で圧倒し、全てを打ちのめしてきた。
だが、レグナムは違う。
赤神の放つ神気を涼しげに受け流し、戦神に対しても畏れることなく奇策を用いる。言ってみれば、赤神の必勝の陣形を崩しているのだ。
「あの向こう見ずなばかりの真っ直ぐさこそが、昔からのレグナムの最大の長所なのだ。そして、その長所を伸ばしてくれたのが貴様なのだ」
純白の少女神が、優しく微笑んでヴァンガードを見る。
「礼を言うのだ。あやつの長所を曲げることなく、更に真っ直ぐに育ててくれた貴様にな」
「まぁ、あいつぁ、それだけが取り柄のボンクラだぁな」
そう言いながら、ヴァンガードはカミィから視線を反らした。その顔が年甲斐もなく赤くなっていることにカミィは気づいていたが、敢えてそれには触れないでおいた。
相変わらず対峙を続けるレグナムと赤神。
彼らの様子は傍目には相対的である。
赤神は特に表情を変えることもない──レグナムをじっと憎らしげに見ている──が、対するレグナムは肩で息をしている状態だった。
片や、力の殆どを封じているとはいえ最高神の一柱。片や、至高神の代行者とはいえあくまでも人間。
やはり、その差は大きい。
赤神がレグナムの奇手に慣れていないため、一見しただけではレグナムが押しているように見える。だが、やはり両者の間の差は大きく、レグナムがどんなに一気呵成に攻めたてても決定打とはなりえないのだ。
対して、赤神の攻撃は一撃でレグナムを倒し得る。
彼が所持している魂送剣がその力を有していることもあるが、神である赤神は多少の傷どころか腹を裂かれようが喉を刺されようが、そう簡単には致命傷には成り得ない。
つい先程、カミィが自らの身体を切り裂きながらもすぐに回復してみせたように。
が、それに対して所詮は人間に過ぎないレグナムは、腹を裂かれればそのまま致命傷となってしまう。基本的な身体の耐久性が違いすぎるのだ。
現状において、戦闘技術や戦闘能力こそ拮抗している両者だが、神と人間という基本的な存在のあり方が違いすぎた。
更には体力や疲労という問題もある。ここでも人間でしかないレグナムは、当然赤神よりも疲労するのが早い。
自分より強い相手と拮抗した戦いを繰り広げる以上、普段よりもどうしたって疲労は激しくなる。
その結果として、今のレグナムは大きく肩で息をしているのだ。
激しい疲労がレグナムの全身にのしかかる。だが、レグナムは決して諦めてはいなかった。
仮にも今の彼は、神と互角に戦えている。カミィによる加護があるとはいえ、人間でしかない自分が最強の戦神と互角に戦えているという事実が、彼の闘志となって燃え上がっている。
「どうした虫けら? もう奇策は尽きたか?」
「囀るなよ、剣神。あまり饒舌だと、心の中の焦りが透けて見えるぜ?」
レグナムの言葉に、赤神は渋い表情を浮かべる。
実際、彼は焦っていた。所詮は羽虫にすぎない人間に、こうも翻弄されている事実に。
確かに自分が奇策の類に慣れていないことは認めよう。それにしても、この虫けらはあまりにもその奇策に長けていた。
赤神にとって、戦いとは神聖なものである。彼は戦いを司る神として創造主によって造られ、引いては創造主の守護を任されたのだから。
その神聖な戦いを、目の前の羽虫は平然と穢すような行為をする。
とはいえ、この羽虫の言い分も納得できないわけではない。勝てないと分っている相手に正面から挑むなど愚の骨頂。ならば、そのような相手に策を巡らせるのは自然の理でもある。それぐらいは赤神とて理解している。
それでも、この羽虫の奇策は巧妙だった。
剣を振るうかと思えば蹴りが飛んでくるし、蹴りがくるかと思えば身体ごと体当たりをしてくる。不朽剣を振るうかと思えば、いつの間にか拾い上げていた小聖剣で突きかかってくる。
要は牽制が極めて上手いのだ。真っ正面からの戦いばかりしてきた赤神には、この牽制が実に厄介だった。
剣といわず拳といわず、体全体を武器にするレグナム。人間を相手にしているというよりは、野獣か魔獣でも相手にしているような感覚を赤神はいつの間にか抱いていた。
戦神にそんな思いを抱かせるレグナムは、まさに《剣鬼》という二つ名が相応しいと言えるだろう。
両者の対決を見つめていたカミィが、再び楽しそうな笑みを浮かべる。
「おい、小娘……は、さすがに神に対して不敬すぎるか?」
「気にするな。好きなように呼ぶがいいのだ」
「そうかい? ならお言葉に甘えさせてもらうが、何がそんなに楽しいんでぇ?」
訝しげに眉を寄せるヴァンガード。そんな彼女に振り返ることなく、カミィは赤神とレグナムの戦いを見つめながら口を開いた。
「いや、あの者たちだが……実に似た者同士だと思ってな」
「似た者同士? あのボンクラと赤神がか?」
「ああ。どちらもその性根は真っ直ぐすぎるぐらいに真っ直ぐなのだ」
赤神は戦神としての誇りを持ち、その誇りに反するような奇策を用いることはない。
レグナムは自身を傭兵だと思っていて、奇策や奇手を取ることに何の呵責もない。
まさに正反対の両者だが、その根っこは同じだとカミィは思う。
片や、誇りに忠実に。片や、誇りなどないからこそ曲がらずに。
自身の心に忠実なあの両者は、そういう意味では似た者同士と言えるだろう。
「なるほど。確かにそいつぁ言えてらぁな」
カミィから説明を聞き、納得の表情で頷くヴァンガード。
「ってこたぁ、そろそろだな?」
「ああ。決着が着くのは近いのだ」
互いの手札は殆ど出尽くしただろう。レグナムとて神相手に通用するような奇策はそう幾つもないだろうし、赤神はそもそも手札など関係なく真っ正面から敵を粉砕する方だ。
レグナムの奇手が赤神の予想を上回るか、赤神の矜持がレグナムの奇手を真っ向から打ち砕くか。それが勝負を分けるに違いない。
そんな確信を抱きつつ、カミィとヴァンガードはレグナムと赤神の対決を静かに見守るのだった。
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