剣神昇華編

第70話 白vs赤


 神々の祝福である「神の息吹」を受けし者。それが「聖別者」であり、「代行者」である。

 これまで決して多くはないものの、それなりの数のせいじんがこのサンバーディアスには現れている。

 だが、「神の息吹」を与える神の性格によって、それぞれの聖人の人数にはかなり偏りが見られることは有名だ。

 さいたいしんの中でも、比較的人間に寛容な「青」「黒」「緑」の三柱の神の聖人は、それなりの数がこれまでに確認されている。

 だが、人間に対してあまり関心のない「黄」や、人間そのものを快く思っていない「赤」の聖人は、それこそ二人か三人が確認されているだけだ。

 《剣聖》ヴァンガード・トゥアレグは、その数少ない赤神の代行者なのである。

 だが。

 だが、これまで──サンバーディアスに人間が歴史を刻み始めてから、はくしんの聖人というものは存在したことはない。

 その、歴史上初めてとなる白神の代行者。

 それがレグナム・ラグレイト・ラブラドライトなのである。




「あ、あの、フォレスタ猊下……そもそも、わたくしはの始創神などという神のことは、聞いた覚えさえありませんが……」

 そうイクシオンに尋ねたのは、オルティア王国のシルビア姫だった。彼女はラブラドライトの王族たちのところに戻ってきたイクシオンに、それまでずっと疑問だったことを尋ねてみたのだ。

 《剣聖》の傍らに跪いている純白の髪の少女にちらりと目を向けたイクシオンは、その視線を少女からラブラドライトの王族たちやシルビアへと改めて移動させた。

 だが、イクシオンが何かを言う前に、ラブラドライトの王太子であるインプレッサが口を開く。

「もしや白神というのは……御伽噺に登場する『最初に存在した神』ではありませんか?」

「ええ、インプレッサ殿下。私もそう考えております。五彩大神やこの世界──サンバーディアスを作り出し、その後はいずこかへと旅立ったと言われる『最初に存在した神』。それこそが白神……カミィ殿……いや、もう『殿』なんて呼び方は不敬でしょうな。『最初に存在した神』こそがカミィ様でしょう」

 インプレッサの考えを肯定し、自分の推測を述べるイクシオン。緑神の最高司祭である彼の言葉を、この場に集っている全員が静かに聞いている。

「だが、『最初に存在した神』とは神話における邪心の王のことだろう?」

「お言葉を返すようですが、ウィンダム陛下。神話とは、所詮人間が造り上げたもの。決して神々の口から伝えられたものではありません」

「では、猊下は御伽噺の方が真実であり、神話の方が間違っていると考えておられる、と?」

「より正確に言えば、御伽噺の方が真実に近い、ですかね。御伽噺もまた、人間が造ったもの。どこまでが真実で、どこまでが虚実かなど、それこそ神々でなければ分からないでしょう」

 そう言ったイクシオンは、改めて純白の始創神と名乗った少女の姿をした神へと視線を向ける。

 その顔に浮かんでいるのは、これまでその少女に向けていたものと同じ柔和な笑み。彼女の正体が世界の全ての上に立つ至高の存在と判明しても、おそらく彼の神はこれまでと同じ態度で接することを望むだろう。そんな確信が、なぜかイクシオンにはあった。

「それよりも、ラブラドライト王国は大変なことになりはしませんか?」

 少しばかり意地の悪そうな笑みを浮かべつつ、イクシオンはウィンダムに問う。

 問われたウィンダムは、イクシオンが何を言いたいのか瞬時に悟ってはっとした表情を浮かべる。

「貴国はこの世界の全ての存在の上に立つ方を、第二王子の伴侶として迎え入れたのです。いかがですか? この世界の全てを創造した至高の存在を義娘むすめとされた心境は?」




 彼女がふと気づいた時、目の前に純白の髪を持つ美しい少女の姿があった。

「お……おめぇは……」

 髪の色こそ違えど、彼女にはその顔に見覚えがある。

 それは彼女が心底気に入り、彼女の愛弟子の嫁にと望んだ少女に間違いない。

「気がついたか? どうだ? 身体でおかしなところはないか?」

 純白の髪の少女にそう言われ、彼女──《剣聖》とまで呼ばれる剣豪ヴァンガード・トゥアレグは、自身に何が起きたのかを思い出して勢いよく身体を起こした。

「あ、あの馬鹿弟子は──っ!? あいつはどうなったっ!?」

 素早く視線を左右に飛ばすヴァンガード。その真紅の双眸が、黄金の鎧を纏った赤い髪の青年と対峙する、彼女の弟子の姿を捉える。

「……あの馬鹿も無事だったか……」

 ほっと安堵の息を吐く。そうした後、ヴァンガードは改めて自分の身体を確かめた。

「傷が癒えている……そうか。おめぇが儂とあの馬鹿を……」

 ヴァンガードが傍らの少女へと目を向ければ、少女は一層鮮やかになった黄金の瞳を嬉しそうに細めた。

「レグナムに頼まれたのだ。貴様を癒すようにとな」

 花のような笑みを浮かべつつ、少女は剣聖の手を引いて立ち上がらせた。

「レグナムの家族たちと一緒にいるのだ」

「そうさせてもらうぜ」

 そう言いつつも、ヴァンガードは心配そうな目を彼女の愛弟子へと向けた。

「あの馬鹿が剣を向けている相手……ありゃ赤神の眷属か?」

「眷属ではない。あれは赤神自身なのだ」

「なンだとぉっ!?」

 ヴァンガードが目を剥く。彼女の認識では赤神カーネリアンは女神だったので、目の前の赤い髪の青年が赤神だとは考えもしなかったのだ。

「おい。あの馬鹿弟子は赤神に勝てるのかよ?」

 今、彼女の弟子であるレグナムは、静かな殺気を宿しながら、左右の手に持った長剣ロングソード小剣ショートソードを赤神へと向けている。

 彼の髪と瞳の色が、自分の近くにいる少女と同じ色に変じていることにヴァンガードは気づいている。そして、それが何を意味するのかも。

 例え彼女の弟子が傍らの少女の代行者となったからと言っても、人の身で神々の頂点である五彩大神の一柱に敵うとは思えない。

 だが純白の髪の少女は、ヴァンガードのそんな心配を軽く笑い飛ばした。

「レグナムは負けないのだ」

「ほう。赤神に負けないだけの『神の息吹』を馬鹿弟子に授けたってか?」

「そうではないのだ」

 相変わらず艶やかな笑みを浮かべながら、純白の少女は信頼の篭った目を彼女の代行者へと向けている。

「あいつはレグナムなのだ。他ならぬ、この我輩が認めたレグナムなのだ。そのレグナムが力を封じた状態のあの小僧に負けるわけがないのだ」

 赤神もまた、その力の大半を封じてこのサンバーディアスに降り立っている。封印をしない状態では、ただそこにいるだけでこの世界が壊れてしまいかねないからだ。

 力の大半以上を封じた赤神と、純白の始創神から加護を受け、二振りもの聖剣を有するレグナム。その力の差は限りなく小さいものとなっている。

 だが、純白の少女が言っているのはそんなことではない。

 レグナムだから。たったそれだけの単純な理由で、純白の少女は彼が負けないと言っているのだ。

 その事実に、ヴァンガードは目を白黒させる。

 ヴァンガードのそんな様子など気にする素振りも見せず、純白の少女は微笑みさえ浮かべてレグナムの背中を見つめていた。




 静かな闘志を燃やしながら、レグナムは彼の神である純白の始創神より授かった二振りの聖剣を構える。

 その彼の視線の先には、黄金の豪奢な鎧を纏った赤い髪の青年。

 人間の間では戦神とも剣神とも信仰される、カーネリアンという名前で知られる神の一柱である。

 本来ならば、どう足掻いたところで人間が歯向かっていい存在ではない。

 だが、今のレグナムは剣神と対峙しているという畏れはまるでなかった。

「行くぜ、剣神」

 左右の聖剣を構えたまま、レグナムが一歩間合いを縮める。

 だが、剣神はそれに何の反応を示すことなく、ただただ憎らしげな目をレグナムに向けているだけだ。

 そんなレグナムたちの様子を、固唾を呑んで見守るレグナムの家族たち。

 ごくり、と誰かが喉を鳴らした時。

 見守っている人々の前から、純白と赤の髪の青年たちの姿が突然掻き消えた。

 思わず唖然とするラブラドライトの王族たちと、オルティアからの客人たち。

 そんな人々の耳に、どこからともなく激しい金属同士がぶつかり合う音が響く。

 ラブラドライト王国の王城内の、ヴァンガードに与えられた離宮の庭のあちこちから、激しい剣戟の音が響き、居合わせた者たちはその音の発生源を求めて視線をあちこちに走らせる。

 そんな中で、純白の髪の少女と剣聖だけが、高速で剣を打ち合わせる二人の青年の姿を正確に捉えていた。

 剣戟の音に混じって、離宮の庭に植えられた樹木がへし折れる音、各所に配置された庭石が砕ける音、地面が弾け飛ぶ音などが混じる。

 美しく手入れのされていた離宮の庭が、見るも無残に破壊されていく。だが、それを気にしている者は誰もいない。

 やがて一際甲高い金属音が響くと、庭の真ん中で剣を打ち合わせた状態の姿勢で二人の青年が姿を現した。

 相変わらず憎憎しげに純白の髪の青年を見つめる赤い髪の青年。

 対して、純白の髪の青年は不敵な笑みを浮かべながら、目の前にある赤い髪の青年の美しい顔を見つめる。

「さすが剣神だ。なかなかやるじゃねえか」

「貴様……虫けらの分際でこの我を愚弄するか?」

 苛立たしそうに眉をしかめる赤神。そんな赤神に、レグナムはにぃと口角を釣り上げた。

 きん、と澄んだ金属音を響かせて、レグナムは長剣で赤神の黄金の剣を強引に弾き上げる。

 純白の始創神がレグナムに授けた長剣。その長剣には特別な力はない。そのことを、レグナムは長剣を手にした瞬間に理解していた。

 だが、この長剣──聖剣は、決して折れることも刃こぼれを起こすこともない。それこそがこの聖剣に与えられた力だ。

 その聖剣の力を信じて、レグナムは普通ならば刃こぼれを起こしそうな勢いで黄金の剣を弾く。

 剣を弾き上げられ、赤神の胸から腹にかけての防御が空く。その空隙を、レグナムは左手の小剣で横に薙いだ。

 だが相手も戦神とも呼ばれる存在である。赤神は小剣の軌道を瞬時に読みきり、最小限の動きで小剣の斬撃を避けてみせた。

 そして、弾かれた黄金の剣を、上段からレグナムの頭部目がけて一気に振り下ろす。

 レグナムは左右の剣を頭上で交差させ、赤神の神速の振り下ろしを何なく受け止めた。

 三振りの剣の刃が火花を散らし、ぎぃぃぃんと耳障りな金属音を響かせる。

 両腕に力を込め、そのまま押し切ろうとする赤神と、歯を食いしばってそれに耐えるレグナム。

 そのレグナムを力ずくで屈服させようと、赤神が更に力を込めた時。

 レグナムの身体がすとんと大地に倒れこんだ。

 全身の力を突然抜き、自ら大地に身を投げ出すレグナム。彼は大地に倒れこむ直前、そのままくるりと地面の上で一回転。赤神の足元へと潜り込んだレグナムは、その勢いを殺すことなく伸び上がるようにして左手の小剣を赤神へ繰り出す。

 一方、突然力の均衡を崩されて体を泳がせた赤神。その足元から勢いよく飛び込んでくるレグナムを見て、ほんの僅かだがその表情を引き攣らせた。

 いくら神とはいえ、決して万能の存在ではない。完全に泳いでしまっている今の体勢では、レグナムの一撃を防ぐのは不可能──力を封印していない状態なら話は別──だ。

 それでも必死に身を捩じらせ、直撃だけは避けることに成功する。

 レグナムの小剣と赤神の身体が僅かに交差した瞬間。きん、という甲高い音が周囲に響いた。

 レグナムの小剣を避けた赤神は、崩れた体勢を立て直すために一度大きく跳躍。レグナムから距離を取る。

 その赤神の足元へ、がらんという大きな音と共に、彼が纏っていた黄金の鎧が落下した。

 先程の交差の時、レグナムの小剣が鎧を斬り裂いたのだ。

 足元に落ちた鎧にちらりと目を向け、ついで怒りに満ちた表情でレグナムを見る赤神。

「き、貴様……よくも御方より賜った我が鎧を……」

 これまで悠久とも呼べる永い時間、彼の身を守ってきた黄金の鎧。それは始創神より賜った究極の防御力を誇る鎧だ。

 その鎧が、まるで紙か布のように容易に斬り裂かれた。

 だが、赤神が怒りを覚えたのは、単に鎧を破壊されたからではない。

 彼が敬愛する──いや、一人の女性として何より愛する存在より賜った鎧。それは彼にとって、その女性との絆にも等しい。

 その絆を破壊されたことが、赤神には許せなかったのだ。

「許さんぞ……貴様には『冥界の迷宮』へ堕とすことさえ生ぬるい……その魂そのものをこの場で引き裂いてくれる」

「できるのか? 力を封印した今の状態で?」

 レグナムの挑発に、赤神の眉が跳ね上がる。

「ならば……ならば、封印など解いてしまえばいい。例えこの世界──サンバーディアスが崩壊しようが、この世界の上で生きる命が全て根絶やしにされようが……我には関係ないことだ。いや、こんな世界があるからこそ、御方の御心が惑うのだ。こんな世界さえがなければ、御方も御心の惑いからお目覚めになり、我々のいる神々の座へとお戻りくださるだろう」

 どこか恍惚とした表情さえ浮かべる赤神。

 その人間離れして整った美しい容貌にそんな表情が加わり、白と赤の激突を眺めていた者たちも、状況を忘れて思わず見入ってしまう。

 だが、今の赤神の姿に惑わされない者が二人いた。

 一人は純白の髪の少女。もう一人は、赤神と対峙している純白の髪の少女の代行者。

「…………なるほどな。カミィの言う通りだ」

「…………なんのことだ?」

 唐突にその表情を不機嫌そうなものに変え、赤神は自分に二振りの剣を向ける忌まわしき存在へと目を向ける。

「カミィの奴が言っていたんだよ。おまえは子供だってな」

「我が…………子供だと?」

「そうさ、あんたは子供なのさ。それも他の兄弟や父親に、大好きな母親を取られると思って駄々をこねる幼い末っ子だ」

 レグナムの口元が、にやりと不適に歪んだ。

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