第69話 白神の代行者
「お目覚めするのを心待ちにしておりました。我らが父にして母、我らを生み出したもうた偉大なる
どこか恍惚とした表情を浮かべながら、赤い髪の青年は純白の髪となったカミィの傍らに跪く。
だが、当のカミィはそんな青年には目もくれず、床に倒れているレグナムとヴァンガードへと目を向けた。
「………魂と肉体との繋がりはまだ切れてはおらん、か……ふ、
その呟きが聞こえたからかどうか。イクシオンははっと我に返ると、慌てて倒れているレグナムの元へと駆けつけた。
「…………カミィ殿の言う通りだ……ま、まだ僅かだが息がある……っ!! グラシア卿、《剣聖》殿の具合はどうかっ!?」
「こ、こちらも辛うじて生きてはいますっ!! で、ですが……」
イクシオンに言われてヴァンガードへと近寄り、彼女の容態を確かめたカムリの顔が苦しげに歪む。
彼も騎士として、これまで臨終に面した経験は何度もある。その経験から言っても、ヴァンガードの傷は手の施しようのない致命傷だった。
そのカムリの言葉を聞き、イクシオンは一度だけ倒れているヴァンガードに目を向けるが、すぐにそれを振り切って自分が抱き抱えているレグナムへと視線を向けた。
彼は決断したのだ。傷の具合から二人を共に助けることはできない。よって、まだ傷の浅いレグナムだけに治療を専念する、と。
その決断は、ヴァンガードを見捨てることだ。だが、例え
その手に緑に輝く神気を宿し、レグナムの治療に専念するイクシオン。
この時になって、ようやく他の人間たちもそれぞれ動き出す。
国王であるウィンダムは、兵士たちを呼び出そうとしてそれを止めた。
《剣聖》であるヴァンガードを一刀のもとに切り捨てた赤い髪の青年。そんな相手に並の兵士を百人以上呼び寄せたところで、単に屍の山を築くだけだからだ。
彼は背後に妻や娘、そしてオルティア王国のシルビア姫を庇いながら、注意深く様子を窺う。
彼とて倒れた息子は心配だし、師でもあるヴァンガードの安否も気にかかる。
だが、それよりも妻や娘、そして隣国の姫君を守らなければならない。
ぎりっと奥歯を噛みしめながら、ウィンダムはカミィとその傍らに跪いたままの青年に鋭い視線を向けた。
居合わせた人間たちが動き出しても、赤い髪の青年は何ら動きを見せない。まるで彫像のように、カミィの傍らで跪いたままだ。
そんな青年に冷たい一瞥をくれ、カミィはレグナムへと視線を向けた。
その時、視界の隅に完全に平伏しているクラルーの姿が入るが、彼女は意識してそれを無視する。
鮮やかな黄金となったカミィの瞳が、すぅと細められる。
途端、その場は厳粛な雰囲気に包まれた。
代行者であるイクシオンは、それが神気が周囲に浸透したためだと咄嗟に理解する。
もちろん、その神気の出所はカミィだ。カミィの小柄な身体から圧倒的なまでの神気が放出されているのを、代行者であるイクシオンだけはしっかりと感じ取っていた。
例え代行者でなくとも、場の空気が変質したことは分かった。そして、その原因も朧気ながら理解していた。
そんな中、レグナムの身体がぴくりと動く。
驚いたイクシオンが見詰める中、レグナムはその茶色の瞳をゆっくりと開けていく。
むくりと上半身を起こしたレグナムは、そこで周囲をゆっくりと見回した。
皆、驚きの表情を浮かべて自分を見ている。そんな中、純白の髪の美しい少女が不敵な笑みを浮かべていた。
「お、おまえ……カミィ……か?」
「貴様には我輩が我輩以外の何に見えるというのだ?」
「ははっ、間違いねえ。カミィだ」
レグナムは立ち上がると、そのままカミィの元へと歩み寄る。
彼女のすぐ傍に、自分を刺した赤い髪の青年が跪いていることには、レグナムもとっくに気づいていた。それでも青年を無視して、レグナムはカミィの元へと近付いた。
カミィのすぐ近くまで来たレグナムは、彼女と同じような不敵な笑みを浮かべる。そして互いに腰の高さで繰り出した拳同士をぶつけ合う。
「うん。黒髪も良かったが、白い髪も似合うな」
「ば、馬鹿者っ!! と、突然何を言い出すのだっ!?」
レグナムの突然な言葉に、カミィは若干頬を赤く染め、わたわたと視線を泳がせた。
そんなカミィの純白に変化した髪を、レグナムはいつものようにわしゃわしゃとかき混ぜる。
「オレの傷を癒してくれたのはカミィなんだろ? 助かったぜ。ありがとな」
「わ、我輩は単に傷を癒しただけだ」
かつては、傷口に舌で触れねば癒しを施すことはできなかったカミィだが、封印の解けた今ならば、視線を向けるだけで癒しを与えることができる。
しかも、これでも彼女の本来の力からすれば半分ほどしか解放されていない。カミィが持つ力は大きすぎて、その全てを解き放つわけにはいかないのだ。
「だけど、おまえが癒してくれたお陰で、オレは再び『冥界の迷宮』に堕ちずに済んだんだ」
「そうか……黄から聞いたのだな」
一瞬だけ目を瞠り、その後に再び目を開いて柔らかく微笑むカミィ。
黄神が言ったように、今のレグナムには前世の記憶はほとんどない。だが、黄神の神殿で彼の神と交わした言葉は覚えている。
そして、今回の元凶がどこにあるのかも。
レグナムはカミィから視線を逸らすと、いつの間にか立ち上がっていた赤い髪の青年をじっと見据える。
「カミィ、師匠を頼む。それから……オレはこれまでの因縁と決着を着けなきゃならねえ。おまえは手を出すんじゃねえぞ?」
「いいのか? 相手は今の貴様では決して手の届かぬ存在だぞ?」
「それでも……後には退けねえこともあるんだ」
カミィからレグナムの顔は見えないが、彼を翻意させるのは難しいことは容易に理解できる。
「分かったのだ。我輩は手を出さぬ。だが……少しばかり助力するぐらいは構わないだろう?」
カミィはレグナムの腰から、彼が愛用する
「
カミィはその可憐な唇を剣に押し当てた。
彼女の唇が触れた箇所から、白い光が剣全体を包んでいく。やがて光が剣全体に及ぶと、剣に吸い込まれるように消えていった。
「……これで、この剣は我が聖剣となった」
自ら祝福を与え、聖剣となった長剣をカミィはじっくりと眺める。
そして。
その聖剣をレグナムに返すことなく、カミィはおもむろにその切っ先を自らの胸に押し当てると、そのまま躊躇うこともなく一気に刺し貫き、そのまま縦に自らの身体を引き裂いた。
カミィの身体から真紅の血が飛び散り、レグナムの身体を濡らす。
あまりの唐突さに、ぽかんとした表情で見つめていることしかできなかったレグナム。しかし、カミィの血の温かさを感じて我に返る。
「お、おい、カミィっ!? いきなり何を……っ!?」
「慌てるな。今の我輩はこれぐらいでどうこうなりはしない」
まるで苦痛を感じている風もなく、カミィは慌てるレグナムにそう言い置くと、その白い繊手を無造作に自ら引き裂いた傷口へと押し込んだ。
何かを探し求めるように、ぐねりぐねりと自らの体内で蠢くカミィの手。やがて目的のものに行き当たったようで、カミィはずるりとその手を引き抜いた。
その光景を、レグナムは間近で呆然見つめていた。
いや、違う。
彼が見つめていたのはカミィではなく、体内から引き抜いたその手が持っているものだった。
剣である。
それまでカミィの体内にあったはずなのに、刀身にも柄にも血による汚れは欠片も見当たらない。
「そ、それは……」
「これもまた、我輩の聖剣だ。我輩の力を封じるための聖剣……そうさな、言わば『封神剣』といったところか」
カミィは封神剣と名付けた聖剣を、無造作にレグナムに手渡した。
「……聖剣を二振りも……いいのか?」
「ああ、遠慮するな。それに、例え聖剣が二振りあろうとも、あの小僧にはまだまだ及ばぬと思うがいいのだ」
不敵な笑みを浮かべながら、カミィは片手で傷ついた身体をそっと一撫でする。
それだけで、彼女の身体にあった醜い傷跡が消え失せた。いや、傷だけではなく、彼女の身体を汚していた血まできれいに消えたのだ。
さすがに着ていた服までは修復できなかったようで──もしかすると、忘れているだけかもしれない──、形の良い胸の膨らみの下半分と滑らかなお腹が覗いてしまっていて、レグナムは目のやり場に困ってしまう。
「相手は貴様たちの言う
カミィの言葉に、レグナムは黙って頷いた。
彼女に言われなくても、その事実はレグナム自信が理解している。
「だから……もう一つ、貴様には我輩の助力を与えてやるのだ。いいだろう、
カミィは初めて赤い髪の青年へと声をかけた。
立ったまま微動だにしない青年。彼はどこか悔しそうな表情を浮かべたまま、カミィの言葉に応えることなくただただ一点だけを──レグナムだけを冷たい眼差しで見つめていた。
「沈黙は肯定したと見なすぞ?」
カミィもまた、困った子供を見る母親のような表情を浮かべながら、その白くて細い両の腕をするりとレグナムの首へと回した。
「お、おい、カミィっ!? お、おまえ、何をする気…………むぐぅ……っ!?」
ぐだぐだと喚くレグナムの口を、カミィは一方的に塞いだ。
彼女の、その可憐な唇を以て。
レグナムとカミィの唇同士が、熱い抱擁を交わし合う。どれぐらいそうしていただろうか。押しつけた時と同じように一方的に唇を離したカミィは、そこで厳かと呼んでいい神気を纏いながら大いなる宣言を下した。
「レグナム・ラグレイト・ラブラドライト。貴様を我輩……純白の始創神の代行者に任ずる」
宣言と同時に、純白に輝く神気がレグナムの全身を包む。
神気は聖剣の時と同じように、染み込むようにレグナムの身体へと吸収されていく。
「あ、ああ…………」
「れ、レグナムの髪と瞳が……」
呆然と見つめるラブラドライトの王族たちの前で、その変化は生じた。
焦茶色だったレグナムの髪は、カミィと同じ純白に。
茶色だったレグナムの瞳が、カミィと同じ黄金に。
「……純白の始創神の…………
そう。
それはサンバーディアスにおいて、白神の代行者が歴史上初めて出現した瞬間だった。
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