過去回顧編

第64話 過去へ


 ずかずかと無遠慮な歩み方で、その者は無人の回廊を進む。

 誰もいない回廊。ただし、その広さは無限を思わせるほど。

 物音一つしない静寂が支配するその回廊に、がちゃりがちゃりという鎧の鳴る音と足音だけが響き渡る。

 その音響が表して居るのは、明らかな怒り。

 不機嫌そうな表情で、黄金の鎧を纏った赤い髪の少女ともとれる中性的な容貌をしたその男性は、無言のまま回廊の先にある広間へと足を踏み入れた。

「またかっ!? またおんかたは下界に……サンバーディアスに降りられたのか?」

 広間に入って早々、荒い語気の言葉を発する赤い髪をした男性。

 その声に、既に広間にいた四つの影が一斉に振り返る。

「どうして、御方をお引き止めしないのだ、貴様らはっ!?」

 怒り心頭な視線で、赤い髪の者は広間にいた四つの影を睨み付ける。

せきはそう言うけど、僕たちに御方を引き止める権限も力もない。それは君もよく知っているだろう?」

 四つの影の内、緑の髪をした男性が赤い髪の男性を宥めるように言う。

 緑の髪の男性の言葉に、赤い髪の男性はその整った顔を歪ませる。

 それぐらい、赤い髪の男性も承知していることだ。もしも自分に今以上の力があれば、力ずくでもあの方を下界──忌わしくも愚かな人間どもがひしめき合う世界になど行かせたりはしない。

「……まったく、御方は何がおもしろくて、こうも頻繁に下界に赴かれるのか……」

 忌々しげに吐き捨てられた赤い髪の男性の言葉。その言葉に、波打つような漆黒の長い髪の、少しふくよかな女性が返答する。

「どうやら、下界に御方がお気に召した人間がいるようよ」

「なんだと……っ!?」

 殺気さえ放ちそうな勢いで、赤い髪の男性の怒気が一瞬で膨れ上がる。

 事実、膨れ上がった怒気によって、広間を支える幾本もの柱がびりびりと震動する。だが、広間に居合わせた赤い髪の男性以外の者たちは、まるでそよ風を受けているかのように全く動じていない。

「貴様ら……貴様ら、それが分かっていて……どうして……どうしてあの方が下界に降りるのを黙認するのだ……?」

「仕方ないだろう。それが御方のご意志なれば、我々はそれに従う他ない」

せいの言う通りだ。いくら我々が御方に次ぐ力を有するとはいえ……所詮、我々も御方によって生み出された存在なのだから」

おうの言葉が正しいね。我々もあの方に造られた被造の存在だ。創造主たる御方に逆らえはしないのさ」

 自分以外の存在が発する言葉の正しさに、赤い髪の男性が歯噛みする。

「ちっ……それで、どのような存在なのだ?」

「なんのことかしら?」

「とぼけるなよ、こく! 御方がお気に召したという、その人間のことだ! もしも御方に良からぬことを考えるような存在ならば、即刻我が剣でその魂まで存在を消し去ってくれるわ!」

 腰に佩いた剣に手をかけながら、赤い髪の男性は語気荒く吐き捨てた。

「気になるならば、自分の目で確かめたらいいよ、赤」

 荒れる赤い髪の男性に、苦笑を浮かべた緑の髪の男性が進言する。

 途端、彼らの足元が暗闇に染まる。そして徐々に、そこにある風景が浮かび上がってくる。

「ほら、ここだ……この人間の小さな集落の中に、御方がお気に召した人間がいる」

 いまだに怒りが収まらない様子の赤い髪の男性。だが、それでも緑の髪の男性の言葉が気になるのか、ちらりと横目で足元に広がるその光景を見てみる。

 そこには、緑の髪の男性の言葉通り、小さな田舎の集落と覚しき風景と、一人の少年の姿が映し出されていた。




 誰かに名前を呼ばれた気がして、彼は意識を眠りの底からゆっくりと浮上させた。

 それに合わせて目を開けば、すぐ近くによく見知った顔。

 高く澄んだ青空を背景に、その顔が楽しそうに笑いながら自分を覗き込んでいた。

「またこんな所で寝ていたのか? 風邪を引いても我輩は知らんぞ?」

「ああ、ラピュタか……」

 それは、彼の義妹いもうととなった少女だった。

 黒い髪に金の瞳の恐ろしいまでに美しい少女。それは数年前、猟師となったばかりの彼が森で獲物を追いかけていた時に、偶然出会った少女だった。

 その美しい姿にすっかり魅了されながらも、森の中に一人いることを不審に感じた彼が少女に事情を問い質せば、どうも記憶がないらしい。

 放っておくこともできずに、少年はこの美しい少女を自宅へと連れ帰った。

 その時の村中の騒ぎようはそれはもう凄まじかった。彼が嫁を連れ帰ったと、村中をあげての大騒ぎになったのだ。

 そもそも辺境の田舎町である。娯楽にも乏しいため、突然美しい少女を連れてきた彼をネタに、ちょっとしたお祭り騒ぎになったのも無理はないというものだろう。

 その後、少女はそのまま少年の家に引き取られることになった。少女は名前も忘れていたため、彼とその両親は少女にラピュタという名前を与えた。

 この名前は、幼い頃に病で息を引き取った彼の実妹の名前でもある。

 それ以後、ラピュタと名付けられた少女は、彼の義妹として一緒に暮らしている。

 村人たちも少女を歓迎し、今は彼の義妹であるが、将来は彼の妻となるのだと目していた。

「いつまでもこんな村外れの丘で居眠りなどしておらんと、さっさと家に帰るぞ」

「そうだな。今日も獲物はたくさん獲れたしな」

 彼が背後を振り返れば、そこには山鳥や野兎といった小さな獲物から、猪などの大型の獲物まで実に多くの収穫が置かれていた。

「猪はなんとかここまで引っ張ってきたけど……ここから先は村の人たちに手伝ってもらって運ぼう」

「それがいいのだ。ついでに、少し皆におすそ分けもするのだろう?」

「当然だろ? そもそも村中みんな親戚みたいな小さな村なんだ。できることは何でも助け合わないとな」

「ふふふ。相変わらず真面目で優しい奴だな」

 少女がふわりと笑う。

「ん? 何か言ったか?」

「何でもないのだ。気にするな」

 不思議そうに首を傾げる彼を見て、ラピュタは再び笑った。




「いやぁ、すっかりお前も一人前の猟師になったな!」

 村に一軒だけある酒場にて、彼は村人たちから手荒い歓迎を受けていた。

 今日、彼が仕留めた獲物を村中に配ると、その返礼にと細やかな酒宴が催されたのだ。

 テーブルの上に列ぶのは、彼が仕留めた獲物を料理したもの。

 酒場の主人とその奥方、そして村の主婦連中による力作ばかりだ。

 それを摘みながら、彼も酒を適当に飲む。元よりそれほど酒に弱いわけでもないが、明日もまた狩りに行かなくてはならない。深酒をするつもりは彼にはなかった。

 すっかり酔いが回り、赤い顔で豪快に笑いながら彼の背中をばんばんと叩くのは、彼に狩猟のいろはを教えてくれた師匠のような存在だった。

 だが、今では猟師としての腕は彼の方が上であり、そのことを師匠である男性も認めてくれている。

「もう、名実共におまえがこの村一番の猟師だな。別嬪な嫁もいることだし、おまえの人生は問題なしってわけだ!」

 師匠がそう言うと、集まった村の連中も口々に同意する。

「だ、だから……っ!! ラピュタは義妹であって、オレの嫁ってわけじゃ……」

 彼の顔が赤いのは、酒気によるものだけではないのは明白だ。

 口々に囃し立てる村の連中。だが、そんな彼らが突然ぴたりと黙り込んだ。

 村の男衆にもみくちゃにされていた彼がある方向へと目を向ければ、そこには今しがた話題に登っていた彼の義妹の姿があった。

「楽しそうだな、じゃよ」

「おまえにはオレが楽しそうに見えるのか?」

「ああ、見えるな。義兄者も村の衆も、とても楽しそうだ」

 美しい容貌に花のような満面の笑顔を浮かべて。彼の義妹は彼と同じテーブルに腰を落ち着けると、その上の料理へと手を伸ばす。

「しっかし、おまえの嫁は相変わらず変な言葉使いだなぁ。まあ、もうすっかり慣れちまったけどよ」

「そうだな。あの金の聖痕のこともあるし、最初に現れた当時はどこかの神殿の巫女様とかも言われていたっけな」

「ああ。もっとも、あんな食い意地の張った巫女様がいるとは思えんけどな」

 村の衆が朗らかな笑い声を上げる中、ラピュタは次々に料理を喉の奥へと流し込んでいく。

 あの小さくて細い身体のどこにあれだけの料理が入るのかと、村の衆もすっかりいつもの光景となったそれを見つめつつ、改めて疑問に感じていた。

 それでも、義妹となった少女を慈愛と情愛に満ちた視線で見つめる彼と、その横に寄りそう少女の姿を村人たちは微笑ましく見守っていた。




 酒場から自宅への帰り道。

 彼の手には、両親への土産にと包まれた料理がぶらさげられている。

 引っ込み思案で人付き合いの苦手な彼の両親は、今日の宴席にも顔を出していない。

 そんな両親へと、彼とその義妹は残った料理のいつくかをこうして持ち帰ろうとしているのだった。

 月もなく、星明かりだけを頼りに、彼と彼女は慣れた村の通りを家へ向かう。

 とはいえ、その足取りはゆっくりだ。ここは辺鄙な田舎町である。犯罪など全く無縁であり、事件と言えば作物を狙って野生動物や魔獣が出現するぐらいしかない。

 そんな夜道を、彼と彼女は肩を並べてゆっくりと歩く。

 二人の間に言葉はない。それでも、もう何年も兄妹として暮らしてきた二人である。何も言わなくても、それが苦痛になったりはしない。

「……楽しいな、ここは」

 突然、彼女が立ち止まってぽつりと零した。

「ここはこんなに楽しい所となったのだな。ここがこんなに楽しい所になるとは、我輩は思ってもいなかったのだ」

「ラピュタ?」

 突然足を止めてしまった義妹を振り返り、彼は不安そうな表情を浮かべる。

「なあ、義兄者よ」

 彼女はその美しい顔を伏せて、数歩先にいる彼へと声をかけた。

「我輩は義兄者のことが好きなのだ。義兄者の真っ直ぐで曇りのない性根が好きだ。いつも何にでも全力で挑む姿勢が好きだ。誰にも分け隔てなく接することができる優しさが好きだ……そして何より、我輩を義妹として……ただの少女として接してくれる義兄者が好きなのだ……」

「ら、ラピュタ……突然何を……」

 突然その胸の内を告白し始めた義妹に彼は狼狽える。

「突然ではないのだ。義兄者と暮らし始めて……こちらの時間で数年ほど経ったが、出会った頃から我輩は義兄者に惹かれていたのだ。いや、そうではないな。我輩はもっと前から義兄者を見ていた。ここではない遠くから、きらきらと輝く魂を持った義兄者に興味を引かれ……じっと見ている内にいつの間にか心惹かれるようになってしまった。そして数年前、とうとう我慢できなくなって直接義兄者に会いに来たのだ」

 今、彼女の表情は彼には見えない。それでも、彼には彼女が泣いているように思えた。

 だから。

 だから彼は、彼女がこれ以上泣かなくてもいいように、その細くて小柄な身体を抱き寄せ、力一杯に抱き締めた。

「オレだって……オレだっておまえのことが好きだった……初めておまえと出会った瞬間から、オレはおまえのその金の瞳に囚われてしまったんだ」

 抱き締めた小さな身体が、ぴくりと震える。

「義兄者よ……我輩は、義兄者が考えているようなではない。もっと別の何かだ。人間である義兄者からすれば、いっそ化け物に程近い存在なのだ……それでも……それでも義兄者は……我輩を好きだと言えるのか……?」

 彼女はまだ顔を上げない。それでも、抱き締めた華奢な両肩が細かく震えているのは彼にも確かに伝わってくる。

「ああ……オレは……オレはおまえを愛している! 例えおまえの正体が魔物であっても、オレの気持ちは変わらない……!」

「義兄者……っ!!」

 この時、ようやく彼女は顔を上げた。

 その両の頬は確かに涙に濡れていた。しかし、それは決して冷たいものではなく、暖かなものが含まれていた。

「もうオレはおまえの義兄じゃない……っ!! 義兄ではいられない……っ!! オレは一人の男で……おまえも一人の女だ。だから……だからこれからは、オレのことは名前で呼んで欲しい」

「…………分かったのだ」

 彼女は彼へとこれまでで最高の笑顔を向けながら、彼のその名前を告げた。

「……これからも……これからも我輩と一緒にいて欲しいのだ……

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