第62話 ダンス


 レグラムとカミィ、そしていつの間にか傍に来ていたクラルーは、のんびり料理を楽しんでいた。

 彼ら──正確にはレグラムとカミィの二人──が醸し出す一種独特の雰囲気が、他者を寄せつけない見えない壁となっている。

 レグナムやカミィと何とか関係を築こうと画策する貴族たちも、その壁に遮られて近づけない。

 そうしていると、壁際でゆったりとした音楽を奏でていた楽団が、それまでとは曲調の違うものを奏で始めた。

 それに合わせて、男女で一組になった者たちが数名、大広間の中央へと歩み出ていく。

 その中には国王と王妃、王太子と王太子妃、そしてオルティア王国の第三王女と緑神神殿最高司祭の姿もある。

「ん? 何が始まるのだ?」

「何がって、決まっているだろ? ダンスだよ」

 ほら、とレグナムが広間の中央を指差せば、そこでは男性と女性が優雅に舞っていた。

「ほう。おもしろそうなのだ」

「へえ? おまえって踊れるのか?」

「馬鹿にするな。我輩は神だぞ? 人間の踊り程度、少し見ただけで覚えられるのだ」

「そっか。じゃあ────」

 レグナムはその場で優雅に一礼し、そっと右手をカミィへと差し出す。

「────美しき姫君よ。どうか一曲、私と踊っていただけませんか?」

 気取った調子でカミィを誘えば、にやりと笑ったカミィもそれに合わせる。

「承知いたしました。わたくしで良ければお相手いたしましょう」

 こちらも優雅にドレスの裾をひょいと持ち上げて一礼すると、レグナムが差し出した手の上にその繊手をそっと乗せた。

 カミィの手を引いて、レグナムは広間の中央へと進み出る。

 彼らが進むと、踊っていた者たちは気を利かせて踊りながらも場所を譲ってくれた。

 ぽっかりと開いた空間の中央で、二人は互いに向き合うと再び一礼する。

 レグナムはカミィの細い腰に手を回して引き寄せ。

 カミィはレグナムの身体にそっとその身を預け。

 二人はしっとりと流れる音楽に合わせて、その身を緩やかに舞わせ始めた。

 くるくると揺れるカミィの深い青のドレスの裾。その裾と戯れるような、レグナムの優雅な、それでいてしっかりとした足運び。

 いつしか、大広間に居合わせた者たちは、踊っていた者たちも踊っていなかった者たちも、中央で舞うように踊る二人に見入っていた。

 長年の病が癒えたばかりとは思えない、第二王子のしっかりとした動き。

 その動きに合わせて、輝かんばかりの笑顔で舞うのはその婚約者だという謎に包まれた美少女。

 誰もが、その二人に見蕩れるような熱い眼差しを向けているのだった。




 一曲踊り終えたレグナムとカミィは、割れんばかりの拍手に迎えられて大広間の中央を離れた。

 そんなレグナムたちの前に、一人の老紳士が現れる。

「お久しぶりでございます、殿下。お変わりなくお戻りになられたようで何より。そして────」

 老紳士はレグナムが手を引いたままのカミィへと視線を向けると、皺が刻まれた顔に人好きのする笑みを浮かべた。

「────実に愛らしいお方ですな。殿下とはとてもお似合いだ」

「爺さん。殿下は止めてくれって言っているだろ?」

 レグナムは目の前の老紳士に、困ったような呆れたような複雑な表情で告げた。

「そうはまいりません。確かに血縁上は私は殿下の祖父になりますが、このような公の場では私は一介の貴族。殿下の臣下にございます」

 そう言って深々と一礼したのは、エディックス・アスパイア公爵。レグナムの母方の祖父に当たる人物だ。

 通りかかった給仕係から、四人分──またもやクラルーがいつの間にか傍にいた──の飲み物を受け取ったアスパイア公爵は、久しぶりに再会した孫との会話を楽しむ。

 口ではどうこう言ってもやはり孫は可愛いらしく、アスパイア公爵は旅の間のことをあれこれとレグナムに尋ねていく。

 そんな穏やかな祖父と孫の会話。他の者たちも二人気を使ってか遠巻きにして眺めているのみ。

 だが、どんな所にも「空気の読めない」奴はいるもので、久しぶりの会話を楽しむ二人の間に割り込もうとする者が現れた。

「第二王子殿下! 初めてご尊顔を拝する栄誉を賜りまして、恐悦至極にございます! わたくし、国境警備を国王陛下より任されておりますヒュンダー・ミライースと申しまする。この度は殿下のご病気が癒えましたこと、一言お祝い申し上げたくて遠く国境の地より馳せ参じました。また、アスパイア閣下もご壮健のようで安心致しましてございます。ご両名様とも、以後はわたくしとどうかよしなに────」

 矮躯でありながらも、横幅だけはある体格のその男は、頭を下げたままレグナムたちの前に進み出て、一気に捲し立てた。

 そして、最大限の愛想笑いを浮かべたその顔を、初めて上げて目の前の第二王子と共にいた王国でも指折りの公爵家の当主の顔を見つめる。

 が、その愛想笑いが一瞬で凍りついた。

 もちろん、それはレグナムの顔を見たからだ。

「き、きききき貴様……じゃなくて、あなた様は……っ!? ど、どうしてあなた様がここに……?」

「どうしてもこうしても、オレは今日の宴の主役だからな、一応」

 手にしていた飲み物に口を付けながら、レグナムはおもしろそうなものを見つけた目つきで目の前の小男を見下ろした。

「は……はっ!? で、では、第二王子殿下とは……」

「ああ。それ、オレだよ」

「あ、あなた様はあの時、自分は貴族とは関係ないと仰っておいでではございませんかっ!?」

「そりゃそうだろ? 王族と貴族は一応別物だし」

「き、詭弁だ……っ!! い、いえ、それは些か詭弁というものではありませんか……?」

 ヒュンダーの顔色は蒼白だった。レグナムと会話しながらちらりとその横に視線を向ければ、そこには王族のみが許される青いドレスを纏った美しい少女がいる。

 その少女は間違いなく、かつて国境で彼が公衆の面前で辱めようとしたあの少女だ。

 自分が邪な目的で白昼に裸に剥こうとした相手が、まさか第二王子妃だったとは。

 そんな相手を辱めようとしたことが国王が知ることになれば。間違いなく自分の首と胴は別れ別れになるだろう。

 あの、《愛の戦士》を自称する家族を愛して止まない国王が、義理とはいえ娘と認めた人物を辱められて黙っているはずがないのだから。

 顔面を蒼白にし、油汗をだらだらと流しながら。ヒュンダーは絶体絶命のこの危機をどうやって脱しようかと必死に考えていた。

 だが、思いもしない人物から、救いの手が差し伸べられることになる。もっとも、それは彼を完全に安泰とさせるものではなかったが、少なくとも最悪の状況は免れることのできるものだった。

「殿下? この者をご存じなのですかな?」

「こっちに帰ってくる時に、国境でちょっとな。ああ、そうだ。爺さんに頼みがあるんだ」

「は。この老骨でよろしければ、殿下の頼みとあらば何でも引き受けましょうぞ」

「一人、信頼のおける奴を国境へ派遣して貰いたい」

 レグナムは悪戯を思いついた子供のような表情で、縮こまって震えているヒュンダーを見る。

「前にも言ったが、これまでお前が仕出かしたことには目を瞑ってやる。それは第二王子の名にかけて約束しよう。だが、今後は違うぞ? おまえも今聞いただろうが、爺さんに頼んでおまえには監視……じゃない、有能な補佐官を付けてやる。だから、おまえの仕事も少しは楽になるだろう。今後は陛下より任された仕事をより一層励めよ?」

「は……はは。わたくしのような者の身を案じくださり、これ程の名誉はございません……」

 第二王子の提案を受けるしかないヒュンダー。監視者が付けられてしまえば、これまでのようなことは二度と行なえない。だが、ここで監視者を受け入れなければ、遠からず自滅するのも間違いない。

 また、こっそりと監視者を始末することもできない。もしも監視者が不自然な死に方をすれば、真っ先にヒュンダーが暗殺したと疑われるだろう。

「下がれ、ミライース男爵。おまえのことは今後忘れないからな」

「あ、ありがたきお言葉……」

 別の意味で名前を売ることに成功したヒュンダーは、すごすごと二人の前を辞するのだった。




「ほう。そのようなことがあったのですか」

「それはちょっと聞き捨てならないね」

 アスパイア公爵は国境でのできごとをレグナムから聞いて、その皺が刻まれた顔を厳めしくする。

 どうやらレグナムとヒュンダーのやりとりに聞き耳を立てていたらしいインプレッサも、王太子という立場上厳しい表情を浮かべていた。

「まあ、それほど目くじら立てなくてもいいんじゃねえか? オレも少し聞き込んでみたんだが、あいつがしていたのは、国境を通る連中に難癖をつけて袖の下を受け取っていたぐらいらしいからな。それぐらい、よくあることだろ?」

 故郷を飛び出してから、傭兵として各国を渡り歩いたレグナムである。

 時にはヒュンダーのように、賄賂を強要してくる者は少なくなかった。

 そのような時は、素直に賄賂を渡した方が逆に揉めることもない。僅かな金額で済むのならば、とレグナムもそれに従ってきた。

 ヒュンダーの時に限ってそうしなかったのは、ヒュンダーが好色そうな目で連れの少女を見ていたことが気にくわなかったからに他ならない。

「分かった。ここはおまえの言い分を通そう。だけど……」

「ああ。今後同じことをした時には、遠慮なく親父に報告しちまえ。そのために監視を付けたわけだしな」

 兄と弟は、よく似たどこか黒い笑みを浮かべて不敵に笑い合う。

 そんな孫二人を見て、祖父は「やはり兄弟だな」と内心で呟いた。




 一方、レグナムが兄や祖父とそんな話をしている頃。

 カミィはと言えば、クラルーと共にまたもや食欲魔神と化していた。

 先程、レグナムと華麗に踊っていた少女とはまるで別人のようなその様子に、彼女をダンスに誘おうとした貴族やその令息たちも二の足を踏んでしまっていた。

 それでも中にはカミィに対し、果敢に声をかける者も僅かではいたのだが。

「カミィ様! よろしければ、この私と一手……」

 だが、カミィとクラルーはそんな申し出に耳を傾けることもなく、その意識は料理にのみ向いていた。

 それでも挫けることなく──単に引っ込みがつかなかっただけかもしれない──カミィを誘おうとする者に、彼女は冷たい一瞥をくれたきっぱりと告げた。

「断るのだ」

「は? はい?」

「どうして我輩が、貴様と踊らなければならないのだ?」

「で、ですがカミィ様は先程レグナム殿下と……」

「当然だ。相手がレグナムだからこそ、我輩も踊ったのだ。だが、貴様はレグナムではあるまい?」

 こうまできっぱりと告げられては、その者も引き下がるしかなかった。

 そんなやり取りに聞き耳を立てていた貴族たちは、ひそひそと手近な者と囁き合う。

──どうやら第二王子妃様は、余程第二王子殿下を愛しているらしい──

 と。

 こうして、更に外堀がどんどんと埋まって行っているのだが、幸か不幸か当の本人であるレグナムは、その事実に気づいていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る