第61話 宴


「ラブラドライト国王、ウィンダム・ラグレイト・ラブラドライト様。並びに、王妃、シエンタ・ラグレイト・ラブラドライト様、ご入場!」

 宴の会場となっている王城の大広間。その大扉の横に控えていた呼び出し係が、大きな声で国王夫妻の入場を告げる。

 既に広間の中にいた貴族やその関係者たちは、揃って頭を下げる。現在、既に宴は始まっているので、その場に跪くまでの必要はない。

 中央に敷かれた絨毯の上を、正装した王と王妃が腕を組んで仲睦まじそうに歩いていく。

 王と王妃に向かった頭を下げていた者たちは、気配で二人が通り過ぎるのを察し、順に頭を上げる。

 やがて王と王妃が大広間の一番奥──そこに据えられた二つの椅子に腰を下ろした時。

 再び呼び出しが、次の入場者の名を告げた。

「ラブラドライト国王王太子、インプレッサ・ラグレイト・ラブラドライト様。並びに、王太子妃、アルテッツァ・ラグレイト・ラブラドライト様、ご入場!」

 続いて現れる王太子夫妻。王と王妃と同じように腕を組んで歩く姿に、再び貴族たちは一斉に頭を下げる。

 王太子夫妻が国王夫妻の背後に静かに列ぶと、三度呼び出しが名前を告げる。

「ラブラドライト国王第二王子、レグナム・ラグレイト・ラブラドライト様。並びに、カミィ・スピアーノ様、ご入場!」

 次に入場してきたのは、長年の病がようやく癒えたと言われている第二王子だった。

 だが、同時に告げられた名前に、居合わせた貴族たちは思わず首を傾げる。

 なぜなら、今呼び出しが告げた名前に、誰一人として心当たりがなかったからだ。

 だが、どれだけ疑問を抱えていても、第二王子が入場するとなれば貴族たちは頭を下げなければならない。

 再び貴族たちが頭を下げた中、問題の第二王子が入場する。

 深い青を基調にした王子の正装。ラブラドライト王国において、王城を取り囲むシンジーユ湖の色とされるこの深い青は、王族以外には身に帯びることを禁じられていた。

 当然、先に入場した国王と王太子夫妻もまた、正装の意匠こそ違うものの同じ青が用いられている。

 先程までと同じように、第二王子が前を通り過ぎた者から頭を上げていく。そして彼らは、颯爽と歩く第二王子とその連れの女性を見て、一様に目を見開いて驚きを露にする。

 もう随分と病に臥せ、公式の場に姿を見せなかった第二王子。

 だがつい最近、その病が急に癒えたという噂が流れ始めた。そしてその噂を肯定するように、国王の名の元に快癒祝いの宴が開催されるという通達と招待状が各貴族たちの手元に届いた。

 第二王子の病が癒えたとなれば、それは国家規模の祝い事であるのは間違いない。そのため、貴族たちは都合のつく限り慌てて宴に参加する準備を始め、今日のこの場に馳せ参じたのだ。

 そして今、その第二王子が目の前を歩いている。

 彼ら貴族たちは、長い間の病ですっかり痩せ衰えた第二王子の姿を想像していた。

 だが、今彼らの目の前を胸を張って堂々と歩くその姿は、病に犯されていたという弱々しさは全く見られない。それどころか、引き締まった体付きの自信と気力に溢れた偉丈夫の姿がそこにある。

 しかも、第二王子が同伴している謎の令嬢もまた、驚きに値するものだった。

 どこの家の令嬢かは分からないが、王族のみに許された深い青のドレス姿のその令嬢。

 処女雪のような真っ白い肌に、夜の闇を凝縮したような漆黒の髪。長いその髪を複雑に編み上げ、後ろから見た時にちらりと覗くうなじの妖艶さ。

 そして、美を司る神が心血を注いで造り上げたような、輝かんばかりのその美貌。

 その美貌の中で一際印象的な金の双眸が、どこかあどけなさを残したその令嬢に、蠱惑的な妖しい魅力を付け加えていた。

 居合わせた貴族の男性たちが、いや、女性たちまでもが、その美しさに目を奪われている。

 貴族たちが陶然と見つめる中、第二王子とその令嬢が国王夫妻の背後に肩を列べて列ぶ。この時になって、貴族たちはその令嬢がどのような立場なのかをようやく悟った。

 王族のみが許される色を身に帯び、第二王子の隣に列ぶ。それが何を意味するか、分からない者はこの場には一人もいなかった。




 貴族たちがカミィに見蕩れている間も、呼び出し係は次の入場者の名前を告げる。

「オルティア王国りょくしん神殿最高司祭、イクシオン・フォレスタ様。並びに、オルティア王国第三王女、シルビア・トラヴィク・オルティア様、ご入場!」

 陶然とカミィを見つめていた者たちが、慌てて再度頭を下げていく。

 そんな中、どこか困った風のイクシオンと、彼の腕をしっかりと胸にかき抱いたシルビアが嬉々とした表情を浮かべて歩いていく。

 そして、呼び出しが最後の王族の名を読み上げた。

「ラブラドライト王国第一王女、ステラ・ラグレイト・ラブラドライト様。並びにオルティア王国近衛騎士、カムリ・グラシア様、ご入場!」

 本来、オルティアの姫であるシルビアの同伴者は、護衛役であるカムリの方が妥当であろう。

 このような席に女性を伴って現れる場合、「男性はその女性を守る」という意味合いも含むからだ。そのため王女を伴うのは、聖職者であるイクシオンより騎士であるカムリの方が適任のはずなのである。

 それを敢えてシルビアの同伴者をイクシオンにしたのは、レグナムとカムリ、そしてインプレッサの仕業だった。もちろん、シルビアの秘めた想いのために。代行者であるイクシオンは、一国の姫を伴っても見劣りすることのない立場にいるのだから。

 現に今、シルビアはイクシオンの隣で幸せそうにしている。

 そんなシルビアの姿を、レグナムとカムリは内心で苦笑を浮かべながら見ていた。

 只一人、当のイクシオンだけが、どうしてシルビアはこんなに上機嫌なのかと、こっそり疑問に思っていたのだが。




 本日の宴の主役であるレグナムとシルビアが登場したことで、居合わせた者たちの間に新たな疑問が沸き上がる。

 それは、レグナムとシルビアが婚姻する、というあの噂だ。

 だが、今彼らの目の前では、レグナムは見知らぬ美しい令嬢と、シルビアはラブラドライトでも代行者として名高いイクシオンと、それぞれ別の者を伴ってこの場に現れた。

 このことについて、貴族たちが手近な者とあれこれと囁き始めた時。国王であるウィンダムが立ち上がり、居合わせた者たちに向けて言葉を述べる。

「まずは本日、この場に集まってくれた諸卿らに礼を述べよう。我が息子の病気が癒えたのも、日々卿らが息子のことを気にかけていてくれたことを、神々がご覧になってその恩恵を下されたからに相違あるまい。卿らには心より感謝する」

 ウィンダムが言葉を区切った時、会場から大きな拍手が巻き起こる。しばらく続いたその拍手が緩やかに消えていくのに合わせて、ウィンダムは再び口を開く。

「さて、卿らの中には……いや、卿らのほとんどが疑問に思っていることがあるだろう。そう、我が息子レグナムと、オルティアのシルビア姫の婚姻についてだ。残念ながら今回、この二人が愛という名の鎖で結ばれることはなくなった。誠に残念ではあるが、二人が共にお互いと婚姻するつもりがない以上、余はそんな二人を無理矢理結びつけるつもりはない。よって、ここにこの二人の婚姻が白紙に戻されたことを宣言しよう」

 大広間は静まり返っていた。国王の言葉がこれで終わりではないと誰もが分かっているからだ。

 なぜなら、今その第二王子の隣にいる、美しい令嬢についての説明がまだなされていないのだから。

「卿らも気づいていよう。いや、気づいて、それでいて知りたくて仕方ないのだろう? うむ。ではその知りたいことを改めて説明させていただこう。今、我が息子レグナムの隣にいる美しい娘。彼女は諸卿らが想像している通り、近い将来に我が義理の娘となる存在だ!」

 おおーという声が広間中に響き渡る。

 その後、貴族たちは勝手なことを言い合い始める。

 あの令嬢は他国の王族であろうとか、不治の病であった王子を癒したどこぞの聖人であるとか、中には数代前の王族の隠し子の末裔だとか言い出す者もいる。

 ウィンダムはにこにこと上機嫌に笑いながら、貴族たちの好きなように話させた。まさかカミィの正体が神であると知れば、全員度肝をぬかれるだろうなと内心で考えながら。

 あれこれと推測を飛ばし合う貴族たち。だが、所詮は推測をいくら重ねても真実にはなりえない。

 そのことに気づいた者たちから、徐々に口を閉じて国王の更なる説明を待ちわびる。

 ウィンダムもまた、大広間に居合わせる者たちの殆どが再び自分へと注目しているのを確認して、カミィについての説明を再開した。

「ある理由から、この娘の生立ちは詳しくは話せん。納得いかない者もあろうが、ここは余の顔を立てて納得してもらう他ない。ただ言えるのは、この娘はある神殿の最奥で、とある神の巫女として育てられて来た。しかもその身には、その神の血脈を色濃く宿している。即ち、第二王子の血筋ではあるが、わが王家に神の血が加わることとなる!」

 再び大広間に歓声が響く。

 このサンバーディアスにおいて、神の血脈を迎えることは大きな意味合いを持つのだ。

「先程も言ったように、この娘は巫女であった。そのため、世間から隔離されて育てられ、世俗のことには極めて疎い。卿らはそのことを念頭に置いて、多少の無礼は笑って許してやって欲しい。ここは卿らの度量の大きさを示す絶好の機会ぞ?」

 最後にふざけた調子でそう付け加えるウィンダム。

 大広間は国王の冗談に、朗らかな笑いに包まれていった。




 国王の挨拶が終わり、宴は本番へと入っていった。

 大広間に集った貴族たちは、まずは本日の主役であるレグナムとシルビアの周囲に我先にと詰めかけた。

「ご病気の快癒、並びにご婚約おめでとうございます、レグナム殿下」

「しかも王家に神の血が入るとは、誠にめでたいですな」

「我ら臣下一同、今後は更なる忠誠を王国と王家に誓いますぞ」

 貴族たちが口にする言葉に鷹揚に頷きながら、レグナムは彼らの相手をしていく。これもまた、王族の使命であることを承知しているからだ。

 そして詰めかけているのはレグナムの元だけではない。

 国王や王太子であるウィンダムやインプレッサはもちろん、王妃であるシエンタや王女であるステラの元には、貴族の夫人や令嬢たちが押し寄せ、カミィについて更なる情報を得ようと──夫や父親から指示されて──あれこれと質問を浴びせている。

 カミィの出身地や好みのもの、更にはどうやってレグナムとカミィは出会ったのか、などなど。

 それらの質問を、王族の女性陣はにこやかに微笑みながら当たり障りのない答えで躱していく。

 この辺り、さすがは場慣れた王族というべきだろう。

 もちろん当のカミィも例外ではない。数多くの貴族やその家族が、第二王子妃──現時点ではまだ候補──となった謎めいた美少女の元へと詰めかける。

 彼らの目的はやはり、カミィの素性を探ることと彼女と親しくなることだ。

 詰めかけた者たちは、早速あれこれとカミィに話しかける。

 だがカミィはそんな者たちを一切無視して、目の前の机の上に整然と並べられている手の込んだ様々な料理に夢中だった。

「ご、ご主人様っ!! このお魚、とっても美味しいですよっ!!」

「うむ、確かに美味いのだ!」

「こちらのお肉の料理は、今までに見たこともありません!」

「なるほど。こちらも美味しいのだ! この料理を作った者は、レグナムに勝るとも劣らない料理名人なのだ!」

 国王の挨拶の後、合流したクラルー──こちらもカミィたちほど凝った意匠のものではないが艶やかなドレス姿だ──と一緒に、あちらの料理やこちらの料理といった具合に、食べることに大忙しだった。

 話しかけても無視された一同は、呆然とした表情で料理を食べまくるカミィを眺めることしかできない。

 そこへ、第二王子であるレグナムが現れた。

「せっかく卿らに話しかけられたというのに申し訳ないな。先程父が言ったように、彼女は世俗のことに疎い。しかも、彼女がいた神殿では質素なものしか食してはならない決まりがあったそうだ。今は神殿を出たので、その決まりに従う必要なないそうなのだが……そのせいか珍しい食べ物に夢中でな。どうかここは私に免じて、彼女の無礼は許してやってくれないか?」

 王子であるレグナムにここまで言われては、貴族たちも引き下がるしかない。

 カミィのそのいつも通りな振る舞いは、確かに貴族たちから見れば奇行に写るだろう。

 だが、例え奇行であったとしても。

 その堂々としたカミィの振る舞いは、その神秘的な魅力を損なうことはなく。

 そしてレグナムは、こんな時でもやっぱりいつも通りのカミィが嬉しくて。

「ほら、これも食ってみろ。美味いぞ?」

「ほう。これもまた見たこともない料理なのだ。貴様が作ったのか?」

「馬鹿言え。この城の料理人が作ったに決まっているだろ。この城に務める料理人の腕は、親父も認める一流ばかりだからな」

 手ずから机の上の料理を取り分けてやり、美味しそうに食べるその姿に目を細めるのだった。

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