第60話 想い人
供されたお茶を一口喉に流し込み、イクシオンが呆れた様子で呟く。
「しかし、おまえがラブラドライトの王子だったとはね……正直、驚いたぞ?」
「ああ、私もだ。ということは何か? 以前の私は一国の王子殿下に向かって部下になれと言っていたわけか?」
「うむ。カムリ・グラシア、お主は不遜である。この場でその首、叩き落としてくれるわ」
レグナムが戯けた様子でそう言うと、イクシンとカムリ、そしてレグナム本人が大笑いする。
「よしてくれ、レグナム。本物の王子であるおまえに言われると洒落にならん」
笑い続けて苦しそうにしながら、カムリが何とかそれだけ口にした。
一方、男たちの親しげな会話を、シルビアは目を白黒させながら呆然と眺めている。
「あ、あの……よろしいでしょうか、フォレスタ猊下にグラシア卿、そしてレグナム殿下……?」
おずおずと口を挟むシルビアに、男たちは一斉に振り向いた。
「ああ、オレに対して殿下なんて敬称はいらないぜ? ここにはオレたちしかいないしな。そもそも、オレとおまえは幼馴染みだろ?」
「あら、そう? なら、私のこともシルビアでいいわ。それで、レグナムと猊下たちはどうしてそんなに親しそうなの? それに……」
シルビアの視線が、レグナムの隣で一心不乱にお茶菓子を頬張っているカミィへと向けられる。
「そちらの女性は何者なの? 先程のウィンダム陛下の家族自慢で、陛下は彼女を娘と言っていたけど……この国には王女はステラ様だけでしょ?」
「ああ、こいつか? こいつはな……」
カミィについて説明しようとしたレグナムだったが、ふとカムリを見るとにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「こいつはな、カムリが一目惚れして求婚までしたけど、その場ですっぱりと振られた相手なんだよ」
「え? グ、グラシア卿が?」
「お、おい、レグナムっ!! 言うにことかいてシルビア様の前で何を言い出すんだっ!?」
「事実だろ?」
「そ、それは確かに事実だが……も、もうそのことは忘れてくれっ!!」
あたふたと狼狽するカムリを、シルビアは意外な思いで見つめる。
「驚いたわ。グラシア卿はオルティアの貴族令嬢たちの中でもとても人気があるのに、浮いた噂は聞いたことがないもの。でも、そのグラシア卿を袖にするなんて……」
シルビアの視線が、相変わらずお菓子に夢中のカミィへと向けられる。その視線は、何かを探るようなどこか鋭さを秘めたものだった。
「ふぉ、フォレスタ猊下も、こちらの女性のことは御存知なのですか?」
「はい。とは言っても、以前に一度だけレグナムと一緒に私の神殿でお会いしたことがあるだけですがね」
「レグナムが猊下の神殿で……? そもそも、どうしてレグナムと猊下やグラシア卿がお知り合いなのですか? それも随分と親しげなご様子ですし……」
「実はこいつ、王子という身分を隠して傭兵としてあちこちを渡り歩いていましてね」
「れ、レグナムが傭兵……?」
「そうなんです。私もこいつがこの国の王子であることを今日初めて知ったぐらいです。以前……私が
「そういうことだ。オレはこいつが代行者となった瞬間にも立ち会っているからな」
レグナムがそう言うと、シルビアは驚きで目を見開いた。
「ええっ!? げ、猊下が代行者となった瞬間に立ち会ったですってっ!?」
最初は驚きの表情を浮かべていたシルビア。だが、その表情は徐々に変化していく。
目は潤み、頬は紅潮し、まるで白昼夢でも見ているかのようなとろんとしたものへと。
「ああ……猊下が代行者となられた瞬間……っ!! そんな記念すべき素晴らしい瞬間に立ち会えたレグナムが羨ましいわ……っ!!」
「そんな大層なものではなかったよな?」
「そうだよなぁ。なんせ一回は死の直前まで行ったわけだし。ってか、あの時はオレも村の連中もおまえが死んだとばかり思ったぐらいだからな。それなのに突然起き上がってくるものだから、オレも村の連中も驚いたってもんじゃなかったって」
あの時──イクシオンが緑神の代行者となった瞬間。てっきり病に犯されて息を引き取ったとばかり思ったイクシオンが、まるで屍人のように起き上がってきた時。レグナムを始めとして、その場に居合わせた村人の殆どが驚いて腰を抜かしたものだ。
レグナムとイクシオンが当時を振り返ってそんな話をしている間も、シルビアは熱に犯されたように陶然とした表情でイクシオンの顔を見つめていた。
そのシルビアの様子を見たレグナムは、はっとして隣に座っているカムリにそっと耳打ちする。
「なあ……もしかして、シルビアが言っていた添い遂げたい相手って……」
「ああ。私も今日まで気づかなかったが……どうやら間違いなさそうだ」
思い返してみれば、シルビアはラブラドライトまでの道中、ずっとイクシオンと同じ馬車に同乗していた。
いくら相手が緑神神殿の最高司祭とはいえ、独身の王族の女性が独身の男性と同じ馬車に同乗するのはよく考えればおかしいことである。
しかも、その道中は結婚すると思われていた相手の元へと挨拶に向かう道中なのだ。それが理由であらぬ噂でも立てば、結婚話そのものが流れかねない。王族の女性であるシルビアが、そんな単純なことに思い至らないわけがないのだ。
カムリは推測する。
おそらく、それもまたシルビアの計算の内だったのだろう。もしもラブラドライト側がそれを理由に破談を持ち出せば、それは彼女としては願ってもないことだったに違いない。
「でも、緑神神殿の最高司祭なら、王族が嫁ぐ相手として不足はないだろ? もしかして、オルティア王が二人の仲を反対でもしているのか?」
「おそらくだが……陛下も姫のお気持ちは知らないのだろう。陛下とて、相手がフォレスタ猊下ならば反対などしないだろうからな」
「となると問題は……」
レグナムとカムリの視線が、揃ってイクシオンへと向けられる。
だが、当のイクシオンは、何ともない様子でゆっくりとお茶を口にしているだけ。
「どうやら、猊下は姫のお気持ちに気づいておられんようだな……」
「ああ。あの朴念仁め」
「レグナムにグラシア卿? 揃って私の顔を見て溜め息など吐いて、一体どうした? 私の顔に何かついているか?」
まるで他人事のように言うイクシオンに、レグナムとカムリはもう一度深々と溜め息を吐いた。
「先程シルビア姫が仰ったように、私が遠路はるばるこの国まで来たのは、この国の第二王子が長い間病に臥せっていると聞いたからなのだが……それなのにいざ蓋を開けてみれば、第二王子は病などではなくあちこちを放浪していたのが真実だったようだがな」
「あー、その……済まん。わざわざ面倒をかけさせちまったな」
改めて頭を下げるレグナムを、イクシオンは気にするなと笑い飛ばした。
「ところで、私も尋ねたいことがあるのだが……」
イクシオンの目は、ようやくお茶菓子を食べ終えたカミィへと向けられている。
「カミィ殿がそのような格好でいるということはもしや……?」
今日のカミィは、いつもの傭兵のような姿ではなくドレス姿だ。それもそのドレスが手の込んだ高級品であることは誰の目にも明らかで。
彼女がそんな姿で、王子であるレグナムの横に立つということが何を意味するのか。それが分からない者はこの部屋の中にはいなかった。
「……それが……親父やお袋たちがすっかりこいつを気に入ってしまってな。オレとこいつがそんな関係じゃないと何度言っても、聞く耳を持ちゃしないんだ。あまつさえ、師匠までもがオレの嫁はこいつ以外は認めないとか言い出すし……」
「あら、そうだったの? だったら、私の方から婚姻を断る必要もなかったわね」
今回の婚姻話を断ったのは彼女の独断であった。
勝手に結婚話を断った以上、国に返れば父であるオルティア王に叱責されるだろう。それを承知の上での行動である。
そして、父にはその時に自分の胸の内を告げるつもりだ。父も相手が緑神の最高司祭ならば、決して文句は言わないだろう。
この際だから、ウィンダム王には自分の想いを明かして協力してもらおうと考えている。父とウィンダム王は仲がいい。そのウィンダム王から進言してもらえば、父もイクシオンとの縁談を前向きに考えてくれるに違いない。
きっとウィンダム王ならば、自分の想いを応援してくれるだろうから。
「レグナム。もっとお菓子が食べたいのだ」
「今、山ほど食っただろうが」
「うむ。だが、我輩はまだまだ食べられるのだ。貴様の母や義姉、そして妹も言っていたのだ。『お菓子は別腹』だと!」
「お袋たち……カミィに余計なこと教えるなよ……」
「だから早く我輩にお菓子を食べさせるのだ!」
「ああ、もう! 少しは待てっての! すぐに持って来させるから」
目の前で仲良く言い合うレグナムとカミィ。
そんな二人を見て、シルビアは楽しげに目を細める。
「お似合いよ、二人とも」
小さくそう呟いたシルビアは、目の前で繰り広げられるレグナムとカミィのやり取りを、微笑見ながら見つめていた。
そんな旧友たちとの邂逅からしばらく時間が過ぎて。
レグナム第二王子の病快癒とシルビア王女の来訪を祝う宴は目前まで迫って来た。
その間、レグナムたちも様々なことに忙殺されていた。
第二王子が病から回復したと聞き、国内の貴族の何人かは宴に先んじてレグナムに面会を求めた。その目的は病気回復を祝う言葉や贈り物を届けることで、レグナムは当然ながらその対応に追われることになる。
そんな面会の合間には、師であるヴァンガードとの稽古もあった。時にはカムリもその稽古に参加し、二人がかりで《剣聖》に挑んでは、あっさりと返り討ちにあって大地に転がされたりもした。
カミィの方もまた、クラルーやシルビアと共にラブラドライトの王族女性陣にお茶会に誘われていた。
当然、カミィたちはお茶菓子に釣られて参加するのだが、王族の女性陣もすっかりそれを承知していて、あれこれと毎回違うお茶菓子を準備しては、美味しそうに食べる二人を楽しそうに眺めている。
そんなお茶会には大抵はレグナムも一緒に参加し、ぶつぶつと文句を言いながらもカミィの世話を焼く彼の姿を、女性陣は微笑ましげに──時にはにやにやしながら──見守っていた。
そうこうしている内に、一人また一人と国内の貴族たちが王都へと集まって来る。
彼らの目的はもちろん、宴に参加するためだ。
そして予定されていた貴族たちが全て王都に集った時。
第二王子の病回復とオルティア王国第三王女の来訪を祝う宴が、遂に開催されるのだった。
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